最終決戦
戦況はわずかに義姉が有利だ。しかし、油断は禁物といったところ。義姉は隊長格の人形のクリーンヒットを当てていない。数の力で攻めていき、たまたま攻撃が当たる人形が何体かいるだけだ。
一方で学園長も同じく決定打を与えていない。しかし、天叢雲剣しかりの底知れない怖さがある。左手の甲の呪言を光の弾丸で焼き払ったが、まだ右手が残っていて不安を完全にぬぐいされない。
「ふぅ――。体力はなんとか回復したかな」
僕はじくじくと痛む体を起こす。ココと一緒に立ちあがった。
僕とココは学園長からの直接ダメージを受けていない。それに、ココを抱きながら倒れていたおかげで能力が適応されたのか、先に戦ったメンバーの中で僕が一番早く復帰する事ができた。
テコテコとぬいぐるみの群れが僕達の元へやってきた。ぬいぐるみ達の背には人形が運ばれてきた。ショートボブの黒髪に、桃色の着物の人形。骨だらけになってしまった緋色の傘。運ばれてきたのはサクラだった。
ドラゴンの攻撃をもろに受けたため、魔力が完全に枯渇していた。傘で防いでいたからか幸いな事に骨格の筋は大事に至っていないようで、魔力を通せばそのまま復帰できそうだった。
僕はサクラを肩に乗せて、糸を使って魔力を送る。
「サクラは、だいじょうぶ?」
「チャージすれば動くはず。でも、魔法攻撃でやられたから、魔力機関系が傷ついていて稼働時間はかなり短いかもしれない。あとで、ちゃんと診ておかないと」
「……そう」
ココと二人で戦いの行方を見守る。
義姉が攻撃されるたびに、ココが身を固くしてぎゅっと服の裾を掴んできた。顔色も青白くなっている。
「どうした? だいじょうぶ、ココ?」
「うん……。心が、入ってきてるだけ……」
「入ってきてるって、どういうこと?」
「強い心だと、入ってくるみたい……。あそこで戦っているのも、ここにいるのも同じ。一緒の存在だから……」
「……そっか」
義姉はどのような気持ちでこの戦いに臨んでいるのだろうか。ココの表情から察するに義姉も顔には出していないが、不安を抱えながら戦っているのかもしれない。負けるであろうという運命を背負って、精一杯に抵抗しているのだ。
そして、ココはどのような気持ちでこの戦いを見ているのだろう。
ココは義姉自身でもある。僕とは違った風景で、この戦場を眺めているのかもしれない。
ココの不安を少しでもやわらげればと、裾を掴んでいる手をとって、軽く握ってやった。
義姉が数による力で戦いを押し続けていく。
優勢ではあるが未だに接戦の状況。学園長が状況を破りにきた。
「――契りを断つ」
ガラスが砕かれたような音。学園長は鉋切に付加されていた具現形成魔力を破壊した。鉋切という形を保つために囲っていた魔力が破棄されたため、鉋切が魔力の塊の光球へと還元される。
「呪縛を解放。現世へ還す――!」
鉋切だった光球に猛烈な魔力が叩きこまれた。内部に込められた膨大なエネルギーが膨張していく。光球が飽和炸裂した。
稲妻が何百発も破裂したような轟音が弾け、魂が持っていかれると思うほどの圧倒的な魔力波動が戦場を揺るがせた。
「っ、ぅぅ――っ!」
義姉は魔力波動をもろに受けた義姉が苦悶の声をあげる。そして、人形達の軽い身体は簡単に吹き飛ばされてしまった。
鉋切は学園長の魔力を材料に、境界術によって設計されたものである。つまり、解体のやり方さえ分かっていれば、元の状態である魔力の塊に変換することも可能なのだ。
境界術による具現化がこの世界のどのような作用によって構築されているかを知っていなければできない戦法。まさに、境界術のエキスパートならではの反撃であった。
義姉と学園長の両者ともにダメージを受けている。しかし、学園長の方が復帰は早い。自身へのダメージ量が最小限な任意のタイミングで仕掛けたようだ。
