第83話 大事件の翌日
「う、うぅ~ん……?」
カーテンの隙間から差し込む朝の光に促されるように、私はゆっくりと目を開けた。
ふわふわとした羽根布団に半分埋もれたまま、しばらく天井を眺める。昨夜は神々しく夜空を飛んでいた女神様——ルミエラお姉様の腕が首元に絡まり、だらしない寝顔で熟睡していた。
ここはアルヴェリア家に用意された、中央塔の客室。調度品の一つひとつに品があり、ベッドの寝心地も格別だった。もっとも今の私には、そんなことを味わってる場合じゃないけれど。
(……昨日は、疲れ果てて倒れるように寝てしまったんだった)
ゆっくりと、昨夜の出来事が蘇ってくる。
(もう一日が、過ぎちゃった……)
女王が毒を盛られ生死を彷徨っている。そして犯人は第二王子クラウス殿下だった。そして、それには帝国が関わっていた。これらの一連の出来事に王城には激震が走った。
第二王子の捕縛によって、会場に拘束されていた貴族達が祝賀会場から解放されたのは、夜も深く更けた時間だった。
不安と疲労の色を顔に滲ませながら家路についた貴族の中には、早々に優秀な回復師や薬師の手配を申し出てくれた方が大勢いた。女王陛下への心配が目に見える形で集まり始めている。
事件の詳細は拘束を解いたヴァルスさんとヴィオレッタ王女にも伝えられた。アークフェルト公爵家は騎士団を率いて王城の警護と事件調査に回ることになり、真相の解明はレオンハルトお父様も一緒に彼らにお任せすることになった。
ヴァルスさんが祝賀会場で派手に立ち回ったことは、怪我人がいなかったことや当時の緊迫した状況を考慮し、沙汰は先送りとなった。
私達アルヴェリア家は、女王陛下の解毒と治療のために王城へ留まっている。中央塔には次々と薬の素材が運び込まれ、初見の素材をエリオット様が一つひとつ手に取り、《錬金の神匠》で『製作図』を探し続けていた。
そうこうしているうちに時計の針は深夜を回り、私は体力の限界で寝てしまった。
(急がなきゃ……! 陛下を早く、毒から救い出して差し上げないと……!)
お姉様の腕をそっと解き、体を起こす。窓の外には穏やかな朝の光が広がってるけど、私の心の内はちっとも穏やかじゃなかった。
◇◇◇
花々は宝石のように輝き、夜とは違う穏やかな美しさで庭園を彩っている。昨日は胸を躍らせて眺めていた景色。けれど今は違う、景色を楽しむ余裕などない。
「これが、星冠の祭壇か。神聖な感じがするね」
「はい。この祭壇の土の中に、種が眠り続けているはずです」
軽めの朝食を済ませ新たに届いた素材を一通り確認した後、昼前に私達四人は屋上の”星見の庭園”へと足を向けていた。
たった一晩で、王都中からの協力は想像を超える規模で集まっていた。王城の薬草庫はもちろん、王都の希少素材がほぼ全て中央塔へ運び込まれ、商会からも木箱が次々と届いている。
貴族家の私蔵品を提供してくれる方も大勢居て、中央塔の一室は大きな薬材庫のような様相を呈していた。騎士達が荷を運び、文官達が目録を作り、医者や回復師達が陛下の容体を注意深く看病している。
王城に居る全員が、女王陛下を救うために動いていた。それでも解毒薬の『製作図』は、まだ見つかっていない。
(もし、ここで星冠を咲かせられたら、解毒剤が作れるかも……!)
シリウスお兄様に尋ねると、王家の聖杯に関する文献はほぼ無く、肝心の材料の記録は断片的なものしか無かった。でも、その材料とされる星冠を咲かせられたらきっと状況は一変する。
ここへ来る途中、庭園に落ちていた草花の種を幾つか拾って、種から芽吹かせられるか試してみた。すると、すぐにみるみる茎を伸ばして、鮮やかな小花が咲いた。
やっぱり《花の帳》は種からでも植物を芽吹かせることが出来る……普通の植物なら。問題は三百年前に絶滅した花を、現代に蘇らせられるかだ。
祭壇の前に立つ。白大理石の縁に手を添えると、ひんやりとした冷たさが掌に伝わってきた。昨夜と変わらず豊かな土が静かに盛られている。ここに眠る種はずっと目覚めを待ち続けてるのだろうか。
「そ、それじゃあ……試してみますね」
「もし咲かせられたらお姉ちゃんがご褒美のチューをしてあげるわ、頑張って」
「…………」
「…………」
アレクシスお兄様とエリオット様が、両側からルミエラお姉様を怖い顔で睨みつけた。そんな家族を無視して私は魔力を巡らせる。
「よしっ……《花の帳》」
淡い魔力の光が私の掌から溢れ、無数の光の粒子が舞い上がる。そして私の手元へと集まり、図鑑の形を象どった。
(お願いだから、咲いて……!)
アウローラ女王陛下のことが頭に浮かぶ。私を義理の妹と呼んでくれた、あの温かさ。星見の庭園で楽しそうに笑い合い、この祭壇の前では少し寂しそうに微笑んでいた。
『アイリス、お花が好きな貴女をお誘いに来たのよ』
『この中央塔の屋上は、庭園になっているの。夜空の下で見ると本当に綺麗でね、アイリスに見せてあげたかったのよ』
――そんな方が今、命の危機に陥り、苦しんでいる。
涙を堪え、息を整えて、魔力を図鑑に収束する。いつもよりも更に深く。
「『芽吹き』——星冠!」
《花の帳》から立ち昇った魔力が、無数の光の糸となって上空へ伸び、やがて雨のように祭壇の土へ降り注いだ。土が穏やかに輝く。その光は優しく、静かで、まるで古い眠りをそっと揺り起こすようだった。
——しかし。
(う、嘘……!?)
普段は植物を生み出す時、魔力を流し込んだ瞬間に僅かに生命が宿る感覚がある。でも今は何もなかった。土はただ静かに魔力を受け取るだけで、何も返してこない。まるで器だけがあって中身がないような——そんな感覚だった。
「め、芽吹く感じが……全く、しない……!?」
祭壇を包み込んだ穏やかな光がゆっくりと薄れていく。唖然としながら祭壇を見つめる。
「も、もう一度、やってみます」
「アイリス——」
エリオット様の声を遮って、もう一度魔力を込める。土の中の種に届くように。
「『芽吹き』——お願い、咲いて……!」
再度、光が降り注ぎ祭壇が輝く。
——しかし、何も起きない。芽吹く気配も生命の鼓動も何一つ感じられなかった。土は時が止まったかのように沈黙したままだった。再び、光はゆっくりと消えていく。
「……ど、どうして?」
気づけば、震える声で呟いていた。
「どうして……咲かないの……?」
昼前のなだらかな風が、庭園を渡っていった。噴水のせせらぎが変わらず穏やかに響いている。祭壇の土は何事もなかったように静まり返り、三百年間そうしてきたように只そこにあった。
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