第36話 朝の一幕
朝日が差し込み小鳥が囀る朝。
目が覚めた時、とてもいい匂いがした。
「……んぅ……アイリス、あったかい……」
耳元で、ふにゃりと蕩けるような声が聞こえる。
昨晩、半ば押し切られる形で一緒に寝ることになったルミエラお姉様が、私を抱き枕にして幸せそうに眠っていた。私の身体に細くしなやかな腕と脚がしっかり絡みついている。
白銀の髪が枕いっぱいに広がり、その隙間から覗く横顔は朝の淡い光を受けて本当に絵画のように美しい。長い睫毛が頬に影を落としていて、息をするたびに薄い唇が少しだけ動く。
……本当に天上の女神様だ。
そんな女神様が、私にぴったり張り付きながら頬をすりすりしている。
「る、ルミエラお姉様……朝ですよぉ……朝食のお時間ですぅ……」
どうにか首だけ動かして呼びかけると、彼女はむにゃむにゃと小さく呟き、腕に力を込めた。
「んん~……あと少しだけなら、いいでしょう? アイリス……」
「よくないですぅ!」
私の悲鳴にも似た抗議をよそに、ルミエラお姉様は幸せそうに「うふふふ」と、笑っている。
「お、お姉様……起きて下さいぃ……侍女さんが来ちゃいますよ……?」
「来たらだめなの?」
「病気のお姉様が私のベッドに潜り込んでたら、きっと怒られますよ」
「……ふぅん?」
ちらりと薄目を開けて虹色の宝石が私を見る。がまるで他人事みたいな返事だ。
そしてその直後。コンコン、と扉がノックされた。
「アイリス様、お目覚めでしょうか?」
侍女さんの声が聞こえた瞬間。
「……はっ!」
ルミエラお姉様の身体が跳ねた。それはさっきまで、眠そうにぽやぽやしていた人と同一人物とは思えない速さだった。
私が声を上げる間もなく、彼女はばっと身体を起こし、ベッドから音もなく飛び降りた。その動きが速すぎて、白銀の髪が一筋の光みたいに見えたほどだ。
「えっ、えっ!?」
混乱する私をよそに、ルミエラお姉様はふわりと夜着の裾を翻し、風のように窓へ向かい開けると、バルコニーへ躍り出てすっと隠れた。
「えええっ!?」
瞬きの合間の出来事に、びっくりして思わず叫んでしまった。呆然としながらバルコニーを見る。
(は、早っ……!)
頭が追いつかないまま固まっていると、再びノックが鳴る。
「アイリス様? 失礼いたします」
寝室の扉が開き、侍女さんが入ってきた。私は慌てて布団を整えながら、引きつった笑顔で答える。
「お、おはようございます……」
「おはようございます、アイリス様。朝食をお持ちしました」
いつもの穏やかな侍女さんは、ゆっくりと部屋の中を見渡した。そして。
「あの、ルミエラ様をご存じではないでしょうか? 昨夜ご一緒だったと聞いているのですが……」
「えっ?」
「ルミエラ様がどこにもいなくて、少々騒ぎになっているのです」
「……昨晩、一緒にお休みになられたんです……つい先程まで……」
素直に白状しながら、私はジト目で開け放たれた窓とバルコニーを見つめてしまう。そんな私の視線に侍女さんも気付く。
私達は見合って頷き、バルコニーに向かった。でも、石造りの広いその場所には、植木鉢とガーデンテーブルしかない。
「えっ! いない!?」
ここはお城の上階ですよ!?
隠れられる場所なんてどこにもなかった。まるで手品でも見せられたように、ルミエラお姉様はいなくなっている。
「ど、どこに……!?」
ぽかんと口を開いてしまう。
「いませんね」
侍女さんは困ったように眉を下げた。その声色には呆れながらも、喜びが混ざっていた。
「ルミエラ様は魔法の天才ですから。このくらいのことは、割と普通ですね」
「普通なんですか!?」
この城じゃ病み上がりの令嬢が、窓から飛び出して消えるの、普通なんですか!?
「きっと今ごろ、自室のベッドで横になっておられます」
「ええっ? ど、どういうことですか?」
「見つけた時にはきっと、『私はずっとここに居たわ』とおっしゃるでしょうね」
「は、はあ……?」
私が呆然としていると、侍女さんは小さくため息をついた。けれど、困っているというより、懐かしそうに柔らかい笑みを浮かべている。
「あ、あの……?」
「お変わりなくて、嬉しくもあるのです」
そう言って、彼女はくすくすと微笑んだ。
「ルミエラ様は昔から、とてもお茶目で、悪戯心のあるお方なのです」
「や、やっぱり……」
……きっと、あの涙も魔法ですね……。
思わず私が遠い目で呟くと、侍女さんは口元を押さえて笑いを堪えていた。
たった一晩で、ルミエラお姉様の人柄が良く分かりました。
このお城で一番自由で、一番手強そうな方は、エリオット様でもアレクシス様でもなく――眠たげな表情でぽやぽやと微笑みを浮かべている、あの美しすぎるお姉様なのだと、私は学びました。
◇◇◇
そしてその日の昼過ぎ、私は庭師さんに案内されながら、エリオット様に頼まれていた仕事をする為に、アルヴェリア家の霊廟へと向かっていた。
お城の少し離れた敷地の端、普段は足を踏み入れない静かな区域にそれはあって、歩いているうちに周囲の空気までどこか澄みきっていくのを感じる。足元の石畳には木漏れ日が静かに落ちていた。
やがて視界の先に現れた霊廟を見て、私は足を止めてしまう。
「わあ……綺麗……」
そこに建っていたのは、ただの霊廟という言葉では到底片づけられない、荘厳な白亜の大聖堂だった。
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