結果的に、学園長が人形の群れを一掃し、義姉の防御をこじ開けた形になった。
学園長の頬がニタリと喜色に滲む。
「無尽蔵でも、階段からやってくる分しか補充されないんだろ」
学園長が左手を軽く上げる。左手の甲に刻印された魔法陣が煌めいた。
「来たれ、荘厳の威風。――骨喰 藤四郎」
学園長が日本刀を具現しているうちに、階段から人形達が補充される。しかし、どう見積もったとしても、その数は 先程の半分以下しかいない。
もしも戦場が帝国の広場であったなら、人形は常に四方八方から補充され永遠に戦い続けられただろう。しかし、今の戦場は地下室だ。人形が補充されるのは狭い階段からであり、どんなに人形がやってこようとも階段の広さに依存した律速となってしまうのだ。
補充された人形達が、学園長へ向かって駆け走る。人形達は、学園長と義姉の間を割り込むように隊列が組んでおり、防御的な陣型で攻めようとしていた。
学園長が骨喰を振るう。鋭い旋風が生まれ、風を切り裂く音を解き放った。見えないカマイタチが人形達へ襲いかかる。
立ち向かっていった人形の身体が切断され、吹き飛ばされていく。
しかし、続々と人形達が補充されていく。義姉を守る盾でありながら、攻撃の剣でもある人形達が途切れる様子は未だに見られない。
このまま学園長が骨喰を振り続けていても、義姉には届かないように感じられた。
「そらッ、いくぜッッ!」
学園長がくるりと骨喰を逆手に持ちかえ、地面に突き刺した。突き刺した部分を中心に波状の粉塵が舞い上がった。お互いの姿が視界から消える。
刹那、煙幕なった粉塵の壁を鋭い刃が突き破ってきた。
姿を見失ったのはあくまで人間同士の話である。目標となる生命を察知する祢々切丸ならば視界が消えようが的確に殺害しようとしてくるのだ。
義姉は祢々切丸の刺突を裏拳で弾く。金属がぶつかり合ったような甲高い音が響いた。
「ほう、そこか」
呟いた学園長が暴風を解き放った。
猛烈な風によって粉塵が飛ばされ、視界が晴れる。骨喰が義姉に向かって回転しながら飛んでいるのが分かった。
祢々切丸を弾いた音を頼りに骨喰を投げたらしい。骨喰が荒れ狂う風を生み出しながら、轟然とした勢いで迫ってくる。
「――っ! 全員、緊急回避!」
投げつけられた小型の猛竜巻をたまらなく義姉は避ける。緊急指示された人形達も蜘蛛の子を散らすように逃げ回った。
注意が骨喰に向かった隙を学園長は見逃さなかった。
パン、と学園長は両手を合わせる。
「無名により造られし、堂々(どうどう)たる贋作……」
学園長を中心に、虚空が脈動を発した。魔力の波動が背筋を舐めて寒気がする。陽炎が見えるほどの魔力波が乱流する。
学園長は、遭わされた両手を突き出すように開く。手のひらから大きな魔法陣が展開された。あくまで手の甲が焼かれただけで、手のひらは残っていたのだ。
骨喰を投げたのは両手を空けるため。鉋切まで破棄したのも、全て大技につなげるための策略だったのだ。
片手で召喚するのではなく二本の手で召喚される日本刀は、学園長の大技に他ならない。
「――虎徹 無銘」
学園長が境界術を唱える。耳が痛くなるような不気味な静けさになる。
学園長の目の前に、一本の光の剣が眩しく浮かんでいる。すると、光の剣が一瞬輝くと、光の剣を守るように三本の日本刀が浮かんできた。現れた日本刀は それぞれ車輪のように縦回転し、空気を切り裂く音を奏でている。そして、光の剣が再び瞬くと、いつの間にか九本の日本刀が回転している状態になっていた。さらに、九本の回転している日本刀が、いつの間にか数え切れない量の日本刀になっている。光の剣が 輝きの鼓動をするたびに、日本刀がみるみると増えていった。
この現象の正体は、学園長が具現したのが無銘の作者の虎徹だったからである。
