第8話 物件探しのはずが、神殿の封印施設を掴まされました
翌日。
昨夜、孤児院で簡易の刻誓契約だけは済ませた。
だからといって、ガレスが従順になったわけではない。
不動産屋の前に立った時点で、レティシアは妙に澄んだ顔をしていた。
嫌な予感が、首筋を薄く撫でる。
「アリア様にふさわしい拠点でなければなりません」
やっぱり。
『たとえば?』
「元貴族屋敷などがよろしいかと。門があり、中庭があり、応接室があり、できれば専用の礼拝室も」
僕はこめかみを押さえた。
執事もメイドも庭師も雇わない。
横で、ガレスが吐き捨てるように言った。
「そんな広さも、礼拝堂なんてのも無駄だ。雨風が凌げりゃ、人間、どこでも寝られる。キッチン? 外で焚き火すりゃ十分だろ」
レティシアが、信じられないものを見る目でガレスを見た。
「……調理場のない拠点は、もはやただの野営地ですわ」
「洗い場もいらねえ。雨どいの下に桶でも置いときゃ事足りるだろ。皿なんて、食った後に砂で磨けば綺麗になる」
「ガレスさん。私は人間としての尊厳を砂で削りたくはありませんの」
不動産屋の主人は、こちらの三人を見比べたまま固まっている。
宮殿を望むレティシア。
野営地で十分だと言い切るガレス。
財布を握る僕だけが、どうにか現実にしがみついていた。
一軒目は、古い商会の倉庫だった。
使い込まれた床板の匂い。
荷馬車の轍が残る広い土間。
壁は古いが、広さはある。
レティシアは窓の位置を見ている。
ガレスは裏口の強度を見ている。
僕は、ここなら孤児院の子どもたちが来ても怖がらないだろうか、と考えていた。
「広さと導線は悪くありませんわ。多少手を入れれば、拠点として使えます」
そう言うと、不動産屋の主人は営業用の笑顔で答えた。
「ありがとうございます。それで、ご契約者様の名義は、あなた様で?」
本題だ。
クランの拠点は、代表者が所有、あるいは賃貸している必要がある。
僕が表に出れば、神殿やギルドの余計な詮索を招く。
レティシアを立てれば、神殿の色が濃くなりすぎる。
だから、消去法でガレスだ。
『ガレス・ヴァンロウさんです』
主人の笑顔が消えた。
帳面を持つ指先が、目に見えて止まる。
「……ガレス・ヴァンロウ様、でございますか」
『何か問題が?』
そう聞くと、主人は目を伏せた。
「いえ……ただ、その。所有者様への確認が、少々。いえ、かなり難航するかと」
『先ほどのお話では、即決可能ということでしたわね』
「事情が変わりました。リスクの算定が、変わりましたので」
ガレスが鼻で笑った。
「神殿を叩き出された男に貸す度胸はねえ、とはっきり言えよ」
主人は答えなかった。
沈黙だけで、不合格通知としては十分だった。
二軒目。
「所有者が慎重な方でして」
内見はした。
だが、話は進まなかった。
三軒目。
孤児院関係者だと明かした途端、物件の管理人の目が変わる。
「客を値踏みする目」が、「害虫を駆除する目」へと変わった。
「屋根が半分、落ちかけているように見えますけれど」
そう指摘しても、主人は鼻を鳴らすだけだ。
手元の帳面をパチンと音を立てて閉じ、あざ笑うように口角を吊り上げる。
「身元の確かな方々ではございませんので、近隣説明費と特別管理料が必要になります。それを差し引けば、この家賃は破格……いわば慈悲です」
口の中に、血のような金気が広がる。
近隣説明費。
特別管理料。
言葉だけ整えても、意味は同じだ。
僕たちがいるだけで、余計な手間がかかると言いたいらしい。
湿った笑みを、ねっとりと口元に貼りつけ、男は僕たちを入口の外へ押し返す。
昼を過ぎる頃には、不動産屋の主人の態度は完全に冷え切っていた。
