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勘当された泥まみれ令嬢は、公爵家に愛でられる  作者: 霞灯里
第10章 王家の聖杯

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第75話 紅の祝賀会

「……ア、アウローラ!? しっかりしろ! 誰か、誰か医師を! 早く!」


 シリウスお兄様の腕の中で、陛下の意識は既に朧げになっているようだった。それでもなお、震える唇はかすかに動き、何かを(つむ)ごうとしている。


 ——世界が、止まったかのようだった。


 シリウスお兄様の怒号にも似た声が会場に響き渡り、それを合図にしたかのように凍りついていた時間が再び動き出す。悲鳴、怒号、椅子が倒れる音、駆け寄る近衛騎士達の足音――先ほどまでの華やかな祝宴の空気は、嘘のように吹き飛んだ。


 ついさっきまで、あの御方と一緒に笑っていた。”星見の庭園”で花々を見て回りながら、子供のように目を輝かせて、一緒に庭園の花々の前で笑い合っていた。太陽のように眩しくて、見ているだけで胸が温かくなるような笑顔で。


 楽しそうな女王陛下の声が、まだ耳の奥に残っている。


 なのに今——そんな陛下が倒れていた。あれほど毅然として輝いていた人が、こんなにも儚く見えるなんて……思いもしなかった。


「陛下……っ」


 声が掠れた、喉が上手く動かない。膝が震えて、動き方が分からなくなって、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。


 女王陛下の傍に駆け寄りたいのに、足が石になったみたいに動かない。胸の奥が冷たく凍りつき、頭が状況を理解することを拒んでいた。


「アウローラ!」


 唖然として固まる私の目の前で、シリウスお兄様が腕の中の陛下に必死に呼びかけていた。蒼白な顔で、それでも声だけは張り上げて。


「アルヴェリア家、手を貸せ! 医務室に急ぎ連れていく! ヴァルス、近衛騎士と兵士を総動員しろ——来賓全員この場に待機させ、誰一人中央塔から外に出すな! 完全封鎖だ、一人残らず調べろ!」

「承知!」


 ヴァルスさんが剣を抜く勢いで駆け出していく。


(ど、毒……!?)


 その言葉が頭の中で弾けた。


 そしてこの場にはきっと犯人が居る——だから、お兄様は誰も出すなと言ってるのだ。


「エリオット、お前の力を貸せ……!」


 シリウスお兄様が悲哀と切迫の入り混じった表情で、エリオット様を見た。


「もちろんだよ、兄様! アイリス、行こう!」


 はっとする私の手をエリオット様が引いた。私はようやく彼と一緒に駆け出した。


 会場が騒然としている。先程まで音楽が流れ笑い声が満ちていた祝賀会が、みるみる恐慌の色に染まっていく。


 白衣の医者が走り、鎧の音を立てた兵士が怒鳴りながら人波をかき分ける。貴族達の悲鳴と困惑の声が、重なり合って渦を巻いていた。


 シリウスお兄様が陛下を大切な宝物を扱うように抱き上げ、祝賀会場の出口へと向かう。その腕の中で、陛下は意識を失ったまま、苦しそうに浅く、浅く、息をしていた。顔色は青ざめ、唇は白く、口の端からかすかに血が零れている。


(へ、陛下……!)


 ついさっきまで、あの口が微笑んでいた。声を上げて楽しそうに笑っていた。それが今——こんな血の気の引いた色をしている。


 私を義理の妹と呼んでくれた。貴族家を勘当され、アルヴェリア家の養女になったばかりの私を、一度も値踏みするような目で見ることなく、ただまっすぐに名前を呼んでくれた。


 星見の庭園に連れてきてくれたのも、陛下だった。「花が好きな貴女に見せたかった」と、それだけの理由で。特別な場所に私を招いてくれた。


 魔力花の光に目を輝かせる私を見て、陛下は声を上げて笑ってくれた。その忖度(そんたく)の無い笑い声がどれほど嬉しかったか。


 陛下は、何かを求めていたわけじゃなかった。見返りを期待していたわけでもなかった。ただ、私と仲良くしたい——あの笑顔はそう語っていた。


(どうして……!?)


 威厳があった。笑うと眩しかった。でも、シリウスお兄様を見る目は乙女になっていた。


 その全部が今この瞬間、ひどく遠いものに感じられた。それでもただ祈ることしかできない自分が——ひどく無力に感じた。




 ◇◇◇




 医務室は会場のすぐ傍に位置していた。


 シリウスお兄様が陛下を大きなベッドにそっと横たえる。その動作があまりにも丁寧で、あまりにも痛ましくて、見ていられなかった。


 ベッドに沈む陛下の顔は血色が嘘みたいに失われていた。呼吸が浅く不規則で胸が締め付けられる。あれほど場を支配していた存在感が、みるみる薄くなっていくようで恐ろしかった。


 医者が取り乱しながら進み出ようとしたその時、エリオット様が静かに前へ出た。


「僕が診ます。これは毒だ——《錬金の神匠(デウス・アルケミア)》で、詳しく診断できる」


 シリウスお兄様がエリオット様を見て、短く頷いた。


「頼む、エリオット」


 その一言にどれほどの重みが込められていたか。普段は毅然としているシリウスお兄様が、声も体もかすかに震えていた。


 エリオット様の目に、静かに魔力が集い始めた。金色の瞳がほんのりと輝く。


「『鑑定(アナライズ)』」


 短い呟きとともに、その目が陛下の身体をゆっくりと走る。エリオット様の眉がかすかに寄り、それから酷く険しくなった。


「……こ、これは……」


 エリオット様の顔が驚愕に歪む。


「こんな毒薬が……存在しているの? 見たことも、聞いたことも無い……!」

「エリオット……何か分かったのか?」


 シリウスお兄様の声が、低く落ちた。


「……恐ろしいほど精巧に作られた、強力な毒だよ——即効性じゃない、体を少しずつ、少しずつ内側から壊していく毒だ」

「な、なんだと……!?」


 エリオット様は少し言葉を迷わせた。その沈黙が事の大きさを何よりも雄弁に語っていた。


「約七日——陛下は、七日後に死に至らせられる毒に侵されている」

「……!?」


 絞り出すような声だった。部屋の中の空気が凍りついた。誰も声を出せずに、息をするのを忘れていた。


「毒の名は……"レガリス・カリクス"。あまりにも最悪で凶悪な毒だ」


 その名を告げた瞬間——シリウスお兄様の顔色が変わった。さっきまで必死に感情を押し留めていた表情が崩れる。目が見開かれ、唇が微かに動いて、それから呟きが漏れた。


「う、嘘だろう……アウローラは毒杯を飲まされたのか……!?」

この物語を読んで頂き有難うございます。

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