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勘当された泥まみれ令嬢は、公爵家に愛でられる  作者: 霞灯里
第1章 泥まみれ令嬢

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第3話 消えた蒼月花

「ところで、まだ夜だけど。蒼月花は咲いてなかったかい? 一輪も無駄にできないんだ」


 その言葉が耳に届いた瞬間、背中に冷たいものがすっと流れ落ち、全身の血の気が音を立てて引いていくのが分かった。


(――終わった)


 そんな言葉が、無意識に頭の中で静かに響く。


「あ、あわわっ……!」


 自分でも分かるほど挙動不審になってしまい、手は落ち着きなく震え、視線は定まらず、呼吸まで浅くなってしまう。


 そんな私の様子を見て、少年――エリオット様は怪訝そうに眉を寄せた。


「その様子は……まさか、咲いていたのかい?」

「ひいっ……!」


 思わず変な声が出てしまう。


 エリオット様は魔道具の灯りを手に取り、静かに丘の上を歩きながら辺りを見渡す。

 そして、蒼月花(ルナ・アズール)が存在していたはずの場所に何もないことを確認すると、ゆっくりと私たちの方へと振り返った。


「……一応言っておくけど」


 その声は先ほどよりもわずかに低く、しかし決して怒鳴るようなものではないのに、不思議と逃げ場を失わせる圧があった。


蒼月花(ルナ・アズール)は我が領の天然記念物だ。許可なく採取することは、法律で禁じられている」


(い、い、違法ですかぁ……!?)


 頭の中でその言葉がぐるぐると回る。


「――え?」


 気づけば、護衛の騎士たちがじりじりと距離を詰めてきていて、いつの間にか私達は囲まれていた。


(ひええぇ!? つ、捕まる……!? 牢屋!? わ、私、前科者に――!?)


 ぶわっと冷や汗が噴き出し、足元がぐらぐらと揺れるような感覚に襲われる。


 そんな中、戸惑うことしか出来ない私より先に動いたのは――


「エリオット様、申し訳ございません!」


 アネッサさんだった。


 次の瞬間、彼女は迷いなく地面に膝をつき、そのまま額を土に擦り付けるようにして深く頭を下げた。


「すべては私の監督不行き届きでございます! この子に悪気はありません、どうか罪は私が――!」

「や、やめてください! 違うの、私が悪いの!」


 慌ててその背中に抱きつくと、アネッサさんはそれでも顔を上げようとせず、必死に言葉を重ねる。


「どうか……どうか、お許しを……!」


 私を庇うその姿を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられて、気づけば涙が溢れていた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 自分が情けなくて、悔しくて、申し訳なくて。涙が次から次へと零れていく。


 そんな私たちを見つめながら、エリオット様は小さく溜息をついた。


「……その様子だと、知らなかったみたいだね」

「は、はい……本当に、誠に申し訳ございません……!」


 震える声でなんとか答えると、彼は少しだけ表情を緩めた。


「いいよ、今回は見逃してあげる」

「……え?」


 思わず顔を上げる。


「それじゃあ――摘んだ蒼月花を、返してくれる?」

「……!」


 その言葉に、心臓がどくん、と大きく跳ねた。


(返す……?)