虎徹はあまりの人気から偽物が造られるまでとなった。その数量は多く、虎徹を見たら全て偽物と思えと揶揄されて後世に伝えられるほどの人気があった。
学園長が具現化したのは虎徹と言う『眩しい存在』に憧れ、模倣して作ってきた無銘の刀鍛冶の偽物の作品達であり、その数は 数十万本にも及ぶと言われているものである。
無名の偽物という一つの名称でありながら、束としての性質がある日本刀が学園長の具現化した虎徹であったのだ。
本物ではないため切れ味は今までの日本刀よりも劣っているかもしれない。しかし、この量は圧倒的すぎる。
風が刃に切り裂さかれる音が幾重にも聞こえてくる。
無数の車輪のように縦回転した虎徹が疾走してきた。地面を切り裂いて鋭利に突き進んでくる。
目には目を――。数には数を――。
義姉が人形の兵士を使って数で戦おうとするならば、学園長は無人の兵士を使って数で戦おうとしてきたのだ。
虎徹が疾走したと同時に、犬のぬいぐるみが持ってきてくれていた糸電話が切断されてしまった。
疾走する虎徹の幾つかが地面を噛み、空へ飛び跳ねた。さながら流星群を連想させるような大量の煌めきの刃が、空から義姉を強襲せんとしてくる。
前後左右、上空から、透き通った灰色の刃の軍団が義姉に襲いかかっていく。刃の津波がたった一人の人間へ降り注ごうとしている。
あんなもの誰だって逃げられる訳はない。どんなにたくさんの人形が壁になったとしても、圧倒的な数の力の前には無力に等しい。
ふと、義姉が僕の方に振り向いてきた。
唇を小さく動かして、何か伝えようとしている。糸電話が切れてしまっているのに気付いていないのか、何かを伝えようとしているが聞こえない。
だけど――
【ダイジョウブ。イキナサイ】
そう言っているように感じられた。
「――!」
僕の中で、生命の鼓動がドクリと跳ねた。義姉の言葉を理解したと同時に、息を呑んだ。
『申し訳ありません。ただいま参りました』
再起動したナズナが参上した。凛とした表情でフルーツナイフを取り出して、出撃の準備が完了していることを態度で示している。真剣なその瞳は「行け」と喝を言っているように見えた。
誰かにぐいっと背中を押される。
「……行ってっっ!」
ココの滲んだ小さな声に僕は前へと突き動かされる。自分の分身でもある義姉の勇士に目を伏せながら、僕の背中を押してくる。
僕には最適化という未知の能力がある。それはアルフとの戦いで開花したばかりで、学園長は『知らない情報』である。学園長が認識している歴史外からの攻撃は、強力な武器になるはずだ。
また、学園長は僕を眼中から外している。魔力の少ない僕はダウンしていると学園長は思いこんでいるようだ。これは絶好の奇襲の条件ではないだろうか。
そして、義姉の人形部隊による有利さを引き継げるのは、同じく人形使いである僕しかいない。
義姉が体を張って時間を稼いでいるこの時間だけ、僕は対抗できる可能性があるにも関わらずに、学園長からは完全にノーマークになっていた。
そして義姉が見せてくれたこと。学園長と対等に戦えるのは、人形による攻撃でしか効かないのだ。
つまり、この場で学園長に勝てる可能性があるのは、人形を引き継ぐことができる僕しか倒すことができない。
もしも世界を救いたいならば、どんなことが起こったとしても僕はこの瞬間から立ち向かわなければいけないことを余儀なくされていた。
ならば、やらなければいけないことは決まっている。
弱音を見なかったことにして捨ててしまえ。
自分にしか出来ないことがあるのなら、その使命を全うしろ。
「――っっ!」
僕は学園長に気付かれないよう声を噛み殺して走り出した。
義姉に降り注ぐ剣の牢獄なんて、その先に待ち受けている未来なんて忘れてしまえ。感情を抑制して、いま目の前のことだけ考えるんだ。それ以外に考えている時間はない。全てが終わってから考えろ――!
