第2話 ブルームーンの夜に
そして――新しい生活を始めてから、気がつけば半年が過ぎていた。
私たちが暮らしてるアストラヴェル領の領都アンダルシアは、活気に満ちた大きな都会の街で、石畳の広い通りには色とりどりの店が立ち並び、朝から晩まで人の流れが絶えることがない。
そんな商店街の一角に、ゼネブさんのお父様から受け継いだ、広い庭付きの立派なお店があった。
そこが、私達の居場所――お花屋さんを経営してます。
店の裏手には手入れの行き届いた庭が広がり、四季折々の草花が風に揺れていた。朝露に濡れる花弁、土の香り、芽吹きの気配。どれもこれもが愛おしくて、日々胸がいっぱいになる。
何より、家族から罵られることは二度とないのだ。
(すごく幸せ……)
思わずニマニマと頬が緩んでしまうのを、隠せようもなくなっていた。
正直に言えば、最初は不安もあった。こんな都会で、植物なんて本当に売れるのだろうか、と。
けれど、その心配はいい意味で裏切られることになる。人は色んな所に植物を飾るものだ。
花屋を開店して間もないにも関わらず、店には次々とお客様が訪れ、季節の花や珍しい苗を求めて足を運んでくれる人が増えていった。
評判も上々で、「ここの花は元気だ」「長持ちする」と、ありがたい言葉までいただけるようになり――気づけば、店は思っていた以上に繁盛しちゃってます。
生活に少しずつ余裕が生まれ、家計が潤い、ようやく胸を撫で下ろしたそんな頃。
――待ちに待ったその日は、やってきた。
魔力に恵まれたこのアストラヴェル領の中でも、特に大気に魔力が満ちる刻。
空に浮かぶ月は、まるで蜃気楼のように輪郭を揺らしながら、淡く青く輝いていた。
三年ぶりに訪れた、ブルームーン。
この土地でしか見ることのできない特別な夜に、私は大はしゃぎしていた。
ゼネブさんとアネッサさんを巻き込んで、深夜にも関わらず、領都北側の高台にある公園まで足を運んでいた。
目的はもちろん――蒼月花。
咲く瞬間から見逃したくないという一心で深夜の丘へとやってきた私たちは、まるでピクニックにでも来たかのような気分で、足取り軽く歩いていた。
「蒼月花って一気に育って、すぐに枯れちゃうんですね~。ほんと儚いお花……!」
《花の帳》を開き読み返しながら、私はわくわくを抑えきれずに声を弾ませる。
「そうそう、その通りです。儚くも美しい……まるで女性の一生のようだとも言われておりますな」
「わあ……なんだか素敵な例えですね。え〜と、魔力回路の調子を整える効能もあるみたい!」
夜風に揺れる草の音と、遠くの虫の声。
青く輝く月明かりの下、私たちは静かな丘を進み、やがて見晴らしの良い先端へと辿り着いた。
――その時だった。
「……え?」
視界の先に、小さな光が揺らめく。
「……あれは……まさか……!」
気づいた瞬間、私たちは顔を見合わせ、次の瞬間には駆け出していた。
息を弾ませながら近づいていくと、そこにあったのは――一輪の美しい花。
「早咲きの……蒼月花!?」
思わず声が震える。
釣り鐘のように下を向いた花弁は、淡い青白い光を宿し、夜露をまとって静かに輝いている。
その幻想的な姿は、まるでこの世のものではないかのように美しく、ただそこに在るだけでこの場の空気を変えてしまうほどだった。
「綺麗……可愛い……!」
胸がいっぱいになって、言葉がうまく出てこない。
「子供の頃に一度見ましたが……やはり見事ですな」
「ほら、少し光ってる……魔力の影響かな……?」
興奮を抑えきれず、《花の帳》を開いて見比べる。夢中になっていた私は――つい、蒼月花に手を伸ばしてしまった。
「……あっ」
花弁に、ほんの少しだけ触れてしまう。
その瞬間。
蒼月花は一層強く光を放ち――次の瞬間には、ぱっと弾けるように崩れ、無数の光の粒へと変わった。
きらきらと舞うそれは、まるで星屑のようで。
「ああっ!待って!」
けれどその輝きは、逃げるように《花の帳》へと吸い込まれ――瞬きする間に全て消えてしまった。
「わ、私……触っちゃった……!」
そこにあったはずの花は、跡形もなく消えている。
「ほ、本当にごめんなさい……! せっかくの……蒼月花なのに……!」
血の気が引く私。
取り乱して何度も謝る私に、二人は顔を見合わせて、やがて優しく微笑んだ。
「ふふ、仕方がありませんよ」
「朝まで時間はありますし、また蒼月花は咲きますとも」
その言葉に少しだけ救われる。
《花の帳》を見れば、先ほどまで白黒だった蒼月花のページが鮮やかに色付けされていた。
――登録された証。
こうしてまだ登録していない植物は、触れると《花の帳》に取り込まれちゃうのだ。
(やっちゃった……)
凹んでいる私をよそに、アネッサさんは手際よく布を広げ温かいハーブティーの準備を始めた。
「では、朝までゆっくり待ちましょう――おや?」
その時、遠くから規則的な音が聞こえてきた。
「……あれ? これって蹄の音……?」
耳を澄ませば、馬の嘶きと車輪が石を踏む音。こんな深夜に、馬車――?
