第二百六十五話:深海浄化完了。黄金マグロの解体ショーと、人魚姫の涙
ズズズズズ……ンッ。
目の前には、ドームの天井まで届くほどの巨大な「黒いゼリーの山」が鎮座していた。
かつて【深淵の主】と呼ばれ、海を絶望の淵に沈めようとしていた流動体の魔物は、俺の放った『神話級・吸水ポリマー(乾燥魔石入り)』によって体内の水分を強制的に奪われ、カチカチに固化した無機物へと成り果てていた。
触手の一本一本、不定形だった体の隆起までもが、時間を止められたかのように静止している。
もはや、そこには命の気配も、魔物の邪気もない。
あるのは、ただの「処理すべき巨大な産業廃棄物(あるいは肥料の塊)」だけだ。
「……ふぅ。見ろよフェン、あのでかさ。いい感じに固まったな」
俺は『真・アダマンタイトの鍬』を肩に担ぎ、見上げた。
その光景に、避難していた人魚たちが恐る恐る顔を出す。
「あ、あれは……深淵の主が……止まっている?」
「石になったのか? いや、あれは……巨大な宝石?」
ポリマーを含んで結晶化したその体は、ドームの光を受けて黒曜石のように輝いている。
だが、見惚れている場合じゃない。こいつをこのまま放置すれば、ただの巨大なゴミだ。
農民の流儀として、収穫(後片付け)までが仕事だ。
「さあ、仕上げといくか。……フェン! 準備はいいか?」
「承知! 仕上げの冷却だな! カキ氷を作る要領でいこう!」
フェンが大きく息を吸い込み、その胸板を膨らませた。
周囲の海水が一瞬で凍りつき、白い冷気が渦を巻く。
「魔狼奥義・『氷牙・絶対零度』!」
ヒュオォォォォォッ!!!!!
極低温のブリザードが、ゼリー山を包み込む。
ただでさえポリマー化して硬化していた巨体が、さらに深部まで凍結し、ピキピキ、パキパキと音を立てて白く変色していく。
物理的な強度が、ガラス並みに脆くなった証拠だ。
「よし、耕すぞ! これは戦闘じゃない、荒れた土を砕く『土塊砕き』だ!」
俺は鍬を大きく振りかぶった。
全身のバネを使い、腰を入れ、農民としての魂を込める。
「農耕奥義・『大地の粉砕・全開』!!」
カァァァァァァァンッ!!!!!
深海に、澄んだ鐘のような音が響き渡った。
鍬の刃が、凍りついた核の一点に突き刺さった瞬間。
ピシッ……という亀裂音が走り、それが蜘蛛の巣状に広がり、巨大なゼリー山全体へと伝播していく。
パリーンッ……!
ガラガラガラガラ……ッ!
シャララララララ……!
次の瞬間、巨体は美しい音を立てて崩壊した。
砕け散った破片は、黒いヘドロに戻ることはなかった。
ポリマーの浄化作用により、不純物が完全に分離されたのだ。
光り輝くダイヤモンドダストのような粒子となり、海水に溶けていく。
[システムログ]
[完全浄化完了:深淵の主]
[生成アイテム:高純度肥料ペレット(神話級・黒)×100トン]
[生成アイテム:深層海洋水(聖属性・浄化済)×5000トン]
[ボーナス:人魚族の感謝度MAX]
汚染物質は凝縮されて、キラキラと輝く黒いビーズのような「肥料ペレット」として海底に沈殿し、水分は浄化されて「聖水」となって海へ還る。
まさに、完璧なリサイクルだ。
ドーム内を満たしていた濁った海水が、一瞬にして透き通るようなクリスタルブルーへと変わっていく。
「おお……なんという……」
「黒い霧が晴れたぞ! 水が……光っている!」
「見えるか!? 向こうの塔までくっきりと見える!」
人魚たちが歓声を上げ、抱き合って喜ぶ。
玉座の間では、どす黒く変色していた巨大真珠『深海の心臓』が、ドクンッ!と力強い音を立て、七色の虹の輝きを取り戻していた。
それと同時に、玉座に座っていた人魚王の肌から灰色のくすみが消え、血色が戻っていく。
「体が……軽い。肺を満たしていた泥が消えたようだ。呼吸ができる……」
王は力強く立ち上がり、俺たちを見下ろした。
その瞳には、王としての威厳と、深い、本当に深い感謝の色が宿っていた。
「地上の勇者、ルークス殿よ。其方の力、まさしく神業であった。……ただの農具で、海の厄災を肥料に変えるとはな」
「へへっ、いい土作りができたようで何よりです」
俺は鍬についた霜を払い、ニカっと笑った。
◇
戦いが終わり、ドームの亀裂も『深海の心臓』の力で修復された後。
都市は平和を取り戻し、俺たちは改めて王宮の広間に招かれていた。
今度は、本当の意味での「勝利の宴」だ。
「約束通り、我が国の秘宝を授けよう。……受け取ってくれ」
人魚王の合図で、兵士たちが恭しく三つの宝を運んでくる。
一つ目は、拳大の青い宝石。
【海神の涙】。
内側に海そのものを封じ込めたような、国宝級の魔石だ。これ一つで、砂漠の国を買えるほどの価値があるらしい。
(よし、これは換金してポイントの足しにするか、キャンピングカーの動力源にしよう)
二つ目は、黒く艶やかな乾燥した海藻。
【深海昆布】。
ただの昆布ではない。数千年の時を生き、深海の魔力とミネラルを吸収し続けた、出汁の王様だ。
「これを一片入れるだけで、鍋の味が神の領域に達する」とマリアさんが震えながら受け取っている。
(よし、今夜は湯豆腐かしゃぶしゃぶだな)
そして、三つ目。
俺とフェンが、喉を鳴らして待ちわびていた「真打ち」が登場した。
ズシィィィィン……!