集中の密度を濃くしていく。全ての音が聞こえなくなってきた。
義姉の惨状の音を聞きたくない潜在意識からだろうか。まっさきに音が脳内で選別されていった。
視野に入っている学園長に集中が集まっていく。学園長の周りにあるものを認知し、必要な情報だけ選別されていく。散乱する刃の車輪の流れを読み切り、最短距離で駆け走る。
しかし、走りきるにしては距離が遠すぎる。学園長のもとへ到着する前に、僕が接近していることに気付いてしまうだろう。
それならば――。
「ナズナ、行ってこい!」
『参りますっ!』
気付かれる前に、こちらから奇襲をかける。
ナズナの体内に魔力を送りこみ、圧迫された魔力を破裂させてジェットのように吹き飛ばした。
独楽のように旋転し、猛スピードで飛翔していくナズナ。ナズナの爆発音で学園長は僕達の存在に気付いた。
「ッッ! 生きていたのか!?」
学園長の動揺の声と同時に、義姉の人形達のパスが繋がった。
どうしてパスが繋がったのか。今、考えるべき情報では無いと判断。考えることを棄却する。義姉に対して巡る思考を奥に詰め込んで、ただ戦闘のことだけを冷徹に思考していく。
人形の攻撃順序、それにともなう消費魔力と、残存の自己魔力。
一手目、二手目、三手目と未来を読んでいく。無限に広がる攻撃の選択肢を、学園長の行動パターンに当てはめて厳選していく。
ふと 脳内に小さな輝きが灯った。それは針先にも似た小さなひらめきの感覚だった。勝算の流れを引き寄せる手立てを発見できた。
しかし、その作戦の流れに学園長が乗ってくるだろうか。まるで針に糸を通すような、完璧な精密さを求められる運命へ、僕は命を賭けなくてはならない。
正直に言うと もの凄く怖い。なにせ、学園長は滅茶苦茶に強いのだ。走っている膝が震えて、今にも転んでしまいそうなほどの不安に押しつぶされそうになる。
でも、僕は戦わなくちゃいけない。
ココがいたから、守りたいという思いが僕を立ち上がらせてくれた。
アルフとの約束が僕の背中を押してくれた。
そして、義姉の願いが僕を奮わせてくれた。
もう充分に僕は力をもらったんだ。これ以上に暖かくて、これ以上に優しくて、これ以上に僕を勇気づけてくれるものは他にない。
――だから、何も怖いものなどないはずだ!
わずかに震える声を、恐怖を噛み殺して叫ぶ。
「叩き切れ、ナズナ!」
『やぁ――ッッ!』
一手目――。
ナズナが高速飛翔の回転斬りをする。奇襲攻撃に学園長は、咄嗟にのけ反るように回避した。
勢いが余ったナズナが着地する。再び攻撃に参加できる状態であるが、学園長まで距離がある。次に参戦できるのは、五手目以降と予測する。
そして、僕は頭の中で次の手、その次の手と何度もシミュレーションしながら駆け走る。息をするのに邪魔なくらい、心臓がうるさく鼓動する。走るたびに体中が酸素を要求し、戦おうとする緊張感によって 鼓動がさらに加速する。
「一斉突撃、ナズナに続けぇッッ!」
二手目――。
補充された人形達全てを突撃させる。物量で学園長を圧倒させ、注意を人形達へ注がせた。
学園長は虎徹を投げて、刃の車輪を疾走させた。他の虎徹も追従するように刃の車輪と化し、義姉から引き継いだ人形達へ疾走していく。
しかし、そこは義姉が使っていた人形達である。人形達は刃を華麗に避け、時には弾いて前進していった。獅子奮迅の如くの働きで、学園長の注意を独占している。
僕は、一歩、また一歩と走り続ける。気持ち悪いくらいに心臓が早鐘を打つ。覚悟を決めて、また一歩と駆け走り続ける。
「ポプラ、スミレ! 捕まえろ!」
三手目――。
めくれ上がった土の中から、ポプラとスミレが飛び出してきた。ポプラが収縮自在のリボンを、スミレはウォレットチェーンの鎖を投げて、学園長を捕らえようとする。
しかし、学園長は二人の攻撃を難なく避けた。
「ああ、それでいいんだ」
僕は小さく冷笑する。
あの攻撃で捕まっていたなら、狙っている僕の直接攻撃が間に合わなくなってしまう。僕が駆けつける前に、学園長は絡みついた鎖やリボンを自力で切り裂いて、次の行動に移っていた可能性が高い。
