控えめな主張
さわやかな光が視界に優しく差しこんできた。ねむたいまぶたを開ける。カーテンの光が淡く漏れて僕の頬を撫でていた。
両腕で抱きしめている華奢なぬくもりが、くぅくぅと眠っている。朝を歓喜する小鳥のさえずりが聞こえてくる。ふわりと頬が緩みそうな、のどかな光景に見えた。
ココアを起こさないように僕は起きないといけない。命令をしておいてあれだけれども、なんだか思ったよりもめんどくさそうだ。なにせ、腕の片方はココアのまくらになっているし、足の片方はココアが両足で挟むようにからませていた。空いているのは、腕が一本と足が一本。下手なパズルゲームよりも、よっぽど難解かもしれない。
「どうするかな……」
腕は難易度が高そうなので後回し。もっと身体の自由がきくようになってからにしよう。
そろりそろりと足を引き抜いていく。引き抜きにくい部分は空いている足を使ってカバーしてみる。すると、空いている足の方へココアの両足がからんできた。
「……んぅ」
「起こした?」
作戦は失敗。寝ぼけ眼が、ぼぅっと見上げてきた。
「もう少し寝てもいいよ」
「……はい」
「昨日の続き。言葉は?」
「ん……」
声がぽけぽけとしている。いつもの鈴の音を転がしたように澄んだ声じゃなくて、明らかに寝ぼけている声色だ。
それにしても、「うん」じゃなくて「ん」で済ませられた。ちゃんと言葉を投げるように使っている。今までのギャップもあるせいか、ちょっとだけ違和感もある。
いや、これは悪い意味の違和感じゃないかもしれない。『みなまで言わずとも』という意味で捉えれば、ひと言だけでも通じ合っているのは信頼し合っている証みたいなものだ。具体的には、単語量はひと言以下だけれども、それくらいに信じられているのかもしれない。
そう思うと頬が緩みそうになった。けれども、ベッドから出た途端にシャキリと顔が凍ってしまった。
寒い。凍るほどじゃないけれど凄く寒い。今年の春は寒暖の差が激しい。
さっさと制服に着替えてしまおう。Yシャツ、カーゴパンツを着用する。ジャケットに袖を通そうとした時に胸ポケットでつっかかった。胸ポケットに入っていたのは、昨晩にポステリーさんから買った櫛だった。
そういえば、タイミングがどうにもずれて渡せなかった。朝一番に気付けるように胸ポケットにしまっていた。
「ココ」
ココアの愛称を呼びながら、ベッドへ視線を向ける。すでにぼぅっとした瞳がこちらに向いていた。起きてからこっちをずっと見ていたのかもしれない。
ココが半身を起こして、ぺたんこ座りをした。両足を崩した正座のような座り方。身体を起こせば当然に布団から出てしまうわけで、寒そうに身を縮めた。
毛布くらい羽織ってもいいのにと思ったけれども、奴隷だから遠慮をしているのかもしれない。
ココの隣に座って、毛布を肩にかけてあげる。
すると、ココがぽぅっとした表情になって、頭をそっともたれかけてきた。
「……けっこん、ごっこ」
「そうだな」
どこらへんが、けっこんなのかは分からないけれども相槌を打つ。ココが満足をしているならどっちでもいいと思うから。
ココの手を取って、胸ポケットから取り出した櫛を握らせる。
「受け取って、プレゼントだ」
ココは目を丸くして、櫛と僕の顔を交互に見た。
「……いいのですか?」
「ほら、言葉。いいよ、ココのために買ったから」
呆けたように櫛をじっと見つめている。その表情がとても可愛らしく思えた。
「髪を梳かしてあげるよ。人形で慣れているし」
「……ん」
ココにプレゼントした櫛を使って髪を梳かそうと思ったけれどもふと考える。どこで梳かせば楽だろうか。
僕はベッドから降りて着替えたので靴を履いている。だから、二人でベッドにあがって梳かすのは面倒くさい。靴を脱がない方法は無いだろうかと考えてみる。
勉強机の椅子が目に入った。梳かす側はベッドに腰かけて、梳かされる側は椅子に座るのはどうだろう。高さが合わないので梳かしにくそうだ。それなら、椅子を二つ並べて――。よく見るとアルフの勉強机用の椅子の足が割れていた。
たしか一ヶ月前くらい前から壊れていた気がする。まだ直してなかったみたいだ。そういえば、アルフからイチゴをもらったとき、アルフは勉強机に座ってイチゴを食べていた。うわ、どうでもいいアルフの伏線を見つけた。
変な方向に流れた思考を追い出して、どうすればいいか考えてみる。二人とも同じ高さで座ればちょうどよく梳かすことができる。
「あっ――。そうだ」
僕はベッドに深く腰かけて、左右の足を大きく開いた。股の間に空いた空間ができたので、とんとんとそこを叩く。ココが意を汲んだように、そこへちょこんと腰かけてきた。
相変わらずに寒そうだったので、ココの胸辺りまで毛布をかけてあげながら髪を梳かす準備をする。たしか、ベッドサイドに霧吹きが置いてあったはず。
