表現者への演奏家18
「...奏一さん」
「だれにでも、こんなことはあるんじゃないかな」
ピアノの鍵盤をひとつずつ鳴らして、音を確認している。
なのでわたしも、彼の横に寄り添うように座って、音を出してみた。
「...いい音...もっと...」
「もっと?」
「...」
彼は、なにを思い巡らせているのだろうか。
...すぐに我にかえって気を取り直したのか、先ほどのつづきであることばを紡ぎだした。
「だれにでも...だれのことも、もういやだっておもってしまうことが。
おれは...そうやって、いつでもだれかのせいで...けっきょく、じぶんがいちばんいやなやつだってみとめたくなくて。」
一瞬何も言えなくなったけれど。
「いまでも、こんなことはだれにでもあるんじゃないかなって。
そんなきもちは誰にでもあるものだと、俺みたいなやつはきっとどこにでもいるんだと、いろんな本や、音楽や誰かの言葉を信じてずっと生きてきたよ。
俺よりいやなやつ、ずっとさがしてた。」
「そうやってにげてたの?」
「...うん。
本当は、こんな場所にきたのもそう。
ここだったらすべてを良しとして受け入れてくれるっておもったから。
君とはちがって、まっすぐな音楽から逃げだしたね。」
「じゃあ、またこれを弾いてください。」
そんな臆病なひとの音楽きいてあげるよ。
私は、前も持ち出してきた、小ぶりなギターを彼に差し出した。
彼は思うところはあるようだが、すぐに折れてギターを弾きはじめた。
...にげだした...というより、なにかいいたいことがあるようなきがする。
「いい音...、」
「...」
「...もうすこし...だけ...」
「いいですよ、もっと弾いてください。」
「この子はそうはいってない。」
「言ってますよ。」
彼はまた首をふった。
素敵な演奏だったのに。
演奏って、言いたいことを伝えるためのものなのに。
彼は伝えることもやめてしまうのか。
「わかった。
私のキスがそんなにいやだったんですね。」
「ちがう、そうじゃないよ」
...。
あ...わかったからそんな顔しないで。
彼と喧嘩しようにも、いつもそんな切ない顔するからなんにも言い返せない。
切ない顔してそれっぽいこと言うからなにも。
でも、それっぽいこと言っているだけなのに。
そんなことを本気で信じてしまっている彼は愚かだ。
愚かで、とてもやさしい。
「嫌なやつ探す人は、もっときかせて、なんて言わないと思うんですけど。
それとも、私もその子も、そんなにいやなやつ(音)だって言いたいんですか?」
「ちがうそんなことない。俺はただ...」
「ただ...?」
「...わからないから...」
「...」
「しりたかった...だけで...」
...そういえば...ずっといってた。
きみのことを、みんなのことをしりたいって。
やっぱりそれが本音なんだろう。
「いいですよ、なにがしりたいんですか?」
「...」
彼はまた何か思いを巡らせている。
でも、それはいつもの好奇心ではなく、理不尽に向ける顔だった。
たしかに、私はやりすぎたと思う。
だから、どうしてこんなことをって、怒りたいのかな...。
でもわたしだってうそじゃなかったの。
あなたのこと知りたいっていうのは。
だって、ずっとあなたと生きていきたいもの。
知らなきゃいけない日はくるでしょう...?
「だってわたし、あなたを愛してるから。」
そう伝えると、彼は驚いた顔をしている。
それはそれで...期待したような反応ではなかった。
ああでも、期待はすこしちがうかもしれない。
だって彼が本当に嫌なやつなら。
なにが愛だ。
君みたいな世間知らずの若者に、愛なんてわかるはずない。
愛なんてごめんだ。
そういう顔するはずでしょ?
なのに、彼は全力でびっくりして。
そういう顔って、もうなにも考えずにわたしの言った言葉をぜんぶ受け入れたいっていう彼の意思の表れなんだ。
彼は本来そういうひとなんだ。
どうしてそう言ったの?
きみはどう想っているの?
