第二百三十八話:竜宮城? いえ、それは『巨大生簀』です
クラーケンという名の、全長百メートルを超える巨大な前菜(イカ焼き)を、胃袋と保冷コンテナに収めた後。
俺、ルークス・グルトは、満腹の腹をさすりながら、しかしその瞳には満腹感とは程遠い、飢えた獣のような光を宿して、次なるステージ――『深海』への扉を開こうとしていた。
「よし、イカの次は魚だ。それも、浅瀬でパチャパチャ泳いでいるような雑魚じゃない。太陽の届かない深海の冷たい水圧で、身が鋼のように引き締まり、かつ極上の脂を蓄えた、至高の『白身』と『赤身』を迎えに行くぞ」
「……まだ食べるの? あなたの胃袋はブラックホールなの? それに、どうやって海に潜るのよ? いくら魔法があっても、息が続かないわよ。水圧でペチャンコになるわ」
呆れるフィオナに、俺はニヤリと笑って、計算し尽くされた複合魔法を展開した。
「呼吸なら問題ない。……風の精霊よ、我らを包む殻となり、外圧を拒絶せよ。『エア・バブル・サブマリン(空気の要塞・潜水仕様)』!」
俺たちの周囲の空気が瞬時に圧縮され、直径十メートルほどの巨大で強固な、透明な球体が形成された。内部の気圧は自動調整され、酸素は風魔法で循環するシステムだ。
三体の漁業用ゴーレム『漁師君一号』と共に、俺たちはその球体の中に入り、荒れ狂う海面へと、躊躇なく足を踏み出した。
――ザブンッ……。
水しぶきを上げることなく、空気のドームは静かに、そして重々しく海中へと沈んでいく。
その瞬間、世界から「音」が変わった。
波の轟音は消え、耳を圧迫するような、重く、篭った水の音だけが支配する空間。
深度が増すにつれ、世界の色が劇的に変わっていく。
太陽の光が降り注ぐ、宝石のようなエメラルドグリーンの浅瀬から、徐々に光が届きにくい濃紺のトワイライトゾーンへ。
そして、完全な静寂と、生物を拒絶するような重圧が支配する、漆黒の深海へ。
だが、そこは死の世界ではなかった。
「……きれい。見て、ルークス! 星空みたい! いえ、星空よりも近いわ!」
フィオナが歓声を上げ、透明な壁に張り付く。
暗闇の中で、自らの体を青白く発光させるクラゲの群れが、天の川のように流れていく。
海底の岩場では、ネオンのように極彩色に輝く珊瑚が森を作り、その間を、提灯のような発光器を持った魚たちが、幻想的なイルミネーションを描き出しながら泳ぎ回っている。
上から降ってくるプランクトンの死骸――「マリンスノー」が、まるで海中に降る雪のように、ライトの光を反射してキラキラと輝いている。
『……主よ。あの光っている魚、食えるのか? 毒々しい色をしているぞ』
「食えるさ。あれは深海魚だ。見た目はグロテスクだが、脂の乗りは半端じゃない。アンコウの仲間なら、肝(あん肝)がフォアグラ以上に美味いぞ。……お、あそこにはキンメダイの群れがいるな。あの赤い魚体、煮付けにしたら最高だ」
俺は幻想的な光景に目を奪われることなく、常に『鑑定』スキルを全方位に発動させ、視界に入る魚影の「市場価値」と「脂質含有量」を冷徹にチェックしていた。
アジ、サバの大群を通り過ぎ、さらに深く潜ること数十分。
海底の断崖絶壁を抜け、開けた盆地のような場所に到達した瞬間、信じられない光景が広がっていた。
巨大な蛍光珊瑚で形成された、淡いピンク色に輝く城壁。
真珠貝を瓦のように敷き詰めた屋根を持つ塔。
そして、その周囲を優雅に泳ぎ回る、上半身が人、下半身が魚の姿をした『人魚』たちと、槍を持った半魚人の衛兵たち。
それはまさに、おとぎ話に出てくる『竜宮城』そのものだった。
「す、すごい……! 本当にあったんだ、海底都市! ねえ、乙姫様がいるのかしら!? 玉手箱をもらえるのかしら!? 私の若返り化粧水と交換してくれるかしら!?」
フィオナが乙女の顔に戻り、目を輝かせる。
だが、俺の目は、美しい城の装飾や、人魚の美女たちには一瞥もくれず、その周囲を「回遊」している極上の魚群だけに釘付けになっていた。