霧吹きを手に取ったときに、ココがじっと見つめているのに気がついた。
「……さむくないの?」
「俺のこと? まぁ、ちょっとは寒いかも」
ココがひざ立ちをして、ふたりで毛布をまとうようにかけてくれた。そのあと、ココはそのまま上半身ごとあずけるように寄りかかってくる。
「梳かせないからちょっと離れて」
「むぅ……」
とがった声で小さく抗議をされた。
空気を読むのを失敗したかな。でも、霧吹きと櫛で両手がうまっているからどうしようもないし。
ベッドへ浅く腰かけたココに、ほのかに体温を感じた。触れてはいないのに、ぬくもりが感じられる距離。透き通った白灰の髪を、まず手ぐしで梳いていった。
髪を梳かす作業は、人形達で手慣れたものだ。長い髪なので、手櫛をして全体を軽く整える。
梳かす前に霧吹きで水分を与える。ブラッシングの前には、ちゃんと水分を与えておかないと髪の毛が傷んでしまうからだ。ブラシは下から梳いていく。なんとなく、この方がひっかからないと経験的に学んでいた。
丁寧にココの髪を梳かしていく。ふたりの時間がゆっくりと流れていく。
今日のココは機嫌がいいように心なしか思えた。もっとも、相変わらずに無表情で外見では掴み切れない。でも、安堵していると言えばいいのか、どことなく満悦している気がする。
お世話を焼かれている奴隷の光景。逆の関係なのだから隷奴というべきか。それも僕もココも承知しているおかしな関係だ。奴隷商に行ったときは、こんなことになるなんて露にも思わなかった。
しみじみと思い出しながら、ココの髪を梳かし終わらせる。ココに櫛を返すと、僕をじっと見つめてきた。
「どうした、ココ?」
「……」
櫛を剣道みたいに正眼の構えで向けてきた。
「……やる」
あれ、殺られるのか?
「しゃがんで……」
ああ、櫛を丁寧に両手で構えただけらしい。目つきが髪の梳かし合いじゃなくて、気迫がこもっていたからびっくりした。
「でも……、人に使ったこと……ない……」
もっとびっくりした。僕の髪はどうなるのだろうか。
◇◇◇
昼に近づくにつれて徐々に暖かくなってきた。ぽかぽかした日差しを浴びながら、ユーリと買い物をしている。もちろん、ココも一緒だ。ただ、左の袖を控えめに掴みながら真後ろで、ほぼくっつくようについてくる。外から見れば、あとに『ついてくる』じゃなくて『憑いてくる』に見えているかもしれない。ちなみに、髪は杞憂だった。
「ココ、隣にこないのか?」
「ここでいいです……」
あの口調も、べったり具合も、ふたりっきりのとき専用らしい。
他から見れば公私を分けているようにとれる。でも、使い分けていると言うよりも、人見知りのような内気な緊張感が漂っている様子。本人は分けているつもりではないみたいだ。
ユーリが『旅のしおり』の表にチェックしながら、声をかけてきた。
「あとは食材だけですね。それと、マントです」
「マントは作ってあるよ。あとは使う人の魔力を通して、微調整するだけ」
あしたから野外実習がはじまる。生徒だけで行く宿題付きの修学旅行みたいなものだ。ココを引きとったお金は、このときのための資金として渡されていた。
それを使ってしまったのだから、僕の財布は軽い状態だったりする。いちおうココと一緒に人形を作って売ったし、預金も無かったわけでもない。でも、ココを引きとったお金と比べたらスズメの涙だ。
「悪いね、ユーリ。みんなの分の食材を買ってくれてありがとう」
「とんでもないです。迷路館で手に入れたお金ですからね。なんとなくで手に入れてしまったので執着もないですし、こういう使い方をした方がボクとしてもすっきりしますから」
持つべきものは友である。こんな時は本当にありがたい。払えないわけではないけれども、なかなか辛い状況なので、遠慮なく甘えさせてもらうことにする。あとでユーリへお返しをした方がいいかな。
ところで、男色迷路館じゃなくて、迷路館と言い切ったところに含みを感じた。そこを訊いても空気が悪くなるだけな気がするので、気付かなかったことにして別の話題を探す。
「そういえば、ユーリは実家から来てるよね。野外実習はちょっとだけ寂しくなる?」
「どうでしょう。寂しいと言うよりも、心配の方が大きいかもしれません」
心当たりを思い出した。ユーリの弟妹であるブロンくんとマロンちゃんの話をよく聞かされていた。
小難しく言うと二卵性双生児。たしかふたりとも五、六歳くらいのわんぱくざかり。世話をしているユーリは、目を離せないと嬉しそうな苦笑をしていた。
「そういえば、ユーリ。食材は何を買えばいいと思う?」
「アルフレイドさんと、フランチェシカさんは、前例がありますからねえ……」
