3.小さな県の小さな武器
収録が終わった夜。
ばななは一人、テレビ局の廊下を歩いていた。
自販機の前で立ち止まる。
炭酸を買う。
プシュッ。
少し飲む。
「はぁ……」
「お疲れ」
振り向くと、さっきの司会者だった。
「お疲れ様です!」
ばななは慌てて頭を下げた。
司会者は笑った。
「証明書、もらっていい?」
ばななはポーチを開けた。
「もちろんです!」
渡す。
司会者はカードを見た。
「これ、いつからやってるの?」
「デビューしてすぐです」
「なんで? アイドルの宣伝なら、もっとキラキラしたやつ作ればいいのに」
ばななは少し考えた。
「……東京に来て、気づいたんです。鳥取って、意外と知られてないんだなって」
「まあ、地味っちゃ地味だよね」
「そうなんです。『鳥取って砂丘しかないんでしょ?』とか、『スタバよりスナバなんだよね?』とか……。ひどい時には『本当に人住んでるの?』なんて冗談を言われることもあります」
司会者は苦笑した。
「まあ、芸人のいじりみたいなもんだけどね」
「はい。分かってます。でも……」
ばななは笑った。
「でも」
少しだけ、遠くを見る。
「私には、全部あるんです」
「全部?」
「私には、あそこに全部あるんです。通った学校も、泥だらけになって遊んだ友達も、帰れば温かいご飯を作ってくれる家族も。東京に負けないくらい、大切な全部が。だから……」
炭酸をもう一口飲む。
「だから」
ポーチを閉じる。
「せめて一人くらい、『鳥取県民に会ったことあるよ』って胸を張って言える人を増やしたいなって。砂丘や梨だけじゃなくて、『あんな変なアイドルがいたな』っていう記憶と一緒に、私の故郷を誰かの中に刻みたかったんです」
司会者はしばらく黙っていた。
そして笑った。
「いいね、それ」
「本当ですか?」
「うん」
カードをポケットに入れる。
「俺、今日から鳥取県民遭遇済みだ」
ばななが笑う。
「証明済みです!」
そのとき。
廊下の向こうから、スタッフが走ってきた。
「ばななちゃん!」
「はい?」
「さっきの番組のSNS!」
「はい」
「証明書の話、めちゃくちゃバズってる!」
「え?」
スタッフがスマホを見せる。
画面には投稿が並んでいる。
差し出された画面には、恐ろしいスピードで流れていくコメントの嵐があった。
『鳥取県民遭遇証明書ほしい』
『初めて鳥取県民見た』
『ばななちゃん面白い』
『鳥取県民遭遇証明書、シュールすぎて草』
『初めて生きてる鳥取県民見たわ、ばななちゃん推せる』
『あのカードどこでもらえるの? 激レアじゃん』
「……え? バズってる?」
「バズってるどころじゃないわよ! サーバーが落ちそうなんだから!」
ばななは呆然とした。自分がコツコツと手作りし、誰に笑われても配り続けてきた「小さな武器」が、東京の、いや、全国のネットワークを駆け巡っている。
司会者が笑う。
「これさ」
「はい」
「そのうち全国に配ることになるぞ」
ばななはポーチを見た。
中にはまだ、百枚ほどの証明書がぎっしりと詰まっている。
しかし、彼女はふと思った。
日本の人口、一億二千万人。
鳥取県民は、その中のたった五十四万人。
でも。
世界は広い。
そして――
まだ、鳥取県民に会ったことのない人は、きっとたくさんいる。
ばななはポーチを抱えた。
小さな県の、小さなアイドル。
だけど、彼女が掲げる「証明書」は、誰かと誰かを繋ぐ、世界でたった一つのパスポートになる。
「……よし。決めました」
「何を?」
ばななは、今日一番の笑顔で宣言した。
「明日から、増刷します! 徹夜で百枚……いえ、千枚!」
司会者が笑った。
「早いな!」
東京の夜のテレビ局。
その片隅で。
鳥取県民との遭遇者が、また一人増えた。
因幡ばななの快進撃は、まだ始まったばかりだ。




