第56話 初めての夜会で
ヴァルスさんが嵐のように逃げ去ってしまった後、広々とした応接室には、何とも言えない微妙な空気が流れていた。先程までの騒ぎが嘘のように静まり返っているのに、どこか全員の口元がぴくぴくしている。
「ふふっ……中々お目にかかれない顔だったわね」
眠たげな虹色の瞳を細めながら、ルミエラお姉様がくすりと笑った。
「だろう?」
それに満足そうに頷くアレクシスお兄様。この二人だけが妙に上機嫌だ。お父様は呆れたように額を押さえ、エリオット様は苦笑いを浮かべ、シリウスお兄様は疲れたように肩を落としている。
「兄様……流石に説明してもらえる?」
エリオット様が、じとりとした視線をアレクシスお兄様へ向けた。
「ヴァルスさんとアイリスは初対面なんだよね? なのに『お目当て』って何?」
「わ、私も気になります……」
恐る恐る、私も手を挙げる。
「会いに来てたって、そんなの全然身に覚えがなくて……」
言いながら、ようやく先程の「お目当て」という言葉の意味が頭に染み込んできて、ぶわっと顔が熱くなった。
(ま、まさか……)
いやいやいや。そんなはずない。
だって、あんな立派な騎士団長様が。公爵家の嫡男で、第二王女殿下の旦那様で、アレクシスお兄様の親友で。そんな雲の上の方が、私なんかを?
恥ずかしさと困惑で顔を赤くする私に、アレクシスお兄様は小さく息を吐いた。
「……ああ、説明しておく」
「お願いします」
「改めて……ヴァルスはもう一つの公爵家、アークフェルト公爵家の嫡男だ」
シリウスお兄様が補足する。
「第二王女殿下の夫であり、今では王族の親族でもあるな」
「アレクシスお兄様の親友なんですよね?」
「そうだな」
アレクシスお兄様が頷く。
「単純で、真っ直ぐで、馬鹿だが正義感のある良い男だ」
「馬鹿は余計だと思います」
「いや、あれは馬鹿だ」
断言された。
「そ、そんな人が、どうして私を見てあんな顔を?」
すると、アレクシスお兄様は少し困ったような笑みを浮かべた。
「アイリスは昔、一度だけ夜会に参加したと言っていただろう?」
「あ、はい」
私は頷いた。もしかして、あの夜会で?
「地方都市で開かれた大きな夜会でしたね」
「そうだ」
「でもその一回だけですし、誰かと話した覚えなんて……」
そこで私は首を傾げた。
「そもそも、何してたっけ……?」
あれ? 全然思い出せない。誰かと話したっけ?
「ええと、当時の両親には、少しでも有力な殿方に取り入ってこいと言われていました」
「……」
「でも、お姉様達には余計なことをするな、邪魔をするな、大人しくしてろって怒られてしまって……」
「……」
「あの時は、親と姉の板挟みで大変だったんですよねぇ」
にこにこと話していると何故か、家族全員の笑顔が消えた。お父様の目が笑っていない。アレクシスお兄様の紅い瞳が燃えている。ルミエラお姉様に至っては、戦の女神のような圧を放ってきて怖い。
「その夜会にヴァルスも参加していた」
低い声で呟いたアレクシスお兄様が、気を取り直すように話を続けた。
「覚えてないか?」
「え、ええと……全く覚えてませんね? 印象的にあんな大きな方なら絶対忘れないと思うんですけど……」
「そうか」
「えっと……豪華なお料理が並んでて……」
そこまで言った時、ふわりと花の香りが脳裏をよぎった。
「あっ! そうでした!」
私は目を輝かせた。
「夜会の会場に飾られたお花が、すっごく綺麗だったんですよ!」
思い出した。鮮やかな色彩、甘く優しい香り。大きな花瓶に活けられた珍しい花に、食卓を飾る小さな花。壁際に並ぶ豪華な生け花。
「本当に素敵で……! すごく綺麗で……! 見てるだけで幸せになって……!」
「その時だな、ヴァルスがアイリスを見つけたのは」
「……へ?」
自然と頬が緩んでしまう中、アレクシスお兄様が頷いた。
「ヴァルスの書簡によれば、必死に婚活に励む令息令嬢達を尻目に、アイリスだけが会場中の花を嬉しそうに見て回っていたそうだ」
「えーっ!?」
ヴァルスさんに見られてたの!?
