第44話 未来の景色
当時、エレノア様は連日の看病で、心身ともに酷く疲弊していたらしい。
昼も夜もいつまでもレオンハルト様の傍につき続けた。食事も睡眠もまともに取らず、熱に浮かされた彼の手を握り、何日も祈り続けていたという。
そして――。
レオンハルト様の呼吸が止まりかけ、医師たちが静かに首を横に振った、その日。エレノア様は、突然、誰にも何も告げずに部屋を飛び出した。
それからわずか数時間後。
エレノア様は、貯水池のほとりで発見された。
どれだけ調査を重ねても怪しい所は無く、動機は一つしか浮かばなかった。そんな状況から誰もが「愛する夫の後を追った」と思ったらしい。実際、そう考えるしかなかったのだろう。
この一件は悲劇ながら、国家間で美談として捉えられている側面もあるらしい。
けれど――エレノア様を想いを宿すように咲く、”陽紡花”が慰霊碑で見つかった。
その為、追悼献花式の後に、アルヴェリア公爵家は改めて当時の事を調べ直した。
慰霊碑や貯水池の周囲だけでなく、お城や敷地中を徹底した再調査が行われた。その際、貯水池にほど近い庭園に”陽紡花”が咲いていたことが分かった。
とはいえ、十年も前の出来事だ。
手掛かりになる証拠も情報も残っているはずもなく、結局のところ真相は分からない。不慮の事故だったのか、それを断定することはできなかった。
それでも。
身投げでは無く”事故”だったのかもしれない。その可能性が生まれただけで、レオンハルト様を縛り続けていた絶望は晴れていった。
エレノア様が当主様の生還を願って、また家族皆で一緒に明日を、未来を歩みたいと願っていたのなら――。
エレノア様の想いは闇の中に閉じ込められていた愛する夫の心へ、届けられた。その遺された想いをレオンハルト様はしっかりと受け取り、立ち上がった。
レオンハルト様はこれまで、エリオット様が作った体を治す治療薬を頑なに拒み続けていたらしいけど――。
「エレノアが願った未来を、私は生きねばならない」
そう口にして、薬を受け入れたのだ。
エリオット様の薬は相変わらず凄まじい効果で、日に日にレオンハルト様の身体は回復していった。
動かなかった片腕が持ち上がり、感覚の無かった両足にも力が戻り始め、今ではアレクシス様と一緒に騎士達の訓練場へ顔を出しているらしい。
その話を聞かせてくれるエリオット様は、本当に嬉しそうだった。
「アイリスが父様の心の病までも治してしまったね、びっくりだよ」
書類を片付けながら、彼は柔らかく笑う。
「い、いえ、私じゃありません! エレノア様と、”陽紡花”ですよ」
「ううん」
エリオット様は静かに首を横に振った。
「この城の皆が思ってる。父様を救ったのは君だってね」
「そ、そんな大袈裟ですって……」
その金色の瞳が、眩しいほど優しく細められる。
「本当にありがとう、アイリス」
そんな風に真っ直ぐ感謝されると、むず痒くて困ってしまう。でも、元気になった当主様を思い出すと嬉しくなっちゃう。
「父様、最近すごく幸せそうなんだ」
「良かったですね」
「家族が皆、笑うようになった」
「それも良かったです!」
「……そして僕は」
エリオット様が、少しだけ困ったように笑う。
「ますます、アイリスのことが好きになってしまったよ」
「ぶっ!?」
危うく変な声が出た。
「な、ななな何を急に!?」
だから、冗談でも好きって言わないで欲しいです! さらっと言うの、ずるいと思います!
でも、公爵家の皆様の好感度が右肩上がりしている気はしてる……彼だけじゃなく皆が私を褒め称えるの、こんな風に……。
不穏な空気に震える私。
「あっ、そうだ!」
私はぴこんっと思い出した。贈りたいものがあったんだった。
「どうしたの?」
「元気になった当主様と皆に、見せたいものがあるんです!」
◇◇◇
そして、その日の昼過ぎ。
私はレオンハルト様と、公爵家の皆にエレノア様お気に入りの庭園に集まってもらった。青空がどこまでも澄み渡り、柔らかな春風が吹き抜ける、穏やかな午後だった。
体が治って最近は訓練まで始めたというレオンハルト様は、以前とは比べ物にならないほど表情が明るい。アレクシス様は口元には爽やかな笑みが浮かんでいた。
私を見るなり、レオンハルト様は嬉しそうに目尻を和らげる。
「それで、アイリス嬢。私達に見せたいものとは何かな?」
「ふふふっ、それは見てからのお楽しみです!」
私が胸を張ると、ルミエラお姉様が得意げに頷いた。
「アイリスのことなら、私は何でも分かるわ。あれをするのね?」
「はいっ! すっごく綺麗なんですよ!」
「ほう……?」
首を傾げる男性陣を置いて、私は庭園の中心へ駆けていく。
「一瞬ですからねー! ちゃんと見ていてくださいねー!」
「分かったよ!」
私は胸の前で両手を重ね、深く息を吸った。
「《花の帳》」
光の粒子が舞い一冊の図鑑が現れる。ぱらぱらと頁がめくれ、魔力が集まった。
「この景色を、公爵家の皆様と――エレノア様へ捧げます!」
胸の奥に浮かぶのは、悲しみだけで終わらない温かな明日。公爵家の家族が、もう一度笑い合える優しい未来の景色。
「“芽吹き”――”白星花”、そして”陽紡花”!」
力強く唱えたその瞬間、ふわりと風が吹き抜けた。
図鑑から溢れた無数の光の粒子が、一斉に空へと舞い上がる。それはまるで白と黄色の星屑の奔流だった。きらきら、きらきらと輝きながら、光の雨は庭園いっぱいに降り注いでいく。
「こ、これは……!」
「なんと美しい……!」
光の海に公爵家の皆が息を呑んだ。
庭園の地面が淡く発光し、目覚めるように土が震え無数の芽が顔を出した。次々に伸びる柔らかな緑、膨らむ蕾。
そして――ぱぁっと、一斉に花開く。
純白に輝く六枚花弁の星の花――”白星花”。
黄色の光を宿した太陽の花――”陽紡花”。
白い星々と、小さな太陽たち。二つの花が、庭園いっぱいに咲き乱れていく。
白と黄の花々が波のように風に合わせて揺れ、重なり合い、まるで祝福の旋律を奏でているかのようだ。陽光を浴びて煌めく景色は、あまりにも神秘的だった。
まるで、公爵家のこれからの未来を祝福するかのような景色――。
私はご機嫌で皆を振り返った。
「エ、エレノア……」
レオンハルト様の瞳から、静かに涙が零れ落ちる。
「どうです? 綺麗だったでしょう?」
「あ、アイリス嬢……」
レオンハルト様は涙を拭いながら、困ったように笑った。
「まったく……貴女は、どれだけ私を泣かせるのだ……」
エリオット様とアレクシス様は目を細め私を見つめてから、ゆっくりと花畑を眺め胸を押さえていた。
「すごく、綺麗だ……」
ルミエラお姉様に至っては、感極まったように私を抱き締めて頬ずりを始めた。
「アイリスぅ……お姉ちゃんの為にやってくれたのね」
「く、苦しいですぅ! 皆の為ですぅ!」
白と黄の花々に満たされた庭園に響く笑い声は、十年間止まっていたアルヴェリア公爵家の時間が、ようやく動き出した音でもあった。
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