第百八十六話:自由の残滓、あるいは王都の「深層」に潜む
王宮エストリア、白亜の塔の最上階に近い調理室。
そこには今、国中を震撼させ、ジルヴァによって「救世主」と祭り上げられた少年――ルークス・グルトの姿があった。
眩いばかりの日の光が差し込む厨房で、彼は一糸乱れぬ手つきでフライパンを煽り、王族たちを陶酔させる至高の香りを振りまいている。周囲には、その「奇跡」を一口でも預かろうと、着飾った貴族たちが、まるで神託を待つ信者のように押し寄せていた。
だが、その「ルークス」の瞳に、感情の揺らぎはない。熱せられた油が跳ねようとも、称賛の嵐が浴びせられようとも、その若葉色の瞳は、ただ一点――「完璧な調理工程」だけを冷徹に遂行し続けている。
なぜなら、そこにいるのは二十五,〇〇〇ポイントで買い叩いた【自律型・影武者ゴーレム】という名の、精巧な自動人形に過ぎないからだ。
ゴーレムは、俺が入力した「最高級のオムレツのレシピ」と「農民としての丁寧な所作」を、オリジナルである俺以上に忠実に、かつ無機質に再現し続けていた。そこには「面倒だ」という怠惰も、「怖い」という焦燥も存在しない。貴族たちの欲を、ただ美味という名の処理系で受け流すための、最も効率的な防壁。
――翻って、同じ時刻。
王都の北西、日の当たらない裏路地が迷路のように入り組んだ『古井戸街』。
石造りの建物が湿気を吸って黒ずみ、年中カビと錆の匂いが立ち込めるその場所に、一人の地味な少年がいた。
名前を呼ぶ者はおらず、振り返る者もいない。
俺――本物のルークス・グルトは、五万ポイントを投じて「存在感を極限まで希釈した魔力の衣」を纏い、フェンと共に、この街の「澱み」を静かに見つめていた。
「……ふう。……ようやく、まともな呼吸ができるな」
俺は、古びた石垣の、ザラついた冷たい感触に背を預け、王都の裏側に漂う、重く、だが確かな「生活の匂い」を深く吸い込んだ。
宿を包囲していたあの狂信的な、耳を塞いでも入り込んでくる「期待」という名の呪い。それに比べれば、この場所に漂う腐った生ゴミの臭いや、古びた鉄の錆びた臭いの方が、よほど誠実で、俺の擦り切れた神経を優しく撫でてくれる。
「主よ。……王宮の『器』は、今のところ完璧に機能しておるな。……奴らの視線が全て偽物に注がれておるおかげで、今の主は、この王都で最も透明な、ただの塵と同じ存在だ」
俺の足元で、同じく外見を痩せ細った野良犬へと偽装したフェンが、石畳の上に寝転がり、気怠げに欠伸を漏らす。その金色の瞳だけは、周囲の微かな気配を逃さず、同時に俺が手に入れた「自由」の味を、どこか誇らしげに愉しんでいるようだった。
「ああ。……五万ポイントも溶かしたんだ、このくらいの解放感は当然の権利だよ。……さて、フェン。平穏を手に入れたら、次は『軍資金』の補填だ。残高三万一千百ポイント……。前世で言えば、急なリストラに備えるための貯金としては、あまりに心もとない数字だからな。次にジルヴァが物理的に仕掛けてきた時、防壁の一枚も満足に買えやしない」
俺は、視界の奥に「リソース収集モード」のウィンドウを展開した。
目立たず、着実に、この世界の繁栄の裏側で放置された「バグ(不純物)」を鑑定し、ポイントへと変換する。それが、ブラック企業のデスマーチを生き抜いたシステムエンジニアが辿り着いた、最も生存率の高いリスク管理術だ。
【スキル:鑑定 Lv.1 連続稼働】
【対象:古井戸街・地下水路の閉塞と腐敗】
【状態:千年前の呪詛混合不純物による深刻な汚染。……『浄化』によるポイント変換期待値:極めて高い】
(王都のインフラは、外側の華やかさとは裏腹に、内部から腐り始めている。……誰も見向きもしない、捨てられたこの場所を、俺のポイントで『正常化』する。……目立たず、世界の寿命を奪わず、誰にも感謝されずに利益だけを確定させる。これこそが、俺が求めていた農民の働き方なんだ)
俺は懐から、ポイントで交換した【アイテム:高純度・魔導浄化触媒(800 pt)】を取り出し、音もなく、深淵のような古井戸の底へと落とし込んだ。
