桜
悠然とした雲の合間から、清浄な眩しさの太陽の光がこぼれてきてきた。まばゆい朝日が静かに舞い降りてくる食堂の窓辺の席。冷めたお茶で喉を湿らせて、嫌気の差した息を吐いた。
出発は早朝のつもりだったけれども、アルフが寝坊しやがった。先に部屋を出る時に起こしたけれどもまた眠ったらしい。その後にフランとユーリが再び起こしに行ったけど、それでも眠りやがったのだ。二度寝ならぬ三度寝だ。
メンバーと相談した結果、出発は昼食後になった。
急に午前中の予定が空白になった。ユーリとフランはもういちど家族の元へ顔を出していくらしい。
帰ってこれない危険な旅になるかもしれない。実家があるならそれが一番だろうし、実家に寄ったのなら二人とも家で昼食をとってくると思う。
食事時間以外の食堂はお茶と菓子を販売する喫茶店みたいになる。
僕はお茶を飲んで食堂で暇を持てあます。なんとなくおせんべいも一緒に買ったけれども、食指が動かなかった。
なんで時間を守ったのに暇になって、そのあげくにお茶代を散財しているのだろうか。いっそのこと、あとでアルフに請求してやろうかと一瞬だけ頭によぎった。
食堂では静けさだけが満ちている。
僕達よりも下の学年は授業の時間でここにはいない。僕たち以上の学年は野外実習に出発しているはずの時間だ。学校にはいない。
ほんとうに静かすぎて、廊下で誰かが歩いている音が聞こえてくるほどだ。にぎやかな印象の食堂だったけれども、人がいない時間帯もあるものなのかとはじめて知った。
いやそんな無駄知識なんて理解しなくてもいい。その原因を作った奴の顔が思い浮かんで、また小さくため息を吐いた。
「はぁ……」
「ためいき……。元気、だして」
「元気がないんじゃない。きっと、溜めてるような気がする」
「なにを?」
「何にするかな。アルフをぶんなぐるエネルギーとか?」
「……かわいそう」
「かわいそうか。ココが言うなら、止めとこう」
「うん」
ココが満足げな表情で小さく笑った。
その仕草に心がくすぐられて頬が緩みそうになる。ココのコミュニケーションの幼さを、それが垣間見えるほどにココの心の近くにいるような気がしたからだ。引きとった時には分からなかった一面を覗けて嬉しくなる。
ふいに寒い風が室内に入ってきた。食堂に窓は無いが外の景色は見れる。本来に窓があるはずの場所にはエアカーテンのような風の魔法が張ってあるからだ。風が吹いたということは、どこかの窓辺にある魔法陣に、ほころびがあるかもしれない。
ココが寒さから逃げるように、ぽすっと僕の肩へ体を寄せてきた。冷えた体にじんとくるような確かなぬくもりを感じられた。
そのままココと一緒にたわいもない話をしていたら、べったりしていたココが急にしゃんと背筋を伸ばして姿勢をただした。どうやら人の気配を感じたらしい。
いままで感じられていた暖かさが急になくなった。失ったぬくもりに、小さな喪失感があった。
近づいてきたのは大人の影だった。上品な白色に紫のサイドラインが入ったローブ。愛嬌のある丸顔と白髪混じりの薄水色の短髪はポステリーさんだった。
「お久しぶりですね。その様子では、良かったみたいですね」
「はい。おかげさまで、仲良くなりました」
左腕がキュッと握られる。ココが服を小さく掴んでいた。
「だいじょうぶだよ。櫛を買った人だから」
「…………はい」
人見知りしている。奴隷として過ごした時間が長すぎて、他人を信用しにくいのかもしれない。
本来は奴隷が意識を持ったら指導者は困ってしまう。だから、意思を持つことに罰を与える教育をしていたのかもしれない。つまり、ココは傷つける人としか出会えなかったのだから、他人と接することに酷く恐怖しているのかもしれない。本能的な警戒で人見知りをしているのだろうか。
もちろん、今はそんなおびやかすものは無いとココも分かっていると思う。でも、他人が自分を傷つけないことが分かっていても、他人の善意を信用しているかどうかは話が別になってくる。深い意味で他人を信用していないのだ。
そんな中で、ココがすがるように服を掴んでくる。僕に対しては心底から安心した上で、守ってほしいと甘える愛情表現ともしかしたら似ているのかもしれない。
ポステリーさんが柔らかい視線でこっちを見つめていた。ポステリーさんと視線がぶつかると小さく微笑まれる。ふっと商人の鋭い瞳になった。
「おふたりとも仲がよろしいですね」
「はい。それなりの付き合いですので」
「彼女のことをもっと知りたくないですか?」
「まぁ、そうです」