 どうしよう。


 だって、あの蒼月花は……《花の帳(フローラル・レコード)》が、取り込んでしまった。


 その現実を改めて突きつけられた瞬間、とんでもないことをしてしまった絶望的な現実に、ついに胸の奥で何かがぷつりと切れた。


「ひっ……う、うわああああんっ!」


 堪えていた感情が、一気に決壊する。


「わああぁん……! ごめんなさいぃ……! なくなっちゃったんですぅ……!」

「ちょ、ちょっと!?」


「ひぐっ、ひぐっ……ほんとに、ごめんなさい……!」

「落ち着いて、大丈夫だから!ねっ」


 自分でも止められないほどの大泣きに、周囲の空気が一気に慌ただしくなる。


「だ、大丈夫! 怒らないから! ね、だから泣かないで!」


 私が悪いのに、面倒かけてごめんなさい。

 エリオット様が慌てて私の前にしゃがみ込み、おろろしながら必死に声をかけてくる。


 整いすぎた顔がすぐ目の前にあって、涙で滲む視界の中でもその綺麗さがはっきりと分かってしまう。

 こんな距離で男の人に覗き込まれるなんて初めてで、余計に頭が混乱する。


「ほら、深呼吸して……大丈夫だから、ゆっくり話して?」


 優しく諭すような声に導かれて、なんとか呼吸を整えながら、私は途切れ途切れに事情を話した。



 ◇◇◇



「……なるほどね」


 ようやく私が落ち着いてから事情を全て話し、一通り話を聞いたエリオット様は腕を組みながら小さく頷いた。


「つまり君のスキル、《花の帳(フローラル・レコード)》が……うっかり触れた蒼月花(ルナ・アズール)を取り込んでしまった、と?」

「は、はい……」


 恐る恐る答えると、彼は興味深そうに私の持っている本へと視線を向けた。


「君が持ってるその本……それが《花の帳》?」

「……はい」


 そんなスキル初めて聞いたよって言われた。でしょうね〜。


「見せてもらってもいい?」


 その一言に少しだけ躊躇(ためら)ったものの、素直に頷いて蒼月花のページを開きながら《花の帳》を差し出した。


「……こ、これは……!」


 エリオット様は目を大きく見開き、息を呑むようにそのページを見つめた。


 さっきまで穏やかだった彼の表情が、一瞬で変わる。


(え……?)


 エリオット様はまるで宝物でも見つけたかのような、子供のような顔をしていた。


 きょとんとしている私をよそに、彼はキラキラ瞳を輝かせ食い入るように《花の帳》を見つめながら、ぶつぶつと何かを呟き続けていた。


「……すごい……これまで全く分からなかった生態……効能まで……全部書かれている……!」

「えっ……?」


 思わず聞き返してしまう。


 そんなにすごいことが書いてあるの……?


 すると彼は、はっとしたように顔を上げた。


「ねえ、この花の絵」


 指で蒼月花の絵を指しながら、ぐっと距離を詰めてくる。


 ち、近い、近い!


「これ、本当に“絵”かな?」

「えっ……?」


「この絵はまるで、生きているみたいだ」


 そう言われて改めて見ると、確かに《花の帳》に描かれた植物は色付けされると、絵とは思えないほど精巧で、今にも揺れそうなほどの生命力を感じた。


「もしかして――本から花を取り出せたりしない?」

「え、ええっ!? そんなの無理ですよ!」


「試したことはあるの?」

「そんなの、やった事ないですけど……」


「じゃあ今、試そうよ!ちょっとやってみて!」

「ええええっ!?」


 突然の無茶ぶりに、思わず声が裏返る。


 けれどエリオット様は、きらきらと目を一層輝かせながら、期待の表情でぐっと顔を近づけてきた。


「お願い、やってみて!」


 だから、その距離、近すぎます!


 白銀の髪が月明かりにきらめいて、長いまつげが影を落として、綺麗すぎる顔立ちがすぐ目の前にある。


「も、もうっ……やりますから、ちょっと離れてください!」

「うん!」


 あっさりと引くその素直さに、逆に調子が狂う。


 私はごほん、と小さく咳払いをしてから、《花の帳》に意識を向けた。


(お願い……)


 胸の中でそっと祈る。


「《花の帳》……蒼月花を、取り出して!」


 その瞬間。


 《花の帳》が、ふわりと優しく光り始めた。ページから、淡い光の粒が舞い上がる。


「わわわっ……」


 思わず目を細める。


 そして次に目を開けた時――そこには。


 開いた《花の帳》の上に、静かに横たわり淡く光る蒼月花が、美しいその花弁を揺らしていた。

この物語を読んで頂き有難うございます。

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