第19話 三日ぶりの『ハニーペタル』
エリオット様にご家族を紹介して頂いた三日目の、夕刻前。
一先ずは素材の手配や計画は公爵家の皆に任せていいとの事で、帰宅許可が下りた私は自分のお店へ帰ることにした。
用意して頂いた立派な馬車を前にして、どこか現実に引き戻されるような感覚を覚えながらも、来た時の服に袖を通す。華やかな官服やドレスではなく、見慣れた街娘の装いに戻ると、胸の奥にほっとした安堵が広がる。
(やっぱり……街着が落ち着く……)
ふう、と小さく息をついていると、隣に立つエリオット様が柔らかく微笑む。
「計画は進めておくよ、何かあれば連絡する」
「はい……あの」
言いかけて、ほんの少しだけ言葉を選ぶ。
「お姉様も……必ず治しましょうね」
そう告げると、彼は一瞬だけ目を伏せ、それからしっかりと頷いた。
「うん、ありがとう」
短い言葉なのに、その中に込められた想いはとても深くて、胸がじんわりと温かくなる。
ほんの少しだけ――彼の姉、ルミエラ様のもとにも案内してもらった。
静かな部屋の中、カーテン越しの柔らかな光に照らされながら眠る彼女は、まるで壊れてしまいそうなほどに儚く見えた。病によって体は著しく痩せ細り、華奢な腕や首筋は触れれば折れてしまいそうなほどに細かった。
それでも、その整った顔立ちと透き通るような肌は、弱々しさの中にどこか幻想的な美しさを宿していて――思わず息を呑むほどだった。
苦しそうな浅くか細い呼吸が規則正しく繰り返されるたびに、胸が締め付けられた。
(……絶対に、助けたい)
その想いが、胸の奥で強く燃え上がった。
「アイリスに、お願いがあるんだ」
部屋を出た後、エリオット様が静かに言う。
「家族の為にあのハーブを、作ってほしい」
「……はい、もちろんです!作ろうと思ってました!」
すぐに頷く。
「少しお時間はいただきますが、しっかりと準備しますね。沢山作ります」
自分でも驚くほど迷いのない言葉だった。
彼は、そんな私を見て嬉しそうに微笑む。
「あのハーブの茶葉は、君にしか作れないからね。頼りにしているよ」
「任せてください!」
思わず胸を張る。
当主様の、寂しげで遠くを見つめるような瞳。
アレクシス様の、申し訳なさそうに自嘲する表情。
ルミエラ様の、弱々しく儚げな様子。
そして――すべてを背負いながら、それでも前を向こうとするエリオット様の姿。
(私にできることがあるなら……力になりたい)
そう強く思った。
「それじゃあ、三日後にまた迎えに行くよ。何かあればすぐ連絡する」
「はい。本当に色々とありがとうございました」
馬車に乗り込み、扉が閉まる――その直前。
「あとね」
エリオット様が、少し楽しそうに付け加える。
「城には、いつでも遊びに来ていいからね?アイリス」
「えっ?」
思わず間の抜けた声が出た瞬間、ぱたんと馬車の扉が閉じられた。
取り残されたような気分で、しばらく呆然としていると、やがて馬車がゆっくりと動き出し、アルヴェリア城が遠ざかっていく。
(……遊びに、って)
あまりにも軽いその言い方に、ふふっと思わず苦笑がこぼれた。
夢のような三日間だった。でも、まだ終わりじゃない。
そう思いながら、私は静かに揺れる馬車の中で目を細め大きく伸びをした。
◇◇◇
やがて馬車は、見慣れた街並みに入り――私達のお店、『ハニーペタル』のある通りへと差しかかる。
その時……異様に気が付いた。
「あれ……?お客様……多くないですか?」
思わず身を乗り出した。アネッサさんも、窓の外を覗き込みながら首を傾げる。
「確かに……夕刻にしては賑わっておりますね」
明らかに様子がおかしい。普段の倍――いや、それ以上の人だかりが店の前にできており、列を作って並んでいる人々の姿まで見える。窓越しにぱたぱたと走る侍女さんの姿が見えた。
「えっ、えっ……なにこれ……」
さらに目を凝らすと、店の外壁に何やら見慣れない装飾が施されているのが見えた。
馬車が店の前で止まり、私は慌てて外へ飛び出す。
そして――
「こ、これって……!」
入口の上に掲げられていたのは、見覚えのある紋章。
気品と威厳を放つ、アルヴェリア公爵家の紋章が、堂々と輝いていた。
さらに、その両脇には上質な布で仕立てられた垂れ幕が掛けられており、その端に小さくはっきりとこう記されていた。
――『アルヴェリア公爵家御用達』
「……え!?」
背筋に、つぅっと冷たいものが流れた。
(こ、これ、また……!? すごく嫌な予感がするやつ……!)
「あの人、また何かしてたんじゃないでしょうね!?」
確信に近い疑念を抱きながら、私は勢いよくお店の中へ駆け込んだ。
中は――戦場のようだった。
客、客、客。
店内は人で溢れかえり、注文の声と活気が飛び交っている。見慣れたお手伝いの子たちが慌ただしく動き回り、カウンターの奥ではゼネブさんが落ち着いた様子で侍女さんにてきぱきと指示を出し、お爺様のアルドさんが楽しげに接客していた。
「ゼネブさん!お爺様!こ、これは一体どうしたんですか!?」
息を切らして問いかける私に、ゼネブさんはいつも通りの優雅な微笑みを向ける。
「これはこれは、お帰りなさいませ、お嬢様」
「いやいや、それよりも!表のあの紋章!何なんですか!?」
「おや……お聞きになっておりませんか?」
「えっ!?」
ゼネブさんにきょとんとされて、逆に混乱する。
すると、お爺様が楽しそうに顎髭を撫でながら口を開いた。
「ほっほっほ……儂らはのう、この度めでたく、アルヴェリア公爵家の御用達の商会として、正式に丸っとお抱えになられることになったのじゃ」
「……はい?」
「正式に丸っとお抱えじゃ」
にこにこのお爺様の言葉が、一瞬理解できなかった。
「つまりじゃな、公爵家が後ろ盾になってくれて、定期的な納品契約と資金援助までして頂けることになったんじゃ。とても有難い話じゃ」
「な、なんですってぇーーー!?」
やがて私の悲鳴が響き渡る。
「こんな小さな商会にとって、これ以上ない名誉じゃよ。信用も格も、一気に跳ね上がるしのう」
お爺様はご機嫌で満面の笑みだ。その横で、ゼネブさんも穏やかに頷く。
「すでに公爵家より、ハーブの定期納品依頼も頂いております。品質の高さを評価して頂けたようですね」
「……こ、これって……!絶対、あの人の仕業ね……!」
頭の中で、あの楽しそうな笑顔が浮かぶ。
「……え、え、エリオット様ぁーーー!?」
再び、私の悲鳴が店内に響き渡った。これ、何回目!?
たった三日、お店に居なかっただけなんです。ほんの少しお店から目を離した隙に。
私達の店は――名実ともに“公爵家御用達”の商会へと変貌してました!
仕事が早すぎて機転が利くのも、ここまでになると考えものである。
(一緒に働いてたのに、いつこんな事していたの!? せめて説明して!?)
頭を抱えながら、私は天井を仰ぐ。
……いやきっと。
きっとあの人は、私がこうして焦って慌てふためく様子を面白がっているんだわ……。




