第3話 消えた蒼月花
「ところで、まだ夜だけど。蒼月花は咲いてなかったかい? 一輪も無駄にできないんだ」
その言葉が耳に届いた瞬間、背中に冷たいものがすっと流れ落ち、全身の血の気が音を立てて引いていくのが分かった。
(――終わった)
そんな言葉が、無意識に頭の中で静かに響く。
「あ、あわわっ……!」
自分でも分かるほど挙動不審になってしまい、手は落ち着きなく震え、視線は定まらず、呼吸まで浅くなってしまう。
そんな私の様子を見て、少年――エリオット様は怪訝そうに眉を寄せた。
「その様子は……まさか、咲いていたのかい?」
「ひいっ……!」
思わず変な声が出てしまう。
エリオット様は魔道具の灯りを手に取り、静かに丘の上を歩きながら辺りを見渡す。
そして、蒼月花が存在していたはずの場所に何もないことを確認すると、ゆっくりと私たちの方へと振り返った。
「……一応言っておくけど」
その声は先ほどよりもわずかに低く、しかし決して怒鳴るようなものではないのに、不思議と逃げ場を失わせる圧があった。
「蒼月花は我が領の天然記念物だ。許可なく採取することは、法律で禁じられている」
(い、い、違法ですかぁ……!?)
頭の中でその言葉がぐるぐると回る。
「――え?」
気づけば、護衛の騎士たちがじりじりと距離を詰めてきていて、いつの間にか私達は囲まれていた。
(ひええぇ!? つ、捕まる……!? 牢屋!? わ、私、前科者に――!?)
ぶわっと冷や汗が噴き出し、足元がぐらぐらと揺れるような感覚に襲われる。
そんな中、戸惑うことしか出来ない私より先に動いたのは――
「エリオット様、申し訳ございません!」
アネッサさんだった。
次の瞬間、彼女は迷いなく地面に膝をつき、そのまま額を土に擦り付けるようにして深く頭を下げた。
「すべては私の監督不行き届きでございます! この子に悪気はありません、どうか罪は私が――!」
「や、やめてください! 違うの、私が悪いの!」
慌ててその背中に抱きつくと、アネッサさんはそれでも顔を上げようとせず、必死に言葉を重ねる。
「どうか……どうか、お許しを……!」
私を庇うその姿を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられて、気づけば涙が溢れていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
自分が情けなくて、悔しくて、申し訳なくて。涙が次から次へと零れていく。
そんな私たちを見つめながら、エリオット様は小さく溜息をついた。
「……その様子だと、知らなかったみたいだね」
「は、はい……本当に、誠に申し訳ございません……!」
震える声でなんとか答えると、彼は少しだけ表情を緩めた。
「いいよ、今回は見逃してあげる」
「……え?」
思わず顔を上げる。
「それじゃあ――摘んだ蒼月花を、返してくれる?」
「……!」
その言葉に、心臓がどくん、と大きく跳ねた。
(返す……?)
どうしよう。
だって、あの蒼月花は……《花の帳》が、取り込んでしまった。
その現実を改めて突きつけられた瞬間、とんでもないことをしてしまった絶望的な現実に、ついに胸の奥で何かがぷつりと切れた。
「ひっ……う、うわああああんっ!」
堪えていた感情が、一気に決壊する。
「わああぁん……! ごめんなさいぃ……! なくなっちゃったんですぅ……!」
「ちょ、ちょっと!?」
「ひぐっ、ひぐっ……ほんとに、ごめんなさい……!」
「落ち着いて、大丈夫だから!ねっ」
自分でも止められないほどの大泣きに、周囲の空気が一気に慌ただしくなる。
「だ、大丈夫! 怒らないから! ね、だから泣かないで!」
私が悪いのに、面倒かけてごめんなさい。
エリオット様が慌てて私の前にしゃがみ込み、おろろしながら必死に声をかけてくる。
整いすぎた顔がすぐ目の前にあって、涙で滲む視界の中でもその綺麗さがはっきりと分かってしまう。
こんな距離で男の人に覗き込まれるなんて初めてで、余計に頭が混乱する。
「ほら、深呼吸して……大丈夫だから、ゆっくり話して?」
優しく諭すような声に導かれて、なんとか呼吸を整えながら、私は途切れ途切れに事情を話した。
◇◇◇
「……なるほどね」
ようやく私が落ち着いてから事情を全て話し、一通り話を聞いたエリオット様は腕を組みながら小さく頷いた。
「つまり君のスキル、《花の帳》が……うっかり触れた蒼月花を取り込んでしまった、と?」
「は、はい……」
恐る恐る答えると、彼は興味深そうに私の持っている本へと視線を向けた。
「君が持ってるその本……それが《花の帳》?」
「……はい」
そんなスキル初めて聞いたよって言われた。でしょうね〜。
「見せてもらってもいい?」
その一言に少しだけ躊躇ったものの、素直に頷いて蒼月花のページを開きながら《花の帳》を差し出した。
「……こ、これは……!」
エリオット様は目を大きく見開き、息を呑むようにそのページを見つめた。
さっきまで穏やかだった彼の表情が、一瞬で変わる。
(え……?)
エリオット様はまるで宝物でも見つけたかのような、子供のような顔をしていた。
きょとんとしている私をよそに、彼はキラキラ瞳を輝かせ食い入るように《花の帳》を見つめながら、ぶつぶつと何かを呟き続けていた。
「……すごい……これまで全く分からなかった生態……効能まで……全部書かれている……!」
「えっ……?」
思わず聞き返してしまう。
そんなにすごいことが書いてあるの……?
すると彼は、はっとしたように顔を上げた。
「ねえ、この花の絵」
指で蒼月花の絵を指しながら、ぐっと距離を詰めてくる。
ち、近い、近い!
「これ、本当に“絵”かな?」
「えっ……?」
「この絵はまるで、生きているみたいだ」
そう言われて改めて見ると、確かに《花の帳》に描かれた植物は色付けされると、絵とは思えないほど精巧で、今にも揺れそうなほどの生命力を感じた。
「もしかして――本から花を取り出せたりしない?」
「え、ええっ!? そんなの無理ですよ!」
「試したことはあるの?」
「そんなの、やった事ないですけど……」
「じゃあ今、試そうよ!ちょっとやってみて!」
「ええええっ!?」
突然の無茶ぶりに、思わず声が裏返る。
けれどエリオット様は、きらきらと目を一層輝かせながら、期待の表情でぐっと顔を近づけてきた。
「お願い、やってみて!」
だから、その距離、近すぎます!
白銀の髪が月明かりにきらめいて、長いまつげが影を落として、綺麗すぎる顔立ちがすぐ目の前にある。
「も、もうっ……やりますから、ちょっと離れてください!」
「うん!」
あっさりと引くその素直さに、逆に調子が狂う。
私はごほん、と小さく咳払いをしてから、《花の帳》に意識を向けた。
(お願い……)
胸の中でそっと祈る。
「《花の帳》……蒼月花を、取り出して!」
その瞬間。
《花の帳》が、ふわりと優しく光り始めた。ページから、淡い光の粒が舞い上がる。
「わわわっ……」
思わず目を細める。
そして次に目を開けた時――そこには。
開いた《花の帳》の上に、静かに横たわり淡く光る蒼月花が、美しいその花弁を揺らしていた。
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