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勘当された泥まみれ令嬢は、公爵家に愛でられる  作者: 霞灯里
第10章 王家の聖杯

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第69話 舞踏会

「美味しぃ……!」


 思わず声が漏れてしまう。これが王城の料理なのね!


 私は穏やかな歓談の合間に、芳醇(ほうじゅん)な香りを放つ料理の数々に舌鼓(したづつみ)を打っていた。口の中でとろけていくような、絶妙な火加減で仕上げられた肉料理の余韻に浸っていると、やがて楽団の奏でる旋律がそっと色を変える。


 先程まで食卓を彩っていた優雅な室内楽(しつないがく)から、徐々に拍子が体が自然と揺れたくなるような舞踏曲へと移ろっていく。


「舞踏会の時間だね」


 エリオット様が穏やかな声で教えてくれた。


「あらぁ……?」


 気づけば会場の中央から人波が潮が引くように左右へ分かれ、広い大理石のホールが姿を現していた。シャンデリアの光を受けて床が鏡のように輝いている。


「最初の曲は、陛下とシリウス兄様が踊るよ」

「まあ! 楽しみですね!」


 エリオット様の言葉に、私は思わず背筋を伸ばした。弾んだ声で言うと、隣に座るアレクシスお兄様が口の端をわずかに持ち上げて、面白そうに微笑んだ。


「そして二曲目は、ヴァルスとヴィオレッタ王女の番だ」

「……そ、それは……!?」


 思わず言葉が詰まってしまった。不安が胸の奥からじわりとにじみ出てくる。


(だ、大丈夫かしら……?)


 胸の奥がざわつき、視線がすうっとアークフェルト家の円卓へ流れた。


 その先では、ヴァルスさんとヴィオレッタ王女様が、まるで羨むような暗い瞳でこちらの円卓をじっと見つめていた。祝宴の華やかさとはかけ離れた、異様な重たい空気を纏っている。


 ヴァルスさんは私と目が合うなり、顔が一瞬で林檎のように赤く染まった。慌てて視線を逸らすその様子は、感情を隠すことに慣れていない武人の正直さそのものだった。


 一方のヴィオレッタ王女様は、ねっとりとした眼差しをアレクシスお兄様へ向け続けており、その瞳の奥に滲む執着の色は、並の令嬢のそれとはまるで異なる深さと(くら)さを持っていた。


 二人共、妙に熱のある暗い眼差しでアルヴェリア家の円卓を見ている。


(ひいいぃ……! こわい!)


 貴方達は新婚の御二人ですよ!? 今夜の主役ですよ!? もう少し、仲睦(なかむつ)まじいご様子を見せて頂けないでしょうか……!? そう心の中で叫ぶ私。


「それはちょっと面白そうね」


 虹色の宝石を煌かせながら、ルミエラお姉様がくすりと笑った。


「お姉様、楽しまないで下さい……」


 苦言を呈しているうちに、王家の円卓から動きがあった。


 シリウスお兄様がすっと立ち上がり、アウローラ女王陛下へ恭しく手を差し伸べる。陛下はその手をとって、ゆるやかに立ち上がった。


 お二人が階下のホールへ向かう。陛下のお召し物は深いガーネット色のドレスで、丈は床まで届き、裾には金糸の刺繡が施されている。歩くたびに裾が滑らかに流れた。


 ホールの中央でお二人が向かい合い、一瞬だけ静寂が落ち、それから楽団が音を解き放った。先程よりも一層華やかな、祝典にふさわしい荘厳な曲調だった。


 女王として凛と前を向いていたアウローラ陛下のお顔が——この瞬間、切ない憂いを帯びたしおらしい微笑みに、柔らかく細められた潤んだ瞳に、頬はほのかに赤く、すぅっと変化した。


 それはどう見ても、好いた相手の前で見せる、乙女の顔だった。


(か、隠して……! 陛下、それは隠してください……!)


