第百七話:崩落する日常と、地下からの咆哮
1.嵐の前の静寂、評価される正義
広場での騒動を収め、辺境伯別邸に戻った俺たちを迎えたのは、不気味なほどに静まり返った夕暮れだった。
いつもなら茜色に染まるはずの西の空は、重く垂れ込めた鉛色の雲に覆われ、王都全体を灰色の帳の中に閉じ込めている。湿り気を帯びた生暖かい風が頬を撫で、遠くで鳴る低い雷鳴が、これから訪れる災厄の足音のように不吉に響いていた。
「……ジルヴァめ。捨て台詞にしては、具体的すぎたな」
応接室の革張りのソファに深く体を沈めながら、ギデオンが低い声で呟く。彼の手は無意識のうちに剣の柄を撫でており、その表情には戦場に臨む際のような鋭い緊張感が張り付いている。
俺は、窓の外の沈んだ街並みを睨みつけながら、先ほどのシステムメッセージを反芻していた。
『警告:極めて強大な悪意あるシステム干渉の予兆を検知。対象エリア:王都全域、および地下魔力炉』
「ギデオンさん。……『地下魔力炉』というのは、具体的にどういう施設なんですか? ただの魔力供給源というだけではなさそうですが」
俺の問いに、ギデオンは眉間に深い皺を寄せて答えた。
「ああ。王都の地下深くに造られた、古代遺跡を利用した巨大な魔力貯蔵施設だ。……この街の明かりを灯す魔石や、王城の防衛結界に使われる膨大な魔力を、一手に精製・充填している心臓部だといわれている。普段は王室専属の魔術師団と、魔術師ギルドの厳重な管理下にあり、王族と一部の高官以外、立ち入りは禁止されている絶対不可侵の聖域だ」
「そこが、狙われているとしたら?」
「……街の機能が麻痺するだけでは済まん。貯蔵された膨大な魔力が暴走すれば、王都そのものが吹き飛ぶぞ。あるいは、結界が消滅すれば、外部からの脅威に対して無防備になる」
ギデオンの言葉に、室内の空気が凍りついた。
ジルヴァは、「破滅」と言った。そして「イベント」とも。奴なら、ポイント稼ぎのために街一つを犠牲にすることなど、ゲームの中の都市破壊イベント程度にしか思わないだろう。何十万人の命が消えようとも、奴にとってはスコアの数字が変動するだけのことに過ぎないのだ。
その時、俺の脳内に、遅れてきたファンファーレが鳴り響いた。
――ピロン♪
【広場における悪質な扇動を阻止し、民衆に真実を示しました。パニックを未然に防ぎ、治安維持に大きく貢献した功績が評価され、特別ボーナスが付与されます。】
【500ポイントを獲得しました。】
【現在の所持ポイント:11,089pt】
(前話終了時 10,589pt + 今回 500pt)
(……五百ポイント。ありがたいが、今は素直に喜べないな)
このポイントは、これからの戦いのための軍資金だ。俺は、いつ何が起きてもいいように、スキルリストとアイテムリストを頭の中で高速で再確認した。今の俺に何ができる? 何が必要だ? 思考を巡らせる間も、胸のざわめきは大きくなるばかりだった。
2.落ちる影、消える光
異変は、日が沈み、街に魔石灯の明かりが灯り始めた頃に起きた。
別邸の食堂で、レオナルド辺境伯に事の次第を報告していた時だった。
テーブルに並べられた豪華な料理には誰も手を付けず、重苦しい沈黙の中で俺の報告だけが響いていた。
突然、頭上のシャンデリアの輝きが、チカ、チカ、と不規則に瞬き始めたのだ。
「……なんだ?」
レオナルドが怪訝そうに天井を見上げる。
魔石灯は、魔力が尽きるまで一定の光を放ち続けるはずだ。このように不安定に明滅することなど、通常あり得ない。それはまるで、断末魔の灯火のように、必死に輝こうとしては力を失っていくようだった。
次の瞬間。
**ブツンッ。**
何かが物理的に断ち切られたような、不快な音と共に、シャンデリアの光が完全に消失した。
部屋が、漆黒の闇に包まれる。
「停電……!?」
俺が叫ぶと同時に、窓の外からも、波が押し寄せるような悲鳴とざわめきが聞こえ始めた。
慌てて窓辺に駆け寄り、カーテンを開け放つ。そこには、信じられない光景が広がっていた。
眼下に広がる王都の街並み。その無数の光が、まるでドミノ倒しのように、次々と闇に飲み込まれていくのだ。
大通りの街灯がフッと消え、家の窓明かりが落ち、商店の看板が色を失う。
光の都が、みるみるうちに死の街へと変貌していく。
そして、最後に残った王城の、白く輝くライトアップまでもが、揺らめき、そしてフッとかき消えた。
完全なる、ブラックアウト。
五十万人が暮らす巨大都市が、月明かりもない真の闇に閉ざされた。
「……始まったか」
闇の中で、ギデオンが剣を抜く金属音が、チャキリと冷たく響く。
直後、ズズズズズ……という、地鳴りのような重低音が、足元から、いや、大地の底から響いてきた。
3.地下からの侵略者
「じ、地震か!?」
セバスチャンが狼狽え、燭台を探して右往左往する。
だが、揺れは横揺れではなく、下から突き上げるような衝撃だった。そして、その振動に合わせて、どこか遠くで爆発音が連続して聞こえ始めた。
ドォォォン!! ズドォォン!!
