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勘当された泥まみれ令嬢は、公爵家に愛でられる  作者: 霞灯里
第6章 家族の灯火

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第34話 ”お姉ちゃん”

 月白浴殿(げっぱくよくでん)の贅沢すぎる湯船の片隅で、私はただひたすら心臓をばくばくさせていた。


「ご、ごめんなさい、わ、私、この大浴場をお借りしていて! すぐ出ますので、お許し下さいっ!」


 慌てて立ち上がろうとした私に、湯気の向こうから現れた彼女は、穏やかに微笑んだ。


「いいのよ、一緒に入りましょう」


 それはあまりにのんびりとしていて、夢の中で囁かれたみたいな声だった。


 現れたのは、やっぱりルミエラ様だった。


 病気で痩せ細ってはいるものの、人外じみた美貌をまるで自覚していないように、少し眠たそうで、ぽやぽやとしていた。私を見つめ、ふわりと笑って、何事もないようにこちらへ歩いてくる。


(ひゃああ……! 本当に来るんですか!?)


 私は固まったまま動けない。


 ルミエラ様は私の目の前で静かに桶を取り、湯を肩に流して体をゆすぐ。その一つ一つの動作がやけに優雅で、見てはいけないものを見てしまっている気分になる。そしてそのまま、大きな湯船に足を入れた。


 すごく広い湯船なのに。


 どうしてなのか、彼女は真っ直ぐこちらへ来て――私の隣に座った。しかも、ぴたりと肩が触れそうなくらい近い。


(な、なんで隣ぃ!? もっと向こう、いっぱい空いてますよね!?)


 湯船の中で体が跳ねそうになるのを必死に堪えた。冷静になろうとしても、すぐ横に美の化身がいるせいで、全く落ち着けない。


「そ、それよりも……お体は大丈夫なんですか!? こんなに歩いて、お風呂にまで……!」

「うん、このくらいなら平気よ」


 彼女はふわっと微笑み、肩まで湯に沈んだ。眠そうな瞳のまま、じっと私を見ている。


 ものすごく見ている。


(すごく、見てる……! なんで!? 私、何か変ですか!?)


