第38話 今を大事にしたい
霊廟の庭園から戻った私は、一休みした後に書庫へと足を運んでいた。
「ありがとう。庭園に“白星花”を咲かせてくれたようだね」
私を見つけるなり、大量の書類に埋もれていたエリオット様が、ぱっと顔を明るくする。
午前中も会ったのに、まるでずっと待っていた再会のような彼の嬉しそうな表情に、思わず瞬きを繰り返してしまった。
「はいっ、お仕事完了しました!」
私が胸を張って答えると、彼はふっと肩の力を抜いたように微笑む。
「ごめんね、本当は僕も一緒に行きたかったんだけど……」
「分かってますよ。書庫を出る前、すごく悲しそうでしたもん」
心底残念そうに言いながら、彼は机の上に積み上がった書類へ視線を落とす。
そこには決裁待ちの書類、報告書、予算表らしき紙束まで山積みになっていて、14歳の少年が向き合う机とは到底思えなかった。
彼はその山を睨みながら、むぅっと頬を膨らませている。
「これは絶対、僕の仕事じゃないと思うんだ……」
「ふふっ」
本当に忙しそうなのに、私が来ると毎回こうして嬉しそうにしてくれるから、胸が温かくなる。
「いえいえ、エリオット様はお忙しいですから。庭師さん達も手伝って下さいましたし、大丈夫でしたよ」
少しだけ頬を膨らませる姿に、思わずくすりと笑ってしまう。
「庭園いっぱいに“白星花”が咲きましたよ! とっても綺麗でした!」
「うん、庭師達からも聞いたよ。皆すごく感動していた」
エリオット様は優しい目をして頷く。
「母様は花が好きだったんだよ。アイリスと同じだね」
「そうみたいですね」
そう言って微笑まれると、何だか照れてしまう。
「きっと“白星花”に囲まれた献花式を、奥様も喜んでくれると思います」
そう告げると、彼は静かに笑った。けれど、その後ふっと視線を伏せ、どこか遠くを見るような表情になる。
「……父様の心が、少しでも救われるといいんだけどね」
その声音は、とても静かだった。
脳裏に浮かぶのは、あの悲哀に満ちた当主様の瞳。静かで、穏やかで、けれど深い場所に消えない喪失を抱えたような眼差し。
当主様はきっと、最愛の奥様が亡くなったのは、自分のせいだとお考えになられている。
「僕は、話でしか母様の事を知らないんだ」
ぽつりと零された言葉に、私は顔を上げた。
「僕達を、家族を、とても愛してたらしい」
彼の表情の奥に寂しさが混じる。
「でも僕はまだ4歳だったからね。正直、母様のことを殆ど覚えていないんだよ」
「……そう、ですよね」
「だから亡くなった時も、何があったのか直接自分で見知ったわけじゃないんだ」
その言葉に含みを感じ取り、思わず目を見開いてしまった。
隣国の王女様で、公爵夫人。
そんなお方の訃報は、ただの家族の不幸では済まないんじゃないかと思っていた。きっと、国と国を揺るがしかねない問題に発展しかねない。
そんな考えが頭をよぎって、気付けば私は尋ねていた。
「奥様は本当に……身投げをされたのでしょうか……?」
言った瞬間、やってしまったと思った。
(あああっ!? 無遠慮に聞いてしまったぁ!?)
こんなこと、私が踏み込んでいい話じゃない!
けれど、そんな私を優しく見つめながら、エリオット様は静かに頷いた。
「うん。当時の現場や状況から、確かにそうだとしか考えられない。事件性は何もなかったようだ」
内心で頭を抱えながら、彼の言葉が身に染みる。明瞭で聡明なエリオット様のことだ。きっと昔から、当時の出来事を裏で調べ続けてきたのだろう。
「でも、この目で見たわけじゃないからね」
彼は少しだけ寂しそうに笑った。
「正直なところ、本当の意味では断定しきれない。十年も昔の事だし、分からなかった」
「す、すみません……立ち入ったことを尋ねてしまって……」
私は慌てながら頭を下げる。
「いいんだよ、気にしないで」
彼はいつものように、柔らかく微笑んだ。その笑顔が優しいからこそ、余計に胸が締め付けられる。
流石にこれ以上、何も聞けない。聞いてはいけない。
そんな私の表情を見て、逆にエリオット様が気遣うように言う。
「僕達はきっと、母様の想いを継いで、忘れずに、生きていくしかないんだと思う」
金色の瞳が、静かに細められる。
「過去を変えることは出来ない。だから残された僕達は、今を大事に生きて、幸せにならなきゃって思ってるよ」
「はい……」
「僕は、今ここに居てくれる人を大切にしたい。これから増えていく幸せを守りたいんだ」
その言葉は、14歳の少年のものとは思えなかった。
「兄様も、姉様も、そして父様も。皆が元気になって、一緒にご飯を食べて、他愛ない話をして……そんな家族の時間を取り戻せたらって、願ってる」
エリオット様はそう言って笑ったけれど、その笑顔は少しだけ切なかった。公爵家の子供たちが元気になって揃えば――止まってしまった当主様の時間も、前に進むと信じてる。
彼は、家族の為にずっと頑張ってきたのだ。
エリオット様と短い時間しか共にしていない私であっても、そこにどれだけの努力があったのか容易に想像が出来る。
「……はい、そうですね」
だけど、私は私は胸の前で手をぎゅっと握り、か弱く頷くことしか出来なかった。
何か役に立てたらいいのに。
何か支えられたらいいのに。
けれど私に出来ることは、何も無い。
「君が来てくれたから、前よりもずっと“今を大事にしたい”と思うようになったんだよ」
そんな私を、エリオット様は少し照れながら優しく微笑んで、そっと慰めてくれた。
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