「本日は、いったん確認ということで……」
丁重な、絶縁宣言だった。
主人が僕たちの座った椅子を汚らわしそうに払い、塩をまく準備を始めるのが視界の端に映った。
店を出ると、ガレスが煙でも吐きそうな顔で空を仰ぐ。
「だから言っただろ。金だけじゃ動かねえんだよ。この街は、神殿の顔色をうかがう奴らで回ってる」
この世界では、金を持っているだけでは足りない。
誰の名義か。
どこの出身か。
神殿にどう記録されているか。
その順番で、扉は開いたり閉じたりする。
「アリア様。孤児院へ戻られますか」
頷いた。
これ以上、あの男たちの傲慢な視線にさらされ続ければ、理性が焼き切れる。
『ええ。まずはエリセ先生に報告しましょう』
ガレスとは、孤児院の少し手前で別れた。
「俺はあとで行く」
それだけ言って、逃げるように人混みへ消える。
背中が、重かった。
まだ、エリセ先生に会わせる顔がないのだろう。
◆ 蛇の誘い
孤児院へ戻ると、院長室に見慣れない客がいた。
エリセ先生と向き合う、白い法衣。
無駄のない姿勢。
柔らかい声。
けれど、部屋に入った瞬間、レティシアの空気が変わった。
アリアに向ける熱は消え、神殿の規律だけが残る。
「筆頭司祭様……」
男が静かに立ち上がる。
「アルヴェリウス・グラディウスです」
口元には、祈りの形だけを残したような笑みが浮かんでいる。
灰を薄く溶かしたような髪を後ろで整えた、細身の男だった。
「孤児院への予算配分に、神殿側の不備があったそうなの。わざわざ筆頭司祭様が謝罪に来てくださったのよ」
エリセ先生が、いつもの穏やかな声で言った。
アルヴェリウスは、アリアとレティシアへ向き直る。
その視線が、アリアの胸元で揺れる金色のネックレスに落ちた。
「……美しい首飾りですね」
『そうですの?』
「ええ。神殿の古い記録に残る、創世期の意匠によく似ている。まるで、女神ご自身に連なる品のようだ」
鎌をかけてきた。
褒めているのではない。
こちらが何を知っているか、神経を逆撫でするように試している。
首元に手を添えた。
『母の形見ですわ』
嘘は、口を出た瞬間から妙に上品な響きに補正された。
アルヴェリウスは、穏やかに微笑む。
「そうでしたか。では、素晴らしいお母上だったのでしょうね」
目は少しも笑っていない。
「ローヴェンの不始末では、ご迷惑をおかけしました。寄付の件も伺っています。子どもたちが喜んでいると」
『……必要だと思ったことをしただけですわ』
「それでも、救われた者はおります。女神の御手が、常に神殿を通って現れるとは限りませんから」
女神、か。
紅茶に口をつけた。
香りを確かめるふりをして、相手の呼吸のリズムを測る。
「それで、アリア様。拠点にできる物件は見つかりましたか?」
エリセ先生が問う。
『いいえ』
即答した。
『契約者をガレスさんにすると伝えた途端、すべての扉が閉じました。資格の前に、名前が不適格だそうです』
誰も、すぐには口を開かなかった。
「それでしたら、神殿で管理している建物があります」
アルヴェリウスが、さらりと毒を混ぜるように言った。
「外郭職員の旧詰所です。現在は閉じていますが、広さは十分でしょう」
『条件を伺っても?』
アルヴェリウスの目が細くなる。
「賃貸契約にしましょう。名義は、そちらの代表者で構いません。神殿が一度手放した者を、いつまでも呪う必要はありませんから」
受けるか、断るか。
神殿の紹介。
筆頭司祭の名。
それだけで、さっきまで閉じていた扉が開く。
結局、この街はそういう仕組みなのだと理解した。
孤児院にいる以上、無関係ではいられない。
『では、紹介を受けますわ』
レティシアが小さく息を吐いた。
