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ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります  作者: はぶさん


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第二百三十七話:遭遇、クラーケン。それは『巨大なイカ焼き』の予感

 東の山脈を越えた先に広がっていたのは、フィオナの警告が決して大袈裟ではなかったことを証明する、まさに「地獄の入り口」と呼ぶにふさわしい光景だった。


 空は、鉛を溶かしたような重苦しい灰色に淀み、低く垂れ込めた雲が海面を押し潰そうとしている。吹き付ける風は、頬を切り裂く刃のように鋭く冷たく、そして鼻の奥をツンと刺激する、濃厚な潮の香りと、どこか生物の腐臭にも似た「死の気配」を含んでいた。

 目の前に広がる海は、リゾート地の穏やかなエメラルドグリーンなどではない。底知れぬ深淵を覗き込むような、黒に近い濃紺。その海面は、白い泡を吹いて荒れ狂い、断崖絶壁に叩きつけられては、雷鳴のような轟音と共に砕け散っている。


「……ひぃっ! み、見てよルークス! あの波の高さ! あんなの、船なんか一瞬で木の葉みたいに沈むわよ! ねえ、帰ろう? 王都のスーパーで冷凍の魚買って帰ろう? お金ならあるんだから! 美味しいお魚なら、私が魔法で増やしてあげるからぁ!」


 フィオナが俺の厚手のコートの裾を両手で握りしめ、強風に煽られながら涙目で絶叫する。彼女の長い耳は恐怖でペタンと伏せられ、顔色は海岸の岩肌のように蒼白だ。

 だが、俺は特注のスパイク付きブーツで岩場に踏ん張り、改造ゴーレムの肩の上に立って、その荒れ狂う海面を、まるで値札のついた宝の山を見るような熱っぽい眼差しで見つめていた。


「馬鹿言え。スーパーにこんな『活きのいい』のがいるか? ……見ろ、あの波のうねり。通常の潮流じゃない。あそこには間違いなく、筋肉質で、荒波に揉まれて脂の乗った『超大物』が潜んでいる」


 俺の言葉が終わるか終わらないかの、その時だった。


 ズズズズズズズズズズッ……!!


 突如、沖合の海面が、まるで海底から新たな大陸が浮上するかのように、不自然に、そして巨大に盛り上がった。

 逆巻く波を内側から突き破り、天を衝くように現れたのは、城壁よりも太く、ヌラヌラと黒光りする無数の「触手」。その一本一本が、大木など比較にならないほどの質量を持ち、表面には大皿ほどもある吸盤がびっしりと並んでいる。

 そして、その蠢く触手の中心から、ゆっくりとせり上がってくる、巨大な岩山のような頭部と、人間への憎悪に燃える黄金の瞳。


 伝説の海魔――『クラーケン(大王烏賊)』。

 そのサイズは、俺たちが乗ってきた馬車など、豆粒に見えるほどの絶望的なスケールだ。全長は優に百メートルを超えているだろう。


『……我ガ眠リヲ妨ゲル、矮小ナ陸ノ民ヨ……。此処ハ神域ナリ。我ガ領域ニ土足デ踏ミ入ッタ愚カサヲ、ソノ魂ト肉体ヲ以テ償ウガ……』


 クラーケンが、脳内に直接響く重低音の念話で、威厳たっぷりに死の宣告を告げようとした。

 普通の人間なら、この時点で発狂するか、心臓が止まっているだろう。

 だが。


「……でかいッ!!」


 俺は、その荘厳な口上を遮り、両手を広げて歓喜の声を上げていた。


「素晴らしい! なんだその太さは! 足一本で何人前だ!? 刺身なら千人前、天ぷらなら山ができるぞ! おい、あそこを見ろフィオナ! あの吸盤の大きさ、コリコリして絶対に美味いぞ! 吸盤だけでステーキができるサイズだ!」


『……ハ?』


 クラーケンの思考が、一瞬停止した気配がした。


「よし、総員戦闘配置! いや、調理開始クッキング・スタートだ! これは討伐戦じゃない、鮮度最優先の『解体ショー』だ! ゴーレム部隊、ウインチを回せ! 獲物を逃がすな!」


 俺の号令と共に、海岸線に待機させていた三体の『漁師君一号』が、その鋼鉄の腕を唸らせた。

 肩に搭載された、ミスリル合金製の対魔獣用ネットランチャーが火を噴く。

 バシュッ! バシュッ! バシュッ!

