第14話 制服に袖を通す
すんごく広くて豪華なお風呂にすっかり癒やされ、さらに豪勢な晩餐をご馳走になり、最後にはふかふかの大きなベッドに柔らかく包み込まれた私は――あまりの非日常にそわそわして、寝付けなかった。
(素材……早く見つかるといいなぁ)
ふと、昼間の光景が脳裏に浮かぶ。
私が担当している《花の帳》の写しは、あの優秀な書記官たちの手によって、驚くべき速さで進められていた。
けれど、いくら彼らが優秀で早くても――
(……3,800種、だもんね)
絞り込まれた数ですら、気が遠くなるほど膨大だった。一日に写せるのはせいぜい200種程、毎日続けたとしても、全てを写すには数週間はかかる計算になる。
そして、それだけでは終わらない。
(そこから検証して……実際に植物を入手して、薬の素材を見つけ出す……)
考えれば考えるほど、その道のりは長く困難だ。
「……長い戦いになりそうね」
恰好つけて全てを理解したかのように小さく呟く。
そんな私は、ハーブティーを飲みながら《花の帳》のページを捲っているだけである。ふふふっ。
(エリオット様のお姉様……かなり容体が悪いって言ってたわ)
あの時、書庫で一瞬見せた彼の表情は、冗談を言っていた時とはまるで違っていた。強い意志と焦りを内に秘めた、真剣な眼差し。
(急がないと……少しでも、お役に立てたらいいな……)
そんな願いを抱いたまま、いつの間にか意識はゆっくりと沈み、私は深い眠りへと落ちていった。
◇◇◇
そして、翌朝。
まだ眠気の残るままの私達のお部屋に、控えめなノックとともに侍女たちが訪れ、香り高い朝食と一緒に一式の衣装を運び込んできた。
「こちらは、本日よりお召しになるお仕着せでございます」
「え……もう、仕立てて下さったんですか?」
思わず目を丸くする。採寸したのは昨日の事だというのに、たった一日で仕立ててしまうとは。
さすがは公爵家としか言いようがない。
朝食の後に手際よく身支度を整えられる。私は促されるままその衣装に袖を通し――鏡に映った自分の姿に、言葉を失った。
(……え……なに、これ……!?)
深い紺を基調とした生地は触れただけで分かるほどに上質で、滑らかに身体へと馴染む。そこに施された白と銀の刺繍は繊細で上品。足元はふわりと広がる可愛らしいスカート。
胸元にはアルヴェリア公爵家の紋章が品よくあしらわれ、過度に主張することなく、それでいて確かな格式を示していた。
立派な士官服のようにも見えるし、まるで貴族の令嬢が纏うドレスのような優雅さを備えていて――
「な、なにこれぇ……?」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
隣を見ると、アネッサさんは他の侍女たちと同じく、紺を基調に白と銀アクセントが入った上品なエプロンドレス姿。
確かに美しいけど、明らかに私とは衣装の“格”が違った。
戸惑いながら侍女さんに聞いてみると、にこやかに一礼して説明してくれる。
「エリオット様は、アルヴェリア公爵家における商と財を担っています。製造・開発、流通、商務のすべてを統括なさる中枢機関――『錬成総務局』の責任者、総長でいらっしゃいます」
「は、はあ……?」
「そしてアイリス様は――総長を補佐なさる、副官のお立場にございます」
「……はい?」
一瞬、意味が理解できなかった。じわじわと嫌な予感が込み上げてくる。
(……副官って……昨日、呼ばれてた……)
書記官の声が、はっきりと蘇る。
要約すると、こうみたい。
彼は錬成総務局・錬成総長、エリオット。組織の責任者。
そして――
私は錬成総務局・錬成総長副官、アイリス。組織のナンバー2。
「そんなお話、聞いていませぇーーーん!」
私の悲鳴が、朝の静かな室内に盛大に響き渡った。
いつの間にか仰々しい役職が付いてた!助手って言っていましたよね!?
◇◇◇
「助手って言っていましたよね!?」
「うん、アイリスは僕の助手だよ?助手は、右腕とも副官とも言うじゃないか。あはははっ!」
思わず身を乗り出して詰め寄ると、エリオット様は一瞬きょとんとした後、可笑しそうに笑った。抗議の声を上げても、彼はまったく悪びれる様子もない。
「もうっ!」
(……また、からかわれてる……!)
頬を膨らませながらもそれ以上強く言い返せない自分に、ほんの少しだけ悔しさを覚えた。
今日も、午前の早い時間から書庫では素材探しの作業が始まっている。
高い天井に反響するのは、紙をめくる乾いた音と、ペン先が走る規則的な音、そして飛び交う指示と、それに即座に応じる声。使用人たちはそれぞれの役割を正確に理解し、無駄のない動きで書庫の中を行き来している。
その様子はまさに“奔走”という言葉が相応しく、空気は張り詰め緊張に満ちていた。
私はというと――
「副官、次のページをお願いします」
「あ、はい!」
私は書記官たちの作業に合わせて《花の帳》のページを捲る。
ただ、それだけなんだけど。
(……息が詰まりそう)
周囲の熱量に圧倒され、知らず知らずのうちに肩に力が入っているのが分かる。全員が本気でこの作業に向き合っている――長くこの空間に居るとその圧力が、じわじわと重くのしかかってくるのだ。
ふと視線を上げると、エリオット様が私を見つめていて、気遣うように口を開いた。
「……少し休憩しようか」
「え?」
「ちょうど、君に見せたいものがあるんだ」
◇◇◇
書庫を出て、しばらく静かな回廊を歩いた先。重厚な扉の前で、エリオット様が足を止める。
「ここだよ」
そう言って扉を開いた瞬間――思わず、息を呑んだ。
「……わあああ……すごい……!」
そこに広がっていたのは、書庫に匹敵するほどの広さを持つ巨大な素材の保管庫だった。
整然と並ぶ無数の棚や展示台は、まるで博物館のように美しく整えられている。一つひとつが厳重に管理され、価値あるものとして扱われていることが一目で分かる空間だった。
「僕がこれまでに収集してきた素材だよ」
視界いっぱいに広がるのは、まさに宝石箱だ。
誇らしそうな彼の声を背に、私は導かれるようにふらふらと足を踏み入れた。
でも、まさか――
エリオット様が私を気遣い、息抜きに連れて来てくれたこの場所で、思わぬ転機に恵まれるなんて……この時は思ってもいなかった。
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