第66話 アルヴェリアの裁き
先程までの喧騒が嘘のように、この場には不気味な静寂が広がっていた。
聞こえてくるのは、床に這いつくばったドルマン家の者達の荒い息遣いと、全身の震えによって濡れた礼服やドレスの布地がかすかに擦れる湿った音、そして恐怖で噛み合わない歯が打ち鳴らされる乾いた音だけだった。
ほんの一瞬だった。けれど、ルミエラお姉様の魔法で苦しむ元お姉様達の姿は強烈な衝撃となり、ドルマン家全員の心を完全にへし折ってしまった。
誰一人として立ち上がれず、床に手をついたまま顔色を失い、ただ怯えきった瞳をこちらへ向けている。そんな彼らを見下ろしながら、エリオット様はにこやかな微笑みを浮かべていた。
けれど、その瞳にはいつもの優しい光はどこにもなかった。
「君達はこの期に及んで、アイリスが嘘を吐いてアルヴェリア家を騙し、ドルマン家を陥れた……そう言ったね?」
「ひっ……」
元母様が小さく悲鳴を漏らす。
エリオット様の笑みまで、消えた。背筋が寒くなるほど冷たさを感じる。
「僕達はアイリスから、ドルマン家の話を何一つ聞いていないんだ。それなのに、どうやってアイリスが僕達を騙せるんだい?」
「……へっ?」
四人揃って間の抜けた声を上げた。理解が追い付かない、そんな顔だった。
「頭が悪いみたいだから、もう一度言うよ?」
エリオット様は淡々と告げる。
「アイリスからは、ドルマン家の悪口も、恨み言も、愚痴も文句も、一度だって聞いていない。どれだけ家族に酷い扱いを受けたのか、どんな言葉を浴びせられたのか、どれほど惨めな思いをしたのか……何一つ聞いていないんだ」
その言葉に、ドルマン家だけではなく周囲の貴族達までもが驚きの表情を浮かべた。ギギギ……と壊れた時計のように元家族が私を振り返る。
そして私自身も、目をぱちくりさせてしまう。
(あれ……? そういえば、私……話したことあったっけ?)
考えてみれば、元家族の話をした覚えがない。あえて言えば、お姉様とお風呂で話した時くらい?
するとエリオット様は、そんな私をちらりと見て優しく微笑み、再びドルマン家へ視線を戻した。
「そもそも、アルヴェリア家を誑かせられると、本気で思っているの?」
「ヒッ!?」
エリオット様は冷たい眼差しでドルマン家を見つめた。
「不思議だったんだよ」
その声は、どこか誇らしげだった。
「こんなに優秀で心優しく美しい令嬢が、社交界では”泥まみれ令嬢”と嘲笑され、役立たずだの無能だと罵られ、勘当され家から追い出されたなんてね」
穏やかな声色のまま、エリオット様は続ける。
「おかしいと思うだろう? だから、調査した」
その一言に、ドルマン家の全員の肩が大きく跳ねた。
「アルヴェリア家が誇る諜報機関――『闇牙』を使ってね」
「ひぃいっ!?」
元父様が悲鳴を上げ、会場中が大きくざわめく。
「アルヴェリアの諜報機関と言えば……終わったな」
「全てを暴くと言われる……」
「王国の影……!」
顔色を変えた貴族達の不安を誘う声が、あちこちから聞こえてくる。
(や、闇牙ってなあにぃ!? えっ、そんな事してたの!)
そんな機関があること自体初耳でした。ドルマン家の皆んなもびっくりしているけど、私もびっくりした。会場の貴族達も驚いてる。
そんな私を余所に、エリオット様は容赦なく話を続ける。
「それじゃあ、改めて聞こうか? ドルマン家の事を何一つ話さないアイリスが、僕達をどうやって騙せたのかな?」
「…………」
打ち上げられた魚のように、ドルマン家の四人は陸に打ち上げられた魚のように口をぱくぱくさせるばかりで、誰一人として言葉を返せない。
元母様の顔からは血の気が失せ、元父様は冷や汗をぼたぼたと床に垂らし、元お姉様達は半泣きになりながら小刻みに首を振っていた。
そんな彼らを見下ろしながら、エリオット様の声音が僅かに低くなる。
「ドルマン家が何をしてきたのか、アイリスがどんな生活を送っていたのか。誰が何を言い、誰が何を見て見ぬ振りをし、誰が彼女を傷付けたのか――僕達は全て知っている」
「ひぃぃっ……!」
「何一つ漏らさず、正確に把握しているんだ」
ドルマン家全員が腰を抜かしたまま震え、体を寄せ合い泣き出した。
そして、静かに見守っていたレオンハルトお父様が、ゆっくりと口を開いた。
「腑が煮え繰り返るとは、このことよ……これ程の怒りを覚えるのは初めてだ」
アルヴェリア公爵の怒りに、会場中の貴族達が思わず息を呑んだ。紫電のような魔力が体から漏れ出し、その瞳には獲物を前にした竜のような威圧感が宿っている。
「ドルマンよ、お前らに裁きを下す」
「…………っ!」
低く響く声に、四人がびくりと跳ねた。悲鳴すら出ない。土気色だった顔は、もはや真っ白。まるで魂が抜けかけているような顔で、四人はただ血走った目を見開いていた。
(だ、駄目……! も、もう死んじゃう!!)
思わず私は立ち上がる。
「お、お父様! もう止め――」
「自らの罪を全て思い返し、誠心誠意をもって、命懸けでアイリスに謝罪しろ」
レオンハルトお父様は静かに言い放った。
「それで赦してやる」
「……へっ?」
「……???」
思わずぽかんとしてしまった。床に這いつくばるドルマン家の四人もまた、灰になりそうな雰囲気のままぽかんとした顔で固まっている。
会場中の貴族達までもが目を丸くしていた。
正直、先ほどまでのお父様の怒りと威圧感を見ていたら、この場で魔法の一つでも放ってしまうのではないかと思うほどだった。だからこそ、あまりにも穏当な言葉に拍子抜けしてしまっていた。
「お前達はアイリスに感謝すべきだ」
アレクシスお兄様が、紅玉の瞳を冷たく細めながらドルマン家を見下ろした。
「今、こうしてこの場に生きていられるのだからな」
「……っ!」
四人の身体が大きく跳ねる。それは決して脅しではなく、事実だった。この場にいる誰もがそれを理解していた。
「アイリスは復讐など考えもしない」
「……ッ!」
凛とした声が星冠の間に響く。
「そんなアイリスに対して、お前達はどれだけのことをした? そして、どれだけ醜態を晒せば気が済む?」
「……ッ!」
元父様達の顔が引き攣る。先程までの姿は、この場にいる全ての貴族達が見ていた。完全に言葉を失ったドルマン家を見下ろしながら、今度はルミエラお姉様がくすりと微笑んだ。
「ふふっ、想像以上に可笑しかったわ」
「お、お姉様?」
後ろから優しく私を抱き寄せながら、ルミエラお姉様は頭を優しく撫でてくれた。
「もういいわ、これ以上はアイリスが悲しむもの」
「……」
そして次の瞬間、ドルマン家の四人は張り詰めていた全ての緊張の糸が切れたかのように、一斉に力を失ったようにその場へ崩れ落ちた。
最後の最後で恩赦を告げられたような顔のドルマン家の一同。その姿はさらさらと風に溶けて消えてしまいそうなほどに弱々しく、涙と鼻水を垂らしながら呆然と天井を見上げていた。
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