 皆が見ておりますよ、と心の中で叫んでいる間に、二人はすでに舞い始めた。


 流れるように、水面を滑るように、二人の動きが一つになっていく。シリウスお兄様が導くと、陛下の赤いドレスの裾が弧を描いて跳ね、金色の髪が蝶の羽根のようにふわりと広がる。


 ターンのたびに宝飾品が光を散らし、まるで舞台の上の幻想画を見ているようだった。会場のあちこちから、感嘆のため息が漏れ始める。


「……わあ……綺麗……!」


 気づけば私も呟いていた。シリウスお兄様は終始わずかに微笑みを浮かべたまま、慣れた所作で陛下をエスコートし続けている。二人の間には言葉がなくても、確かに交わされているものがあるように見えた。


「……これ以上無い程、お似合いですね。なんて素敵なお二人なんでしょう」


 やがて曲が最後の音を奏でると、二人はぴたりと動きを止め、フィニッシュの姿勢を取った。


 シリウスお兄様が陛下の手をとって恭しく一礼し、陛下が優雅に会釈を返す。会場から割れんばかりの拍手が起こり、私も立ち上がって手が痛くなるほど拍手した。


 すると――拍手がまだ鳴り止まぬうちに、楽団が二曲目を奏で始めた。先程の華やかさとは一変して、ゆったりと落ち着いたバラードだった。


(つ、次は……)


 アークフェルト公爵家の円卓から、ヴァルスさんがゆっくりと立ち上がった。ヴィオレッタ王女様へと手を伸ばし、エスコートしながら階段を降りていく。その間も二人は、ちらちらとこちらの円卓へ視線を向けていた。


 ヴィオレッタ王女様の表情には笑顔がなかった。悲しみと言うよりも、痛みとでも表現した方が近いような、滲み出る悔しさを秘めた表情をされている。その光の無い瞳が向かうのはアレクシスお兄様だ。


 しかし、お兄様は決してヴィオレッタ王女様を見なかった。


 唇をかすかに噛みながら階段を降り、ホール中央に立つ第二王女様。新婚の晴れ舞台であるはずなのに、まるで世界中の悲しみを一身に引き受けたような、そんな佇まいだった。


(う、うわぁ……悲劇のヒロインみたい……)


 そして二人は、曲に合わせて動き始め——


「あいたっ」

「あっ、す、すまん!」


 ヴァルスさんが、ヴィオレッタ王女様の足を踏んだ。


「ちゃんとして下さいませ!」

「い、いや……舞踏は、どうも……苦手でな……」


 身体の大きな武官が、石像のようにぎこちない動きで王女様をリードしようとしている。何もかもが剣術の訓練で培われた体の動かし方と、舞踏が噛み合っていない事が傍目にもわかった。


 音楽の流れに乗れずどこかカクカクとした、ある種の宗教的祈りを連想させる独特の舞踏が展開され始める。皆が堪え切れないように一斉に吹き出した。


 私は必死だった。絶対に笑っては、いけない。


(ヴァルスさん……練習してこなかったのですか……!?)


「ヴァルスは不器用な男でな。剣以外のことは、大概何一つまともにできんのだ」


 アレクシスお兄様が口元を手で隠しながら、のんびりと言った。


「ええ……それであの舞台に立たせるなんて、可哀想ではないですか?」

「断らなかったのは、あいつ自身だ。いい所を見せたかったんじゃないか?」


 一生懸命に踊るヴァルスさん。不器用で、不恰好で、それでも一生懸命に。対するヴィオレッタ王女様は、羞恥に顔を赤らめながら彼を叱咤(しった)している。


 そして彼女の瞳が、再びアレクシスお兄様へと向いた。悲しみと、未練と、後悔と——憧憬と。読み取れないほど複雑に入り混じった昏い瞳で、彼女は見ていた。


 しかしお兄様は彼女へ視線を返すことなく、グラスを口元へ運んだ。


(うーん……)


 アレクシスお兄様は女性が苦手で、かつて第二王女様に猛烈に追い回され、心底嫌な思いをしたと聞いている。嫌々ながら婚約し、病気になった途端に破棄された事も。


(もし彼女が、病気のお兄様に寄り添って献身する選択をしていたら——幸せな未来があったのかしら?)


 考えても仕方のない事だけど、そんな思いが頭をよぎった。

 二人の間にはあまりにも大きすぎる壁がある。


 やがて二曲目が終わると、会場からは温かい拍手が送られた。ヴァルスさんは頭をぽりぽりとかき、ヴィオレッタ王女様は恥ずかしそうに(うつむ)いた。


 三曲目以降は誰でも自由にホールへ出てよい時間になるみたいで、楽団の奏でる曲も軽やかさを増し、あちこちから立ち上がる姿が見える。


 ヴィオレッタ王女様がこちらをじっと見つめながら階段を昇ってくる。そんな中、私の手に温かい感触があった。


「アイリス。折角の機会だ——私と踊らないか?」


 顔を上げると、アレクシスお兄様が立ち上がり、手を差し伸べながら私を見ていた。


「は、はえっ……?」

この物語を読んで頂き有難うございます。

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