第71話 星見の庭園
舞踏を終えて、会場中から降り注ぐ拍手に会釈を返しながら円卓へ戻る。途中、アークフェルト家の円卓から感じる二つの重たい視線に目を逸らし、気付かないふりをして円卓へと戻った。
(ふぅ……お、終わったぁ)
心の中で大きく息を吐く。
これだけ大勢の貴族の前で踊るなんて、一生分の緊張を使い切った気がする。まだ胸がどきどきしていて、頬の熱もなかなか引かなかった。
しばらく経って平静を取り戻した頃に、階下から数人の令息令嬢が恭しく私達の円卓にやって来た。彼らはアレクシスお兄様の前に整列し、涙声を届けた。
「だ、団長! お久しぶりです! ご無事にお戻りになられて……本当に、良かったです……!」
「お前達……久しいな」
その中の一人が、目を赤くしながら訴えるように続ける。
「王宮に戻って来て頂けませんか? 私達には、貴方が必要なんです!」
(この方達は王宮魔術師の方々……?)
アレクシスお兄様の昔の同僚のようだった。お兄様は少しだけ目を細め、それから穏やかに、でもはっきりと首を振った。
「気持ちは嬉しいが、私はもう団長ではない。これからはアルヴェリア家の軍を担う。それが今の私の役目だ。すまない」
優しく答えるお兄様。
「お前達なら大丈夫だ。私が育てた魔術師だろう?」
その一言だけで、彼らは堪えていた涙を零し始めた。すごく慕われているのね。
「レオンハルト閣下、お帰りなさいませ。ご帰還を心よりお祝い申し上げます」
そして少し離れた場所では、レオンハルト様が昔なじみっぽい貴族の方々と談笑されていた。傍らにエリオット様が凛々しく立っている。
「これが次期当主のエリオットよ。優秀すぎて困るほどの、自慢の息子だ」
「エリオット・アルヴェリアです。若輩者ではありますが、どうぞ宜しくお願い致します」
深々とお辞儀するエリオット様の横顔はすっかり貴族の顔をしていた。多くの視線が自然とエリオット様へ集まり、令嬢達は頬を染め、令息達は真剣な表情でその姿を見つめている。
(……すごいなぁ、エリオット様)
自然と胸の奥が熱くなる。彼は本当に立派だ。
見渡すと会場のあちこちでも社交が本格的に始まり、貴族達が互いに挨拶を交わし、新たな縁を結び始めていた。これが貴族社会なのだ。私は静かにその光景を眺め、小さく身震いする。
(やだぁ……)
ルミエラお姉様が隣にいるから、ひとまず安心だ。遠巻きにすごく見られてるけど、彼女があまりに神々しすぎて誰も近づけないようだ。そう思ってた時に——。
「舞踏すごく良かったわ! 美しくて可愛らしくて、本当に感動したわよ!」
快活な声が、すぐ後ろの方から飛んできた。
「うわわっ!? へ、陛下!?」
思わず立ち上がって振り返ると、アウローラ女王陛下がシリウスお兄様を連れて立っていらっしゃった。顔が……女王じゃなく、完全に乙女のそれだ。もう隠す気が一切ないらしい。
「アイリス、お花が好きな貴女をお誘いに来たのよ」
「え……っ?」
思わず前のめりになった。
「この中央塔の屋上は、庭園になっているの。夜空の下で見ると本当に綺麗でね、アイリスに見せてあげたかったのよ」
「そ、そうなんですか!? 見たいです!!」
気が付いたら体を跳ねさせながら言っていた。
「"星見の庭園"と呼ばれているわ。ね、一緒に行きましょっ。社交は退屈でしょう?」
「わあああ、いいんですか!? 行きたいです!」
アウローラ女王陛下は太陽のように笑った。この御方もあまり社交がお好きではないのかな……なんだか親近感が湧いて更に好感度が上昇する。
「アイリスが行くなら、私もいくぅ」
隣の女神が、眠たげに虹色の瞳を瞬かせた。その声を聞いて、来客に捕まっていたはずの二人が、ぱっと焦った顔で振り返った。
「ちょっ……!? ずるいよ姉様!!」
「待て、待て待て! ここを代わってくれ!!」
ルミエラお姉様は、その二人に向かってゆったりと勝ち誇った笑顔を向けた。
「あら、貴方達はお客様がいるんでしょう? ここは私がアイリスの護衛を務めておくわ」
「くっ、小賢しい……!!」
「してやられた……っ!」
お姉様はそっと手の甲を口に添えて、ほんの少しだけ顎を上げた。
「そこで指をくわえて、お仕事してらっしゃい。ホーホッホ」
悪役令嬢みたいな高笑いのルミエラお姉様。こんなに優雅にこなせる人が他にいるのだろうか。
シリウスお兄様と二人、ジト目で三人を眺めながら私は思った。
◇◇◇
「わあ……」
中央塔のバルコニーへと出ると、夜の冷気がふわりと頬を撫でた。
見上げれば、夜空に星が満ちている。都の夜空にしては驚くほど澄んでいて、大粒の星がいくつも瞬いていた。
「きれい……」
「でしょう? 私もここが好きなの」
アウローラ女王陛下が目を細めた。
バルコニーには、私達以外にちらほらと人がいた。どうも示し合わせたようなお二人ずつで——。
(あっ……こ、ここは……恋人が集まるとこ!?)
