第79話 思わぬ綻び
「だ、団長……!」
「ヴァルス……!」
縄を持った周囲の騎士達がじりじりと包囲を縮める。ヴァルスさんは歯を食いしばったまま、それでも大剣を手放さなかった。背後のヴィオレッタ王女様が、恐怖と混乱の入り混じった目でその背中を見つめている。
「……ヴァルス、私も彼女が犯人だと決めつけてはいない」
アレクシスお兄様の声が、僅かに和らいだ。
「私はヴィオレッタ王女を痛めつけようとしているわけじゃない。我が国の王が、アウローラ陛下が毒を盛られ倒れた。今も苦しんでいる。犯人を捕らえ、動機を明らかにしなければならない」
「……」
「お前が妻を信じるなら、堂々と尋問を受けさせてやれ。潔白なら、それは必ず証明される。それが——本当の意味で妻を護ることじゃないのか」
ヴァルスさんの肩が、かすかに揺れた。
「騎士なら正しい手段で護れ」
大剣を握る手が、震えている。怒りではなく——恐れに見えた。妻が罪人にされてしまうことへの、不器用な彼の不器用な恐れ。
「ヴィオレッタは……やっていない……」
「ああ。ならば、それを証明すればいいだけだ」
沈黙が、場を包んだ。ヴィオレッタ王女様は涙を零していた。ヴァルスさんの愚直なまでの誇りは、誰の目にも本物に映っていただろう。
「ヴァルス……ご、ごめんなさい……私のせいで……」
渋々といった様子で、ヴァルスさんとヴィオレッタ王女様の両手に縄が結ばれていく。ヴァルスさんは歯を食いしばったまま黙って縛られており、王女様は唇をわなわなと震わせながら、今にも泣き出しそうな目でヴァルスさんの背中を見つめていた。
縄を結び終えた兵士が、ヴィオレッタ王女様の所持品の化粧箱の中から小さな小瓶を取り出し、アレクシスお兄様へ差し出した。薄い紫色の液体が入った、掌に収まるほどの小さな硝子の小瓶だった。
二人を連行し始めたその時、人だかりの片隅から嘲笑まじりの声が飛んできた。
「はっ——やっぱりお前がやったのか、ヴィオレッタ。アウローラをあれほど羨んでいたものな。ご苦労なことだ」
振り返ると、人波の中に第一王子の姿があった。不敵な表情を浮かべ、腕を組んで嗤っている。その視線はヴィオレッタ王女様を見下すように細められていた。
次の瞬間、ヴァルスさんがその声の方へ顔を向けた。言葉は何も発しなかった。ただ静かに——しかし全身から、ぞっとする程の凄まじい威圧を放った。
「ひぃっ……!」
第一王子が情けない声を上げ、人ごみの奥へとすごすごと消えていった。その素早さに、思わず周囲の騎士達の目が微妙に白ける。縛られたままのヴァルスさんは何事もなかったように前を向き直した。
私も傍で圧を受け、びっくりして腰が抜けそうだった。
(……さすがに、騎士団長の殺気はひと味違う……!)
◇◇◇
医務室に隣接した控室に二人を軟禁し、見張りの近衛騎士が幾重にも警備を敷く。そんな中で私達は改めて例の小瓶を囲んでいた。
エリオット様が特殊な金属糸で編まれた手袋をはめ、小瓶をつまみ上げてしげしげと眺める。薄い紫の液体は、光の角度によって濁ったように見えたり、妙に澄んで見えたりして、とにかく不気味だった。
「本当に、第二王女様が毒を盛ったのでしょうか?……私には意外で……」
思わず呟くと、アレクシスお兄様が腕を組んで答えた。
「私も意外だった。ヴィオレッタ王女は女の醜さを体現したような自尊心まみれの令嬢だが——毒杯を盛るような大それた度胸は無い」
(ちょ、ちょっとぉ……!? それフォローのつもり……?)
お兄様の言葉に頭を抱えていると、ルミエラお姉様がエリオット様の手元を覗き込みながら言った。
「本当にこれが女王陛下に盛られた毒なの? 他の妖しい薬だったりしない?」
「そうだね、まずはこの液体の中身を確認しよう」
エリオット様の瞳に、静かに魔力が集い始めた。魔力の光が金色の瞳に灯り、小瓶へと視線が注がれる。
「『鑑定』」
しばらく沈黙が続いた。エリオット様の眉がかすかに寄り、それからゆっくりと首が振られた。
「……これは毒で間違いないけど、陛下に盛られた毒杯とは——違う」
「違う、とは?」
「これは”レガリス・カリクス”じゃない」
シリウスお兄様が身を乗り出した。
「この小瓶の液体も、相当に作り込まれた危険な毒薬だ。即効性が無く、体をゆっくり蝕んでいく性質も似ている。だけど、王家の毒杯と比較すると、数段落ちる代物だよ」
「アウローラに盛られたのは、この毒じゃない……?」
「そう、これは——"レント・モルス"。緩やかな死、とでも訳せばいいか。陛下に盛られたものと無関係の毒だ。つまり彼女は毒を盛ってない。だとすれば——」
エリオット様は手袋をはめたまま小瓶を掲げ、それを光に透かして見せた。
「毒を盛った罪をヴィオレッタ王女に押しつけようとしている者が、他にいる可能性がある」
部屋の中が、しんと静まった。
「そう考えるのが自然だな……でも腑に落ちないな」
シリウスお兄様が眉をひそめた。
「罪をなすりつけるにしても、なぜ本物の毒杯とは違う毒を忍ばせた? 同じ毒を使えば、より疑いが強まるだろうに」
「それは犯人の誤算だと思う。恐らく犯人は、"正確に毒が特定される"ことを想定していなかったんだよ」
エリオット様が静かに答えた。
「毒の種類まで精密に見抜かれるとは、思っていなかった。普通は無理だからね。レント・モルスも、一般の医師ならまず見分けがつかない高位の毒だ」
「エリオットの《錬金の神匠》が規格外だったということね」
ルミエラお姉様がさらりと言った。
「ヴィオレッタ王女の所持品から怪しい毒薬が出てきた——通常はそれだけで、十分な証拠になる」
エリオット様がくすりと笑う。
「つまり、これは犯人の綻びだよ。逆に言えば、今これらの情報は僕達だけが持っている」
「——ならば、外には何も漏らさない方がいい」
アレクシスお兄様が即座に言った。
「捜査の状況も、私達の動向も、身内の間だけに留めろ。犯人に協力者がいれば、情報が漏れた瞬間に手を打たれる」
「そうだね。特に——アイリスと僕の力のことは、絶対に外部へ出さないように」
私を振り返ってエリオット様の声が、一段低くなった。
「もしアイリスが星冠を咲かせられたら……やばいよ?」
「……!? せ、戦争が……!?」
その先を想像した瞬間、全身から血の気が引いた。三百年間もの間咲かなかった伝説の花。それを咲かせたとなれば、王国も他国もどう動くか——考えるだけで恐ろしい。
「絶対に内緒にします! そもそも咲かせられるか分かりません!」
力強く頷くと、エリオット様が安心したように微笑んだ。
「ヴィオレッタ王女の話を聞いてくる。まだ推測の段階だけど、もし彼女が本当に無実なら——しばらく容疑者のままでいてもらって、黒幕を油断させてもらおう」
「それがいい、あの二人には協力してもらえ」
「真犯人にしてみると、ヴィオレッタ王女が疑われたまま事が進む方が都合がいいはずだ。こちらが真相に近づいていることを悟られなければ、尻尾を出してくれるかもね」
エリオット様はにっこり微笑んだ。
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