 空中で展開した、粘着性のある魔法繊維で編まれた網が、クラーケンの主要な触手を正確に絡め取る。


『グオォッ!? ナ、ナンダコノ網ハ! 我ガ魔力ヲ弾クダト!? 小癪ナ!』


「巻き上げろぉぉぉ! 陸に引きずり出せ!」


 ギュルルルルルルルルッ!!

 超高トルクモーターと魔力エンジンの、悲鳴のような回転音が轟く。

 ゴーレムたちの足元の岩盤が砕け、アンカーが火花を散らす。

 数千トンの巨体が、物理的な力とてこの原理で、強引に浅瀬へと引き寄せられていく。


「さあ、下処理の時間だ! ……風の精霊よ、我が刃となれ! 第五階梯風魔法・改――『エア・スライサー(三枚おろし)』!」


 俺は風魔法を発動させた。だが、それは敵を無差別に切り裂くカマイタチではない。

 熟練の料理人が包丁を振るう際の、精密かつ繊細な動きをトレースし、魔力で再現した、見えない「巨大な柳刃包丁」だ。


 シュパッ! スパパパパンッ!


 空中で暴れる触手の一本が、根本から切断されたかと思うと、空中に浮いたまま、まるで神の手による解体のように、ヌメリのある皮が綺麗に剥がれ、吸盤の中にある硬い角質リングが削ぎ落とされ、均等な厚さの「輪切り」へと高速加工されていく。


「墨袋を破るなよ! あれは貴重なイカスミだ! 後でパスタソースやリゾットに使うんだからな! 内臓ワタもだ! 塩辛にするんだから丁寧に扱え!」


『……主よ。戦場のど真ん中でパスタと塩辛の心配か? ……だが、あの透き通るような白身、確かに美味そうだ』


 フェンが涎を垂らして見上げる横で、俺はアイテムボックスから次なる「調理器具」を取り出した。

 それは、王都の鍛冶師に特注で作らせた、厚さ五センチ、畳二畳分はある『ミスリル製・超伝導鉄板』。

 浜辺の平らな岩場に設置し、火魔法『イグニス・バーナー』で一気に加熱する。


「フィオナ! 結界を張って海風を防げ! 砂が入ったら台無しだ! ここを『オープンキッチン』にする!」

「も、もうわけわかんない! ……『ウィンド・シールド』! これでいいの!?」


 風が止み、熱気が籠もり始めた鉄板の上に、俺は先ほど空中でスライスしたばかりの、まだ神経が生きてピクピクと動いている、新鮮そのもののクラーケンの切り身を、豪快に投げ込んだ。


 ――ジュワァァァァァァァァァァッ!!


 波音さえもかき消す、激しく、そして食欲をそそる焼ける音。

 そこに投入するのは、王都から持参した『エシレ産高級発酵バター』の塊と、昨日完成したばかりのリーフ村産『特製二年熟成醤油』。


 ジュウウウウウウ……ッ!!


 バターが黄金色に溶け出し、醤油が鉄板の上で焦げる。

 その瞬間、死の海域を支配していた生臭い磯の臭いと腐臭は、暴力的なまでに芳ばしく、甘美な「屋台の匂い」へと上書きされた。

 メイラード反応によって生まれた香りの爆弾が、周囲一帯を支配する。


『……グッ!? ナ、ナンダコノ匂イハ……。我ガ身体カラ……香バシク、コノ上ナク甘美ナ香リガ漂ッテクル……? 恐怖……コレハ恐怖ナノカ!? ナゼ、我ハヨダレヲ垂ラシテイル……?』


