#20
因果応報という言葉はただの慰めだ。
見えぬ力とやらでは罰することはできない。
耐え忍び、不幸を祈っても、頭のおかしいヤツには通じない。
そういうものだ。
♯20
「……君が、飼われている? そのみすぼらしい男に?」
名波他が「何の冗談だ」と言わんばかりに口元を歪めるので、戸頭間は大きくにこやかに頷いた。
「ワン」
と鳴いてみせると、サトルは呆れたように、丹羽はあからさまに顔をしかめて二人揃ってため息を吐く。
「……戸頭間くん、いいから追い返せ」
「ワ」
「鳴くな」
「んー、怖いなあ、丹羽さんは」
戸頭間は丹羽の肩をぽんぽんと叩いて一歩前へ出ると、後ろで手を組み、名波他の顔を下からじっとりと見上げる。
「ねえ。帰ってくれる?」
「……謝罪しろ」
名波他から思いも寄らぬ言葉が出てきて、戸頭間は目をぱちぱちと瞬かせた。
ひきつった顔や脂汗のにじむ額。
彼が苦し紛れに口にしたらしいことはわかったが、いったい何を謝罪しないといけないのかさっぱりわからない。
戸頭間が無垢な表情で首を傾げると、名波他はさらに顔を青くした。一歩下がろうとしてもサトルがそれを許さないので、身体をただ縮ませて一生懸命喋る。
「謝れぇ!」
「何言ってるの?」
きょとんとしている戸頭間を見て、何を思ったのか名波他は圧せると勘違いしたらしい。饒舌になってくる。
「せ、正式な手続きを踏んで視察をしたら、困るのはそっちじゃないか! 警察にこのホテルの立ち入りを許可したくないだろう?! 隅々まで調べられた挙げ句に記録に残るんだぞ!」
「……」
「家の者達にバレて大目玉を食うのはお前だ!」
「……んー」
「だから秘密裏に来て、問題はなかったと報告してやろうと思ったというのに! なんて無礼な!!」
「……なるほど?」
「お前もだぞ!」
名波他が背後のサトルに向かって言う。
振り向けていないが。
「侵入者のくせに国家に仕えることを許されているのは、俺のおかげだろうが!」
「え、そうなの?」
「いや別に」
戸頭間の問いに、サトルが無感情に答える。
名波他が醜く叫んだ。
「俺の、俺のおかげだ!!」
「──戸頭間くん、退け」
丹羽の声に、戸頭間はひょいっと頭を下げた。
次いで、ガッとした鈍い音がする。
右手にベレッタを握った丹羽が、その拳でうるさい羽虫を払うよう名波他の頬をはたいたのだ。
「!」
サトルが名波他のスーツの襟だけをかろうじて掴む。倒れられなかった名波他は、ぶらんと不格好にぶらさがり、ひざを突いた。
「……銃」
サトルが呆然と呟き、それに気づいた名波他がぎょっとして見上げる。
丹羽が持っているそれに気づき、顔が真っ白になった。一気に老けたように見えたので、戸頭間はしゃがんで視線を合わせると悲しそうに眉を下げ、優しく声をかける。
「名波他さん、びっくりさせちゃってごめんね。丹羽さんって短気なんだ。頬、大丈夫?」
「そこじゃねえな、多分」
丹羽が冷静に言う。
サトルは丹羽の右手の銃に目を奪われているらしいので、戸頭間が名波他に寄り添ってあげた。
「え。本当? じゃあ何にびっくりしてるの? 僕ら侵入者が──ああ、違うね、僕ら協定を結んでいる者が人に手を出せないって思ってたのに、殴られちゃったことかな?」
「……、あ、あ、ああ!」
はくはくと口を鯉のように動かすので、面白くなった戸頭間は「ふふ」と無邪気に笑った。
「うんうん、よしよし。大丈夫、怖くないよ……あ、お手する?」
サトルに首輪を持たれているように見えた名波他にそう声をかけて手を出すと、ハッとした名波他は弾かれるように逃げようと身を捩ったが、恐ろしい握力の兄には勝てなかったらしい。無様にぶら下がり、苦しそうに必死で膝を立てた。
「カケル」
兄に呼ばれた戸頭間は、名波他で遊ぶのをやめて立ち上がる。
ついでに丹羽の右手を取って、握られた銃をしげしげと見つめた。
「ベレッタも出せるんだ。へー、知らなかったなー」
「……練習すればな」
「だって、兄さん。こちらが僕の噂のヤバい相棒、丹羽さん。四十九歳。で、丹羽さん、こちらが僕の一番上の兄。三十一歳、独身ー」
戸頭間が紹介すると、二人は微妙な空気のまま互いに「……どうも」とだけ言い合う。
「ほらほら、二人とも緊張していないでさ、一緒に名波他さんを消そうよ!」
明るい戸頭間の声に、今度は今まで黙っていた武家山が眉をひそめた。
同時に、ぐぇという醜い声も聞こえた気がするが、気のせいだろう。
「戸頭間様」
「武家山さん。兄さんだって、ずっとずぅっとこうして馬鹿な仇が自分と二人きりになってくれるのを待ってたんだから、邪魔しないでね」
「サトル様!」
武家山が戸頭間が本気であるとわかると、サトルを見る。
が、彼は犬の首輪を離そうとはしない。代わりに戸頭間がにこりと笑った。
「ね?」
「なりません! 協定をお忘れですか」
「まさか。だから名波他が来るときは全員が退避するって決めたんじゃない」
「ええ、イツル様の件で他の皆が名波他に手を出さないようするために決まったことで──」
「いや、僕と兄さんが誰にも見られずに名波他を殺すためだよ? いつか来ると思ってた。大きな顔をして乗り込んできて、次は僕を従わそうとするだろうって。そうやって戸頭間家の力を飲み込めるって、本気で思える馬鹿だって知ってたから」
戸頭間は床に膝をつく名波他を蹴る。
「この汚い男が生きている限り彼女に安寧はないし、僕らの痛みは消えない。結婚式の前日に新郎を車で引いて、無抵抗になっているイツル兄さんの頭をタイヤで潰したこの男に、どうして日常を生きる権利があるの? 目の前でそれを見ていた彼女を連れ去ろうとまでしたんだよ」
低く唸る戸頭間の怒りに触れたように、名波他が震え始める。
「どこかの誰かが、それを阻止してくれたらしいけど。ねえ、誰があんたを止めたの?」
名波他の目がぎょろりと動き、止まった。
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