第25話 水鏡睡蓮
【 渡り鳥の風邪薬 】を作り、街中へ配った翌朝。
まだ朝靄の残る湖畔街ルミナレイクには、昨日まで漂っていた重苦しい空気がまるで悪い夢だったかのように薄れていた。
閉ざされていた窓が開き始め、家々からは朝食の匂いと人々の話し声が漏れてくる。通りには少しずつ笑顔が戻り始めていて、昨日まで静まり返っていた街とは別世界のよう。
私達が滞在している建物へ慌ただしい足音と共に町長さん達がやってきたのは、朝食を終えた頃だった。
「公爵様……! 本当に、本当にありがとうございました……!」
応接室へ入るなり、町長さんは深々と頭を下げた。その後ろには、街の住民達の姿もある。皆が涙ぐみながら、何度も感謝を口にしていた。
「昨夜のうちに熱が下がった者が大勢おりまして……!」
「咳も和らぎ、眠れるようになったそうです!」
「水すら飲めなかった子が、朝にはお腹が空いたと言って……!」
感極まったように話す町長さんの声が震える。次々と零れる感謝の言葉に、胸がじんわり熱くなる。
「ルミナレイクは、この御恩をいつまでも忘れません!」
(良かった……本当に、良かった……!)
涙ぐみながら喜ぶ住民たちの姿を見て、私まで嬉しくなってしまった。
けれど――そんな皆を前にしても、エリオット様は誇るような顔をしなかった。
「礼は不要だよ、君達はアストラヴェルの民だ。民を守る事は、領主として当然の責務だからね」
私の隣で、彼は静かに微笑んだ。
「し、しかし……これほどの量の特効薬を、一夜で作り上げるなど……!」
「街の状況に気付くのが遅れて、すまなかった」
さらりと言う彼だけど、町長さん達は感動しきったような顔をしている。街の人達にとって、奇跡みたいな出来事だったと思う。
けれど、そんな称賛を向けられてもなお、エリオット様は少し苦しそうな顔をしていた。
「これからは毎年、渡り風邪の薬を送ろう。予防用も備蓄用も含めてね。もう同じことは繰り返させない」
その声音は穏やかなのに、強い決意が滲んでいた。その奥には、自分自身への悔しさが滲んでいる。恐らく、命を救える力を持ちながら、流行に気付くのが遅れた事を彼は悔いているのだ。
町長さんは堪え切れずに涙を零しながら、何度も頭を下げていた。
「ありがたや……本当に、ありがたや……」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
そんな皆を見つめていると、エリオット様がふっと私へ視線を向けた。そして、いつものように私に手を差し伸べる。
「さあ、“水鏡睡蓮”を採集しに行こうか!」
「は、はいっ!」
◇◇◇
湖へ続く木製の桟橋を歩き始めた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
視界いっぱいに広がる湖が――あまりにも美しかったから。
湖面は、まるで巨大な鏡だった。
透き通った水は底まで見えるほど澄み切っていて、水中を泳ぐ小魚まで鮮明に見える。ゆらゆらと揺れる水草、光を反射してきらめく砂粒、そのすべてが幻想的だった。
小魚の群れや水草の揺らぎまではっきり見え、太陽の光を受けた湖面は淡い青と銀を溶かしたように、きらきら輝いていた。
その湖面を埋め尽くすように、無数の睡蓮の葉が浮かんでいる。
丸い葉の合間に咲くのは白い花々――“水鏡睡蓮”。
白い花弁はほんのり青みを帯び、水面へ映る姿と重なってまるで光そのものが咲いているみたい。風が吹けば湖面が揺れ、睡蓮もゆらゆらと揺れる。そのたびに水へ映った空と花が溶け合って、夢の中のような景色を作り出していた。
湖畔に並ぶ赤や青、黄色の可愛らしい家々までも水面へ映り込み、まるで絵画の中に迷い込んだかのよう。
「うわぁ……すごい……!」
思わず零れた声に、隣のエリオット様も目を細める。