そもそも、僕の狙いはあのタイミングで捕らえる事ではない。
でなければ、僕自身が走って学園長に近づくリスクを背負ってまで戦いに参加しない。昔、義姉からの言葉であるが、『人形師は外野だからこそ強い』のだ。本人がその場にいなくても、戦いをすることができることが人形師の強みなのだ。例外は多々あるが、基本的には前線に出ることはあってはならない行為である。
駆け走っている僕と、ポプラ達の攻撃を回避している学園長の目があった。
学園長のターゲットが僕に切り替わる。学園長は近接攻撃に備えて新たな虎徹を取ろうと手を伸ばしている。
そして、これから行うのが四手目の行動――。
ここが一番の鬼門。
「サクラ、かかれ!」
『えいっ!』
僕は肩に乗っているサクラを起動して、学園長へ投げた。そして、サクラは学園長の目の前で、骨だらけでくたびれた傘を開いた。
サクラに繋がった糸へ魔力を注入する。炎膜の傘が学園長の目の前で展開された。
「おぉッッ!」
突如現れた熱風に煽られて、学園長は驚きの声を漏らした。
成功だ。
近距離で傘を使えば、視界を遮った上に、怯ませることができる。おそらく、スカスカの傘だったからこそ油断をしていたのだろう。
ここから先は、未知への領域だ。五手目の行動――。
『ご覚悟!』
背後からナズナが攻撃する。
学園長は虎徹でフルーツナイフを弾く。フルーツナイフが空に舞った。
よし、フルーツナイフの刃は健在だ。鉋切のような鋭い切れ味は無く、偽物の虎徹だからこそ未だにナイフは健在である。
「うおおぉぉ――ッッ!」
僕は執念を叫びながら風の魔法でジャンプして空のフルーツナイフをキャッチする。両手を添えて逆手の形で突きたてるように持った。
学園長と視線が交差する。学園長は刺突をしようと虎徹を持った腕を引き、構えてきた。
――この時を待っていた。
本来は『外野』でなければならないからこそ、僕が前に出てきたならば全てにおいて注目される。そして、横薙ぎよりも防御しにくい突き攻撃をしてくることは予測できていた。
「読むことができたら、人形師の勝ち戦だ……!」
僕の声と同時に、ポプラのリボンとスミレのウォレットチェーンが走った。二体の攻撃が学園長の左右の手を封じる。
そして、サクラとナズナが学園長に体当たりする。学園長が仰向けに転倒した。
サクラ、ナズナと繋がっている魔力の糸を切断する。二体は切断された魔力の糸の残分の長さを学園長の両足に絡ませた。
人形達の一瞬の連携が見事に決まり、学園長は身動きが取れなくなった。
本来は外野の存在であり、タブーを犯したからこそ、僕自身は最良の囮になれたのだ。
「なん、だとっ――!」
「これで、なにもかも全部終わりだ!」
落下する勢いを味方にし、学園長に馬乗りになるよう、心臓を目がけてズブリとナイフを突き刺さした。
「ぐ、ごはぁっっ!」
「やぁ――ッ!」
罪悪感を噛み殺し、更にフルーツナイフを横に薙いで致命傷を与える。
肉を切り裂く触感は料理のそれと同じだなと冷静に感じられた。脈々と流れる真っ赤な生命が頬に付着した。
頬を濡らした真紅の液体のぬるい温度。血液特有の生臭い異臭が鼻を刺す。
「はぁっ、はぁ――っ!」
息が苦しい。頭がクラクラするほど体が酸素を要求してくる。地上にいるのに、息が上手に吸えない。
まだ学園長は息がある。フルーツナイフだから深く刺せなかったのだろうか。もっと刺さないといけない。
ガチガチと歯の根が震えてくる。震えが全身に伝わっていき、手に持っているナイフを落としそうになる。使い慣れたナイフなのに、やけに重たく感じられた。
倫理を砕く恐怖感に、思考が真っ白になっていく。自分が今、どんな行動をしているのかすら分からなくなってくる。
すると、そっと大きな手が僕の頭を優しく撫でてきた。
「えっ……」
一瞬、それが理解できなかった。
なぜならば その手は、学園長の手だったから――。
「ふふ、よくやった、な……。やっぱり……お前にはかなわない……」