屈強な人魚兵士四人がかりで運ばれてきた、巨大な氷の台座に乗った魚。
その姿が現れた瞬間、広間がどよめいた。
全長3メートル。重さはおそらく300キロ超。
その魚体は、照明を反射して眩いばかりの「金色」に輝いている。
鱗の一枚一枚が、純金で作られた工芸品のようだ。
【幻の黄金マグロ(ゴールデン・ツナ)】。
伝説の食材だ。
数千年に一度しか姿を現さないと言われ、全身が金色の鱗に覆われ、その身の全てが大トロ以上の脂乗りを誇るという、泳ぐ宝石。
「す、すげぇ……。本当に金ピカだ……。後光が差している……」
「主よ、ヨダレが出ているぞ。……我もだが。早く、早く切ってくれ!」
フェンの目が釘付けになり、尻尾がプロペラのように回転している。
「さあ、勇者殿。これは其方のものだ。煮るなり焼くなり、好きにするがよい」
王の言葉に、俺はニヤリと笑った。
「ありがとうございます。では――新鮮なうちに、ここで捌かせていただきます! 解体ショーの始まりだ!」
俺はアイテムボックスから、愛用の『ミスリルの刺身包丁(ゴードン作・切れ味抜群)』を取り出した。
即席のステージが組まれ、人魚たちが固唾を飲んで見守る中、俺は黄金マグロの前に立つ。
デカイ。だが、今の俺には食材の「目」が見える。
俺は包丁を構え、一息に刃を入れた。
スッ……。
抵抗がない。
ミスリルの刃が、吸い込まれるように金色の魚体に入っていく。
頭を落とし、カマを切り出し、背骨に沿って包丁を走らせる。
ギリギリ……パカッ。
半身を開いた瞬間、会場から「おおぉぉぉ……!」というどよめきが起きた。
現れた断面は、ルビーのような鮮烈な赤。
そこに、霜降りのような細やかな脂が、芸術的な網の目となって走っている。
赤と白のコントラスト。そして切り口から溢れ出る、極上の脂の輝き。
常温で溶け出した脂が、照明を受けてキラキラと光っている。
「美しい……。これはもう、魚じゃない。肉の芸術品だ」
俺は手早く柵を取り、切り身にしていく。
まずは、一番脂の乗った大トロ(カマ下)の部分を、人魚王とマリーナ王女へ。
もちろん、俺の特製『わさび醤油(甘口・刺身用ブレンド)』を小皿に添えて。
「さあ、召し上がってください。これが『黄金マグロの大トロ握り』です」
シャリは、地上から持ってきた聖大根の酢を使った特製酢飯だ。人肌の温度で握られている。
王と王女は、恐る恐る、しかし期待に満ちた目で寿司を手に取った。
醤油にちょんとつけ、口に運ぶ。
……ハムッ。
咀嚼した瞬間。
二人の動きが止まった。
カッ!と目が見開かれ、頬が瞬時に紅潮し、そして――。
「んんんんんっ!!!」
声にならない悶絶の声が漏れた。
王女が頬を押さえて震えている。
「と、溶けた……! 口に入れた瞬間、体温で脂が溶け出し、濃厚な甘みが爆発したぞ!?」
「なんてこと……! 醤油の香ばしさと、ワサビの刺激が、濃厚な脂と絡み合って……飲み込むのがもったいないですわ! でも、喉を通った後も、鼻に抜ける香りが……幸せ……!」
大絶賛だ。
続いて、俺とフェン、そしてエレナ様たちも実食する。
「いただきます!」
パクッ。
――天国。
舌の上で、黄金の脂が踊る。
濃厚なのに、全くしつこくない。上質なバターのようにサラリと溶け、後味は驚くほど爽やかで、また次の一口を欲してしまう。
酢飯の酸味が、脂の甘みをさらに引き立てる。
「う、美味いぃぃぃっ!! 生きててよかったぁぁぁッ!!」
「ガツガツ! 主よ、頭の肉も焼け! 骨の髄(中落ち)までしゃぶり尽くすぞ!」
フェンはもう言葉にならない声を上げながら、山盛りの刺身を吸い込んでいる。
会場では、醤油とマヨネーズの味を知った人魚たちが、次々と料理に群がっている。
ある者は海藻サラダにマヨネーズをかけ「悪魔的だ!」と叫び、ある者はカマ焼きに醤油を垂らして「香ばしい!」と涙を流している。
海底の都は、平和と食欲、そして未知の調味料への感動に満ちた、幸福な空気に包まれていた。
◇
そして数時間後。
大宴会を終え、別れの時が来た。
俺たちのキャンピングカーは、再び潜水モードに変形し、広場で出発の時を待っていた。
冷蔵庫(巨大冷凍庫)には、解体した黄金マグロのブロックと、大量の深海昆布、そしてお土産の真珠が詰め込まれている。
「本当に行ってしまわれるのですか、ルークス様」