「……素晴らしい……! 乙姫なんてどうでもいい! 見ろフィオナ! あそこで踊っている真鯛の群れ! 天然物だぞ! 目が澄んでいて、尾びれの形が鋭い! あの背中の盛り上がり、脂が乗っている証拠だ! それにあの底の砂地に張り付いているヒラメ! 座布団サイズ……いや、畳サイズだぞ! あの厚みなら、縁側だけで特盛丼ができるぞ!」
「……あんた、ロマンの欠片もないわね。感動する場所が違いすぎるわよ」
俺たちの接近に気づいた人魚たちが、槍を構えて集まってきた。
だが、彼らの顔には敵意よりも、隠しきれない「畏怖」と「崇拝」の色が浮かんでいた。
それもそうだ。俺たちはさっき、この海の長年の支配者だったクラーケンを、バター醤油で鉄板焼きにして食ったばかりなのだから。その「捕食者の匂い」と「覇気」は、海流に乗ってここまで届いているはずだ。
『……偉大ナル、陸ノ王ヨ。我ラガ天敵、悪食ノクラーケンヲ一瞬ニシテ屠リシ御方ヨ……』
人魚の長老らしき、長い髭を生やし、頭に珊瑚の冠を乗せた老魚人が、震えながら進み出てきた。
『コノ海ヲ恐怖カラ解放シテクレタオ礼ニ、我ガ一族ニ数千年前カラ伝ワル秘宝「海神ノ涙(拳大の巨大真珠)」ト、沈没船カラ回収シタ「黄金ノ貨幣」ノ山ヲ差シ上ゲマショウ。……ドウカ、我ラヲ食ベナイデ……』
魚人が差し出したのは、王都の宝石商が見たら卒倒するレベルの巨大真珠と、錆びついているが本物の金貨の山。
普通の冒険者なら、一生遊んで暮らせると狂喜乱舞する財宝だ。
だが、俺はそれを鼻先で笑い飛ばした。
「金も宝石もいらん。そんな硬いものは、醤油をつけても食えないからな」
『エッ? ……イ、イラナイ?』
「俺が欲しいのは、その周りを優雅に泳いでいる『タイ』と、そこの岩陰に隠れている『伊勢海老』だ。あと、あそこの砂地に無造作に埋まってる『ホタテ』もな。……全部だ」
『……ハ? コンナ、ドコニデモイル雑魚デ、ヨイノデスカ? コレハ、我々ニトッテハ、タダノ「隣人」カ「風景」ナノデスガ……』
人魚たちが困惑して顔を見合わせる。彼らにとって、それらは価値ある財宝ではなく、そこらへんを泳いでいるただの生き物に過ぎないらしい。
なんという価値観の相違。なんという宝の持ち腐れ。
「論より証拠だ。……ここで『試食会』を開く。ゴーレム、あそこの一番脂の乗ったタイを捕獲しろ! 傷つけるなよ、網ですくえ!」
俺の指示で、ゴーレムが巨大なタモ網を一閃させる。
バシャッ!
空気ドームの中に、体長八十センチはあろうかという、鮮やかな桜色の真鯛が運び込まれた。
ビチビチッ! バタンッ!
強烈な跳ね方。その生命力の強さが、包丁を持つ俺の手を歓喜で震わせる。
「……すまんが、命をもらうぞ。美味しく食ってやるからな」
俺は手早く、持参した千枚通しのような道具で、タイの脳天を一突きし、さらに神経をワイヤーで破壊する『神経締め(イケジメ)』を行った。
魚体がビクン! と痙攣し、瞬時に色が鮮やかさを増して動かなくなる。
これで、旨味成分(ATP)の減少を止め、鮮度を極限まで保つのだ。
鱗を引き、腹を割き、内臓を取り出す。
三枚におろす包丁の感触。骨に沿って刃が滑る感覚。
現れたのは、透き通るような桜色がかった白身。血合いの美しさ。
俺はそれを薄造りにし、氷魔法でキンキンに冷やした皿に、花びらのように並べた。
添えるのは、もちろん「特製醤油」と、アイテムボックスから取り出した柑橘を絞り、醤油と出汁を合わせた即席の「ポン酢」。そして、鮫皮でおろした本ワサビ。
「さあ、深海の獲れたてだ。……実食!」
俺は薄造りを二、三枚まとめて箸でつまみ、薬味を巻き、ポン酢醤油にたっぷりと浸して口へ運んだ。
――コリッ。プリッ。……ジュワァ……。
「……っ!!」
脳髄に走る衝撃。
熟成された魚のねっとりとした旨味とは違う、獲れたて特有の、歯を押し返すような強烈な「活かり気」。
