第35話 温かい食卓
夜の晩餐の間は、いつもよりもずっと華やかな空気に包まれていた。広い食卓の空気が柔らかく、燭台に灯る金色の炎まで楽しそうに揺れて見えた。
何故なら普段はエリオット様とアネッサさん、私の三人で囲む食卓なのだけれど、今夜はそこにルミエラお姉様が加わっているからだ。
……いや、正しく言うなら、加わったというより。
大浴場を出たあと、眠たげな虹色の瞳をとろんと細めたまま、ルミエラお姉様が私の夜着の裾をそっとつまみ、そのまま離れなかったので、結果として晩餐の間まで一緒に来てしまった、というのが正しい。
「お、お姉様!? 本当に動いて大丈夫なんですか!? ついこの前まで寝たきりでしたよね!?」
廊下を歩きながら何度も確認したのに、そのたび彼女はふわりと白銀の長い髪を揺らし、夢の続きを見ているような微笑みで答える。
「少しなら大丈夫よ」
……いや、少しじゃないですよね?
お風呂に入って、そのあと食堂まで歩いて来て、しかも途中でお庭を眺めてましたよね?
そんな私の心の叫びとは裏腹に、食卓へ姿を現したルミエラお姉様を見た瞬間、エリオット様は目を見開き、それから心底嬉しそうに頬を綻ばせた。
「姉様……! 本当に起きて来られたんだね」
「ええ、お腹が空いたもの」
あまりにも自然な返事に、私は思わず吹き出しそうになる。
それなのに、その言葉を聞いたエリオット様はくしゃっと笑って、席を引いてあげた。長い年月、姉がまともに食事を摂れなかったことを知っているからこそ、その一言がどれほど嬉しいのかすぐに分かった。
そして、ルミエラお姉様の食欲の回復には驚かされた。
最初こそ上品にスープをひと匙ずつ口に運んでいたものの、一口飲んだ瞬間、虹色の瞳がぱあっと輝き、そのまままるで何日も食べていなかった小動物のように、夢中で食べ始めたのだ。
「……おいしい」
その小さな呟きには、しみじみとした幸福が滲んでいて、見ているこちらまで胸が温かくなる。
パンをちぎってスープに浸し、仔羊の肉を小さく切って頬張り、果実をつまんではとろんと目を細める。痩せすぎている身体のどこに入るのか不思議になるくらい、彼女は私たちと同じ量をぺろりと平らげた。
エリオット様は、何度も食事の手を止め、その様子を潤んだ瞳で見つめていた。
お姉様が目覚めて一緒に食事している。それだけのことが、彼にとっては夢みたいな光景なのだろう。金色の瞳が潤んでいて、けれど泣くまいと笑顔を作っているのが分かって、私まで胸がいっぱいになる。
「お姉様、ほっぺにソースがついてますよ」
気づいて思わず声を掛けると、彼女はきょとんと私を見たあと、首を傾げた。
「あらぁ? どこかしら」
「こ、ここです」
私はナプキンを取って身を乗り出し、白い頬にちょこんとついたソースをそっと拭ってあげる。すると彼女は、まるで撫でられた子猫みたいに目を細めて、ふにゃあと柔らかく笑った。
「ありがとう、アイリス」
その笑顔があまりにも綺麗すぎて、同性の私ですら一瞬息が止まる。本当に、美の化身のような方だ。でも、どこかぽやぽやしていて、少し目を離すとどこかへふらふら歩いて行きそうな危うさがある。
私とルミエラお姉様のやり取りを見ていたエリオット様が、不思議そうに目を丸くした。
「いつの間に二人はそんなに仲良くなったの? 姉様、寝たきりだったのに」
(私が聞きたいです!)
心の中で叫ぶ私をよそに、ルミエラお姉様はもぐもぐしながら、当然のように言った。
「生まれた時からよ、お姉ちゃんだからね」
(私は公爵家の人じゃありません!!)
こうして晩餐は終始穏やかで、笑いの絶えない時間になった。長く止まっていた時間が、ようやく動き出したようだ。その光景があまりにも幸せそうで、私は食後のハーブティーを飲みながら胸の奥で思う。
――本当に、治ったんだ。エリオット様の奇跡の薬が、この家族を救ったんだ。
そう思うと、自分のことみたいに嬉しくて、頬が自然と緩んでしまった。
◇◇◇
そして――。
その幸せな晩餐のあと。問題は、そこからだった。
時刻はすっかり深夜を回り、私は自室として借りている客室へ戻ってきていた。
「あ、あの……ルミエラお姉様?」
「どうしたの? アイリス」
彼女は相変わらず眠そうな顔で、ふわあと小さな欠伸をしながら、私のすぐ後ろを付いてきている。その距離、ほぼぴったり。影のようにぴたりと付いて来る。
私は自分の寝室の扉を開けたところで、ようやく振り返った。
「ええと……私、今日はもう寝ようと思ってるんですけど……」
「ええ、そうね」
こくり、と彼女は頷く。そして次の言葉に、私は固まった。
「早く寝ましょう? 私も眠たいわぁ」
「……はい?」
彼女は当たり前のように私の寝室へ入り、そのままベッドへ向かった。理解が追いつかない。いや、意味は分かる。分かるけど、分かりたくない。
「も、もしかして……一緒に寝る気ですかぁ!?」
思わず裏返った声が出る。
すると彼女は振り返り、不思議そうに瞬きをした。
「もちろん、姉妹は一緒に眠るものなのよ? 当たり前じゃない」
一切迷いなく言い切った。
「姉妹って、そういうものなんですか!?」
「そうよ? アイリスはいじめられて、そうしてもらえなかっただけ」
白銀の長い髪を揺らしながら、ぽやぽやした表情で彼女は断言した。
絶対違うよね!?
「だ、駄目です! お姉様はまだ病み上がりなんですよ!? 何かあったらどうするんですか!?」
「大丈夫よ。アイリスと一緒に眠れば、もっと元気になるもの」
もはや意味が分からない。ルミエラお姉様はにっこり微笑んで一歩も引かなかった。私の袖をつまみ、眠たげな瞳でじっと見つめてくる。
「いやいやいや、流石にそれは駄目ですって……!」
その瞬間だった。ルミエラお姉様の長い睫毛がふるりと震え、虹色の瞳が潤み、涙が頬を伝う。
「あぁ……妹が、一緒に寝てくれない……」
「わ、わわっ!?」
「やっぱり……私を、お姉ちゃんと思ってくれてないのね……他人と思ってるのね……」
「ち、違います違いますぅ!」
彼女は両手で顔を覆い、肩を小さく震わせる。
「あっ、ああ……も、もうっ、分かりましたっ! 一緒に寝ましょう!」
顔を覆った指の間から、彼女がしてやったりな表情を浮かべ唇をぺろっと舐めた瞬間を、私は見逃さなかった。
涙はどこへいったんですかぁ!? さっきまでの悲壮感はぁ!?
思わずじとっと見つめてしまったけれど、ルミエラお姉様はそんなことお構いなしに上機嫌で私の手を取り、ベッドへ向かう。
「さあ、眠りましょう、アイリス。姉妹の大切な時間よ」
「……は、はぁい……」
もう逆らう気力も残っていなかった。
結局その夜、私は広いベッドの中で、白銀の髪から花の香りを漂わせるルミエラお姉様に、優しく抱きしめられながら眠ることになった。
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