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勘当された泥まみれ令嬢は、公爵家に愛でられる  作者: 霞灯里
第10章 王家の聖杯

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第72話 失われた儀式

「せっかくだから、祭壇を見に行きましょうか。アイリスなら、もしかすると何か分かるかもしれないし」

「え……?」


 私に何か分かるの?


「貴女の《花の帳(フローラル・レコード)》の事は、聞いているわ」


 首を傾げながら、陛下に促されるまま歩き出す。祭壇へと向かいながら、陛下はふと私達の髪飾りへ視線を落とした。


「……"白星花(アステリア)"、亡きアルヴェリア夫人のお国の花。こうして見ると、本当に綺麗ね」

「そ、そうですか? 可愛いですよね? この髪飾り、気に入ってるんです」

「あげないわよ、アイリスとお揃いなんだから」


 えへへと思わず顔が綻ぶ横で、お姉様が虹色の瞳でじとっと陛下を見つめた。


「このグランディール王国にも、かつて国花が存在したのよ」


 陛下の声が、少し遠くなった気がした。


「えっ? かつて……? ということは、今は無いのですか?」

「ええ。咲かなくなってしまったの。もう、三百年も昔のことだけれど」


 ——三百年。


 気の遠くなるような時間だった。


 やがて祭壇にたどり着く。小さな石段を三段ほど上がった先に広がるそこは、白い大理石で作られた静謐な空間だった。他の場所とは空気が違う。音も、風も、ここだけそっと切り取られたように静かだった。


「神秘的なところね、時間が止まってるみたい」


 ルミエラお姉様の言葉に深く頷いてしまった。時の流れに取り残されたような、不思議な美しさがある。


 中央に鎮座する祭壇は、一見するととても大きな棺のような形をしていて、一瞬どきりとした。近づくほどにずっしりとした荘厳さが増してくる。


「これは……花壇、ですか?」

「ええ、そうよ」


 棺のように見えたそれの内側を恐る恐る覗き込むと、豊かに耕された土がこんもりと盛られていた。けれど花も草も、何一つ芽吹いてはいない。一面の茶色い土が、静かに沈黙している。


「三百年間、何も咲いてない花壇だ」


 シリウスお兄様が寂しそうな声で呟いた。陛下がその隣で、静かに語ってくれる。


「花の名は、”星冠(スター・クラウン)”。王冠を象ったような形の、この国、この王城にしか咲かない伝説の花と言われているわ。祝賀会の名前も、この会場の名前も、すべてこの花に由来しているのよ」


 星冠(スター・クラウン)


 私は心の中でその名を繰り返した。初めて聞いた名前の花だ。


「……いつから、咲かなくなったのですか?」

「三百年ほど前。ちょうどこの王国が、最も暗い時代を迎えた頃よ」


「三百年……そんなに昔に?」

「古い言い伝えでは、星冠は"正しき王国の映し鏡"と呼ばれていたの」


 陛下はゆっくりと、祭壇の縁に指先を触れた。石の冷たさを確かめるように、そっと。


「王家が民を愛し、国が正しき道を歩む時——この花は満開に咲き誇り、その輝きで夜空の星々と語り合うのだと、詩に残っているわ。星冠咲けば、国は星の祝福を受けると」

「……もしかして、暗い時代って……?」


 陛下は少し悲しそうに目を伏せた。


「王家が傲慢になり、民を省みず、血で血を洗う争いや戦争に身を投じるようになった、暗黒の時代ね。その時徐々に徐々に……枯れていったと、古い文献に記されているわ」

「そ、そんな花が……ここに咲いていたんですね」


 王家に伝わる伝承の花、どういう花だったんだろう。


「正しき心の前にしか咲かない花——そう囁かれているの。星冠(スター・クラウン)は、見る者の心を映す花……」


 しんと静まり返った夜の庭に、噴水のせせらぎだけが聞こえていた。


「この祭壇は、その星冠を祀るために作られたもの。そして代々、即位した王はここへ来て種を植えるのよ。今でもささやかに行われているわ」


 私はどこか寂しげに佇む棺の花壇を眺めた。


「それがこの国の王家に伝わる、即位の正統な儀式の一つだったの。 もう、人々から忘れ去られているわ。かつてはここでは大勢の人が集まり、盛大に儀式が執り行われていたそうよ」

「もしかして陛下も……植えられたのですか?」


「ええ。身内と関係者だけで、ひっそりとね」


 陛下はかすかに苦笑した。


「私が至らないのか、ご覧の通り咲いてないわ。もうこの伝承の花は、永遠にこの世に戻らないのか……それとも、唯の御伽噺(おとぎばなし)だったのか……」


 その声に滲む静かな悲しさに、私は何も言えなかった。


「でもね、種だけは王家がずっと大切に保管してきたの。実存してるのよ。三百年間、一度も芽吹かないままね」

「……スキルを使わせて頂いてもよいでしょうか? 《花の帳(フローラル・レコード)》には世界中の植物の情報が載っていますので、”星冠(スター・クラウン)”の事も何か分かるかもしれません」


「ええ、是非。星冠(スター・クラウン)のことを知りたいと思っていたの」


 皆の視線が集まる中、許可を得た私はいつものように意識を集中させた。光の粒子と共に《花の帳(フローラル・レコード)》が現れる。生み出す力は秘密だけれど、植物辞典を呼び出せることは既に広く知られている。問題ない。


「《花の帳(フローラル・レコード)》——”星冠(スター・クラウン)”を見せて」


 …………。


 満天の夜空の下、静寂だけが流れた。


「……あれ?」


 ——沈黙。


 《花の帳(フローラル・レコード)》が、何の反応も示さなかった。ページが開かれる気配も、光が生まれる感覚も、何もない。


 図鑑への呼び掛けは確かに届いたはずなのに、まるで——そんな花は知らないとでも言うように、静かに拒絶されたような感覚だった。


 もう一度、念じてみる。


「……《花の帳》、星冠を見せて!」


 …………。


 やはり、何も起きない。私は暫らく呆然とした後、深々と頭を下げた。


「これは……ご、ごめんなさい」


 私はゆっくりと顔を上げ、アウローラ女王陛下を見た。


「《花の帳》は、この世界に存在する植物であれば、どんな珍しい花でも記録されています……ですが、星冠については、何の情報も出てこないのです」


 陛下が、静かに目を細めた。


「……そう」

「《花の帳》に記録されていないということは、おそらく 星冠(スター・クラウン)は……この世界のどこにも存在していないのだと……思います」


 絶滅してしまった。又はお伽噺だった。


 その言葉を口にする勇気はなかったけれど、陛下にはきっと伝わったと思う。紫紺の瞳が悲しそうに揺れた。夜風が庭をそっと渡っていき、噴水の音だけが変わらずに響いていた。


 やがてシリウスお兄様が、ゆっくりと口を開いた。


「もし本当に存在するなら、正しき心に応える花であるのなら……アウローラが植えて咲かないはずがない」

「……ふふ、やっぱり貴方は優しいわ、シリウス」


 少し寂しそうに微笑むアウローラ女王陛下。静かな祭壇の土は、三百年間ずっと——何かを待ち続けているように、ただ静かにそこに在った。

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