マリーナ王女が、名残惜しそうに車の窓枠に手をかけている。
その瞳は潤み、頬はほんのりと赤い。
彼女の後ろでは、人魚王や国民たちが総出で見送りに来てくれていた。
「ええ。地上には俺の帰りを待っている畑がありますから。それに、そろそろトマトの収穫時期なんです」
「……畑、ですか。ふふっ、世界を救った後でも畑の心配……ルークス様らしいですわ」
マリーナ王女は寂しげに微笑むと、俺の手をそっと握った。
ひんやりとした、しかし温かみのある手だ。
「貴方様のことは、一生忘れません。……貴方様がくれた『黒い聖水(醤油)』の味と、その勇姿……私の胸に深く刻まれました」
彼女の瞳には、救世主への感謝以上の、どこか熱っぽい光が宿っていた。
頬を染め、上目遣いで俺を見つめるその表情。
これは……もしや、吊り橋効果的なアレか? フラグか?
「マリーナさん……」
「はい……!」
彼女が期待に満ちた顔を上げる。
俺は真剣な顔で頷き、そして言った。
「醤油は、定期的にスライム便で送りますね。あと、マヨネーズも切らさないようにしますから。なくなったらすぐに連絡してください」
「…………へ?」
マリーナ王女がキョトンとする。時が止まる。
後ろでフェンが「コイツ、本当にどこまでも農民だな……。色気より食い気か」と呆れたようにため息をついたのが聞こえた。
え? なんか変なこと言ったか? 醤油、大事だろ? 味気ない生活に戻りたくないだろ?
「ふふ……ふふふっ! あはははは!」
マリーナ王女が、こらえきれないように吹き出した。
そして、涙を拭って満面の、太陽のような笑みを見せてくれた。
「はい! お待ちしております! 私の大切な、醤油の勇者様! ……いつか、私が地上へ行って、貴方様の畑を見に行きますからね!」
「ああ、歓迎するよ。美味しい野菜をご馳走する」
「では、また会いましょう!」
俺は操縦桿を引き、バラストタンクの水を排出した。
ゴポポポポ……!
キャンピングカーが浮力を得て、ゆっくりと上昇を始める。
窓の外で、人魚たちが手を振っているのが見える。美しい光の都が、次第に小さくなっていく。
数十分後。
ザバァァァァァン!!
勢いよく海面に飛び出したキャンピングカーは、眩しい太陽の光を全身に浴びた。
空は青く、カモメが飛んでいる。
久しぶりの地上の空気だ。
「ぷはーっ! やっぱり空気は地上が一番だな! 湿気もないし!」
俺はサンルーフを開け、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
海を見下ろせば、キラキラと輝く水面が広がっている。あに下に、あんな世界があったなんて。
「さて、フェン、みんな。海鮮丼も食べたし、世界も救ったし、稼ぎも十分だ」
俺はハンドルを握り直し、北の方角――リーフ村へと車首を向けた。
「次はどんな美味いものが待っているかな? ……あ、そういえば、帰ったらトマトを使ってパスタでも作るか」
「主よ、次は肉だ! 極上の肉を所望する! マグロもいいが、やはり獣の肉が恋しい!」
「わたくしは、甘い果物がいいですわ! マンゴーとか!」
賑やかな声と共に、魔導キャンピングカーは再び陸地を目指して走り出した。
最強の農民の旅は、まだまだ終わらない。
[システム通知:『深海編』クリア報酬として、新エリア『天空の浮島』へのパスが解放されました]
……おや?
また何か、面倒で美味しそうなフラグが立ったようだが、まあいい。
今は、この潮風と満腹感を楽しもう。
(深海編・完)
【読者へのメッセージ】
第二百六十五話、深海編・完結です!
吸水ポリマーによる勝利、そして待ちに待った黄金マグロの解体ショー。
「魚」というより「宝石」のようなマグロの描写、楽しんでいただけたでしょうか。
醤油とマヨネーズに染まった人魚の国……彼らの食文化が今後どう変わっていくのか心配ですが、まあ、美味しかったなら良しとしましょう。
そしてマリーナ王女の淡い恋心(?)を、見事に醤油の話でスルーするルークスの鈍感力。
これもまた、彼の魅力(?)ですね。
ラストには、次なる舞台の予感も……?
次章も、ワクワクと空腹をお届けします!
面白かった、マグロが食べたくなったという方は、ぜひブックマークと評価をお願いします!




