第17話 当主様とのお茶会
私は――一面に広がるフワフワ草の海の中で、ころころと転がっていた。
(うふふ~……えへへ……)
頬に触れるのは、羽毛よりも軽やかな綿毛の感触で、ふわりと身体を包み込まれるたびに、まるで雲の上に寝転んでいるような心地よさに、思考がとろけていく。
どこまでも柔らかく、優しく、温かく――このまま溶けてしまってもいいと思えるほどの幸福感に、私は身を委ねていた。
「あらあら……こんなに幸せそうなお顔で……少し涎まで垂れておりますわよ」
「お嬢様は寝付きがよろしいのです。今のうちに、手早く済ませてしまいましょう」
(……んん~……?アネッサさん……?)
どこか遠くで、聞き慣れた声がした気がする。
けれど意識はまだふわふわの中にあって、身体は言うことをきかない。
その間にも、ふわふわの綿毛たちはまるで意思を持つかのように、私の腕の下へと潜り込み、そっと身体を持ち上げ始めた。
(あらぁ……ふわふわが……浮いてる……?)
くすぐったいほどに優しい感触が、頬や髪を撫でていく。
「ふふふ……くすぐったいわ……」
思わず笑みがこぼれる。
「本当に起きませんね……見ているだけで癒されてしまいますわ、まるで眠り姫のよう」
「ええ、こんなにも無防備で……可愛らしくて、少し心配になるほどです」
とたとたと軽やかな足音、衣擦れの音、かすかな笑い声。
夢の中に現実の気配が混じり始めて――やがて、重たい瞼がゆっくりと持ち上がった。
「……んん~……」
大きな欠伸を一つ。
ぼんやりとした視界の中で、柔らかな声が降りてくる。
「おはようございます、アイリス様」
(……様……?)
その違和感に、ゆっくりと焦点が合っていく。
そして――目の前に置かれた鏡を見た瞬間、私は完全に目を覚ました。
「なっ、ななっ、なっ……!?」
言葉にならない声が漏れる。
鏡の中に映っていたのは――見慣れた自分のはずなのに、まるで別人のように美しく着飾った“誰か”だった。
深い紺を基調としたドレスは、繊細な銀糸の刺繍が光を受けて静かに煌めき、胸元から裾にかけて流れるようなラインを描いている。柔らかく広がるスカートは幾重にも重ねられた布が空気を含んで軽やかに揺れ、その動きすらも優雅に見せていた。
結い上げられた髪には、小さな花を模した飾りがいくつも添えられ、淡く色づいた頬と控えめな化粧が、自然な美しさを引き立てている。
それはもう立派な――どう見ても。
「き、き、貴族令嬢……!?」
そうとしか言いようがなかった。
「な、な、な、なんですかこれはぁーーー!?」
思わず叫ぶ私に、周囲の侍女たちがくすくすと楽しげに笑みをこぼす。
「本日のお召し物でございます」
「お召し物って……どうしてドレスなんですか!?」
混乱している私の横で、アネッサさんがにっこりと微笑んだ。
「とてもお似合いですよ、お嬢様」
(ううっ……彼女は味方じゃない……!相手の手に落ちている!)
「こちらは、エリオット様のご指示によるものでございます」
「ま、ま、また!?やっぱりあの人の仕業ーーー!?」
思わず頭を抱える。
(私を一体、どうしたいのよ……!?)
◇◇◇
「ちょっとぉ!どういうことですか!」
エリオット様の顔を見るなり、私は我慢できずに詰め寄った。
すると彼は――一瞬だけ、ほんの一瞬だけ目を見開いて固まり。
次の瞬間には、いつもの調子でふっと笑った。
「……うん、綺麗だ。すごく似合ってるよ、アイリス」
「誤魔化さないでください!」
さらりとかわされてしまい、悔しさに唇を尖らせる。
そんなやり取りをしながら、私たちは城の回廊を歩いていた。後ろにはアネッサさんと数名の侍女たちが付き従っていて、その様子はどう見ても平民の扱いではない。
「こ、こんな格好で働けと……?」
「いやいや、今日は違うよ。計画と手配は部下に任せていい」
エリオット様は穏やかに首を振り、そして少しだけ真剣な眼差しでこちらを見た。
「今日はね、君をきちんと紹介したいんだ」
「紹介……?えっ?どなたに?」
嫌な予感が、背筋を走る。
「アルヴェリア公爵家の当主――僕の父様さ」
「……はい?」
一瞬、意識が遠のいた気がした。
◇◇◇
回廊を抜け外庭へと続く扉を開くと、そこには色とりどりの花々が咲き誇る美しい庭園が広がっていた。
その中央に設えられた優雅なガゼボの下に、一人の男性が静かに佇んでいる。
「君がアイリス嬢か」
低く落ち着いた声が響く。
席に着き視線を向け合わせた瞬間、思わず息を呑んだ。
白銀の髪を後ろでひとつに束ね、端正な顔立ちには穏やかな優しさが宿っている。車椅子に身を預けているにも関わらず、その佇まいには揺るぎない威厳と包容力、大人の色気が滲んでいた。
「エリオットから聞いていた通り……実に美しい御令嬢だ」
「そ、そんなことありません」
顔に熱を感じ慌てて否定しながら、緊張のあまり視線を逸らしてしまう。
(な、なんて……格好いい方なの……!)
思わず“男性”として意識してしまい、心臓が落ち着かない。殿方に対しこんなにも心が乱れるのは、初めての事だった。
ちらりと隣に座る、エリオット様の横顔を見てしまう。
天使じみて彫刻のように綺麗に整ってる彼。 当主さまそっくりの面影があるけれど、まだ若く少年らしい可愛らしさがある。
だからこそ、今ではどうにか普通に接することが出来ていた。けれど――
(え、エリオット様も、将来、こんな素敵な殿方になってしまうの……!?)
こんな時に、下世話な事を考えて唖然としてしまう私でした。
「息子を救ってくれて、本当にありがとう。アルヴェリア家を代表して、心から感謝する」
「い、いえ、私は何も……!」
当主レオンハルト様から深々と頭を下げられ、慌てて言葉を返す。
その仕草一つひとつが、穏やかで、品があって――そしてどこか、寂しさを帯びていた。
「こんな姿ですまないね。身体が不自由なもので」
車椅子に座る当主様に視線を落とすと、片手と両足が動かないのが分かる。
ふと、彼の視線が巡るように庭園へと向けられた。
「……亡くなった妻も、君のように花を愛する女性だった」
その一言で、空気が変わった。
先ほどまで穏やかに輝いていた瞳が、ふっと影を帯びる。
「この庭園は、彼女のお気に入りでね……私にとって、何より大切な思い出の場所なんだよ」
ゆっくりと庭を見渡すその横顔に――一筋の涙が伝った。
「……ああ、すまないね」
「当主様……」
その悲しみはあまりにも深く、長い時間を経てもなお癒えていないことがはっきりと伝わってきて、胸が締め付けられた。
テーブルには、私が作った茶葉で淹れられたハーブティーが静かに湯気を立てており、柔らかな香りが庭の空気に溶け込むように広がっていた。
「このハーブティーは実に素晴らしい……心が軽くなるようだ。また作ってくれないかね?」
穏やかな声でそう告げられ、私は思わず背筋を伸ばす。
「は、はい!もちろんです!」
この香りと味わいから察するに――これは、心を落ち着かせる“精神安定”の効能を持つハーブだった。
この物語を読んで頂き有難うございます。
もし宜しければ、ブックマーク・評価を頂けると励みになり有難いです。
また、評価いただいた方、有難うございました!
今後ともよろしくお願いします。