 あまりに真っ直ぐ見つめられて、変な汗が出てきた。湯船なのに冷や汗ってどういうことだろう。


 やがて、ルミエラ様はぽつりと口を開いた。


「アイリス、貴女のことを聞いたわ」

「えっ?」


「子爵家を勘当されたのでしょう?」


 その言葉に、心臓が小さく跳ねた。まさかその話まで聞いているとは思わなくて、一瞬言葉に詰まる。


「あっ……はい、実はそうなんです」


 隠すことでもないので頷くと、彼女はまつ毛を伏せて、小さく息を吐いた。その表情がまるで自分のことのように悲しそうで、驚いてしまう。


「親も姉も、随分と(ひど)かったそうね」

「え、ええと……まあ、ちょっとだけ……」


「ちょっと?」

「もう過ぎた、過去の話ですから」


 そう苦笑する私を、虹色の瞳が静かに見上げる。ぽやぽやしているように見えて、時々その視線は不思議に鋭い。


「貴女はそんなに割り切れるの? 復讐したいって思わない?」

「ふ、復讐って!? そんなこと思いませんよ!」


「貴女はそれだけのことをされたと思うのだけれど」


 心配そうに言うルミエラ様に真っ直ぐ問われて、私は少しだけ考え込んだ。


「私は植物が好きで、育てる事が趣味で……それは何より大事な事で、譲れなかったんです」

「うん」


「それは貴族にふさわしくない趣味嗜好(しゅみしこう)で、家族から怒られていました」

「……うん、それが酷いと思っているんだけど」


「でも、貴族らしい生き方を私に望む家族も間違ってません」

「……」


「だけど、私は自分の大事なものを譲れませんでした」


 悲しかった。もちろん辛かった。でも。


「要するにお互いの思想がぶつかって、収拾付かなくって、勘当されて、家族じゃなくなってしまった……ただ、それだけなんです」

「……アイリス、貴女は強いのね」


 そう言うと、ルミエラ様は虹色の瞳をぱちぱちと瞬かせた。


「酷い仕打ちをした家族を恨みもせず、否定もしない」

「えっ?」


 そう言った彼女は、ふと肩を寄せてきて――そのまま、こてん、と私の肩に頭を預けた。 


「ひゃっ!?」


 思わず変な声が出た。


「ただそれだけって言えるなんて……素敵ね」

「そ、そうですかぁ!?」


 湯気の中で、彼女の甘い花の香りがふわりと漂ってきて、私は完全に固まった。白銀の長い髪が肌に触れて、くすぐったい。


「実の親と姉にいじめられて、悲しい思いをしてきたのに……」

「えっ……い、いや……その……」


 どう答えればいいのか分からない。頭が真っ白になる。


「健気なこ……」


 そして、ゆっくりと顔を上げた。近い。近すぎる。

 至近距離で切なそうに虹色の宝石が私を見つめてきて、息が止まってしまう。


「だから、私は決めたの」

「えっ?」


 彼女は、ふわりと微笑んだ。

 その言葉はとても優しくて、どこか無邪気で、子供のような純粋な響きを含んでいた。


「今日から、私がアイリスの”お姉ちゃん”になるわ」

「……えっ?」


 一瞬、意味が分からなかった。頭が追いつかず、ぽかんと口を開けてしまう。


「家族に愛されなかったのなら、これから私がいっぱい愛してあげる」


 その隙に彼女は、両手で私の手を包み込んだ。


「だから、私を”お姉ちゃん”と呼んで?」

「えええっ!?」


 ようやく意味を理解して、私は慌ててぶんぶんと首を振った。


「む、無理ですっ! そんなの駄目です! ルミエラ様に不敬です!」


 すると眠たげな彼女の表情に影が差し、ぴたりと止まった。静寂が落ち、ぽやぽやしていた美しい顔が、みるみるうちに曇っていく。


「えっ!? わああぁ!?」


 そして――ぽろり、とその虹色の瞳から一滴の涙が頬を伝った。私は凍りついた。あまりに綺麗な顔で泣かれると、衝撃がすごい。


(わわわわっ!? な、泣かせちゃった!?)


 ルミエラ様は唇を震わせて、悲しそうに俯いた。


「……どうして?……よ、呼んでくれないの?……私じゃ、だめなのね……」

「ち、違いますっ!」


 ぽろぽろと涙が零れていく。その表情はあまりにも儚く切なくて、彼女を傷つけた事実に、頭の中が真っ白になった。


「……やっぱり、私なんて……お姉ちゃん失格なのね……? だめな姉なのね……?」

「ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃ……! 貴族と平民の立場の違いですよぉ!」


 彼女は顔を伏せたまま、小さく肩を震わせる。


「……アイリスは……私が嫌いなのね……駄目な姉でごめんなさい……」

「嫌いなわけじゃないですか! むしろ大好きですっ!」


 もう大混乱で半泣きだった。私は湯船の中でばしゃばしゃしながら必死に首を振る。その言葉に、彼女は涙で濡れた虹色の瞳を上げて、私を見つめた。


「……本当?」

「ほ、本当です!」


「じゃあ……”お姉ちゃん”って呼んでくれる?」

「えっ?」


 逃げ道がなかった。


 こんなに綺麗な人を泣かせて、断れるわけがない。


(どうしたらいいの!? ……ああもう、どうにでもなあれ!)


 私は顔を真っ赤にしながら、観念して口を開いた。


「ル、ルミエラ……お姉様……?」


 その瞬間、涙で濡れたまま彼女の表情がぱあっと明るくなった。まるで花が咲いたみたいな笑顔だった。


「うれしいわ」


 そう言って、ぎゅっと私に抱きついてくる。そして、言質(げんち)を勝ち取ったように彼女は宣言した。


「そうよ、私がアイリスのお姉ちゃんよ!」

「は、はぁい……」


 私は完全に力が抜けてしまった。湯に浸かって癒されていたはずなのに、どっと疲れが押し寄せて、一気に寿命が縮んだ気がした。


 ルミエラ様は嬉しそうに私の肩に頬を寄せていて、その姿はとても美しい。私はもう、のぼせたのか別の理由なのか分からないくらい、頭がくらくらしていた。

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― 新着の感想 ―
多分今1番続きが楽しみです 読みやすいし、これからが凄く楽しみですね ゆっくりでいいので頑張ってください 応援しています
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