二十六話
昼想は深淵を迂回しながら、縁に沿ってこちら側へと歩み寄ってきている。
その姿が徐々に大きくなるにつれて、上空から全身を押さえ付けるような重圧感が増していく。
作戦はすべて吹き飛んだ。仲間が身動きを取れない状態で作戦もなにもない。
俺はなんとか手足を動かせるぐらいにはなったが、仲間は片膝を突いて倒れないようにするのが精一杯か。
『跪いてのお迎えご苦労。顔を上げて楽にしていいよ』
こちらの神経を苛立たせる物言いに傲慢な態度。
直接頭に響いてくるので耳を塞いでも意味がないのが腹立たしい。
ヤツが言い終えると同時に、全身を襲っていた重圧が嘘のように消えた。
仲間たちが立ち上がり、手足を振って感覚を取り戻そうとしている。
『親友と原住民の諸君、お久しぶりと言うべきなのか』「この距離ならもう声は普通に届くかな」
事前に考えていた対策を何一つ実行できぬまま、ヤツは俺たちから十メートルぐらい離れた位置まで歩み寄って来てしまった。
腹を括れ。今までの案はすべて破棄しろ。頭を切り替えろ。
「体感は一日ぶりだが、この世界では初対面だな」
「まったく変わらない世界に見えるが、別の世界線のパラレルワールドだとは未だに信じがたい。おっと、まったく変わらないというのは違うか。守人君に教えてもらいたいことがあってね」
昼想の目がスッと細まり、鋭く研ぎ澄まされた視線が俺に向かって放たれる。
圧倒的な力を手に入れたというのにヤツはまだ俺に……警戒している?
こちらの手の内は殆どバレた。切り札の【ワームホール】もヤツは体験済み。だというのに、何を警戒しているのか。
「わかる範囲なら答えられるが」
「神無月になる予定だった側近の一人を何処にやった?」
想像もしていなかった質問に驚きすぎて表情が崩れそうになるが、気合いでなんとか押しとどめて無表情を貫く。
神無月になる予定だった側近とは、あの霊体で【憑依】の異能が使えた異世界人のことで間違いない。
物理攻撃が通用しない厄介な相手だったが、【墓守】の力で浄化して消滅させた。
考えろ、考えろ。思いもしない問いかけだったが、今の会話だけでも貴重な情報が得られた。情報の断片を掻き集めて完成させろ。
神無月がいないのは俺もヤツも想定外。ここからたどり着ける答えは……。
もしかして、そういうことなのか?
ヤツの質問で胸のつかえが一つ下りた。ずっと疑問だったことの答えが、今この瞬間に解明した。
「どうしたと思う?」
相手の反応を見るために、あえて曖昧に返す。
「質問を質問で返すのはオススメしないな。少しだけイラッとしたじゃないか。自分が少しでも本気を出せばキミたちなんて、呼吸をする程度の労力で殺せるのだから」
大袈裟、とは言い切れない。あまり、相手を苛立たせるべきではないか。
落ち着いて頭を整理しろ。
神無月の姿がない理由は……判明した。
ずっと疑問だった、神無月を倒して穴に埋めたというのに、何故か俺は異能を手に入れられなかった。
神無月は少なくとも【念動力】【憑依】の異能を所持していた。だというのに、その異能は手に入らなかった。どうしてなのか?
それは【墓守】の力で覚醒した【穴】から派生した能力【墓穴】で浄化したからではないのか。浄化の文字通り、すべてを清め消滅させた。
オーラも異能も――その存在さえも。
故に本来手に入るべきだった異能も消え、あいつの存在すらも世界から抹消されたのではないか。少なくとも、この3世界では。
もし、この考察が正解なら【墓穴】に放り込み浄化させれば、相手の強さに関係なく存在を抹消させることが可能……確信はないが。
それは――昼想にも通用する、かもしれない。
ヤツもそれが懸念材料なのだろう。だから、一方的に力でねじ伏せることをせずに話し合いに持ち込んでいる。少しでも未知の情報を引き出すために。
「自分はね感謝しているのだよ。共に時間を逆行したことで力が倍増した。この力があれば更に上の地位へと駆け上ることができる」
珍しく真面目な口調で語ると、右拳を握りしめている。
「リーダーはしょうぐんなのに、えらいのに、まだもっとつよくなりたいの?」
日輪は落ち着きなくぴょんぴょんと飛び跳ねてはいたが、動きを止めて会話に交ざってきた。
ヤツは将軍なのか。島でそんなことを言っていた気もするが、逃走に必死で細かいところまでは覚えていない。
「将軍と言っても九十七も将軍がいる中から、下から二番目の九十六将。頂上は遙か高みにある」
「いまのリーダーなら、うえにいけるよ」
「そうだな。五十位ぐらいまでなら駆け上がれるか」
ヤツの化け物じみた実力でも将軍の中ではその程度なのか。
今更ながら、アグリウスタル人の戦力には驚愕せずにはいられない。
「キミたちは自分程度に萎縮しているようだが、そんなことでは上位の将軍を前にするだけで死ぬよ。もっとも今は別の異世界侵略にご執心だから、しばらくは来ないけどね」
発言は嘘でも誇張でもない。そう思える程に自然と口にした。
ヤツを倒したところで、もっと強い連中が送られてくる。あまりにも希望のない未来に目が眩む。
仲間たちは目の前の脅威になんとか抗うことに精一杯だったところに、更なる過酷な現実を突きつけられ意気消沈どころの騒ぎではない。
