幻影の神隠し [下]
風を切り裂く鋼鉄の円盤。上空からは岩石の形をした巨大な恐怖が降り落ちる。抉られる地面から次々に砂埃が立ち上った。ほのかに甘い砂の香りも巻き上がる。
「ナズナ、サクラ。守って!」
『御心のままにっ!』
『うんっ!』
ナズナが大剣で円盤を打ち払い、サクラが傘を広げて防御をする。さすがに隕石は防ぐことはできないが、巨大鉄貨なら反らす程度はできるはずだ。
傘の影に隠れて炎の魔法陣を形成する。生成した火球を地中に叩きつけて破裂させた。
指輪の学生のマネだ。身長の二倍ほどの大きな炎の壁ができる。あの学生よりも小さいが、いまはこれで充分だ。
吹雪の風と氷属性は、炎の相対で燃やされる。壁の周囲は一気に乾燥し、この空間だけ無風状態になった。
幻術のタネが分かったのなら解決は簡単だ。ヒトガタの紙をバラまく。
途端に豪雪が止んで、ぱらぱらと粉雪が降り始めた。巨大化師の岩石や鉄貨が元のサイズへ戻っていく。そして、巨大化師が守っていたはずの、フランの姿が淡く霞んできた。
「この紙の人形も魔力を持っているんだよ。一気に百個くらい対象が増えたら、大変だよね」
ユーリとの影響の違いから仮説を立て作戦を思いついた。
自分たちとユーリとの違いは何だっただろうか。それは、人数の違いだ。アルフと人形達で固まってチーム行動をしていたから、魔力が分散して効果が薄くなってしまった。だから、ユーリがぼやけて見えるだけになっていたのだろう。
魔法をかける対象が多いほどに、幻術師の負担が大きくなる。そこでヒトガタの紙をバラ撒いて、一気に負担を増やしたのだ。
吹雪が粉雪になったのは、吹雪を見誤らせる効果も幻術に乗せていたからだろう。魔法とは精神の延長だ。自分だけではなく、相手へも吹雪であると思い込ませれば、魔法の効果を割り増しにしてしまう。
それにしても、幻術師とフランの作戦はかなり考えられた作戦だった。フランの吹雪にまぎれて、他の範囲魔法を見つけにくい状況。さらに、吹雪によって弱点のヒトガタの紙も無効化を狙っていた。
巨大化師が守っていたフランが消えていった。これは、フランの姿は幻術を使ったダミーだったからに他ならない。
「じゃあ、ホンモノのフランがどこってことだよね。幻術師の近くにいるんじゃないかな。作戦の要だし、一番に幻術魔法を管理しやすい場所でじっとしてるとかさ」
巨大化師のちょうど影になる場所。幻術で立っていた場所とは違う位置で、フランがイタズラのバレた子どものような笑みを向けながら詠唱をしていた。
唐突に消えた巨大化魔法。巨大化師の近くに隠れていたフラン。つまり幻術師の正体は巨大化師だったということだ。
吹雪の中で偽フランの幻を見せつつ、巨大化攻撃は幻術を使っていた。そもそも、三人目自体が幻だったのだ。
巨大化師もとい、幻術師が息を切らしている。ヒトガタの紙の影響だろうか。
幻術師がフランをじっとりと睨んだ。
「バレたじゃないの、フランチェシカ」
「あぁー、惜しい。あと一歩だったんだけどなぁ」
たしかに、そのまま吹雪を浴びていれば、かなり危険な状況だった。吹雪を受けて早々に眩暈がしてきたとおりに、あまり魔力量が多い方ではない。アルフやユーリのように吹雪の中で魔法を連発なんて出来るわけが無い。
フランが恨めしそうに眉根を寄せ、口をすぼめながら問いてきた。
「ちなみに、どうして分かりましたか?」
「派手すぎたから。巨大化魔法や吹雪の境界術も全部ね」
なによりも確信になったのは、フランの境界術の規模にしては効果時間が長過ぎたことだ。
だから、幻術師の存在を気がついた時、幻術も付加して威力の水増しをしてる可能性を想像できた。魔法は精神に影響するものであるがゆえに、精神に影響されやすいものだ。幻術と魔法は最高に相性が良い。
ここから逆算すると、幻術師はフランの近くにいなければいけないことになる。幻術はゼロから幻を見せるのでなくて、媒体が無いと唱えられない。最初に見えたフランが幻影だったとしても、必ずその幻影の近くに本物のフランがいるはずなのだ。巨大化師がいるとはいえ、作戦の要のフランに危機が迫っている状況で幻術の妨害が全く無かった。その理由は、幻術師が戦っていて手を離せないから。幻術師が巨大化師として戦っていたからではないかと考察できた。
幻術師が肩で苦悶の息を切らしている。ヒトガタの紙によって急に増えた対象に、魔力を吸い取られているからだろう。
「――くぅッ。解呪しますよ」
「どーぞ。余裕なんか無いみたいだしね」
幻術師が腕をひとふりすると、魔法陣が現われた。その中心を握り掴んで魔法陣を壊してしまった。
