第百八十七話:深層のデバッグ、あるいは「本物」を探す瞳
王都エストリアの地下。
そこには、地上の白亜の美しさ、そして繁栄の象徴である大通りの喧騒とは対照的な、暗澹たる「世界の排泄物」が幾星霜にもわたって堆積していた。迷路のように張り巡らされた地下水路、そのさらに深層。千年前の古代戦争において放たれた、数万の兵を死に至らしめた「呪詛」がヘドロとなってこびりつき、もはや管理組合の定めた正常な認識システムさえも感知を放棄した空白地帯――『深層の澱み』。
俺――ルークス・グルトは、視界を不気味な青白色に染め上げる特殊な光を放つゴーグルを装着し、フェンと共に、腰まで浸かる「黒い泥」を執拗に掻き分けていた。一歩足を踏み出すたびに、長靴越しに伝わってくるのは、物理的な粘性だけではない。それは、何千、何万という死者の無念が、数千年の時を経て「情報のゴミ」として変質し、まとわりついてくるような、不快極まりない重圧だった。
【ポイントアイテム:地下深層探索用・特殊鑑定ゴーグル:5,000 pt 購入】
【ポイントアイテム:魔力循環式・酸素供給フィルター:3,000 pt 購入】
【保有ポイント:42,300 pt → 34,300 pt】
「……ひどいな。これは単なる環境汚染じゃない。前世で、場当たり的な改修を何度も繰り返し、誰も全容を把握できなくなったまま稼働し続けている、呪いのスパゲッティコードそのものだ」
俺の呟きは、酸素供給フィルターを通じ、機械的で無機質な反響を伴って、地下の厚い静寂に響いた。
ゴーグルのレンズ越しに見えるのは、現実の解像度が崩壊した、赤黒いノイズの嵐。
そこには、[SYSTEM_ERROR]、[ACCESS_DENIED]といった文字が、絶望の警告灯のように激しく明滅している。管理組合のシステムが、この場所の「存在の定義」を正常に処理できず、論理破綻を起こしている。俺が今やっているのは、救世主としての冒険ではなく、泥にまみれた「不具合修正」に他ならない。
「主よ、気をつけろ。この先、定義の壊れた『残留魔力』が、実体を持たぬまま形を成そうとしておる。……もはや魔物ですらない。世界の『記述漏れ』が意思を持った何かだ。私の牙でも、その『意味』を喰らい尽くすには時間がかかる」
フェンが、水面から鼻先だけを出し、漆黒の毛並みを泥で汚しながら、周囲の歪んだ気配を最大級の警戒で嗅ぎ取っている。彼がこれほどまでに殺気を隠せず、唸り声を上げ続けるのは、この場所が「生命の理」からあまりにも遠ざかっているからだ。
(……五万ポイントで買った『自由』を維持し続けるには、この最悪なバグを潰して、管理組合から報酬を毟り取るしかない。……目立ちたくない、平穏が欲しいと言いながら、俺は結局、この世界の最も汚く、最も危険なバク層に指を突っ込んで、キーボードを叩くように魔力を流している。……笑えない冗談だ)
俺は、ポイントで交換した【アイテム:高純度・次元修復剤】を、最もエラーが激しく脈動している「澱みの核」へと、叩きつけるように投入した。
――同じ頃、遥か頭上の地上では。
夕闇が王都の裏通りを濃密な影で満たし始めた頃、一人の少女が、深いフードでその美しい顔を隠しながら、迷路のような路地を足早に歩いていた。
辺境伯令嬢、エレナ・レオナルド。
彼女は今、王宮の最上階で「完璧な微笑み」を浮かべ、王族から貴族まで、誰に対しても寸分の狂いもない礼儀と料理を提供し続けている『ルークス・グルト』という存在に、耐え難いほどの違和感と、凍りつくような孤独を抱いていた。
(……あの人は、ルークスじゃない。……あんなに綺麗な、澱みのない瞳で私を見るはずがない。……私の知っているルークスは、もっと……世界に疲れ果てたような目をしていて、でも、私と目が合った時だけは、少しだけ困ったように、恥ずかしそうに笑ってくれる……もっと不器用で、『不完全』な人だわ)
