表現者への演奏家21
今日は、せっかくのデートだというのに。
月の不調である前ぶれと重なったのか、もともと少し機嫌が悪かった。
その日は音楽をききにいくつもりだった。
それでいて少し早めに駅前で待ち合わせして、何か食べたり巡ったりするつもりだった。
彼は、とても察しがいいから、わたしに配慮をしてくれたはず。
ただ、まだ具合が悪いわけではなく、機嫌が悪かっただけなのだ。
それに。
彼は、意外と外へ出れば周囲のことに注意をはらうことが分かったからだ。
歩いているときも、当然のように車道側を歩いてくれる。
歩幅も、はやさも合わせて。
当たり前の配慮ができるには、ある程度視野が広いことや俯瞰が必要かもしれない。
でも、わたしは。
その傍でしきりに、彼の携帯の通知がきていることが気になってしまった。
音も振動もないのに、おとがわかる。
仕事のことか、あるいは私的な交友関係でもあるのか。
そんなことが、ずっと気になって。
「だれから?」
「仕事のこと。あとでへんじをかえすことにするから気にしないで。」
今返せばいいのに、と言った。
彼は、ありがたいけど、といって首を振った。
それよりも、わたしの調子を気遣っている。
…それはうれしい。
けれども、彼のことを知らないことがすこし不安だった。
わたしは単純なもので、すぐに機嫌のわるさはおさまった。
彼の弟は、彼が乙女のようだと言ったけど、そんなことはなかった。
冷静でいて、優しかった。
それでいてたまに目を輝かせてこれに興味がある、気になるとも言った。
あとにして思えば、それはほとんどわたしも興味があることだった。
彼にどこに行きたいかと問うと、行きたいところはたくさんあると言った。
そうして、にわかに候補をあげていった。
例えば遊園地でも水族館でも、かわいらしいものがある場所でも。
女の子なら好きそうだなぁというにわかな知識。
いいえ。
…きっとよく、ここらのことを調べていたからだ。
わたしのことも?
…そう、ある程度候補をあげた最後に、そういえば最近気づいたこととして、彼が気になる場所をあげてくる。
それが、彼がじぶんで調べてとっておいてあった場所。
わたしであっても思わず頷くような、少々ニッチなところ。
ひとりでは入りづらいから、一緒に行ってほしいとでも…言っていたような気がする。
彼の算段がよくわかって、そういった抜け目のなさがかえって少し気になる…?
いいえ、わたしは単純だ。
あとにして思っただけでそれはそのとき全く気づかなかった。
結局、わたしは、私の雰囲気…ムードを気にするだけだから。
ただ、わたしがその時やけに気にしたのは、そんなことではない。
わたしが、何か売り物に気を取られている隙だったと思う。
そう、確か趣味がとても合う雑貨屋に寄ったときのこと。
彼が携帯をみた。
デートばしょの候補をあげるときですら、今まで一切見なかったのに。
それをみた彼の表情が、変わったのだ。
いや、表情ではなく顔色が変わった気がした。
彼が私に気づかれたことに、きづいた。
流石に誤魔化すことができなくなって、
仕事から知り合った友人が相談のメッセージを打ってきた。
きっと大丈夫だとは思うが、今までこんなことはなかったから心配だ。
少しだけ話をしてきても、いいだろうか…と。
そんなに遠慮をされそうになるなら、うんと頷くしかない。
彼はひとこと謝って、その場を離れていった。
「…ごめんね、話が長くかかってしまって。」
「いえ、お友だちは大丈夫なんですか?」
「うん。ひとまずは落ち着いてくれたみたいだから。
…時間、なくなってしまったね…。」
「私は大丈夫ですよ。色々見ることができたので。
会場、向かいましょうか。」
わたしは先に歩き出した。
それに彼がついてくる。
何度か彼の様子をうかがいにここへきたが、真剣な話をしているようだった。
ときおり、だれかといっしょに思い詰めたような顔をして、それから微笑みながら優しく話をする。
誰にでもこうやってやさしい。
呆れるほどに。
いいやわたしはひとまずこのあとの音楽がきければいい。
そう自分にいいきかせながら、少し足早になった。
どうしてだろう。
なかでいくらしみじみと盛り上がる音楽をきいていても、胸踊る感じはしない。
少しだけドキドキとはするけれど。
もう少し、刺激がほしいな。
おもむろに彼の手を、握ってみた。
彼が向こうをむいたまま、
え…?