慈しみのある優しい声。ずっと殺伐とした時間を過ごしている中で、懐かしいとすら思える声だった。
「なんで、どうして……?」
殺そうとした相手が優しくしてきたのだ。混乱の中をかろうじて言葉を吐き出せた。
学園長は穏やかな眼差しで答える。
「ずっと……見ていたからだよ……」
そう言って、血濡れた唇で学園長が微笑んだ。
「どうして、お前という存在が生まれたのか……オレには分からない。だけどな……、どんなに時間が経っても、お前はオレの親友なんだ。ずっと、心配して、いたことがある。お前はいつも受け入れるばかりで、まるで意思がないかのように流されて生きてきた。このナイフは、自分の意思で初めてやった行動だろ……」
僕は詰まらせた言葉を、かぶりふって否定する。
「ココがいたから。みんながいたから……っ!」
「そうだな……。でも、そう考え抜いた結果、自分で決めた行動だろ」
その通りだった。今まではただ、『目の前にある世界にとって』の最適な空間を作っていこうとしていただけだった。
あのナイフの重さは、倫理を砕く恐怖だけではなかった。あの行動は初めて自分の意思で行動した恐怖感だった。僕が生まれたのはココという いわゆる他人のためであったため、自分の意思で動くというのは 存在の根源を否定する行動だったのだ。
学園長の大きな手が、ゆっくりと僕を撫で続ける。
「受け入れるのは、とても大切なことだ。でもな……受け入れるばっかりだと、人間は駄目になるんだよ。ここぞというときに、今みたいに戦わないと駄目なんだ……。ただ受け入れているだけだと、意外と分からないもんなんだよ。お前は、それを自分の意思で打ち破ったんだ」
「でもっ! 僕はっ、人を殺し――」
僕が最後まで言う前に、学園長が自嘲気味に笑った。
「だから、それでいいんだ。……大人っていうのはな。ただ強いだけじゃダメなんだから……」
「だけどっ!」
「辛いかもな……。でも、これくらい我慢しとけよ。お前の守りたかった未来のためにな……。男なんだろ、これくらいの苦労くらい受け入れて、頑張って前を進んでいけよ……」
学園長はアルフだった。死ぬ間際まで、僕は学園長に想われていたことを初めて知った。
ふうと疲れたように学園長が長い息を吐いた。額には脂汗が浮かんでいる。
「オレは……ずっと村を守っていたかったのかもしれないな……。こうして生きている間は、ずっと村にも希望があるって信じて生きていられた。……こうして最後まで戦い続けられたオレは、救われたのかもしれない……」
学園長の身体が透けていき光の粒になっていく。足先や指先から、少しずつ空気に溶けていく。
「……魔法からできてるようなもんだから、心臓を刺されても丈夫だったのかもしれないな。まあ、負けたが……。アルフレッドが、世界に二人もいること自体が間違っていたんだ。本来はアルフレイドの世界で……偽物はオレの方さ。……こういう消え方をするくらいは覚悟していた……」
学園長の想いの重さに、僕は胸の内から溢れ出る言葉を上手に吐き出すことができなかった。
戸惑っているように見えたのか、学園長が気を使ってくる。
「気にしてるのか? ……君のお姉さんのことは悪かったね」
「別に……。人形師だし、たぶん生きてるから」
学園長はきょとんとした顔になった。そして、納得がいったように大声で笑いはじめた。
ひとしきり笑ったあと、真面目な瞳になる。
「アルフレイドのこと……ひとつだけ頼みがある……」
学園長の不安に震えた声に、僕は全てを言わずとも察した。
「大丈夫。これからも、アルフは俺の親友だ」
僕は心の底から言い切った。
アルフレイドとアルフレッドは違う存在となったのだ。決別のために戦ったのを、ちゃんと目の前で見ている。僕はアルフを責めたりなんかしない。
「そうか……。ありがとう……」
学園長は心の底から満足したように瞳を瞑って深く聞き入った。
学園長の身体が消えてなくなりそうになる。
「最後の仕事だ……。時の逆転を、止めてみろよ。お前なら……理想な世界のあり方を取り戻せるはずだから……」
最後に学園長はそう言い残して消えていった。