「そしてこの世の娘とは思えない程、美しい笑顔を浮かべていたらしい」
「ええっ!?」
「更には花瓶の花を手に取り、うっとりと陶酔し……涎を垂らしていた」
「ぶふっ!? ま、待ってください!?」
思わず吹き出した。
「よ、よ、涎ぇ!?」
顔が一気に真っ赤になる。
「そ、そんなことないですよ! 嘘です、そんなはずありません!」
「書簡にはそう書いてあったな」
くすっとアレクシスお兄様が微笑む。
「そして、そんなヴァルスはアイリスに一目惚れしたらしい」
「うそぉ!?」
「『天使がいた』『花の妖精がいた』『尊すぎて話しかけられなかった』と、延々と書かれてた」
「やめてぇぇ!?」
猛烈に顔が熱くなる!
「そ、そんなこと書いてたんですか!?」
「ヴァルスも剣の刀身を眺めるのが趣味でな、自分と近いものをアイリスに感じたらしい」
恥ずかしい、恥ずかしすぎる!
「うわあぁぁ!?」
私は両手で顔を覆った。穴があったら入りたい!!
その話を聞いてエリオット様が盛大に吹き出した。
「あはははっ!」
「エリオット様!?」
皆が笑いを堪えながら肩を震わせている! やめてぇ!?
「でも、男女が必死に婚活してる中で、アイリスだけ花に夢中だったって……!」
「だって綺麗だったんだもん!」
「うん、アイリスらしいよ! 好感しかない!」
「男達はアイリスを見ていて、アイリスは花しか見てなかったのね」
可笑しそうに、くすくす笑うエリオット様。ルミエラお姉様まで面白そうにしてる。
「そしてヴァルスはアイリスの身元を調べて、王国騎士団の視察を口実にドルマン家へと向かった」
「は、はぁ!?」
「だが、その頃にはアイリスは勘当されていた。ヴァルスは呆然としたらしい」
「……」
私は黙り込んでしまう。
「そして探そうとしたが、その頃には第二王女から猛烈な求婚を受けていてな。結局、運命はすれ違った」
そう言った後、アレクシスお兄様は不敵に笑った。
「ちなみに、公爵家の嫡男がアイリスを望んでいたと知ったドルマン家は、大混乱したらしい」
「え?」
「子爵家からすればアークフェルト公爵家は雲の上の存在だ。自分達の手で、その縁を捨てたのだからな」
「はは……」
(ドルマン家……)
その言葉を聞いていると、胸の奥がちくりと痛んだ。嫌な記憶が次々とよみがえってくる。 絶縁された家族……父様と母様、二人の姉。そして、役立たずの泥まみれ令嬢だった私。
今が幸せすぎて温かすぎて、過去に蓋をしてしまっていた。そうだ、私はあの家から捨てられた娘だった。
「あれ……?」
そこで、あることに気付いた。
「星冠祝賀会って、国中の貴族が集まるんですよね?」
「そうだね」
エリオット様が頷く。
「ということは……も、もしかして……」
震える声で続ける。嫌な予感がした。
「ドルマン子爵家も……来るんでしょうか?」
その瞬間。
応接室の空気が、ぴたりと止まった。先程まで笑っていた家族達の表情が、一斉に変わる。家族皆のその様子が雄弁に語り、私はようやく悟った。
国中の貴族が集まる、それはつまり――私を捨てた家族も、そこにいるということを。
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