第18話 心を蝕む病
当主様とのお茶会を終え温かな余韻を胸に残したまま、私達は城内の長い回廊を並んで歩いていた。
磨き上げられた床に差し込む午後の光が淡く反射し、足音がやけに大きく響くその空間の中で――私は、胸の奥に引っかかっていた違和感を、どうしても見過ごすことができなかった。
「あの……エリオット様」
思い切って声をかけると、彼は穏やかにこちらを振り返る。
「どうしたの?」
ほんの少しだけ言葉をためらってから、私は意を決して口を開いた。
「当主様のお体は……治せないんでしょうか?」
その瞬間。彼の表情が、わずかに――ほんのわずかにだけ曇った。
「……実はね」
静かに、噛みしめるように言葉を紡ぐ。
「父様の体を治す薬は、もう作ってあるんだ」
「えっ……?」
思わず足を止めかける。
「でも……父様自身が、治す事を拒んでいる」
「ど、どうして……?」
理解が追いつかず、問い返す声が震えた。
「己への戒めだと言って、治させてくれないんだ……」
その時、エリオット様はふいに足を止めた。
長い回廊の途中、差し込む光と影の境界に立ったまま、彼はゆっくりと振り返る。
「父様が……戦争で大怪我を負って生死の境を彷徨った時のことだ」
その声は、ひどく静かで――だからこそ、余計に重く響いた。
「深刻な状況になって、もう助からないと言われた時……母様は」
一瞬、言葉が途切れる。
「……父様の後を追うように、自ら身を投げたらしい」
「……っ!」
あまりの事に息が詰まった。胸がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
「でも、父様は……奇跡的に助かった」
彼の視線が、どこか遠くを見つめる。
「そして、その“奇跡”が……父様にとって、呪いになってしまったんだ」
ぽつりと落とされたその言葉が深く突き刺さる。
「生き残ってしまった自分を……許せないんだよ」
「そ、そんな……」
「母様が亡くなったのは、自分のせいだと……そう思い込んでいる」
静かに語られるその事実は、あまりにも重く、あまりにも悲劇的で。
まるで、逃れることのできない呪いのように――当主様の心を、長い年月をかけて蝕み続けているのだと、はっきりと分かってしまった。
「父様の病は……体じゃないんだ」
エリオット様が、かすかに目を伏せる。
「心の病だ。深く、深く傷ついたまま、ずっと癒えないままの……」
「……心の病気」
繰り返すように呟くと、彼は小さく頷いた。
「最愛の人を失った原因が自分だと信じて、生きながらえた事を罪だと思っている」
その言葉に、胸が締め付けられる。
「恐らく……兄様や姉様が病に倒れたことも、すべて自分のせいだと考えているだろう」
「そんなこと……絶対に違うのに……!」
思わず声が上擦る。けれど、彼は静かに首を振った。
「己を責めることを、止められないんだろうな。心の病というものは……」
「……」
「どんな薬でも魔法でも、治せないんだよ――過去は変えられない。亡くなった人は、戻ってこない」
彼が呟いたその現実が、何よりも残酷に響いた。
「……だから」
一度、ぐっと息を飲み込むようにしてから。エリオット様は、顔を上げた。
その瞳には、悲しみを抱えながらも、決して折れない強さが宿っている。
「兄様と姉様を、必ず治す」
その言葉には、迷いがなかった。
「二人が元気を取り戻して……家族が、もう一度揃えば」
拳を軽く握りしめる。
「きっと……父様の心も、少しは救われるはずだと……僕は信じている」
「エリオット様……」
彼の意思に言葉を失ってしまう。
誰より悲しみを苦しみを、理解しているのに。重すぎる現実を14歳の少年が一人で背負い、それでもなお前を向いて、家族を救おうと足掻いているのだ。
(……なんて強い人なの)
胸の奥が、じんと熱くなる。
彼は全てを受け止めた上で、それでも歩みを止めない――その強さと志に、私はただ圧倒された。
(この人は……本当にすごい)
これまで何度も感心させられてきたけれど、それとはまるで違う感情が胸に広がっていく。
尊敬とも、憧れとも言い現わせられない、けれど確かに――心を強く揺さぶられる熱が、そこにあった。
◇◇◇
「君がアイリス嬢か……弟から全て聞いている。本当に、感謝しているよ」
穏やかで、少し掠れながらも確かな活力を感じさせる声に、私は思わず背筋を正した。
エリオット様に続けて案内された部屋は、落ち着いた気品に満ちた豪奢な私室で、カーテン越しに差し込む柔らかな光が、室内を温かく照らしている。
その中央、ゆったりとした大きなベッドに身を預けているのが彼のお兄様――アレクシス様。
「い、いえ……私は少しお手伝いしただけですので……無事に目を覚まされて、本当に良かったです」
そう答えながら、そっと視線を向ける。
アレクシス様は、病の影響で全身が膨らんでいて……すごく太っちゃっていた。
それでも――その表情には確かな意志が宿り、ルビーのような煌めく瞳はじっと私を見つめていた。
「……すまないな。このような見苦しい姿を見せてしまって」
「そんなことありません!病気なのですから、どうかお気になさらないでください」
思わず身を乗り出すようにして否定すると、アレクシス様は目を瞬かせ、それからふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「どうしても、君に直接礼を言いたかったんだ。本当に……ありがとう」
「ふふふっ、どういたしまして」
じんわりと胸の奥に温かいものが広がっていく。実感が追いついてきて、喜びが溢れてくる。
(ああ……治って良かった、役に立てたんだ)
「どうか……妹のことも頼む。あの子を、救ってほしい」
「大丈夫です。エリオット様が必ず薬を作って下さいます」
真剣な声音でそう告げられて、しっかりと頷くと、アレクシス様は安堵したように微笑んだ。
「今はどうかご自身のお体を第一に、ゆっくり療養なさって下さいね」
ふと、ベッド脇のテーブルに視線が向く。
そこにはいくつかの【蒼月の雫】の小瓶に加え、丸薬の入ったガラス瓶、そして湯気を立てるハーブティーが丁寧に用意されていた。
鼻先をくすぐる芳香に、思わず意識を向ける。
(この香り……”減量効果”と”体質改善”のハーブ……ほんと、機転く人ね)
隣にいるエリオット様に視線を向けると、穏やかに微笑みながらお兄様を見つめていた。
「エリオット……お前には、苦労ばかりかけてしまっているな。頼りない兄で……すまない」
「そんなことないよ。兄様がこうして目を覚ましてくれて、僕は十分嬉しいんだから」
自嘲を含んだ言葉に、彼はすぐに首を振る。その声音はどこまでも優しく、心からの喜びに満ちていた。
「だから……早く元気になってね、兄様」
にこりと微笑むその表情は、無邪気な少年でありながら――その奥に、どれほどの努力と覚悟があったのかと思うと、胸が締め付けられる。彼は大事な家族を救う為なら、どんな苦難も乗り越え、やり遂げる力と意思を持っている。
(……立派な人)
命の淵にあった人を、こうして再び目覚めさせた。その奇跡が、目の前に確かに存在していた。
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