第43話 伝わる想い
私は《花の帳》を皆へ見せながら、そこに記されていた花言葉を告げた。
「“陽紡花”の花言葉は――」
静まり返った空気の中、私の震える声だけが小さく響く。
「“帰りを待つ”」
その瞬間。レオンハルト様の肩が大きく震えた。
「“無事を祈る”」
胸が苦しい。
“陽紡花”が、ずっとこの瞬間を待っていたような気がしてならなかった。
「“共に明日を”」
私は涙を零しながら、最後の花言葉を告げる。
「そして――“永遠の愛”です」
風が吹き、太陽のような小さな花々がふわりと揺れる。まるで、ようやく届いた想いに安堵するかのように。
「は、花が……人の想いを、宿す……?」
誰かの呟きが、静寂の中へ溶けていく。
”陽紡花”は、死を望む花ではない。別れを嘆く花でもない。大切な人の帰りを待ち続ける花。どうか無事に帰って来てほしいと、また明日を一緒に迎えたいと――そんな祈りを宿した花。
奇跡のようにその花が、奥様の想いを伝えるように、慰霊碑に咲いています。
そう、公爵家の皆に続けてお話した。
「……ま、まさか……アイリス嬢、貴女は……」
私の心の内を読んで、レオンハルト様が震える声で呟いた。
「私には……奥様が最後まで明日を諦めず、家族と一緒に未来を歩むことを願っていたと、思えてならないのです」
「……身投げでは無かったと……言うのか……?」
「……私の推測にすぎません。私は当時の事を何も知りません」
当主様の金色の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
「ですが、記念碑には奥様の想いを伝えるように、毎年”陽紡花”が奇跡のように咲いてる。それだけは、曲げられない事実です」
私は強く頷いた。
「そ、そんな……だとしたら……私はこれまで、何という誤解を……!?」
唖然としながら車椅子から身を乗り出した当主様が、そのまま地面に崩れ落ちた。
「父様!?」
三人の子供達が慌てて駆け寄る中、涙を零しながらレオンハルト様は、地面に伏せたまま慰霊碑へ向かって震える手を伸ばし、声を詰まらせる。
「エ、エレノア……っ」
その声は、あまりにも痛々しかった。
当主様は十年間、愛する奥様が自分の後を追って身投げをされたと思い続けてきた。自分が生死を彷徨ったせいで、絶望させてしまったのだと。きっと壮絶な罪悪感に、ずっと心を壊され続けていたのだ。
けれどそれが――もし違ったのなら。
もし奥様が最後まで、愛する当主様が帰ると信じ続けていたのなら。“生きて帰った貴方と共に明日を見よう”と、願っていたのなら。
「そ、そうなのか!? わ、私は……、私は……っ! とんでもない勘違いを……!」
嗚咽が漏れる。
「おおぉ……すまなかった……エレノア……! 愚かな私を許してくれ……!」
レオンハルト様の張り裂けるような慟哭が、水辺に響き渡る。
記念碑の石畳の隙間で揺れる小さな”陽紡花”が、まるで十年越しに想いを届け終えたように、優しく風に揺れていた。
◇◇◇
慰霊碑の前で崩れ落ち、子供達に支えられながら涙を流していたレオンハルト様は、僅かに呼吸を落ち着かせた。
やがて当主様は、ゆっくりと顔を上げ――そして、真剣な眼差しで私を見る。
(ひっ!?)
次の瞬間。
車椅子が、勢いよくこちらへ迫って来た!
「アイリス嬢!」
「ひゃああっ!?」
ガシッ――と両手を掴まれる。
いつもの紳士然とした様子が消え去って、まるで溺れる者が縋り付くように身を乗り出したレオンハルト様の迫力に、私は完全に硬直してしまった。
「推測でも、憶測でも、小さなことでもいい! 貴女が気付いた事を、どうか教えてくれ!」
「えっ、えっとぉ!? そ、そう言われましてもぉ!?」
十年抱え続けた傷心と絶望を湛えたその瞳は、藁にも縋るようだった。そんな視線を突き付けられて、私はもうどうしていいか分からない。
(ひっ、ひえぇぇ!? 圧がすごいですぅ!)
「わ、私は当時の事を何も知りません! おかしな事を言ってしまいそうで怖いです!」
「頼む、アイリス嬢……! これは、私にとって……いや、家族にとって、大事な事なのだ……!」
手を掴まれたまま、じりじりと私は後退る。けれど、背中はもう土手の際。
逃げ場がない。最近こういう状況が多い気がします。
そして何より――当主様が、絶対に引く気配がない。
「うぅ……っ」
困り果ててエリオット様に助けを求めるように見ると、彼は静かに頷いた。その瞳に背中を押され、私はごくりと唾を飲み込む。
「……あ、あのっ、これは本当に、推測ですからね? 仮説というか、想像というか……」
「構わない! それを教えてくれ!」
怯えながらも、私は慰霊碑の傍らに咲く“陽紡花”を見つめた。
本来なら絶対に咲くはずのない場所で、それでも懸命に太陽のような花弁を揺らしている、小さな花々。その姿を見ていると、頭に浮かんでしまう情景があった。
「……奥様は、当主様が危篤に陥った時に、“陽紡花”を摘んで届けようとしていたのかなって、思ったんです」
「……な、に……?」
「同じ立場なら、きっと私もそうします」
レオンハルト様の目が大きく見開かれる。
「奥様は、お花が好きだったのでしょう? だからきっと、“陽紡花”にまつわる花言葉も知っていたんじゃないかって……」
私は《花の帳》をそっと抱き締める。開かれた頁に刻まれている花言葉。
――帰還を待つ。
――無事を祈る。
――共に明日を。
――永遠の愛。
その文字を見つめると、胸が締め付けられた。
「“共に明日を”――その花言葉に願いを込めて、エレノア様は神様に縋るように、当主様へ届けようとした……」
「エレノア……」
「“どうか生きて”――“一緒に明日を迎えて”って……祈りながら」
レオンハルト様の唇が震えた。
「でも当時は心も体も辛かったでしょう。だから花を摘みに行った時に、足を滑らせるような”不慮の事故”が起きてしまった。そして奥様は摘んだ“陽紡花”と一緒に、この場所へ流れ着いた……」
「……っ!」
風が吹き抜ける。まるで想いを運ぶように。
「そして奥様の想いが宿った“陽紡花”が、奇跡のようにこの場所に芽吹き、咲き続けている……私は、そう思ったんです」
「う、ぅあ……っ」
レオンハルト様は押し殺したような嗚咽が漏れ、ぼろぼろと涙を零し続けた。
「お前は……最期まで、私の生を願ってくれていたのか……!? 家族と共に明日を歩む未来を……願ってくれていたのか……!?」
長年、胸の奥に澱のように積もり続けていた、罪悪感も、自責も、終わりの見えない絶望も――流れ落ちる涙と共に、静かにほどけていく。
レオンハルト様の濡れた瞳には、失われていた“明日”を見つめるかのような、微かな光が宿り始めていた。
◇◇◇
この場が落ち着きを取り戻した後、追悼献花式は静かに再開された。
一同は慰霊碑へ”白星花”を一輪捧げ、最後の一輪を池へを流していく。
「きれい……」
昼の光を浴びながら、水面を漂う沢山の”白星花”。
零れ落ちた白い花々が、まるで星空のように淡く波紋に揺れている。
それはまるで、この家族を見守り続ける祈りの光のようだった。
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