と、おどろいて口をすこし開ける。
それから。
彼も手をぎゅっと握り返した。
そして、互いの顔を見つめて微笑んだ。
…思いっきり、その手を振り上げちゃうために!
「れいちゃ…!?」
「ふふ!」
わたしが笑うと、彼もあははと声を出して笑った。
やっぱり、こういうのが楽しい!
おもいっきり、盛り上がるのにしてよかったっ
楽しかったね、と言い合ったような気がする。
いや、そういえばアンコールは…ないのかな?
こういうの来るの久しぶりだから、わからないね…なんて言ったような気も。
少々、終わり方が消化不良だったようなかんじも…?
ただ、それは名残惜しいってことなのかな。
彼はもう一度、わたしの調子を気遣った。
わたしは、大丈夫だと言った。
彼がすこしでも安心してくれるならいいなとおもって。
でも。
「あーうるさかったっ」
と、両耳に軽く手をあてて、笑ってみせた。
彼も、きみらしいといって笑っている。
わたしからしてみれば、趣味に合わない、
なんだか、うるさくてはやくて、かるーいだけの音楽だった。
その程度だったけど、彼とくると楽しかった。
本当はせっかく行くならもっと合う音楽がいいんじゃないか、なんて彼は言ってた。
でも、別に知らないわけじゃなかったからいいのだ、こういうのも。
「奏一さん、そろそろわたしたちもここを…」
そう呼びかけたときだった。
急にするりと、彼が離れていった気がした…。
もういない。
え…どうして…?
必死に目で追って、探す…。
どうしていないの…?
「え…?」
かなり遠くで人が騒ぐこえがする。
なにが起きたのかわからないけれど。
会場の中ほどにいたはずが、それは出口付近で起きていた。
女性の金切り声がする。
その先には、彼が。
女性は子どもを連れていて、庇いながら取り乱すように彼に声を…。
…なにが起きたの?
周囲の人間が、彼に冷たい目線を向ける。
ひそひそと何かを話す声もところどころできこえる。
彼は、とても鋭い目をしていた。
…こんな目見たことがない、とおもったがそれは違う。
彼が、あらかじめ曲をつくってあったとき。
それを私に渡したときに、していた切先の鋭い目に似ていた。
彼が冷静に何か言っている。
でも、顔は依然として険しかった。
子どもは周囲を見まわして少し怯えた表情をしている。
私が見かねて彼に声をかけようとすると、
「あなたのやったこと。
やらせたことを、見過ごすことはできないんです。」
やけにはっきりとした声が。
「彼から受け取ってその鞄に隠したものを、出してください。」
彼の声は、はっきりとしていて周囲がぎょっとする。
え…?とみんなが驚いている。
いくら、女性が声を荒げても。
その声が大きくなっても。
いちばん、はっきりとしていた。
だがそこで警備員が何事かと近づいてくると。
自分も、見ました。
その子どもがあそこで、誰かのカバンが開いていたのを狙って、中から何かを引き抜いて走り、その女性に渡した。
なんだかずっと周囲をキョロキョロとしていたから、怪しいとは思っていた。
自分も、鞄に手を伸ばされたから振り払って注意した。
こうしたスリは、ここで何度も起きていた。
確かに何人もそう声をあげはじめたのだ。
その間も女性は、あくまで彼から子どもを襲われるか攫われそうになった、自分も身体を触られたなどと被害を訴えている。
「きみ…もう一度きくけれど。
とってこい、と言われた?」
…。
男の子が、頷いた。
警備員の人が何人もきて、女性をなだめる。
そしてその後すぐに警察のひともきて、その女性は連れていかれた。
…。
少しばかり沈黙が流れたが、そこで誰かがこう気づいた。
この男の人、どこかで見たことがある…?
「…奏一さん?」
「行こう。」
手を引かれて。
どう…この人だかりの間をすり抜けたのかすら分からない。
でも彼の足は、ここできいたどの音楽よりもずっとはやかった。