以前に野営の授業でキャンプをした話だ。『旅のしおり』みたいな物は無くて、試行錯誤で知恵を絞ることが授業の目的だった。だから、持ち物は配給された予算以内から各自で考えてくることになっていた。
僕とユーリの持ち物は、普通に食材や寝袋とかそんなもの。でも、アルフとフランは色々とずれていた。
アルフは実利的なんだけれども、変な便利アイテムばかり持ってきやがった。
例えば炎魔法が刻印されているプラスチックスプーン。スプーンに触れると熱を発して、スプーンが手に合わせてぐにゅりと曲がって持ちやすくなる。キャンプ実習じゃなくて、気になった便利グッズを試してみたいような感じだった。
フランは境界術師である大義名分で、お菓子を中心に持ってきやがった。たしかに魔法を使うには精神力が必要だ。でも、魔法は便利だけれども、あきらかに生活する気がない持ちものだった。そこを追求したら、いざとなれば狩ってくるとか言いやがって誤魔化してきた。
グループ行動なのに私情を優先するなんて、日本で育った僕にはちょっと考えにくい。
もっとも、前回に痛い目を見たから、あの二人もかたよった買い物はしないと思う。でも、嗜好に走りそうな二人なので、ある程度は二人のバランスも考慮して買った方がいいかもしれない。
歩いていると目当ての作物屋が見えてきた。
ユーリは腰に提げているホルスターから、A4サイズの大きめな本を取り外した。
「よいしょっと。これの出番ですね」
「一度も使ったことがないから、ちょっと楽しみかも」
一冊だけ学校から無料配布された本型の道具袋だ。
他の道具袋と違う点は、いちど本の中で名前となり、出す時は名前と置換して具現させる機能が特徴的だ。
入れたい物もとい存在を名前として本に刻印させる。出すときは刻印された名前を消費して、境界術を使って取り出す。名前を媒体にした魔術を使って奇跡を起こし、境界術で具現化させるらしい。
世界線に歴史が刻印されているのなら、この本はプチ世界線といったところだろうか。
ただし、使うと名前を刻印されたページごと消えてしまう。本のページ数しか収納できない使い捨てなのが玉にキズだ。
「僕は野菜を先に買いますね。質が悪くて割引されていたら、安いのでも買っていいですよね」
「本の中に入れると傷まないらしいし、大丈夫だと思うよ」
何よりも凄いのは名前に置き換えることで目の前には存在していないこと。つまり、時間を無視して存在できるのだ。
この理屈はずっと昔に、世界線から『時間の権化』を召喚したときに学べた技術らしい。具体的には、うちの学園長のおかげだとか。
本型の道具入れは、帝国学校の特製品で非常に高い相場らしい。使い捨ての道具袋のくせに、未使用なら奴隷と等価ほどだと聞いている。
「学園長自身が作っているとはいえ、学生に配布するなんてふとっぱらだよな」
「ほんとうです。それに、この本を見るたびに、学園長が境界術の本場からやって来たことを実感できます」
「あと武器を使っても戦えるらしいし。前にアルフに槍を教えているのを見て、ただものじゃないなって思えた」
「境界術は使いこなすと便利らしいですし、何かの恩恵でもあるんでしょうかねえ」
世界線は時間が新しい方へずれて刻印されている。だから、隣接異世界にとってみれば未来の歴史で、こちらからしてみれば、過去の歴史が世界線に封入されていると習った。
歴史は人類の生い立ちを学ぶことができる。歴史の全部を理解していたなら、人間が分かると言っても過言ではない。つまり、境界術の達人とは、人間の根本が分かっている人とも言える。もしかしたら、境界術を勉強すれば、どんな分野でも学園長みたいな秀才になれる可能性があるのかもしれない。
ユーリが野菜を見てくると言って、向こう側の野菜コーナーへ行った。それなら僕は果物を買ってくることにする。
この世界では、果物を食べないと体調が悪くなると言い伝わっている。みんなのために、それなりに安くてお腹にたまるものがベストだ。アルフやフランみたいな嗜好にかたよった買い方はしない。実利を追求するのだ。
何を買おうかなと考えながら歩きだすと、左袖がくいっと引っ張られた。
振り返ってココを見る。どうやらココが一瞬だけ立ち止まってしまい、袖が引っ張られたようになったみたいだ。
何が原因なのかと周囲を見回すと、イチゴが置いてあった。
一番に目立つ所で特売表示されていた。歩き出そうとしていた足が、思わず立ち止まってしまった。
でも迷ったのは一瞬だけ。散財になるからと再び歩き出そうとしたけれど、ココがもしかしてと窺っていたのに気がついた。僕も立ち止まったから、期待を持たせてしまったらしい。
ココの遠慮がちな視線と絡み合った。
「……」
「……」
どうしよう。アルフたちのことを悪く言えない気がしてきた。