 本体のクラーケンが、自分の足が調理される匂いに本能レベルで困惑し、動きを止める。

 だが、俺の手は止まらない。


「まだだ! 最強のイカ焼きには、最高の相棒ディップが必要だ!」


 俺はボウルを取り出し、鶏ゴーレムが産んだ新鮮な卵、穀物酢、サラダ油、そして塩コショウを投入。風魔法で高速撹拌ホイップする。

 乳化反応により、液体は瞬く間に白く、ドロリとしたクリーム状へと変化する。

 即席調味料、『マヨネーズ』の完成だ。


 鉄板の上で、バター醤油を纏ってこんがりと黄金色に焼き上がったイカに、マヨネーズをたっぷりと回しかけ、仕上げに真っ赤な一味唐辛子を振る。


「完成だ! 『クラーケンのバター醤油鉄板焼き・マヨ七味添え』! ……実食!」


 俺は熱々の輪切り(と言ってもタイヤサイズだが)を、ハフハフと言いながら口に放り込んだ。


 ――プリッ! モチッ! ジュワッ!


「……っ!!」


 美味い。美味すぎる。

 魔物特有の硬さや臭みなど微塵もない。常に荒波に揉まれているせいか、身は筋肉質で凄まじい弾力があるのに、歯を入れるとサクリと噛み切れるほど柔らかい。

 噛むほどに溢れ出す、濃厚で甘みのあるイカのエキス。そこにバターの動物的なコクと、焦げた醤油の香ばしさ、そしてマヨネーズの酸味とまろやかさが絡み合う。

 一味唐辛子のピリッとした刺激が、次のひと口を誘う。


「ビールだ! 誰かビールを持ってこい! この味は、酒なしでは犯罪だ! 法律で禁止されるレベルだ!」


 俺の絶叫に、フィオナも恐る恐る手を伸ばす。


「……ほ、本当に食べるの? 魔物よ? さっきまで殺す気満々だったのよ? ……あむっ。……んんっ!?」


 彼女の翡翠の瞳が、キラキラと輝いた。

「……美味しい! 嘘、悔しい! 怪物なのに……なにこれ、甘い! バター醤油が反則級に合う! このコリコリ感、一生噛んでいたい!」


『……ガフッ! ……うむ。主よ、これは良い。陸の肉にはない、海の味がする。マヨネーズという白いソース、これは罪の味がするな』


 フェンも巨大な足を一本そのまま齧り付き、満足げに喉を鳴らす。


 その光景を見ていたクラーケン本体は、戦慄した。

 自らの最強の武器であり、数多の船を沈めてきた触手が、ただの「おつまみ」として消費され、あろうことか「美味い」と絶賛されているのだ。


『キ、貴様ラ……。我ヲ、海ノ王者タル我ヲ、喰ラウ気カ……!? 天災タル我ヲ、タダノ食材トシテ……!』


「当たり前だろ。デカければデカいほど、食いでがある。それが海のルールだ。……それに、お前のその頭、中には極上の『イカ味噌』が詰まってるんだろう?」


 俺は口の端についたマヨネーズを親指で拭い、ニヤリと笑って巨大な本体を見据えた。

 その目は、もはや人間のものではない。食欲の権化の目だ。


「おい、おかわりだ。その足、全部置いていけ。……安心しろ、『鮮度保持コンテナ』の中はマイナス20度だ。お前の身が一番美味い状態で、未来永劫保存してやる」


 俺の背後で、三体のゴーレムが「ガシャン! ガシャン!」と、捕獲用ネットと巨大な出刃包丁を再装填する音が響く。

 それは、魔の海域の支配者が、単なる「巨大な海産物」へと堕ちた瞬間だった。


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**【読者へのメッセージ】**

いつもご愛読ありがとうございます!

第二百三十七話、いかがでしたでしょうか?

「巨大イカ」と聞けば、日本人なら「イカ焼き」を連想するのは不可避です。

バター醤油とマヨネーズ。この組み合わせの前には、伝説の魔獣も無力でした。

これで当分の間、リーフ村はイカ祭りですね。

しかし、海にはまだまだ「お宝」が眠っています。

「イカ焼きでビール飲みたい!」「クラーケンが可哀想で笑った」と思ってくださった方は、ぜひ【評価・感想・ブックマーク】をお願いします!

皆様の応援が、ルークスの醤油の消費量を加速させます!

次回、第二百三十八話――「竜宮城? いえ、それは『巨大生簀』です」。お楽しみに!

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