第74話 夢の見方
「お、お前は、もういいっ! じゃあそこの小さい方、私と踊れ!」
「……はっ、はいい!?」
矛先が今度は私に向かい、第一王子は鋭い視線を私に投げながらそう言い放った。
(えっ? わ、私ぃ!?)
まさか私に標的を変えるとは!?
しかしその瞬間、私の周りの温度がすっと一気に下がったような気がした。ローデリック殿下もまた、その異変に気づいたのだろう。目を見開いたまま、小刻みに震え始める。
「あっ……ああぁ……!?」
「私の可愛い妹を誘うなんて、ゴブリンのくせにいい度胸してるわ」
ぞくりとするほど冷たい声音。お姉様の纏う空気が、それまでの呆れ混じりの余裕から、明確な怒りへと一変したのが肌で分かった。
震えながら腰が抜けたように、ストンとその場に尻餅をつく第一王子。煌びやかな正装が台無しになるのも構わず、彼はただ呆然と私の後ろにいるお姉様を見上げていた。
(な、なあに!? 私の後ろで一体、何が起こってるの!?)
ざわざわと、遠巻きに様子を窺う貴族たちの視線が突き刺さる中、お姉様のくすりと笑う声がきこえた。
「身の丈に合った夢を見る事ね。早死にしたくないでしょ」
身の丈って……早死にって……相手は曲がりなりにもこの国で最も尊い地位にあるお方ですけど!?
そんな物騒な台詞、許されるの!?
盛大に戸惑いながらもお姉様に促されるまま、ガタガタと震え続けるローデリック殿下の横を堂々と通り過ぎる。
「……アウローラ、なんであいつばかり良い思いしてんだ……! クソがぁ……!」
(……??)
すれ違いざま、酷く悔しそうな震える低い声が聞こえたけれど、私達は無事アルヴェリア家の円卓へと帰還した。
◇◇◇
ちょうどお客様方を捌ききった三人が、疲れた顔をしながらも温かく迎えてくれた。
長時間続いた社交のせいか、いつも涼しい顔をしているエリオット様の口元にも、うんざりとした隠しきれない疲労の色が滲んでいる。
「お帰り、アイリス。庭園は楽しかった?」
「ええ、すごく! 陛下に思う存分、見させてもらいました! 薔薇のアーチも、噴水も、周りの夜光花も、とっても綺麗な庭園でしたよ!」
思わず興奮気味に話してしまう私に、エリオット様は目を細めて苦笑する。
「祝賀会は深夜まで続くけど、僕達はもう少したてば失礼させてもらおう。これ以上の社交は気力が持たない」
「ああ、十分すぎるほど貴族の仕事はした、もう御免だ。次に握手を求めてきたら床に放り投げる自信がある」
面倒臭そうな表情を隠しもしない兄弟の様子に、私はつい笑ってしまった。でもこうやって文句を言いながらも、結局最後まできっちり仕事をこなすのだから、立派だと思う。
会場を優雅に見回っていたアウローラ女王陛下も、シリウスお兄様を伴って円卓へと戻っていらした。
歩みひとつ、佇まいひとつをとっても、優雅で美しく、それでいて何者にも侵されない威厳を放つ、まさに王たる者の姿である。
陛下は円卓への階段を歩きながらも私達一人一人に柔らかく微笑みかけ、それから静かに自席へと腰を下ろされた。
やっぱり、この方の纏う空気は特別だ。同じ王族でも、第二王女様や、あの第一王子様とはまるで違う。
真っ直ぐに前を見据えるその瞳には、驕りも媚びもなく、ただ民と国を背負う者だけが持つ、静かで誠実な光が宿っている。私はこっそりと、そんな陛下の横顔に見惚れていた。
「そういえば、さっきお姉様が第一王子に声をかけられたんですよ」
「あろうことか、アイリスまで誘おうとしてたわ。しかも周りに聞こえるような声で、堂々とね」
(ちょっ!?)
ルミエラお姉様が眠たげに爆弾を投下した。
「ほう……? いい度胸だな」
ピシィッ!
レオンハルトお父様の手にしていたワイングラスに、まるで氷が割れる時のような蜘蛛の巣状のひびが一瞬にして走った。中の赤ワインが、ひびの隙間からじわりと滲み出す。
(わあああぁ!? 言わなきゃよかったぁぁぁ!)
「……あの馬鹿で我儘な、最低な放蕩王子か」
アレクシスお兄様の声のトーンが、二段階くらい低くなった。地を這うような声だった。
「第一王子って誰? どんな人か知らないなぁ、知りたくも無いけど」
「ゴブリンに似ていたわ、どこにでもいそうな顔立ちだったもの。あらごめんなさい、ゴブリンに失礼ね」
エリオット様の感情の無い呟きに、追撃のようにえらい事を言い出すお姉様。流石に失礼だと思う。
家族は各々、目を妖しく光らせ笑っている。その笑顔が一番怖い、先程のドルマン家の対応が思い出される。焦る中、四人の視線がまるで獲物を探す肉食獣のように、ゆっくりと会場中を彷徨い始めた。
「い、いやっ! ルミエラお姉様が既に追い払ってくれたので、もう大丈夫です!」
この人達、本当に一度火がつくと暴走するんだから! 止めなくては!
私は慌てて両手を振りながら、家族を宥めにかかった。こういう時に皆を放置すると大変なことになると、私はしっかり反省したのだ!
「大丈夫の意味を勘違いしているようだね、アイリス。僕達が大丈夫にしてあげるから安心して」
「安心できません! 笑顔が怖いです、笑顔が!」
一気に殺伐とし始めた円卓の空気に、私一人があわあわと動揺していた、その時だった。
パリィーン!
すぐ近くから、まるで世界の均衡が崩れるような、鋭いガラスの割れる音が響いた。
その音に導かれるように、私達は一斉に振り返る。喧騒に満ちていたはずの会場が、次の瞬間には水を打ったように静まり返った。
その視線の先――アウローラ女王陛下が、驚いたように大きく目を見開いたまま、身体を小さく震わせていらした。ワイングラスが床に落ちて砕け散り、赤い液体が絨毯にじわりと広がっていく。
それはまるで、これから起きる惨劇を予告する、不吉な染みのようだった。
陛下の呼吸が、浅く、荒くなっていく。そして――白磁のように白い頬に、一筋、鮮やかな赤が伝った。唇の端から零れ落ちたのは、紛れもなく血の雫だった。
(えっ……?)
頭が理解を拒んでいる。あまりのことに、目に映るもの全てが、ひどくゆっくりとした動きに見えた。周りの貴族達のざわめきも、悲鳴も、まるで水中で聞いているかのように遠く、くぐもって届く。
「アウローラ!?」
シリウスお兄様が叫んだ。
ふらり、と。あれほど凛として、誰よりも真っ直ぐに立っておられた陛下の身体が、糸の切れた人形のように傾いていく。
シリウスお兄様が椅子を蹴倒す勢いで飛び出し、崩れ落ちる寸前の陛下を必死の形相で抱きとめた。
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