表現者への演奏家27
「れいちゃんっ」
またお家にくると、奏一さんはわたしをぎゅっと抱きしめた。
ありゃ…さっきまで一緒に冷静についてきたのに。
「なんだか変ですね。」
「…ごめん…もうやめます…。」
「いいえ、そうじゃなくて、前までは乗り気じゃなかったのに…?」
「え、きみがここにくること?
…いいや、そんなことはないんだよ。
ただ、心配な気持ちが勝っただけで。」
「心配?」
「だって、ここにくると遠いからかならず遅くなってしまうでしょ。
ひとりでくるなんて、あぶないよ。
今さむいから、風邪もひいてしまうし。」
「でた、過保護な奏一さん。
私だって、もう子どもじゃないんですよ。」
「うん。
でも、遠いから引っ越しはします。
…まってて。」
そう言い残すと、奏一さんは向こうへ行き紅茶を淹れ始めた。
「そういえば奏一さんて、テレビみないの?」
「みるよ。」
「でも、バラエティ苦手じゃなかったっけ」
「ううん、そんなことは。」
そうだっけ…?
実際、彼も紅茶を差し出すと一緒に見てる。
でも、音楽の方がいい…?
ちょっとまわしてみよう。
「……」
「なんだか、個性的な人たちですね。」
「…そう、だね…。」
「奏一さん、この人たち知ってる?有名なひとたちみたいだけど。」
「うーん…きいたことはある気がするな。」
「…奏一さんもこの人みたいにサングラスかけてみれば?
ロックになるんじゃない?」
「…いいえ…これだけ薄暗いステージだと、くらいから見えづらい…。」
「まあ確かに、捌けるときも大変そう…。」
「ううん…弾いているひとは、できればだけど…。
よっぽどでなければ、顔がみえたほうが、いい…。」
…。
「奏一さん疲れてる?ねむいの?」
「…すこし…。」
え…音量たしかに下げたけど、ロックだよ…?
しかもはやめにあがってここにきたから、まだ深夜ではないのに…。
相変わらず忙しく仕事したり、電話出たりしてるってことなのかな…。
それとも、前みたいにテンションが高すぎるから…?
まあひとまずバラエティに戻そう。
「奏一さん、ケーキ食べれる?」
「うん、ごめんね。」
「すぐあやまらないの。
今日は大事な日でしょ。」
「うん…。」
「あ…それとも。
わたしが午前中に仕事入っちゃったのおこってる?」
「っちがいます」
あ…目がすっきり覚めたみたい。
そんなに必死に否定しなくてもわかるよ、奏一さん。
…やっぱりテレビは消した。
なんでかって、こっちだってちょっと照れくさいから、つけていただけ。
「おたんじょうびおめでとう、そうくん。」
「…ふふ、ありがとう。」
「もう、なにわらってるの?」
「だって…こんなこと、今までいちどもなかったんだもの。」
「…そう…。
これからは、こういうこといっぱいあるよ。」
「…ふふ、あははっ」
彼はおもいっきり声をだして笑った。
それでも、さしずめ穏やか。
「もっとわらって」
「…だって、いまは夜になるもの。」
「そう…じゃ、これからもいっぱいね」
「…うん」
やっぱり照れくさいから、テレビつけよう…。
バラエティ、終わってる…。
代わりに…。
「…株主総会…。」
「…。」
「ねえ奏一さん。
会社って、大人にとってそんなに大事なんでしょうかね…?」
「そうだね…。」
選挙もそうだけど、大人にとって大事なものが私にはなんなのかまだわからない。
「奏一さんは起こさないの?会社。」
「俺は、そういった気概までは持ち合わせていないかなぁまだ。」
「そっか…芸術家タイプだから?」
「うん…でも。
きみがおとなになったら、考えようかな。」
「…それ、ずっと先じゃん。」
「そうでもないよ?」
「だって、来月の誕生日がきても、まだひとつ届かないんだよ…?」
「…そうだね。
でも、きみはもうおとな、なのにね。」
「うん。」
「俺も、きみくらいのときはずっと待ち遠しかったもの。」
大人になって、きみと出会うこと。
…そうか、奏一さんは、大人になって、先生になったからわたしと出逢えたんだっけ。
それが、きっかけだったんだよね。
「だからおとなになればね、楽しいことはいっぱいだね。」
「奏一さんとあんなことやこんなことも?」
「んっ!?」
奏一さん…お澄まし顔でケーキ食べようとしたのに、中に入ってたベリーもろともぽろっといってますね。
…かわいい。
「はい、ふいて。」
「…ありがとう…。
おれも、きみといっしょだね…。」
「なにが?」
「もうすこしおとなにならないとだめだ…。
まちどおしい。」
「ふふ…いいよー。べつにそのままでも。」
「きみがおとなになったら、せーのでスタートできるところにいなきゃ。」
そしたら奏一さんって、いまどこにいるんだろ…?