完全に血の気の失せた顔で呆然と立ち尽くしている。
絶望をどれだけ重ねたら気が済むんだ……。
何度も何度も苦しんで、抵抗して、考え抜いて、戦って、足掻いて、また絶望する。
これだけ頑張ったんだ、そろそろ救われてもいいはずだ。
そうだ、俺は頑張った。死力を尽くしてきた。だから、もう……。
全身の力が抜け膝を突く。視界が徐々に狭まっていき、同時に心を闇が塗りつぶしていく。
いいんだもう。あきらめてもいい。
俺は頑張った、そう、やれることはやった。だから、休もう。
何もかも……捨てて。
「皆さん、意識を強く持って!」
あまりにも深く暗い穴の底に落とされ、惨めにうずくまっていた俺の意識を引き上げたのは聞き覚えのある声。
その声に促され、ゆっくりと視線を隣に向けると冷や汗を流している女性と目が合う。
上下白のジャージを着た青い髪の女性。特徴的な大きな瞳が印象的だ。知らない人のはずなのにどこか見覚えがあるような。
「気配を【遮断】して潜みながら近づいていたら、急に皆さんが跪いて苦しそうにし始めてびっくりしましたよ。今はボクの【遮断】で防いでいますから!」
……【遮断】。ああ、黒服の淵上か。いつも黒い服にサングラスなので印象がまるで違う。
「【遮断】を発動しているからわかるのですが、相手は精神に影響のある異能を発動しているようです。弾いている感覚がありますので」
その言葉を信じて注意深く周囲を観察する。
うっすらとだが黒いモヤが周囲に漂って……いるのか。
「おっと、まさか気付き防げる者がいるとは。自分の【闇】はこんな芸当もできるのだよ。粒子状にして飛ばし、それが肌に付着すると精神を不安定にさせる。キミたちはオーラが使えるから、不安を煽り、恐怖を促す程度だが、一般原住民なら発狂しているところだ」
くそっ、この動揺も落ち込みもヤツの異能が原因だったのか。
「こういう小細工も悪役らしいだろ? ちなみに対抗手段は常にオーラを全身から放出すること。なので、戦闘中だと意味がなくてね」
相変わらず訊きもしないことまでネタばらしをしてくれる。
「助かったよ、淵上さん」
「ほんま、おおきにやで……って、淵上はん? そんなプリティーな目してたんやな!」
「ああ、黒服の方でしたか。青い髪はイメチェンですか?」
「そっちの方が断然いいと思うな」
復活した仲間たちが淵上を取り囲んで、次々と礼を口にしている。
「こっちが本来の姿で、黒服は仕事着なだけです。あと、この大きな目はボクにはコンプレックスなので、じろじろ見ないでください」
「なんでや、めっちゃかわいいやん。おまけに僕っ娘かいな!」
ぐいぐいと迫ってくる望の顔面を掴んで恥ずかしがっている。
淵上の登場で一気に場の空気が入れ替わった。絶望の淵に立っている状況は変わっていないが、それでも気持ちを切り替える切っ掛けにはなった。
「守人君」
耳元で囁く声に振り向くと、すみれが俺の頬に指を当てて口角を強引に吊り上げる。
「ヒーローは窮地でも笑うんだよ。あの人が悪役に徹するなら、こっちはヒーローに成りきって抵抗しないと」
「俺は……ヒーローなんかじゃない」
「守人君はいつだって、どんな窮地に陥っても私を助けてくれる、私のヒーローだよ」
俺の手を包み込むように握りしめる彼女の手は少し震えている。
いつもそうだ。奴隷時代も俺が彼女を庇っているつもりだったが、励まされていたのは俺の方だった。あの逆境を生き延びられたのは彼女がいたから。
「ヒーローとして期待には応えないと、な」
「うん」
もう一度心を奮い立たせ、俺は立ち上がる。
何度挫けても、這いつくばってでも、前へ進むために。
「感動の復活劇はそれでおしまいかな? いやー、素晴らしかったよ。ブラボー」
ヤツはパチパチと手を叩き称賛している。その声には感情が一切感じられないが。
「お前なら、手を出さずに待ってくれると信じてたよ」
「ご期待に添えたなら何よりだ。悪役として主人公の復活劇を邪魔するわけにはいくまい」
ヤツは理想の悪役を演じるために自分に縛りを設けている。
以前より強くなった自覚があることで心の余裕が肥大したのか、悪役の演技にも磨きがかかっている気がした。
「このまま心を操って情報を引き出す予定だったのだが、困ったね。まだ、自分の側近を世界から消滅させた方法を教えてもらっていないのだが」
自体は何も好転していない。振り出しに戻っただけだ。
【墓穴】による浄化を知られるわけにはいかない。だが、交渉材料として有効であるのは間違いない。
「お前の本当の目的はなんだ?」
初歩的な疑問が思わず口から出た。
ヤツは悪役を演じて異世界を滅ぼすことに躊躇いがない。侵略を楽しんでいる。
それは重々承知している。だが、それ以上に何か目的があるのではないか。側近を消滅させた方法を警戒しているようだが、その手段を使わせずに瞬殺することなど容易いはずだ。
ヤツを知れば知るほど疑念は増していく。今回のやり取りで疑念は更に大きくなった。
「待っていたよ、その質問を。つまり、ここから悪役の見せ場の一つである、自分語りを初めていい……ということだね」