「これは……絶景だね」
澄んだ風が吹き抜ける。
水と花の香りが混ざり合った空気は、胸の奥まで洗い流してくれるようだった。
(この子が、“水鏡睡蓮”……)
私はそっと一輪の睡蓮の前に腰を下ろした。
《花の帳》の絵では何度も見た。でも本物は全然違う。湖と一緒になってその美しさが完成する花だった。
「ごめんね……」
小さく呟きながら花弁へ触れると、睡蓮は淡い光の粒へ変わっていく。
きらきらと舞い上がった光が、《花の帳》へ吸い込まれていった。
その光景すら、美しくて。私はしばらくその幻想的な余韻に見惚れてしまっていた。
やがて静かに口を開く。
「これで……あと一つですね」
「……うん」
振り返ると、彼は湖を見つめたまま何処か物憂げな表情をしていた。それを見て、私は思わず口にしてしまう。
「……亡くなった方のこと、気にされてるんですか?」
彼が少しだけ目を見開いた。
「はは……そんなに分かりやすかったかな、情けない顔してた?」
「情けなくなんてないです……悲しそうでした」
彼は苦笑しながら、湖へ目を向ける。
「うん。もっと早く気づいていればと、思ってる」
「そんなの、誰でも分かりっこありませんよ」
「いや、僕には出来ただろう……でも、これは自分で決めた事なんだ」
「えっ?」
「僕は家族を救うことを最優先にしていた。もちろん後悔はしてない。だけどその結果として、目を向けられなかった場所があったのも事実だ」
その静かな声に固まってしまう。彼は自分の掌を見つめながら、続けた。
「言い換えれば、この力を”家族を救う為”と名分を建てて、利己的に使っていた。命に優劣なんて無いのにね」
「そ、そんなことありません!」
どうにか慰めようとあたふたする私を、エリオット様は優し気な表情で微笑みながら見つめた。
「だけど、それはもう終わるんだよ。僕の願いは叶ったんだ。これからは、”未来”を描ける」
「えっ?」
「この王国では、年間15万人以上が病で亡くなっている。そのうち半数近くは、風邪が原因なんだよ」
「えっ……!?じゅ、15万人……!?」
「回復魔法じゃ病は治しきれない。病に必要なのは薬だ」
想像も出来ない、とんでもない人数だった。
「薬師が不足してる、薬を作る技術が無い、薬の価格が高い、辺境への流通問題……要因はいくらでもある。でも逆に言えば、改善できれば救える命もあるという事だ」
彼は静かに微笑んだ。
「そんな病に苦しむ民を全員救えたら……素敵だとは思わないか?」
その言葉が胸に刺さり、心が熱く震える。
「まずは領民。そして何れはこの王国全体。この力で、病に苦しむ人のいない世界を作りたい。そんな夢を見始めたんだ」
これまで家族を救う為に戦っていた彼が、もっと大きな未来を見始めている。壮大な夢のはずなのに、この人なら本当に叶えられるだろうって思っちゃった。
「でもね、こんな大きな夢を描けるようになったのは……君のおかげなんだよ、アイリス」
「へっ?」
彼が私へ向き直る。
少しだけ緊張したように頬を染めながら、真剣な表情で真っ直ぐ手を差し出してきた。
「これからも、僕の助手でいて欲しい。力を貸してくれないか?」
胸がどきりと跳ねた。
湖面と睡蓮が風に揺れる。
まるで、この幻想的な景色全部が彼を祝福してくれてるようだった。
「ずっと傍に居て欲しい」
私の選択肢など一つしかなかった。迷うことなく彼の手を取る。
「はい……! 私がエリオット様のお役に立てるのなら!」
彼がぱぁっと満面の笑顔を浮かべた。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がぽかぽかと温かくなって――私は自分の顔まで熱くなっていることに気付いてしまった。
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