表現者への演奏家29
ときは、いくぶんか遡ったと思う。
ゆきがちらちらして。
外は、まさにこの日にふさわしいコイビト模様の良い天気。
そんな日に彼は、
「へ?」
と、スタジオのなかすっとんきょうなこえで驚いていた。
それから、
あはははは
と、笑いだす。
「…そんなにおかしいですか…?」
「だって…おれ、そんなこといわれたこともないもの」
私も演奏者になりたい、だなんて。
「…そりゃ、わたしちゃんと楽器弾けないですよ。」
ギターをすこしだけやってみたからか。
ピアノもなんとなく、
コード(きまった音)を、知っているだけ。
奏一さんみたいに、綺麗で難しい演奏はできない……
「ちゃんと、弾けているよ、ピアノ。」
「……奏一さんだからそう言うとおもってました。」
「ああ……えっとね、ちがうちがう。
俺が言いたいのは、ここまで弾けるってことは、
きみ…とてもとても努力をしたんだね……」
分かるんだ…と。
「わたしの努力なんて、たいしたことないです……」
「んー……でも、さすがにわかっちゃうんだ。
俺だってダテにやってないんです、こういうこと(演奏)は。」
右手だってよく弾いています。
左手も、それによくついてきているね…と。
「…おれだって、きみにこんなプレゼントされたら、とってもとっても照れちゃいます。」
「……にわかな演奏なんて、いやでしょ奏一さん。
うたのほうがよかった…?」
「なんだってうれしいよ…きみのおくりものならね。」
彼はちょっと切ない目をした。
それは…まあわかるけど。
そう言ったって、たかが。
あなた、やさしいのね…ってことしかわからないでしょ、ということだ。
「だって…きみがこんなにも寄り添ってくれるんだもの。
ほんとうに、うれしい。」
「…うーん…でも。
やっぱり上手くなりたいです。」
生意気にもそんなことを言うとさすがに、あきれるだろうか??
「ん…楽譜をみて練習をしたの?」
「はい。」
「とっても大変だったでしょ。」
「…まあ。」
「ふふ。」
彼はわらって言った。
…言って、みた…?
「じゅんばんを、逆にしてみませんか?」
と。
「順番?」
「うん。
きみはさすが、とてもいい難易度の楽譜を選んでみたのも知っているよ。
でも。」
そもそも、五線譜の上のお玉杓子(音符)くんと和解するのは、それはとてもとても大変なことなのです。
「…けんか、いっぱいしたもの、かれら(音符くん)とは。」
「意外と奏一さん、喧嘩っ早いですよね。」
「うん。だからね、
もうしーらないっ
ってそっぽ向いたことがあったんだ。」
それこそ、彼がたくさん努力をしたんだ……
わたしにだってわかる。
「苦労、したんじゃないですか」
「ああちがうちがうっ
俺のほうこそ、たいした苦労ではなかったり…するのです。」
「……」
「あっ、あきれないで、黎子さん。」
「え、呆れてないですよ、奏一さん。」
「よかった、じゃあ…せっかく、こんな日なので。」
おれと、なかよくしましょうね。
奏一さんと…
あ、それって、奏一さんが、曲を作っている理由だったり…するのだろうか。
奏一さんは、それを言うまえにいっしゅんだけ、むっとしてた気がする。
…ん?まさか、楽譜に嫉妬したんですか?奏一さん。
「だってね。
おんがくって、こんなにかんたんでいいんだって、わかるはずだから」
「うーん…弾けますかね」
「だいじなことは、手をぎゅっとするように、なかよく、することですから。」
だれのことか、わかりますか?
…音を作ったひとのことですよ。
だから、つくるひとも、わかりやすくそれを伝えなければなりませんね…。
だから(でも)、つくるひとは、かんたんなことから(そのまま)で、いいんですよ。
だって、手をぎゅっとするまえに、それ(手の内)をみせなきゃいけないから。
「きみは、歌をうたうから。
とてもいい音感をもっていますね。」
「うーん…そうでもないですけど。」
「たとえば、メロディをとても大事にしてくれます。
だから、歌詞をうたうときも、発音を大事にしてくれるんだよね。」
「うーん…?」
おれがいちばんさいしょにおもったことはね。
きみとなら…なかよくできそうだな、ってことなんだ。
わかりあえそう…って。
なまいきにも、ね、そうおもった。
「うんうん。
やっぱり右手は上手だね。
あまり、こうしようよ、って言うこともないくらい。」
「うーん…でも…」
「ひだりてが、うまくついてこないならね。
パターン…っていうんでしょうか。
まずは、それをいくつかにしぼってかんたんにしてみよう。」
曲というもののほとんどは、おもて(長調)とうら(短調)のフレームがいくつか(きまっただけ)あるけれど。
その中身は、実は同じこと。
3つ、4つ…多くても5つくらい?