「実は先ほど手に入った商品です。サーセリースに持っていくつもりでしたが、ぜひとも貴方にいちど声をかけてあげたくて来ました。――そう、先天性非才症と魔法の関係についての論文です」
やっぱり売りにきた。お金がまったく無いわけじゃないけれども、今は我慢する時だ。
断ろうとした時に、ココの握っていた手が緩んだことに気がついた。
呟くように小さな声でココが問いた。
「……魔法、使えますか?」
ポステリーさんが満面喜色にうなずいた。
「その情報が売り物ですから詳しくは言えません。ですが、結論を少し漏らしますと可能性はあると書いてありました。これを読んで訓練方法を考えれば、もしかしたら使えるかもしれませんね」
ココの背筋がピンと伸びた。でも、すぐに残念そうにうつむく。ゆっくりと遠慮した上目づかいをされる。
ああ、もう。なんで買ってやらないんだよ僕は。でも、旅ではお金が大事になるし、論文は未知の研究のまとめだから追及され尽くされていないわけで、仮説を重ねた話だから嘘だって書いてある可能性もあるし――。
「お前ぇら離れろ!」
突如に怒声が飛びこんできた。
槍を持ってポステリーさんに構えているアルフがいた。アルフはおぞましいものを見るような瞳で、ポステリーさんと対立している。
「そいつはヤバイ奴だ! 男色迷路館で俺が世話になったお尻の魔導師だ!」
「アルフ、この人は普通の人だ。子どももいる」
ポステリーさんがニタリとした表情で笑いかけてきた。
「どうでしょうかねぇ。実は孤児院からひきとった子どもで、婚約者は男かもしれませんよ」
「やっぱりそうだ! て、てめーっ! 近寄るなッッ!」
アルフが疑心暗鬼になってる。ポステリーさんは愉快そうに大笑いした。
ポステリーさんから迷路館の話を聞くと、臨時のアルバイトとして雇われていたらしい。医療の知識があり、すぐに帝国から出ていく商人だからむこうとしては都合が良かったのかもしれない。
ポステリーさんが声をかけてきた理由は、論文もあるが別の理由があった。それは、帝国周辺の地図の販売だった。
帝国設立時に何度か大きな戦いがあったので、それにアレルギーを起こしているように地図の販売はしていないらしい。
戦争の時は地図が大切だ。地図を見れば帝国が防衛のときに組むであろうフォーメーションが予想しやすいだろうし、周囲の環境から帝国の土地柄の弱点が分かってしまう。
もちろん地図は欲しかった。それに、論文も一緒に買えば割引になると言われてつい購入してしまう。なんか商売に乗せられているような気がするが、とにかく地図を読むために地図記号を教えてもらっている。
「その印は麦ですね。そちら方面は水はけが良い土地なので米が育てられないのですよ」
「ああ、米を作るには田んぼに水を張りますからね。なるほど。では、これから行く村は、主食がご飯じゃなさそうですね」
「その通りです。水はけの良い土地は、主にパンと呼ばれる焼いた麦の塊を主食にしています」
むこうと同じく『パン』という名前らしい。久しぶりにパンが食べられるかもしれない。何年ぶりのパンになるか、ちょっとわくわくしてきた。
アルフはつまらなそうに隣で聞いていた。別に興味が無いのでなくて、既に知っていたらしい。学園長から教えてもらっていたのだろうか。
「そういえば、アルフ。主食が麦だったら、ラーメンがたくさん作れるかもしれない」
「しゅ、主食が らーめんの村だとッッ!」
どんな脳内変換したんだよ。
一方でココは地図に興味はなく、おせんべいをちびちびと食べていた。
見ているこっちの視線にココが気付いて、そっとおせんべいを差し出してきた。
「ありがと」
「はい」
「おせんべいは好き?」
「だいたい……」
すごい表現をされた。それでも意味が通るからなおのこと凄い。
「そういえば、サクラせんべいとかあったな。ちょっと高いけれども、こんど食べてみよっか」
「桜が、食べれるのですか?」
「花びらがね」
帝国独自の嗜好品として、さくら揚げせんべいがある。生地に花の蜜が練り込まれていて繊細な甘さがあり、口に含むと桜のほのかな香りが広がるおせんべいだ。
帝国以外にも桜は咲いている。でも、街の中で整備されているほど身近に感じられるのは帝国だけらしい。樹木医の数も多いので、街路樹の整備も丁寧で様々な種類の木が植えてある。
ココが窓辺を見つめていることに気がついた。視線の先には桜の木が揺れていた。
そういえば、ずっとバタバタしていてゆっくりと眺めている時間が無かった。のんびりと花見がしたかったなと、これから去る帝国を名残惜しく感じられた。




