第48話 深く結ばれた絆
「嫌です、お断りします」
自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。
その言葉を口にした瞬間から胸の奥が苦しくなり、熱いものが込み上げてきて、視界が滲み始める。それでも私は唇を噛み締めながら、もう一度はっきりと言った。
「……嫌です、どうしてそんな事を言うんですか」
ゼネブさんとアネッサさんが、驚いた様に静かに目を見開き瞬かせていた。
私は止まれなかった。胸の中に溢れてきた想いが、堰を切ったように溢れ出してしまう。
「私の両親は、ゼネブさんとアネッサさんです」
声が震える。幼い頃の記憶が次々と蘇っていた。
子爵家で叱責され、部屋の隅で縮こまっていた私の隣に座り、何も言わず頭をずっと撫でてくれたこと。冷たい冬の夜、泣きながら眠った私に毛布を掛けてくれたこと。
誰も祝ってくれない誕生日に、プレゼントを用意してくれたこと。熱を出した夜に朝まで付き添ってくれたこと。一緒に土まみれになって、草花を育てたこと。役立たずでお荷物な私を、ずっと見守っていてくれたこと。
どこまでも優しく守ってくれたこと。家族に愛されなかった私を、愛してくれたこと。
「子爵家の人達じゃありません」
涙が零れる。
「公爵家の皆様でもありません」
もちろん、アルヴェリア公爵家の皆は大好き。一緒にいるだけで、すごく幸せな気持ちになる方達だ。
けれど――。
「幼い私が泣いていた時、いつも隣にいてくれたのはお二人なんです」
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「家族に冷たくされても、見捨てないでくれたのはお二人なんです」
気付けば涙がぽろぽろと零れていた。
「養女になったら、離れ離れになってしまうじゃないですか」
私は首を振る。
「だから嫌です」
そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。考えただけで胸が張り裂けそうになる。
「私の両親はゼネブさんとアネッサさんです。私はずっと二人の娘です」
震える声で言い切る。
「だから、危険があるのだとしても、公爵家の養女にはなりません」
部屋の中が静まり返った。ゼネブさんとアネッサさんが、泣き出しそうな顔で私を見つめていた。必死に堪えているような表情だった。
やがてアネッサさんが小さく息を吐く。
「お嬢様……」
その声はどこまでも優しかった。
「誤解させてしまいました、少し説明が足りませんでしたね」
「……え?」
こほん、と咳払いをしたゼネブさんが続ける。
「私達も、特別にアルヴェリア公爵家の一族になります」
「……へ?」
一瞬、意味が分からなかった。涙で濡れたまま目をぱちぱちさせる。
「正確には分家待遇ですね、公爵家は私達にまで名誉を与えてくれたのです」
「私達がお嬢様の養父母であることも変わりません」
「お爺様も一緒ですよ」
「…………え?」
頭が再び真っ白になった。思考が追い付かない。私が固まっていると、アネッサさんが苦笑しながら続けた。
「お嬢様と私達が引き離されるって言ってませんよ?」
「えっ……?」
「これからもずっと、一緒です」
長い硬直の後、その言葉にゆっくりと理解が追い付いていく。
「…………あ、あれ?」
思わず呟いてしまった。
私が養女になることを拒絶した理由は一つだけだった。
ゼネブさんとアネッサさんと離れること、それだけだった。そしてそれは何にも替えられない事だった。だから嫌だった、絶対に駄目だと思った。
でも、二人と離れないのなら。今まで通り一緒にいられるのなら――。
「…………あれ?」
もう一度呟いてしまう。
嫌な理由が何も無い。それどころか――体中から喜びが溢れてくる。頭に浮かぶのは、公爵家で過ごした幸せな日々ばかりだった。
このお城では、大きな庭で好きなだけ庭を触らせてくれる。花を咲かせば皆が喜んでくれる。毎日一緒の食卓で笑ってくれる。皆が私を必要としてくれている。私が困ればきっと皆が助けてくれる。
