第84話 伝承の星冠
柔らかな光が《花の帳》から溢れ、朝露をまとったような輝きを帯びながら祭壇へと静かに降り注いでいく。まるで春そのものが舞い降りたかのような優しい光景だった。
(お願い……! お願いだから……!)
普段ならこの光に包まれた瞬間、小さな命が目を覚ます。種が震え、根を伸ばし、双葉が顔を出し、花は私の想いに応えるように咲き誇ってくれる。
――だけど。
「…………」
祭壇は静かなままだった。
芽吹く気配も、生命が宿る感覚も、何一つ返ってこない。まるで世界から切り離されたように、そこだけ時間が止まっているようだった。
三度目の『芽吹き』でも、結果は変わらない。
「そ、そんな……ど、どうして咲かないの……!?」
魔力を込めるたびに光は美しく広がり、土をほんのりと包み込む。なのに生命の息吹は何も感じられない。種が目覚める手応えも、芽が動く気配も、何一つ。魔力が土に吸い込まれては、静かに消えていくだけ。
「うっ……う……」
目の奥が熱くなってきた。半泣きになりながらもう一度魔力を集めようとしていると、エリオット様の穏やかな声が頭の上から降ってきた。
「アイリス、少し休んで。三百年前に絶滅した花を蘇らせようとしているんだ——上手くいかなくても、当然だよ」
「だ、だって……星冠がないと、陛下の解毒薬が……陛下が……!」
エリオット様が頼もしい声で、はっきりと言い切った。
「星冠が無くても、必ず解毒薬の『製作図』を見つけ出す。必ずしも”王家の聖杯”そのものが必要とは限らない、他に手段があるはずだ」
「王家も、公爵家も、騎士団も、王都中の錬金術師や薬師も、皆が寝る間も惜しんで動いている。焦る気持ちは分かるが、一人で抱え込まなくていい」
「大丈夫よ~、王都中から素材が集まっているわ。貴重な物も珍しい物も続々と届いているし、エリオットが錬金術でどうにかしてくれるわよ」
振り返ると、三人が揃って温かな表情でこちらを見ていた。
「……はい!」
その言葉に元気づけられ少し息が楽になる。それでも——胸の奥はずっと締め付けられたままだった。
あと六日。
陛下が苦しんでいる。あの笑顔が色を失ったまま横たわっている。星冠さえ咲かせられれば、聖杯が作れるかもしれないのに。
「でも……もう少しだけ、試させてください」
「アイリス——」
「お願いします」
エリオット様は少し困ったように眉を寄せたが、それ以上止めなかった。
四度目の『芽吹き』。五度目の『芽吹き』。光が降り注ぐたびに土が輝き、そしてまた消える。六度目を試みようと魔力を集め始めた時、ルミエラお姉様が祭壇を見つめたまま、小さく呟く。
「……でも、おかしいわね。 星冠の種は実在しているのに、どうして三百年も咲かなかったの?」
「え?」
「何か、魔法的な干渉が施されている可能性、あるかもね」
「なるほど、封印、あるいは何らかの誓約の魔法か……咲かせるために特定の条件が必要な作りになっていた、或いは王家に伝わる未知な古代魔術で成長を止めた、という話も考えられる」
アレクシスお兄様が静かに言葉を継いだ。言われてみれば確かにそうだ。
かつての王家が枯れる程摘んで星冠は絶滅した。でも種が実在するなら、どうして三百白年もの長い間、咲かせられなかったの?
「陛下とシリウスお兄様から、王国の暗黒時代に枯れる程に摘まれたと聞きましたけど……それ以上の詳細は……」
「実際に種の状態を確認してみた方がいいね。僕が直接見てみるよ」
エリオット様がそう言い、祭壇を覗き込んだ。
「祭壇の土を掘り返して、星冠の種を見つけよう。祭壇全体を『鑑定』すると、情報量が多すぎて眩暈がする」
「で、でも……よいのでしょうか? 王家に代々伝わる神聖な祭壇ですよ? 歴代の王様が即位のたびに種を植えてきた、大切な場所ですよ?」
「事態は一刻を争う。女王陛下なら、きっと許してくれるさ」
アレクシスお兄様の言葉に、私は小さく頷いた。
慎重に、丁寧に、指先で土をかき分けていく。表面の土は柔らかくよく手入れされていた。
人差し指の深さ程掘り進めたところで——指先に、硬い感触が当たる。
「あっ……!」
恐る恐る、土を払いながら取り出す。
掌に乗せたそれは、胡桃を小さくしたような丸い種だった。表面はなめらかで、長い年月を経たとは思えないほど形がしっかりしている。
「こ、これ! 種は、ちゃんとあった!」
「実在はしたね」
エリオット様がそっと種を受け取った。金色の瞳に魔力が宿り、淡く輝く。
「『鑑定』」
私は固唾を呑んで鑑定の結果を待った。エリオット様は種を見つめたまま、眉が少しずつ寄っていき、やがて困惑の色に変わる。
「こ、これは……確かに、星冠の種だ。本物、それは間違いない」
「では、魔法的な干渉か?」
「それが……どこか不思議なんだ」
エリオット様は種から視線を上げ、首をかしげた。
「ごく普通の種として鑑定された。封印の痕跡はない。誓約の魔法も、呪詛の類も、問題は何も見当たらない。だけど、ちょっと変な感じがする」
「ちょっと見せて?」
ルミエラお姉様が手を伸ばし、種を受け取った。虹色の瞳が興味深い様子で瞬く。
「……確かに封印や誓約の魔法がかけられている様子はないわね。でも——何か不思議な感じがする。理の外側にあるような……? うまく言葉に出来ないけど」
アレクシスお兄様も難しい顔で種を見つめていた。
「魔法の干渉は見受けられないな。 妙な感はあるが……その違和感の正体が分からない」
私達は揃って首を傾げた。
期待していた答えを得られず、逆に謎は深まって、その小さな種を囲んで黙り込んだ。種は確かに実在した。形も崩れてない、封印も呪いもかかっていない。
でも《花の帳》も、エリオット様の鑑定も、お兄様やお姉様の魔法の知識も——咲かない理由を見つけられなかった。
掌の上の種は何も語らず、ただ静かに存在していた。三百年間、ずっとそうしてきたように。まるで誰かが正しい問いに答える日を待っているかのように。
「星冠……どうしてあなたは、咲きたくないの?」
呆然と種を見つめながら、私の口からぽつりと呟きが漏れた。
時間そのものを止められてしまったかのように、星冠の種は静かに眠り続けていた。
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