第9話 お花屋さん『ハニーペタル』
昨日は蒼月花を見れてよかったなぁ。
朝露がまだ葉の縁に残る時間、庭に出た私は深く息を吸い込んだ。
「元気に育って~、綺麗な花を咲かせてね~」
湿った土の匂いと、青い葉の青臭さが混ざった空気が胸いっぱいに広がって、思わず目を細める。
夜にたっぷりと水を含んだ土は柔らかく、靴底越しにじんわりとした感触が伝わってきて、それだけで心がほどけていくようだった。
「うん、今日もいい感じ……」
しゃがみ込んで土に触れると、指先にひんやりとした感触と、ほろほろと崩れる粒の細かさが返ってくる。握って軽くほぐせば、団子にならずにふわりと崩れる――水分量も通気性も申し分ない。
「昨日の腐葉土、おいしかったぁ?」
小さく呟きながら、私は落ちていた葉を拾い集めていく。枯れ葉はそのままにしておくと湿気がこもって病気の原因にもなる。
「あなた達も、ちゃんと役に立つんだからね」
けれど、枯れ葉も捨てたりしない。庭の隅に設けた堆肥箱に放り込めば、時間をかけて土に還り、また新しい命を育てる養分になるのだから。集めた葉を籠に入れていく。
そのまま花壇へと移動し、今度は株元の土を指でそっと崩した。表面だけが固くなっていると水が染み込みにくくなるし、根も呼吸がしづらくなるからだ。
「ちょっと苦しかった?ごめんね」
優しく語りかけながら、指先で土をほぐし、空気を含ませていく。
その後、小さなスコップで根を傷つけないよう慎重に土を掘り、発酵させておいた堆肥を混ぜ込んだ。鼻を近づけると、ツンとした刺激臭ではなく、どこか甘くて落ち着く匂いがする。しっかり発酵が進んだ証拠だ。
「よし、これなら元気に育つよ」
ぱんぱん、と軽く手を払うと、細かい土が舞い上がって朝の光にきらきらと浮かぶ。
次は水やり。じょうろを傾けて、葉ではなく株元にゆっくりと水を落としていく。
勢いよくかけてしまうと土が流れてしまうし、葉に水滴が残ると日差しで焼けたり病気の原因になるから、あくまで静かに、じんわりと。
水が土に吸い込まれていく音が、かすかに耳に届く。
「たくさん飲んでね」
そう声をかけながら一株一株に丁寧に水を与えていくと、しおれていた葉が少しずつ持ち上がっていくのが分かる。その変化を見るのが嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。
一通り作業を終えて立ち上がると、ふうっと小さく息を吐いた。
手をかけた分だけ応えてくれるこの場所は、私にとって何よりも大切で、何よりも正直な世界だ。
何もできない役立たずだと言われていた私だけど、この場所だけは違った。
触れれば応えてくれて、ちゃんと世話をすれば綺麗に咲いてくれる。
「ねえみんな~、今日もいっぱい咲こうね~」
そっと花弁に触れると花がやわらかく揺れ答えてくれた気がした。
その様子に、私はくすりと笑ってしまうのだった。
◇◇◇
私達三人が経営してるお花屋さん『ハニーペタル』は、当初の心配を余所に日に日にお客様が増え、何だか繁盛してる。
領都アンダルシアは人の往来が多く、商人や職人、貴族の使いまで行き交う活気のある街で、お店も建物もぎっしりと並んでいる。思えばお家にお部屋にお店にへと、色んな場所に人は植物を飾るものだ。
花や緑を手に取る人は思っていた以上に多く、玄関先に飾る小さな鉢植えから、店内を彩る観葉植物、贈り物用の花束まで、用途はさまざまだけれど、確かな需要があった。
それから一般的な各種薬草は、ポーションなどの様々な薬の素材になって大量消費される。割と手に入りやすいんだけど、とにかく需要が高くてすごく売れる。
そして――『ハニーペタル』の看板商品になっちゃったのは、草花で作ったハーブの茶葉。
元々はドルマン子爵家に居た時、私には紅茶を飲ませてくれなかったので、試行錯誤しながら自分で手作りのハーブティーを作って飲んでいた。今はそれが立派な商品になっちゃっている。
《花の帳》には、植物の効能も記されてる。疲労回復、体調改善、整腸効果、美肌効果、減量効果、精神安定、などなど。
効能を調べながら、それらの植物の花や葉を選別して干して乾燥して、瓶に詰めて密封し寝かせ、適度に熟成させてハーブにしてた。
商会を長く営んでいたお爺様に目利きをしてもらいハーブの茶葉に値段を付けたんだけど、その価格は一般的な紅茶より一回り高額でびっくりした。
紅茶の値段は銀貨5枚以上と、平民にはちょっと高い貴族の嗜好品だ。そんな紅茶よりも更に高値だったから、最初は恐る恐る販売してた。
「こちらは疲労回復、あちらは美容効果ありますよ!」みたいな謳い文句を添えて販売していたら、心配とは裏腹にハーブの茶葉は最初は地味に売れて、暫くすると瞬く間に即売しちゃう人気商品になってた。
特に美容関係のハーブが飛ぶように売れている。
ドルマン家では「雑草を煎じて飲んでるわ」と姉様達に笑われてたけど、そのハーブの茶葉が紅茶よりも高値でぽんぽん売れてる今に、少々戸惑っていたりする。
普段は午前中に、三人で庭の植物のお世話をしたり、種を植えたりハーブを作ったり、仕入れをしたり商品を並べたり。そして、お昼ご飯を食べた正午から日が暮れるまでの半日の間、『ハニーペタル』は開店してる。
のんびり穏やかな毎日。植物を愛でるゆとりがあって、虐めてくる人もいない。
自由で温かな新生活は、とても幸せ。
えへへ〜、と今を噛みしめながら土をいじっていたら――
「お、お嬢様!」
ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきて、アネッサさんが慌てた様子で私の元に駆けてきた。
「アネッサさん、どうかしたの?」
「こ、公爵家の……エリオット様がお見えです!」
「……は、はい?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「え、ええっ!?なんで!?」
ブルームーンの夜の出来事が頭の中に一気に蘇る。
私は慌てて立ち上がると、急いで店の方へと駆け出したのだった。
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