途端に肩の荷が下りたように楽な感覚になった。先ほどまでの息苦しさが雪のように溶けていく。周囲に張っていた幻術魔法が解呪されたらしい。
負けん気の含んだ鋭い瞳で幻術師が睨んできた。
「それでも貴方が不利なのは変わりません。一度でも受けてしまったら、思い込みにとらわれてしまうでしょう」
ヒトガタの紙を出している以上は、吹雪の合成魔法を使えないだろう。しかし、巨大化の幻術は相変わらずに使えてしまう。
子どもがオバケを信じているのと一緒。一度でも思い込んでしまったら、大人が否定しても怖がってしまうもの。理屈では思い込みを否定できない。
幻術の身体ダメージは大したことは無い。でも、体が傷ついたと思いこんでしまう魔力ダメージは莫大だ。
巨大化の魔術が健在の状態。さらに今まで受けていた幻術の吹雪のせいで魔力も少ない。意識を凍らせる精神攻撃のせいで、魔力もかなり溶けてしまっている。
幻術師が懐に手を入れる。再び鉄貨を投げてきた。
鉄貨が巨大化をする。急にぼやけたかと思った瞬間に、鉄貨が二つに分身していた。その二つの鉄貨がまたぼやけて、今度は四つになっている。
これが幻術師の本気。吹雪の幻想やフランの隠蔽などに魔力を浪費せずに、純粋に戦うためだけの幻術魔法を使ってきた。
「フランチェシカ、援護を!」
「了解! 広範囲を任せて!」
フランが雪の境界術を破棄して、魔法を唱えはじめた。
吹雪は人形を封じるためのものだった。幻術の援護が無くなった今は、雪の境界術を継続する理由は無い。散開する人形達を蹴散らすために、広範囲魔法を唱えてくる。
「ナズナ、鉄貨を吹き飛ばしてッ!」
『お任せ下さい!』
ナズナへ魔力を叩き送る。同時に、魔法陣を右足で地面へ描いていく。
『やぁ――ッッ!』
ナズナは大剣に魔力波を乗せて振りかざした。ナズナから解き放たれる風の魔力で、鉄貨の群れごと軌道を変えさせて吹き飛ばした。
指示を出しながら描いていた魔法陣が完成した。これで準備は完了だ。合間を見て魔法を発動させればいい。
人形師は攻撃をしながら、次の攻撃を企画が出来る。その所以は、戦っているのは人形達だからだ。人形達が攻撃をしている合間に、人形師自身が攻撃行動を取ったり、次の攻撃を企画できる。これを続けることによって、絶え間ない連鎖攻撃が出来るのだ。
不意にナズナが大剣を地に立てて、体重をあずけるようにひざをついた。
「ナズナ、だいじょうぶ?」
吹雪の影響は人形達にも及んでいる。そろそろ、限界が近いかもしれない。
『恐縮です。サクラ、次を頼みます……』
『うんっ!』
頷いたナズナを見送り、魔法陣へ魔力を送る。充填された魔力が煌めいて、魔法陣の中を光の粒子が回転し始めた。
地に描いた魔法陣を蹴りあげて発動させる。雪で濡れた地面がめくれあがり、泥の津波が起こった。
本物の津波のような威力は無いが、視界を隠すだけならば本物よりも勝っている。幻術師とフランからはこちらの姿が見えないだろう。
「跳ぶよっ! サクラ、掴まってッ! ポプラとスミレは回り込んで!」
『うんっ!』
『オッケー』
『承ったのっ!』
風の魔法を唱えて、泥の津波を越えるようにジャンプする。空から落ちてくる岩石は、岩石よりも高く飛び越えてしまえばなんてことはない。
フランの目の前へ着地する。フランは炎の魔法陣を構築していた。
サクラが、フランを追い払うように閉じた傘を振り回す。フランは傘に集中力を散らされ、保っていた魔法陣が乱れはじめた。
「その魔法陣、もらった!」
魔法陣の中心へ手を突っ込む。魔粒子の配置を裏側から弄り、魔法陣を描き変えていく。
「それ、私のぉっ!」
魔法陣を取り戻そうとフランが手を伸ばす。しかし、サクラの傘で邪魔をされて、触れることができない。
魔粒子の配置を反転させて、フランの方向へ魔法陣を向ける。
フランが焦ったように飛び退いた。
「なんて、できるワケないでしょ」
本来は魔法陣の描き変えなど難易度が高い技術だ。いうならば、逆向き漢字を書くような荒技だ。それも、大気のマナバランス調整なども同時進行しなくてはいけない。仮に失敗した魔法陣を発動をさせたなら、旋転したマナに手を巻き込まれて焼き切れてしまうだろう。
だから、魔法陣の描き変えは見せつけても発動はしない。
手早く魔法設定を無効化する。フランが溜めた炎の魔力を利用して、類似魔法を急いで構築していく。
即座に構築完了。魔法陣が爆発して、辺りを覆い尽くす黒煙が立ち昇った。炸裂した魔法陣が視界を遮る煙幕となった。
これで、幻術師がこちらに攻撃をすることはできない。この煙幕の中で攻撃を放つと、フランに当たる可能性があるからだ。