コリコリとした食感の後に、噛むほどに繊維の奥から湧き出してくる、上品で、しかし力強い脂の甘み。
そこに、ポン酢の柑橘の香りと酸味が爽やかに駆け抜け、後味をさっぱりと洗い流していく。
「……美味い! 身が鋼のように引き締まっている! 養殖物特有の臭みなど微塵もない! これぞ海の宝石だ! 冷たい真珠なんかより、こっちの白身の方がよっぽど価値がある!」
『……ソ、ソレハ、タダノ生ノ魚デハ? 我々ハ、魚ハ海藻デ包ンデ発酵サセテ食ベルモノダト……』
「発酵もいいが、鮮度を楽しむならこれだ。……お前らも食ってみろ。ほら、口を開けろ」
俺は恐る恐る近づいてきた人魚の口に、ワサビ醤油をつけた刺身を放り込んだ。
『……ンッ!? ……コリコリシテル? ……アッ、辛ッ!? ……イヤ、甘イ!? 魚ッテ、コンナニ甘カッタノカ!? コノ黒イ液体(醤油)ト混ザルト、魚ノ生臭サガ消エテ、旨味ガ爆発スル! コノ緑ノ薬味ハ、鼻ガ痛イケド、クセニナル!』
人魚の目が、深海のネオンよりも輝いた。
未知の味覚体験に、彼らの尾ひれが興奮でパタパタと動く。
俺はニヤリと笑い、本題を切り出した。
「どうだ、美味いだろ? ……そこで提案だ。お前たち、俺と契約しないか?」
『契約……デスカ?』
「ああ。俺はこの海底の岩場一帯を、俺専用の『巨大生簀』として使いたい。お前たちは、ここで俺が指定した魚――タイ、ヒラメ、カンパチ、伊勢海老、アワビなんかを管理・養殖してくれ。外敵から守り、太らせ、一番美味い時期に出荷するんだ」
俺はアイテムボックスから、真っ赤に熟れた「聖樹トマト」と「リンゴ」、そして瓶詰めの「マヨネーズ」を取り出した。
「報酬は、陸の宝石と、この魔法の調味料だ。海の中じゃ絶対に手に入らない、甘みと酸味とコクの塊だぞ。……どうだ? 冷たい金貨なんかより、こっちの方がいいだろ?」
人魚たちが、リンゴの甘い香りに鼻をヒクつかせ、マヨネーズを舐めて絶叫する。
『アマァァァイ! ナニコレ、海藻ノ百倍美味イ!』
『コッテリィィィ! コノ白イ泥、魚ニツケタラ無限ニ食エル!』
交渉は、一瞬で成立した。
食欲は種族の壁を超える。
「よし。今日からここは『リーフ村水産・竜宮城支部』だ。……さあ、働け! 出荷待ちの魚たちを太らせろ! 俺は定期的に回収に来る!」
人魚たちが「ヘイ! ボス!」と敬礼し、楽しそうに、そして貪欲な目で魚を追いかけ始める。
フィオナが、「……おとぎ話の竜宮城が、一瞬でブラックな水産加工会社になったわね……」と遠い目をしているが、俺は満足だ。
タイやヒラメの舞い踊り?
違うな。あれは俺にとっては、醤油とワサビと銀シャリを待つ「出荷待ちの行列」にしか見えない。
これで、寿司ネタの供給ルートも、鮮度管理も、人員も確保した。
俺のスローライフは、海をも飲み込み、完全無欠の「食の帝国」へと進化を遂げたのだった。
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**【読者へのメッセージ】**
いつもご愛読ありがとうございます!
第二百三十八話、いかがでしたでしょうか?
竜宮城。それは日本男児の憧れですが、ルークスにとってはただの「巨大な生簀」であり「養殖場」でした。
獲れたてのタイの活け造り、その「コリコリ感」とポン酢の相性は、想像するだけで唾液が出ますね。
人魚たちもマヨネーズとリンゴで買収完了。彼らは優秀な従業員になりそうです。
これで陸(野菜・肉)と海(魚介)のすべてを手に入れたルークス。
次回、いよいよこれらの食材を使って、異世界最強の「寿司」を握ります!
「活け造りで一杯やりたい!」「人魚がマヨラーになってしまったw」と思ってくださった方は、ぜひ【評価・感想・ブックマーク】をお願いします!
皆様の応援が、ルークスの養殖場の規模を拡大します!
次回、第二百三十九話――「回転寿司、異世界に降臨す」。お楽しみに!