きみのおとが、こえが...、
知りたい...知りたいよ。
ありがとう。
じゃあ、おれは全力でそのきもちにこたえたいな。
...たまらないくらい、善いひとじゃないか。
彼は自分の身を削り、傷つけながらもこたえようとしただけ。
それで彼が傷ついていたから、苦しい音にきこえただけ。
それを、呪いだと決めつけて耳を塞ぎ、殴って、彼の音を止めたやつらのことを、わたしはゆるせない。
「あ...あのね...とてもうれしいんだけど...今の俺は...そのことばを、ちゃんとは受け入れられない...ごめん。」
「いいんです、もうじゅうぶんです。
わたしもこの子も、あなたの演奏がききたくないわけじゃなくて、ここまでしてくれてもうじゅうぶんすぎるって、いいたいだけなの。」
「そうだったの...?」
「うん。」
「そうだったんだ...そうだったら...気のせい、だったのかな。」
「え...?」
「いやこれは...また俺のどうしようもない...わがままなところなんだけど...。」
「おしえてください。」
「...ごめんね、勘違いだったら申し訳ないんだけど...俺もよく覚えていないし...。
...俺のこと、
嫌い
って言わなかった...?」
「え、言ってないですよ。」
「そっか...やっぱり気のせいだったんだ...ごめんなさい。」
「いえあの...そういわれるのはつらいですか?」
「いやそういうわけじゃ...ないんだけれども...」
...。
「あ、やっぱり言ったかもしれない。」
「え?」
「嘘をつく大人は嫌いだって...そう、たしかに言いました。」
「嘘をつく大人...。」
「はい。」
「嘘...ばっかりついていた、気がするね...」
「ごめんなさい、奏一さん。」
「ううん、気にしないで。
俺はそれだけ聞こえた気がして...でも、そう言われてしまうのも仕方ないよね。」
「煽ったのはわたしですから。
私が悪いんです。」
「いいえ、君はなにも悪くない。」
「...そういうときだけ、自信たっぷり。」
「だって君はなにも悪くないもの。
俺のこと、あんなにも...知りたいって言ってくれたんだよ。」
あ...うれしそうにしてる。
「でも知られたくなかったんですよね...。」
「知られて、嫌われるのが怖かっただけだと思うんだ。」
「あ...やっぱり嫌いって言われて傷ついてるじゃないですか。」
「え...いやそれは...。
えっと...ちょっとだけだよ。」
絶対ちょっとだけじゃない。
だから本当に何度も謝りたい気分だったのに。
ここも彼の不思議なところで。
いまさら、すごく照れた顔しはじめた。
「どうしたんですか?」
「だって...さ...。
あ...あの、黎子さん...。」
「はい、奏一さん。」
「これは...気のせい、ではないよね...?
愛してる、からって...。」
「愛してます」
ここで歌と楽器やって、デートだって、1回仕事の合間に抜け出していけたくらいなのに。
私の心はこんなに決まっちゃってる。
まだ若いから、世間知らずなだけかもしれないけど。
彼のためなら、何度でも言える。
何度だって。
「れいちゃん...もうじゅうぶんだからっ
おれのいうこともちょっときいて...?」
「あとできくから、いまはわたしのばんっ」
「まって、おれも...おれもあいして...っ、ん」
まだいわせない。
「んー...っ!」
「...奏一さん、かわいいっ」
「...だめ...っあまり、困らせないで...?」
「やだっ、
ね...おうち連れてって?」
「おうち...?」
「そ、ねー、ねーえ...いいでしょ?」
「...きみって、そんなに大胆なひとだったんだね。」
「いや?」
「ううん、うれしいよ。
おれはもう...きみのためならなんでもしたい。」
「うん、わたしもなんでもするっ!」
彼にぎゅーっと抱きついた。
彼もぎゅーっと抱きしめてくれた。
「ね...ここだれもいないよ奏一さんっ」
「きみは...いったいなにを...?」
「あー...あと5分しかなーい...。
でも、5ふんもあれば...
さいごまでできるかな...」
「...」
「奏一さん、なに考えてるんですか?」
「なにも...」
「歌うたいましょう。」
「...うん。」
わたしは居住まいを正して、彼の前ですっと立ち上がった。
ここは、ステージです。
そう言いたかったので、さらに彼から一歩引いてみせた。
そうしてわたしは、かつてあなたが思い出させてくれた、小さな頃をまた思い出す。
まだその手には重かったマイクを、ぎゅーっと握りしめて、緊張して。
あのときは、とうぜん...うまくうたえなかった。
でもそれをあたたかい目で見てくれるやさしいひとは、こうやって目の前の彼のように、絶対にいるものだ。
そういうひとは、わたしのうたに手拍子して、いいね...素敵だってほめてくれる。
どんなに拙いうたであっても。
どんなにつまらないわたしであっても。
私がステージに立つだけで、そういうやさしいひとたちが、やさしいまま(ありのまま)でいてくれるのならば。
わたしはいくらでも、前に立つことを引き受ける。
いくらでも、歌をうたおう。