「……あれは……領主様の紋章では……?」
「えっ!?」
視線の先、丘の下から現れたのは魔道具の灯りに照らされた騎士達と、とても大きく豪華な馬車。
その紋章は、間違いなく――アルヴェリア公爵家。
「ひええええっ!?」
背筋が凍る。
やがて一行は丘の上までやって来て、先頭の騎士が私達に気づき、馬を寄せて声をかけてきた。
「こんな時間に、あなた方は何をしているのですか? 街の住民です?」
「は、はい、街で花屋を営んでいます……私達は蒼月花を、夜通しで見に来ていて……」
しどろもどろになりながら答えると、騎士はやはりと呟き納得したように頷いた。
「そうでしたか、深夜から熱心ですね。ですが、今回は難しいかもしれません」
「え……?」
「我が主に確認を取ります」
「あ、あるじ……!?」
唖然としている間に、騎士はそう言って馬車へと向かって行った。
「主って……まさか……!」
冷や汗が流れて、心臓がばくばくと音を立てる。
「そ、そんな、どうして領主様がここに……!?」
あまりにも突然すぎて、わたわたと焦る私達。
(怒られる!? 何か無礼を働いたかしら!?)
そんな不安が頭をよぎる中、馬車の扉が開いた。そして、そこから降りてきたのは――
「……えっ?」
思わず、目を疑った。
白銀の髪が月光を受けて柔らかく輝き、整いすぎた顔立ちはまるで人形のよう。
けれどその瞳はしっかりと意志を宿していて、どこか大人びた雰囲気を纏っている。
年の頃は――私より一回り下、だろうか。予想と違った少年が現れ、天使じみた姿に唖然としてしまう。
「こんばんは、僕はエリオット・アルヴェリア。公爵家の三男さ」
柔らかく、けれどよく通る声で少年は私達に声をかけてきた。
「君たちは、蒼月花を見に来たんだね?」
「は、はい、そうです!」
思わず背筋を伸ばしてしまう。
「そうか……ブルームーンの風物詩だものな。けれど、すまない」
彼は少しだけ申し訳なさそうに眉を寄せた。
「蒼月花が、とある薬の原料になることが分かったんだ。急ぎ必要でね、咲いた花はすぐに摘まなければならない」
「そ、そうなんですか……!」
眉間にしわを寄せ険しい表情を見せる少年は、少し疲れてるように見えた。
身内に病気の人がいるんだろうか?
「少しは時間を取るけれど……短時間しか見せられないと思う。ごめんね」
その言葉と申し訳なさそうな表情に、私は思わず彼を見入ってしまった。
(何て優しい人なんだろう……)
貴族で最も家格のある公爵家の方なのに、私達のような平民を気遣ってくれるなんて。
「ところで」
エリオット様は丘の先を見渡しながら、静かに続けた。
「まだ深夜だけど……蒼月花は咲いていなかったかい?一輪も無駄にできないんだ」
――その言葉を聞いた瞬間、先程の出来事が頭の中で鮮明に蘇る。
(わ、私……さっき……《花の帳》に取り込んじゃった!)
背中に冷たい汗が流れ、血の気が音を立てて引いていった。
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