「……爆発音? 場所は……中央広場の地下か!?」
俺の『気配察知』ではない、肌感覚が告げている。爆心地は、間違いなく地下だ。地下魔力炉のある場所だ。
「ルークス! 外を見ろ!」
レオナルドの鋭い声に、俺は再び窓の外に目を凝らした。
闇に目が慣れてくると、街の異様な変化が見えてきた。
あちこちで、マンホールの蓋が天高く吹き飛び、そこからどす黒い噴煙のようなものが溢れ出している。
いや、煙ではない。
魔石灯の残光や、慌てて灯された松明の明かりに照らされて蠢く、無数の影。
「……魔物だ」
俺は息を呑んだ。
地下水道から、あるいは地下の亀裂から、大量の魔物が地上へと這い出しているのだ。
猫ほどもある巨大なドブネズミ『ジャイアント・ラット』、ヘドロのように不定形の『スラッジ・スライム』、そして翼膜を広げて空へと舞い上がる『吸血コウモリ』の群れ。
地下に潜んでいた汚らわしいものたちが、光を失った地上を我が物顔で蹂躙し始めている。
「キャアアアアッ!」「助けてくれぇ!」「こっちに来るな!」
街のあちこちから、市民の悲鳴が上がり始める。
パニックになった人々が通りを逃げ惑い、それを魔物たちが追いかける。建物のガラスが割れる音、何かが倒れる音、そして咀嚼するような生々しい音。
阿鼻叫喚の地獄絵図が、闇の中で幕を開けた。
「……これが、奴の言う『イベント』か」
俺は、拳を震わせた。爪が肉に食い込み、血が滲む。
インフラを落とし、闇に乗じて魔物を解き放つ。パニック映画そのものだ。だが、これは映画じゃない。現実の命が、罪のない人々の日常が、今この瞬間も理不尽に奪われているのだ。
「……許さんぞ、ジルヴァ……!」
4.王都防衛戦、開戦
「狼狽えるな!」
闇を切り裂くように、レオナルドの一喝が響いた。
手近な燭台に火を灯すと、その揺らめく炎が彼の歴戦の顔を照らし出す。そこには、微塵の恐怖もなく、ただ迅速な決断だけがあった。
「これは敵襲だ! 総員、戦闘配置! 屋敷の門を固め、避難してくる民を保護せよ! 武器を持てる者は前へ出ろ!」
「はっ!」
使用人たちが、訓練された動きで散っていく。彼らもまた、辺境で魔物と戦ってきた猛者たちだ。
「ギデオン! お前はルークスと共に、事態の収拾に向かえ! ……狙いは地下魔力炉だ。そこが元凶に違いない」
「御意。……必ずや、鎮圧してまいります」
ギデオンがその場で跪く。
「ルークス。お前には無理をさせるが……この街を、頼んだぞ」
レオナルドが、俺の肩を強く掴む。その握力に、彼の焦燥と、俺への信頼が込められていた。
「……任せてください。俺が、終わらせてきます」
俺は、懐の黒い石を確かめた。
石は今、狂ったように赤く明滅し、地下の一点を指し示している。
そこには、間違いなく奴がいる。
俺とギデオンは、屋敷を飛び出した。
一歩外に出ると、そこはすでに戦場だった。
「キシャアアッ!」
屋敷の門前で、数匹のジャイアント・ラットが、逃げ遅れた女性を取り囲み、今にも飛びかかろうとしていた。
「させん!」
ギデオンが疾走する。
銀色の閃光が一閃。
先頭の一匹の首が宙を舞い、鮮血が石畳を汚す。残りのネズミたちが怯んだ隙に、彼は流れるような動きで二匹目、三匹目を斬り伏せた。
「……大丈夫ですか!」
俺が女性を助け起こすと、彼女は腰を抜かして震えながら礼を言った。
「あ、ありがとう……ございます……! いきなり、地面から……!」
「屋敷の中へ! あそこなら兵士がいます! 急いで!」
女性を門の中へ逃がすと、俺たちは再び走り出した。
目指すは、中央広場。巨大なマンホールがある、地下への入り口だ。
通りには、逃げ惑う人々や、暴れる魔物たちで溢れている。
建物の屋根からはコウモリが急降下し、路地裏からはスライムが這い出してくる。衛兵たちが応戦しているが、数が多すぎて防戦一方だ。
俺は、走りながらスキルリストを全開にした。
(この混乱を鎮めるには、圧倒的な『力』が必要だ。……今こそ、ポイントを使う時だ!)