【保有ポイント:31,100 pt → 30,300 pt】
刹那――。
井戸の底から、暗闇を塗り替えるような青白く澄み切った魔力の波動が、さざなみのように広がった。
ドロドロとした黒い泥が分解され、千年の間淀んでいた不純物が、光の粒子となって「世界の理」へと還元されていく。井戸の縁にこびりついていたカビが剥がれ落ち、そこから湧き出したのは、宝石のような輝きを湛えた「真実の水」だった。
【浄化完了:王都エストリア・地下水脈の一部を正常化】
【管理組合より報酬:+12,000 pt 獲得】
【保有ポイント:30,300 pt → 42,300 pt】
(よし……。一発で一万二千。……やっぱり王都は、放置された『バグ』の金山だ。……誰にも気づかれずにこれを繰り返せば、数日でまた十万の大台に返り咲ける)
俺は、蘇ったばかりの井戸の水を掌で掬い、喉を鳴らして一気に飲み込んだ。
冷たく、そして驚くほど甘い。
王宮で供される、金粉の浮いた最高級のワインよりも、ずっと「生」の味がした。
だが。
俺が影の中で自由の味を噛み締めていた、その一方で。
王宮の、熱狂の渦中に立つ「ルークス」の前を通り過ぎようとした一人の男が、その足を止めていた。
「……ふうん」
ジルヴァだ。
彼は、熱狂する貴族たちの間を縫うように歩き、無心でオムレツを作る「ルークス」の鼻先に、その整った顔を、挑発するように近づけた。
ゴーレムは、完璧な精度で調理を続け、ジルヴァの存在など認識していないかのように、事務的に一礼した。
「……素晴らしいね、ルークス君。……君の料理には、昨日よりもさらに一分の隙もない。……けれど、……君の瞳の奥にあった、あの『世界を拒絶するような、どろりとした澱み』が、一晩でこんなにも綺麗に消えてしまうなんて。……魔法かな? それとも……」
ジルヴァの瞳が、薄い氷のように細められた。
彼は指先で、ゴーレムが握る包丁の背を、まるで恋人の肌を撫でるように、ねっとりと愛撫した。
「……クハッ。……なるほどね。……君は、私を『退屈』させることにかけては、本当に天才的だ。……いいよ。王宮で可愛らしく人形遊びをしている間に、君がどこまで深く、影の底へ逃げられるのか。……鬼ごっこの第ニ幕といこうか、ルークス・グルト君」
ジルヴァの放った、赤黒いノイズを帯びた魔力の糸が、王宮の偽ルークスの影を、音もなく侵食し、追跡の印を刻んでいく。
――再び、裏通りの古井戸街。
俺の背筋に、氷の刃を直接突き立てられたような、鋭く、凍てつくような戦慄が走った。
「……主よ、今のは……」
「……ああ。……バレたな。ジルヴァの奴、あいつが空っぽの偽物だと、もう勘付きやがった。……あの男の『鼻』を侮りすぎたか」
俺は、ポケットの中の「家族からの手紙」を上からそっと押さえた。
五万ポイントで買った自由の時間は、俺が思っていたよりもずっと短いのかもしれない。
だが、手に入れた一万二千ポイント。
これが、奴の追跡を阻む、新たな防壁の最初の一枚になる。
「フェン。……次の井戸へ。……奴がここに辿り着く前に、この街の『不純物』を全てポイントに変えて、俺の盾を厚くしてやる」
王都の影に潜んだルークスと、王宮の光に晒された偶像。
二つの自分を使い分けながら、ポイント亡者の真の「王都深層攻略」が、ここから加速を始める。
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【読者へのメッセージ】
第百八十六話をお読みいただき、ありがとうございます!
五万ポイントを溶かして手に入れた、束の間の解放感。しかし、ジルヴァという名の「バグ」は、その自由さえも遊び場に変えようとしています。
王都の地下水脈に眠る、ポイント変換の金脈。
次回、ルークスが裏通りで遭遇する、管理組合さえも「感知不能」とした、王都最大の汚染源……!?
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皆様のブクマが、ルークスの「浄化触媒」の品質とポイント変換率をさらに向上させます!