フランが広範囲魔法を作ることは予測できていた。人形達の数は多いが、個人はあまり強くない。広範囲魔法を一度でも放てば、ほぼ壊滅的な被害を与えることが出来ただろう。
しかし、泥の津波で奇襲をされ、挙句に魔法が乗っ取られたと思ったならばどのように行動するだろうか。
広範囲魔法の効果範囲は直射的な扇状の形が多い。つまり、後方には逃げ道が無いので、フランは左右のどちらかに跳び退くはずだ。今のように煙幕を張られたならば見えないことを良いことに、なおのこと冷静に逃げることを選択するだろう。
暗がりの中で連なった金属がこすれ合う音がした。黒い煙幕が晴れると、スミレの錨についている長い鎖が、フランの足に絡まっていた。転んだフランの体には、サクラが雁字がらめに糸で縛ってくれていた。
『生兵法は大怪我の元よのっ。即時の判断ではなくて、様々な状況を事前に熟考すべきなの』
『ちぇっ。セッカク配置してたのに、コッチには来なかったし』
右側から上機嫌に染まった下っ足らずな声。左側から不機嫌に染まった悪戯を企んでいた声が聞こえた。
基本的に煙は上へ昇るものであり、あまり地を這うことは無い。なので、人形達の低い視線からならば、逃げている足先が見えていた。
安心できると思い込んだ無防備の隙を狙う。左右のどちらに逃げたとしても、ポプラかスミレに捕まっていたのだ。
それにしてもよかったね、フラン。左側のポプラにつかまっていたら、きっと危なかった。いま、油性マジックをひっそりと片付けていたから。
フランからネックレスを外していると、背後から大きな魔力波が生まれてきた。
煙幕に隠れていたのは幻術師も同じだ。幻術師が大魔法を唱えようとしている。フランが奇襲された時点で、すでにフランのことを諦めて、大魔法を構築していたらしい。
フランの姿は送還される光に溶けはじめた。目が合うとフランは得意げな顔になった。
「私は負けましたが、これで私達の勝ちですっ!」
幻術師の魔力が励起されていく。ここにいる人形共々薙ぎ払わんとばかりに、圧倒する魔力が渦巻いている。しかし、狙いを定めているのは、ここの人形だけのようだ。
繋いでいる糸魔法から言葉が伝わってきた。
『任務完了です』
「ナズナ、無理をしてくれてありがとう」
『重ねて恐縮です』
フランと魔法の奪い合いをしている最中に、ナズナにはワイヤーを設置する指示を出していた。
剣を振る魔力は尽きているが、活動するだけならば問題はない。煙幕が発動したら、幻術師へワイヤーがひっかかるように隠れながら行動をさせたのだ。
ワイヤーを握りしめて、腕を振り上げる。ワイヤーが張り、風を鋭く切る音がした。幻術師の腕が引っ張られるようにバランスが崩れた。今度は強く引っ張る。右方向の木がしなって、木の方向へ腕が引っ張られるように幻術師が傾いた。
それでも、幻術師は踏みとどまった。詠唱は止めずに続けてしまっている。
しかし、それも予想の範疇だ。急に引っ張られたなら、誰だって踏み留まろうとするはずだ。
詠唱を止めるのが狙いじゃない。本当の意図は、狙いを合わせやすいように固定をさせるためだ。幻術師は引っぱられないように自らの意思で踏み耐えて、その場を動かないだろう。
風の音がさらりと流れてきた。優しい風に安堵する。ゆっくりと安心しながら眺めつつ、フランへ話しかけた。
「フランもどうして勘違いしてたのかな。――人形師って他力本願なんだよ」
フランは光に包まれて消えかかっていた。聞こえていなかったかもしれない。
刹那に、幻術師へ轟音が強襲した。突撃してきた暴風に、幻術師は横殴りに吹き飛ばされる。
先ほどまで幻術師が立っていた場所が豪快に抉られた。その中心に、アルフが槍を深々と突き刺して立っていた。
「――ったく。ユーリのやつめ、幻術が解けた途端に油断しやがった」
アルフの手には、青組のネックレスが握られていた。
ユーリは幻術にかかっていた事に気づいていなかった。幻術師が幻術を止めた拍子に、ユーリは驚いてしまう。その隙にアルフが倒したのだ。きっと、ユーリを倒したアルフがこちらに向かってくると事前に予想していた。
アルフは槍を引き抜く。吹き飛ばされた幻術師の元へ歩きながら、呆れたように呟いた。
「おまえさ、何でも深く考え過ぎなんだよ。いま、不意打ちされかけてたし」
「短絡的なアルフがいるから、すぐに助けてくれるって信じてたからだよ」
アルフが幻術師からネックレスを引きちぎる。
こちらを向くと、くすりと笑っていた。
「奇遇だな。オレも、オレが好き勝手やるのを見越してくれていたと信じてたぜ」
お互いに、妙な信頼感で通じあっていた。