私を大切にしてくれること。可愛がってくれること。
そして何より――あの方達と一緒にいると、胸の奥がすごく温かい。ぽかぽかする。
まるで本当の家族のように。
「私達に加えて、お嬢様を想うもう一つの家族が増えるだけですよ」
アネッサさんが微笑む。
「アルヴェリア公爵家の皆様も、もう他人ではないでしょう?」
その言葉に、これまでの情景が思い出される。
レオンハルト様の穏やかな笑顔が浮かぶ。アレクシス様の凛々しい微笑みが浮かぶ。ルミエラお姉様のぽやぽやした抱擁が浮かぶ。
そして、私を見つめるエリオット様の優しい微笑みが浮かんだ。
胸がじんわり熱くなる。
そうだ、あの方は私をすごく大切にしてくれていた。出会った時から、今までずっと。
「……は、はい!」
気付けば小さく頷いていた。
するとゼネブさんとアネッサさんは、ほっとしたように笑う。
「私達はアルヴェリア家の一員になります。そして、お嬢様の育ての親であることも変わりません」
「これからも毎日心配しますからね」
思わず笑ってしまった。涙が止まらないのに、笑顔も止まらない。
「かつての私達は、お嬢様を生涯守り切る自信がありませんでした」
ゼネブさんが少し照れ臭そうに言う。
「だから、お嬢様と呼んでどこかで線を引いていたのです」
その瞳が優しく細められた。
「ですが、もう安心できます」
アネッサさんも頷く。
「だから、これからは”アイリス”と呼ばせてもらいますね」
私達は顔を見合わせてから、そして同時に笑った。
初めて呼ばれた名前。その響きが胸の奥に染み込んでいく。温かくて、嬉しくて。泣きたくなるほど幸せで。
「はいっ……! 私も父様、母様と呼ばせて頂きます!」
養女になるということは、家族を失うことでは無くて、家族が増えることだった。
ゼネブさんとアネッサさんだけでなく、アルヴェリア公爵家の方達とも、家族と呼べるほど深く絆で結ばれていたのだと、今更ながら気が付いた。
そう思った途端、止まりかけていた涙がまた溢れてしまい、私は泣きながら笑うしかなかった。
◇◇◇
「そうそう、エリオット様はね、ハニーペタルの名で色々な商品を国中へ届けたいそうなの」
母様の言葉に、私はぱちりと瞬きをした。
「色々な商品を国中に?」
「ええ。お花や薬草はもちろん、ハーブのお茶やお菓子、それにエリオット様が作られる薬や、その他の品々まで」
「はぁ?」
「全部ハニーペタルの名で、商品にするつもりみたいですよ」
思わず間の抜けた返事が漏れてしまう。頭の中に優しい笑顔を浮かべるエリオット様が現れた。
(あ、あの方はいつから、どこまでの事を考えていたの?)
思えばあの笑顔には、何か壮大な計画が隠されているような気がする。
(最初から、何かおかしかったよね?)
そこで私は「はっ」と、恐ろしい可能性に気付いた。
(ま、まさか……)
ごくりと唾を飲み込む。
「あ、あのっ、この養女縁組のお話って……いつから進んでいたんですか?」
すると二人は顔を見合わせた。
「エリオット様と出会ったあのブルームーンの日、その翌日からですね」
「はい?」
「あの時から正式に相談を受けていました」
「そ、そんなに前からぁ!?」
思わず叫んでしまった。出会ってわずか一日だ!
早い、早過ぎる!
「エリオット様ぁぁっ!?」
思わず天を仰いだ。笑顔が爽やかなのにやることが怖い。
衝撃の事実に頭を抱えていると、母様が苦笑した。
「ちなみに侍女や使用人の皆さんも、大体の事は知っていましたよ」
「へっ?」
「し、知らなかったの……私だけですか?」
「はい、ですがアイリスにお伝えできる段階ではございませんでした」
二人は揃って頷く。
ようやく私は、これまで皆に過保護にされ続けて来た理由を知った。
最初からお城の皆は、”未来の公爵令嬢”という認識で私を見ていたのだ!
「あの方はぁ!?」
何故、今頃になるまで私に黙ってたのか、本人に問い詰めることを固く決意するのでした。
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