さりげなく視線を外したけれど、耳まで熱くなるのは止められなかった。そそくさと前を向いて歩いていると、女王陛下が手招きしてくれた。
「屋上への階段はこっちよ。おいで」
足を向けると、バルコニーの奥に石造りの階段があった。一段目には精緻な透かし彫りが施された鉄柵の門があり、騎士が二人、門番のように直立している。
「……もしかして、特別な場所なんですか?」
「そうよ。王家の許可を得た者でないと入れないの。もちろんアルヴェリア家は入れるわ」
騎士達が恭しく礼をして扉を開いた。螺旋を描く石段を一段一段登っていくと、踊り場ごとに小さな鉢植えが置かれ、白や淡い青の花が揺れていた。すれ違う風が花の香りを運んでくる。
登り切った先に、もう一つの門があり——その向こうに大きな庭園があった。
「わあああっ……! 綺麗!」
「でしょう? 窮屈な王城の中で、私が一番好きな場所よっ」
塔の頂上とは思えない豊かな緑が、視界いっぱいに広がっていた。
整えられた花壇の縁には白い玉砂利が敷かれ、その間を縫うように小石の小道が続いている。花壇には見慣れた草花に混じって、珍しい品種も咲いていた。背の低い常緑樹が等間隔に並び、まるで緑の回廊のようだ。
そして——あちこちが、ほのかに光っていた。青白く、あるいは淡い金色に。魔力を宿した花も多く咲いていて、夜の中で静かに輝き、まるで地上の星座のようだった。
「すごいですね、塔の屋上にこんな庭園を作っちゃうなんて!」
「ずいぶんと古い時代からあるそうよ」
視線を中央に向けると、白い石造りのガゼボが夜空の下に浮かび上がっていた。柱に絡まる薔薇が光を帯びて、傍らに噴水が水を噴き上げている。
私の顔を覗き込んで、ルミエラお姉様が可笑しそうに笑った。
「ふふっ、アイリス、見とれすぎて涎が垂れてるわよ」
「え……あっ!」
慌ててハンカチで口元を押さえた。ほ、本当に垂らすんだ私……。
ガゼボに続く小道を歩きながら、女王陛下がおっしゃった。
「ここでね、シリウスにプロポーズして結ばれたのよ」
ばっと見上げると、シリウスお兄様が少し照れたようにはにかんでいた。
「まあ、色んな場所で十回くらいプロポーズしたんだけどね!」
「……そういう話は伏せておいてくれ。こっちまで恥ずかしくなる」
十回……第二王女殿下といい、王家の方々は本当に情熱的みたい。
「そういう意味でも、この庭園は私にとって特別な場所なの」
「そ、そんな大切な場所に……連れて来て頂きありがとうございます」
太陽のように明るい笑顔が返ってきた。温かい人だ。
ガゼボにあるベンチに腰を落ち着けようとしたその時——庭園のさらに奥の静かな一角に、白い神秘的な祭壇があった。
「……あの祭壇は、何をする場所なんですか?」
何か惹かれるものがあって、気が付いたら尋ねていた。女王陛下は少しだけ間を置き、それからゆっくりと、どこか悲しそうな笑みを浮かべる。
「廃れてしまった、王家の儀式の祭壇よ」
夜風が吹いて、光る花々がそっと揺れた。
「もう王家以外に知る者は、ほとんどいないでしょうね——」
その言葉の重さが、静かに胸に落ちた。
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