安堵というより、諦めに近い息だった。
「アリア様。ひとつだけ」
アルヴェリウスが付け加えた。
「その建物は、しばらく誰も使っておりません。中を見てから、お決めください。……もし開けられるなら、ですが」
変わらない笑みのまま、目だけがアリアを射抜いている。
『ええ。開けてから、考えますわ』
微笑んだ。
自分では軽く笑ったつもりだったが、部屋の温度が一段階落ちた。
◆ 停止した洋館
翌日。
ガレスが手配した馬車で、街の外れにある旧詰所へ向かう。
左右には、黒い森が広がっている。
車輪が小石を噛む音が、不快な高さで響く。
「……本当に、この先なのですか?」
レティシアがつぶやく。
「地図ではな」
ガレスは御者台で、低く答えた。
その背中が、わずかに強張っている。
やがて、森の切れ間に建物が見えた。
二階建ての、古い洋館だ。
石造りの壁は白い。
窓枠も扉も傷んでいない。
なのに、正面の鉄門だけが錆びついている。
人の手が入っていないはずなのに、建物だけが今朝も掃除されたみたいに整っている。
その矛盾が、胃の奥を冷たく刺激した。
「……ここか」
鉄門には、錆びた鎖が巻かれている。
誰かを入れないためというより、何かを閉じ込めるための鎖に見えた。
その時。
風が止まった。
森の葉擦れも消える。
次に、耳の奥だけがきんと鳴った。
「アリア様」
レティシアの声だけが、鼓膜のすぐそばで鳴った。
彼女が二階を指差す。
雨戸の隙間。
白いものが、覗いている。
次の瞬間、それは音もなく奥へ引っ込んだ。
「……今の、見えましたか」
『見えましたわね』
ガレスが錆びついた鉄門に両手をかける。
肩を入れ、ぐっと体重を乗せる。
門は石壁に溶け込んだみたいに動かなかった。
「どうやら、掃除の前に、別の仕事が要りそうだな」
ガレスが腰の剣の柄にそっと触れる。
開くのか。
それとも、触った時点で、取り返しのつかない何かが始まるのか。
『わたくしがやってみますわ』
錆びた門へ手を伸ばした。
胸の奥が、熱く跳ねる。
怖い。
面倒。
たぶん厄介。
でも、未知の扉を開ける瞬間だけは、悪くない。
僕は子どもみたいに笑っていた。
女神の顔で。
◆ 窓の内側
……人?
私は、冷たく乾いた窓枠に指をかけた。
雨戸の隙間から、外を盗み見る。
黒い森の静寂の前に、一台の馬車。
男が一人。
少女が一人。
そして、金色の髪をした女。
……何年、経った?
この、時を奪われた檻に、生きた人間が来るなんて。
一瞬、胸の奥に熱が灯る。
けれど、その熱はすぐに冷えた。
助かるはずがない。
それは、私がいちばん知っている。
金色の女が、こちらを見た。
射抜かれたように、反射的に身を引く。
背中が冷たい壁に当たった。
喉が震える。
ここは、奇跡が絡み合って世界から切り離された場所。
私たちがここから出られないように、外の人間もここへは入れない。
また駄目だったら、もう耐えられない。
私以外は、あの日の姿のまま止まっている。
……助けて。
もし、扉が開くなら。
「……だれ、か」
声がこぼれた。
ひび割れた掠れ声。
何度も虚空へ投げて、跳ね返されてきた言葉だ。
「誰か、助けて……っ」
生きてもいない。
死んでもいない。
窓の外で、門に誰かの手がかかる硬い音がした。
開くはずがない。
あの封印を、外の人間が揺らせるはずなんてない。
……それなのに。
私は、祈るように顔を上げてしまった。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
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