わたしが大人になったら、彼はそばにいてくれるのかな。
彼だけ、ずっととおくで大人になっちゃってるとか、いやだなぁ。
「ねえ奏一さん。」
「ん?」
「私が18になったら、すぐに名字変えていい?」
「…黎子、さん…?」
いいかげんに、ケーキをちゃんとたべさせてください、と彼は言っているようだった。
…おもしろい。
「高遠黎子さん。」
「…はい。」
「…ふふ、そんなに拗ねないで。
きみの名前はどこからどうとっても素敵なんだよ。
俺が…変えたいくらいだもの。」
「じゃあ変えようよ。わたしはどっちでもいい。」
「どっちでも?」
「うん。だって、降矢奏一さんも、ぜんぶ素敵な名前ですから。」
「…。」
「だから、名前変えないんでしょ?
私は何度も、変えてきたもの。」
「芸名ね。
いいんだよ。違う自分を持ってみるのも、おもしろいことじゃないか。」
俺には、そのおもしろいこともあんまり合わなかっただけ。
実はここでもちょっぴり、向いてないなぁっておもっただけだって、奏一さんはわらってた。
ころがりでた、ベリーをたべる。
それは、じつはわたしがおとしたものだったんだけど…代わりに。
でもおもえばそれは、ガレットに隠してあった豆…のようにもみえた。
「奏一さん…それは?」
「このまえ、お誕生日お祝いしてくれたお礼だよ。」
彼は、いつもの場所で楽器を持っていた。
そう…彼の専門であるヴィオラ、だ。
「これはちょっぴり特別なもの。
今まで、こっそり隠してあったんだ。」
「…さわっちゃだめ?」
「いいよ、きみならだいじにしてくれるから。」
彼はそういって、わたしにヴィオラを持たせてくれた。
…おもい。
それも、とてつもなく。
そんなの、いわなくてもわかるとおもうけど、今まで彼によっておもくおもく、引き(弾き)継がれてきたということ。
それで、これがちょっぴりどころではないと悟ったので、すぐにかえした。
それでも彼はそれを軽々しく、ふわりとした羽のように持ってみせた。
…彼は、おもいのだろうか。
それとも、かるいのだろうか。
「ううん…うん。
…ヴィオラはね、かるいんだ。」
「え」
「でも、弾く弓はすこし重いほうが良い。
長さは、高く美しいものを弾くのとそんなに変わらないはずなのに。
なぜだか、わかる?」
「うーん…やっぱり、ヴィオラがかるいから?」
「そう。
これを満足のいく音が簡単に出るように作ってしまうとね、
人にとって、抱えるには重く、大きすぎて弾きにくいものになってしまうから。
音を出すのは、ひとだよ…。
とはいえ、ヴァイオリンよりは当然すこしばかり重いから、
正確にいえば、思ったよりも小さいってだけなんだけれどね。
音域も、すこしばかり狭くてね。
だから、あまり主役にはなれないね。」
「…奏一さんは、そういう子が好きなの?」
「うん。演奏は、主役になれるかどうかが大事ではないんだって。
そうではなくて、音がいいんだ。
特に、この子は…ちょっぴり、なんて言ったけどね。」
彼は、静かにそれを弾き鳴らしてみせた…。
あ…こんな、味の無さすぎる(キュウキョクな)音を知ってしまったら、わたし…。
「本当は、絃楽器は響くからもうすこし広い場所でとは思ったんだ。
でも、この子ならどこでも、素敵でしょ?」
…いつもの場所でも、ちゃんと音がきこえる。
きみと、いっしょだからね。
「この子は、だいじに大事にされてきた。
音にうるさい俺の家族たちですら、この子のことを全く知らない。
知っているのは、いつも家族でひとりだけ…と決まっているからです。
それが、俺のおじいさんでした。」
「おじいさん…が、奏一さんに…?」
「うん、うれしかった。
この子のいばしょを、おしえてくれたんだ。」
彼は、ヴィオラで曲を弾いた。
一曲だけ。
おわると、すぐに。
「…そういちさ…っ」
「このきょくも、」
「…」
「しるひとは、だれもいない…」
「え…
…っ」
「せかいでたった、ふたりだけのひみつ…」
かれはわたしの耳もとで、ヴィオラのように、わらった。
「あの…そ…くん…っ」
「まだ」
「…」
「このこはいまどこにいるの?」
「…」
「そうきかれたら、きみもたったひとりのこに、こたえられるように」
このこのいばしょを、おしえます。
…。
「おぼえた?」
「うん…。」
「じゃ、黎子さん。」
「え…?」
「おれのおもいを、うけとってください。」
しずかにうなずくと、かれは。
わたしにあつい、くちづけをした。
「…おぼえた?」
「…」
「ふふ。」
もういちど、なんて…いえなかった。
なぜならもう、かれの手からは。
たいせつなヴィオラが、きえていたのだから。