エレナは、論理ではなく、彼女がこれまでの人生で培ってきた「本物を見分ける感性」をもって、王宮の偶像を偽物だと断じた。
そして、彼女の足が自然と向いたのは、かつてルークスが「古井戸を浄化していた」という噂のあった、古井戸街の寂れた路地裏だった。
カラン、と石を蹴る音が、冷え切った静寂の中に響く。
エレナは、鉄格子のはまった古井戸の傍らで、祈るように立ち止まった。
そこには、誰もいないはずの静寂の中に、僅かな「人の営みの温もり」と、そして故郷リーフ村の湿った土の匂いが混じった、微かな、だが確かな香りが残留していた。
「……ルークス? 貴方なの? そこに、そこにいるのでしょう? 隠れていても分かるわ。私の心だけは、騙せないもの」
彼女の震える声が、闇に向かって放たれる。
その瞬間、井戸の底から、暗闇を塗り替えるような青白い光の粒子が、まるで蛍の群れが舞い上がるように、音もなく溢れ出してきた。
――地下、数十メートル。
俺は、澱みの核を浄化し、目の前でシステムエラーのノイズが消えていく光景を、荒い息をつきながら眺めていた。
【浄化完了:深層の澱み・第一セクターの定義を正常化】
【管理組合より特別報酬:+35,000 pt 獲得】
【保有ポイント:34,300 pt → 69,300 pt】
(よし……。これでまた少し、平穏を買い支えるための『盾』を厚くできる)
安堵の溜息を漏らした瞬間。頭上の、はるか遠い縦穴から、聞き慣れた、だが今この状況で最も聞いてはいけない「祈り」に似た声が降ってきた。
「……エレナ様!? なぜこんなところに!」
俺は慌てて、存在の希釈の出力を最大に上げようとしたが、その瞬間、背後から絶対零度の冷気が、俺の首筋を、蛇が這い回るように愛撫した。
「……クハッ。……見つけたよ。……王宮に置かれた、精巧だが退屈な『人形』の糸を辿ってみれば、こんな汚い穴蔵に本物が隠れてデバッグに励んでいるなんて。……君の『丁寧な暮らし』は、随分と泥臭く、そして最高にエキサイティングだね、ルークス・グルト君」
ジルヴァだ。
彼は、地下水路の黒いヘドロの上に、まるで鏡の床でも歩くかのように一点の汚れもなく、優雅に、そして残酷に立っていた。
頭上の井戸からは、今にも泣き出しそうなエレナ様の呼び声。
目の前には、すべてを見透かしたジルヴァの、歪な歓喜に満ちた冷笑。
俺は、手にした空の浄化触媒を、砕けんばかりに握りしめた。
前世で「絶対に逃げられない納期当日、すべてのバックアップが消えた瞬間」に直面した時のような、深い諦念と、それを上回る激しい怒りが混じった溜息を漏らす。
「……フェン。……どうやら、五万ポイント分の自由時間は、ここで終了らしい。……これより、デバッグの相手を、システムそのものに……いや、世界のバグそのものに切り替えるぞ」
王都の深層、光の届かぬ闇の中で、偽装を剥ぎ取られたルークスの瞳が、かつてないほど鋭い、管理組合の青い光で明滅した。
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【読者へのメッセージ】
第百八十七話をお読みいただき、ありがとうございます!
泥にまみれてポイントを稼ぐルークスの「農民としての、エンジニアとしての執念」と、彼を探して王都を彷徨うエレナ様の孤独。
ついに「本物」がバレてしまったルークス。ジルヴァの目的は、この管理組合さえも放棄した地下で、一体何を引き起こすことなのか?
次回、ジルヴァとの直接対峙! 汚染された地下水路を舞台に、ルークスの「鑑定」とジルヴァの「捕食」が、世界の理を賭けて激突する!?
「エレナ様がルークスを魂で見つけるシーンで胸が締め付けられた」「地下の不気味なノイズが伝わってくる……」という方は、ぜひ評価やブックマークで応援をよろしくお願いいたします!
皆様のブクマが、ルークスの次なる「次元修復パッチ」の精度をさらに向上させます!