そのくらいをおぼえれば、大体のものを表現できて(わかって)しまうのです。
「それってキーとコード…みたいなもの…?」
「うん。あとは弾き方だね。
左手もそうだし、全体的に。」
つよくひいたり、よわくひいたり。
はじけてみたり、ゆったりしたり。
そうやって、ペダルをつかったり、あえてつかわなかったり。
おもいおもいに、弾いてみましょう。
そうすればたまに、せっかくついてきてくれた、キーもコード(りかいしゃたち)もおもいっきり裏切る(転換する)こともできちゃうし。
ごめんねーっおれはこっちへいくよーってね。
あんなにも、おいていかないでって、いっていたにもかかわらず^ ^
そうやって、おれは自分勝手なことばっかりしてたんだよ。
ずっと、わがままだったんだ。
だから。
ふくざつに音を重ねていくのは。
そういった、難しくて綺麗な音楽は。
かれらと、仲直りするのは、もうすこしあとでもいいんだよ…。
だっていまだに、おれはけんかするものね。
きみたちのかんがえてること、やっぱりよくわかんないっ…って。
「……」
「黎子さん、あきれないで。」
「あきれてないですよ、奏一さん。」
「よかった。
すこし、分かってくれたね。」
「うーん…。」
「だって、素敵な演奏になったじゃない?」
た…たしかに…。
それはまったく否定できない。
「でも、奏一さんみたいに喧嘩しなくても、楽譜とすぐに仲良くなれるひともいるんですよね?」
「不服ですけど…。」
「やっぱり、奏一さんって音楽とはいつも喧嘩腰なんだ。」
「だってね、つくりてはおもっちゃったり…するものなのです。」
おれならもっと…って。
それも、「きみのため」ならなおさら。
「…やっぱりあきれてる?」
「あきれてないですよ。」
「まわりくどかったかな。」
「いえ。だって、ピアノがあっという間にこんなに上手になっちゃったのは本当だから。
ありがとうございます、奏一さん。」
どういたしまして、とはいったけど。
まだ。
「…いや…やっぱり、たらないかな。」
「え?」
「だって、不服だもの。
…俺に、せめてみっかくらい、くれればよかったのになぁ。」
そうすれば、きみをあっというまに。
こんなにも近くに連れてこれたのに。
「これはいつもおもうことだよ。
きみが、演奏家になりたいっていうなら。
少なくとも俺のこと演奏家だと思ってるんなら、
みっかくらいあれば、これにはなれちゃいますよ。」
「……奏一さんは、1にちが何時間だと思ってるの?」
冗談にもほどがある。
でも、奏一さんは本気で信じているようで。
「自信あるんだよ。」
って、文字どおり自信たっぷりだった。
…なんでこういうときだけ、はっきり言いきっちゃうんだろう。
いずれにしても、申し訳ないことには変わりないんだけど。
「…やさしくするよ。」
「ふふ。」
「あっ、やっぱりあきれてるね??」
「ちょっとだけー」
「れいちゃん……」
奏一さんは、あわててこう言い直した。
「俺が言いたかったことはね。
とてもうれしいけど…あまり、無理をしなくてもいいんだよってことだよ。」
「ほんとに?」
「そう……。
あとは、ちょっとだけ。
妬いてしまった。」
「…楽譜に?」
「…そう。
やっぱりそこに書いてあることは、素敵だから。」
「ふーん。」
「おれはあんまり、楽譜は書けないんです。
そんなに器用ではないもの。
だから、うまくそれを書けるひとってすごいよね。」
「……」
「そのかおは、ちょっとどころじゃないですね。
でも、ほんとなんだよ。」
だから、あきれないできいてよね。
と、かれはしかたなくわらうけれど、謙遜がすぎますよ…奏一さん。




