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勘当された泥まみれ令嬢は、公爵家に愛でられる  作者: 霞灯里
第4章 公爵家の一族

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第18話 心を蝕む病

 当主様とのお茶会を終え温かな余韻(よいん)を胸に残したまま、私達は城内の長い回廊を並んで歩いていた。


 磨き上げられた床に差し込む午後の光が淡く反射し、足音がやけに大きく響くその空間の中で――私は、胸の奥に引っかかっていた違和感を、どうしても見過ごすことができなかった。


「あの……エリオット様」


 思い切って声をかけると、彼は穏やかにこちらを振り返る。


「どうしたの?」


 ほんの少しだけ言葉をためらってから、私は意を決して口を開いた。


「当主様のお体は……治せないんでしょうか?」


 その瞬間。彼の表情が、わずかに――ほんのわずかにだけ曇った。


「……実はね」


 静かに、噛みしめるように言葉を紡ぐ。


「父様の体を治す薬は、もう作ってあるんだ」

「えっ……?」


 思わず足を止めかける。


「でも……父様自身が、治す事を拒んでいる」

「ど、どうして……?」


 理解が追いつかず、問い返す声が震えた。


「己への(いまし)めだと言って、治させてくれないんだ……」


 その時、エリオット様はふいに足を止めた。

 長い回廊の途中、差し込む光と影の境界に立ったまま、彼はゆっくりと振り返る。


「父様が……戦争で大怪我を負って生死の境を彷徨(さまよ)った時のことだ」


 その声は、ひどく静かで――だからこそ、余計に重く響いた。


「深刻な状況になって、もう助からないと言われた時……母様は」


 一瞬、言葉が途切れる。


「……父様の後を追うように、自ら身を投げたらしい」

「……っ!」


 あまりの事に息が詰まった。胸がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。


「でも、父様は……奇跡的に助かった」


 彼の視線が、どこか遠くを見つめる。


「そして、その“奇跡”が……父様にとって、呪いになってしまったんだ」


 ぽつりと落とされたその言葉が深く突き刺さる。


「生き残ってしまった自分を……許せないんだよ」

「そ、そんな……」


「母様が亡くなったのは、自分のせいだと……そう思い込んでいる」


 静かに語られるその事実は、あまりにも重く、あまりにも悲劇的で。


 まるで、逃れることのできない呪いのように――当主様の心を、長い年月をかけて(むしば)み続けているのだと、はっきりと分かってしまった。


「父様の病は……体じゃないんだ」


 エリオット様が、かすかに目を伏せる。


「心の病だ。深く、深く傷ついたまま、ずっと癒えないままの……」

「……心の病気」


 繰り返すように呟くと、彼は小さく頷いた。


「最愛の人を失った原因が自分だと信じて、生きながらえた事を罪だと思っている」


 その言葉に、胸が締め付けられる。


「恐らく……兄様や姉様が病に倒れたことも、すべて自分のせいだと考えているだろう」

「そんなこと……絶対に違うのに……!」


 思わず声が上擦る。けれど、彼は静かに首を振った。


「己を責めることを、止められないんだろうな。心の病というものは……」

「……」


「どんな薬でも魔法でも、治せないんだよ――過去は変えられない。亡くなった人は、戻ってこない」


 彼が呟いたその現実が、何よりも残酷に響いた。


「……だから」


 一度、ぐっと息を飲み込むようにしてから。エリオット様は、顔を上げた。

 その瞳には、悲しみを抱えながらも、決して折れない強さが宿っている。


「兄様と姉様を、必ず治す」


 その言葉には、迷いがなかった。


「二人が元気を取り戻して……家族が、もう一度揃えば」


 拳を軽く握りしめる。


「きっと……父様の心も、少しは救われるはずだと……僕は信じている」

「エリオット様……」


 彼の意思に言葉を失ってしまう。


 誰より悲しみを苦しみを、理解しているのに。重すぎる現実を14歳の少年が一人で背負い、それでもなお前を向いて、家族を救おうと足掻(あが)いているのだ。


(……なんて強い人なの)


 胸の奥が、じんと熱くなる。

 彼は全てを受け止めた上で、それでも歩みを止めない――その強さと志に、私はただ圧倒された。


(この人は……本当にすごい)


 これまで何度も感心させられてきたけれど、それとはまるで違う感情が胸に広がっていく。

 尊敬とも、憧れとも言い現わせられない、けれど確かに――心を強く揺さぶられる熱が、そこにあった。




 ◇◇◇




「君がアイリス嬢か……弟から全て聞いている。本当に、感謝しているよ」


 穏やかで、少し掠れながらも確かな活力を感じさせる声に、私は思わず背筋を正した。


 エリオット様に続けて案内された部屋は、落ち着いた気品に満ちた豪奢な私室で、カーテン越しに差し込む柔らかな光が、室内を温かく照らしている。


 その中央、ゆったりとした大きなベッドに身を預けているのが彼のお兄様――アレクシス様。


「い、いえ……私は少しお手伝いしただけですので……無事に目を覚まされて、本当に良かったです」


 そう答えながら、そっと視線を向ける。

 アレクシス様は、病の影響で全身が膨らんでいて……すごく太っちゃっていた。


 それでも――その表情には確かな意志が宿り、ルビーのような(きら)めく瞳はじっと私を見つめていた。


「……すまないな。このような見苦しい姿を見せてしまって」

「そんなことありません!病気なのですから、どうかお気になさらないでください」


 思わず身を乗り出すようにして否定すると、アレクシス様は目を瞬かせ、それからふっと柔らかな笑みを浮かべた。


「どうしても、君に直接礼を言いたかったんだ。本当に……ありがとう」

「ふふふっ、どういたしまして」


 じんわりと胸の奥に温かいものが広がっていく。実感が追いついてきて、喜びが溢れてくる。


(ああ……治って良かった、役に立てたんだ)


「どうか……妹のことも頼む。あの子を、救ってほしい」

「大丈夫です。エリオット様が必ず薬を作って下さいます」


 真剣な声音でそう告げられて、しっかりと頷くと、アレクシス様は安堵したように微笑んだ。


「今はどうかご自身のお体を第一に、ゆっくり療養なさって下さいね」


 ふと、ベッド脇のテーブルに視線が向く。

 そこにはいくつかの【蒼月の雫(ブルームーン・ティア)】の小瓶に加え、丸薬の入ったガラス瓶、そして湯気を立てるハーブティーが丁寧に用意されていた。


 鼻先をくすぐる芳香(ほうこう)に、思わず意識を向ける。


(この香り……”減量効果”と”体質改善”のハーブ……ほんと、機転く人ね)


 隣にいるエリオット様に視線を向けると、穏やかに微笑みながらお兄様を見つめていた。


「エリオット……お前には、苦労ばかりかけてしまっているな。頼りない兄で……すまない」

「そんなことないよ。兄様がこうして目を覚ましてくれて、僕は十分嬉しいんだから」


 自嘲(じちょう)を含んだ言葉に、彼はすぐに首を振る。その声音はどこまでも優しく、心からの喜びに満ちていた。


「だから……早く元気になってね、兄様」


 にこりと微笑むその表情は、無邪気な少年でありながら――その奥に、どれほどの努力と覚悟があったのかと思うと、胸が締め付けられる。彼は大事な家族を救う為なら、どんな苦難も乗り越え、やり遂げる力と意思を持っている。


(……立派な人)


 命の淵にあった人を、こうして再び目覚めさせた。その奇跡が、目の前に確かに存在していた。

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