俺は、以前から目を付けていた、戦闘用の最強スキルに指をかけた。
【スキル『身体能力強化【初級】』を取得しますか?
50,000ptを消費します】
(……足りない! まだ1万ptしかない!)
クソッ、一番欲しい力が、手が届かない。
あと少し、あと少し稼いでいれば……! 後悔が胸を刺すが、今は立ち止まっている暇はない。
諦めるわけにはいかない。あるもので、今持っている手札で戦うしかない。
俺は、焦る指で別の項目をタップした。
【スキル『気配察知(Lv.1)』を取得しますか?
20,000ptを消費します】
(……これもか! 2万ptにも届いていない……!)
今の所持ポイントは11,089pt。これでは高位のスキルには手が届かない。
焦りが思考を鈍らせる。落ち着け、ルークス。
高価なスキルがダメなら、アイテムだ。安くて、効果的で、この状況を打破できるものはなんだ?
闇。魔物。混乱。
奴らは夜目が利くが、強い光や音には弱いはずだ。
【道具:閃光玉×10】
【効果:強烈な光と音で、周囲の敵を一時的に無力化する。】
【必要ポイント:1,000pt】
【道具:爆竹(大量・業務用)】
【効果:連続した激しい破裂音で、獣系の魔物を威嚇し、パニック状態にする。】
【必要ポイント:500pt】
(……これだ! 目眩ましと威嚇なら、今の俺でもできる! それに、これなら俺の魔力を使わずに広範囲を制圧できる!)
俺は、迷わず交換ボタンを連打した。
【1,500ptを消費し、『閃光玉×10』『爆竹(大量)』を取得しました。】
【現在の所持ポイント:9,589pt】
(11,089pt - 1,500pt = 9,589pt)
「ギデオンさん! 目を閉じて! 魔物は音と光に弱いはずです!」
俺は、群がる魔物の群れの中心に向かって、閃光玉を全力で投げつけた。
カッ!! ドォォォォン!!
真昼のような白い閃光と、鼓膜を破るような爆音が炸裂する。
闇に目が慣れていた魔物たちが、「ギャアアアッ!」と悲鳴を上げてのたうち回り、視界を奪われて同士討ちを始める。
「……ナイスだ、ルークス!」
その隙を逃さず、ギデオンが風のように駆け抜ける。
剣閃が走るたびに、魔物が絶命し、道が開かれていく。
俺はさらに爆竹に火をつけ、路地裏へと投げ込む。バラバラバラッ! という激しい破裂音に驚いたネズミたちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
俺たちは、互いをカバーし合いながら、混乱する市街地を突破していった。
そして、ついにたどり着いた。
中央広場。その真ん中にある、巨大な噴水が砕け散り、その下に隠されていた巨大なマンホールの蓋が吹き飛んでいた。
そこから、どす黒い瘴気と、おぞましい魔物の群れが、間欠泉のように噴き出していた。
「……ここが、地獄の入り口か」
俺は、ぽっかりと開いた闇の穴を見下ろした。
底からは、不気味な紫色の光が漏れ出し、低い唸り声のような音が響いてくる。
この底に、ジルヴァがいる。
そして、この街の命運を握る『魔力炉』がある。
「行こう、フェン。ギデオンさん」
「ワフッ!」
フェンが、勇ましく吠える。その小さな体からは、恐怖よりも闘志が溢れていた。
「ああ。……覚悟はいいか」
ギデオンが剣を構え直す。
俺たちは、頷き合い、躊躇なく闇の底へと飛び込んだ。
地下迷宮と化した王都の地下水道。
そこで待ち受けるのは、地上とは比べ物にならない濃密な死の気配と、そして悪意に満ちた『ゲーム』の続きだった。
【読者へのメッセージ】
第107話、お読みいただきありがとうございました!
ポイント数の矛盾を修正し、限られたリソースの中で知恵を絞って戦うルークスの姿を描きました。
「ポイント不足の絶望感、リアル…」「閃光玉ナイス判断!」「いざ地下ダンジョンへ!」などの感想、お待ちしております。
次回、地下魔力炉での決戦!
そこでルークスが見る、ジルヴァの真の目的とは……?
そして、黒い石の秘密がさらに明らかに!?
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