第百三話:路地裏の雑草と、偽りの聖水
1.白衣の狂騒と、黒い澱み
「ルークス様! 火加減はこれでよろしいでしょうか!?」
「この骨の割り方で、髄のエキスは十分に出ますかな!?」
翌朝。辺境伯別邸の厨房は、早朝から異様な熱気に包まれていた。
昨日、俺が作った『豚骨スープ』に衝撃を受けた料理長ピエールが、目の下に隈を作りながらも、鬼気迫る形相で寸胴鍋と格闘しているのだ。
「ええ、ピエールさん。その調子です。……ただ、あまり煮詰めすぎると『エグみ』が出るので気をつけて」
俺は苦笑しながらアドバイスを送った。
彼らのような一流の料理人が、捨てられるはずだったガラに真剣に向き合っている。その光景は、俺が目指す「価値の再発見」が、この屋敷の中で確かに根付き始めていることを示していた。
「……さて、行きますか」
俺は厨房を抜け出し、裏口で待っていたギデオンと合流した。
今日の目的地は、市場よりもさらに深く、王都の闇が沈殿する場所――『スラム街』だ。
「……本当に行くのか。あそこは、貴族街とは空気が違う。治安も最悪だ」
平民の服に着替えたギデオンが、剣の柄に手を掛けながら忠告する。
「ええ。昨日助けたミナちゃんのことが気になりますし……それに、この街の『病巣』を自分の目で見ておきたいんです」
華やかな魔石灯の光が届かない場所。そこにこそ、この国の抱える本当の問題と、そして俺が稼ぐべきポイントが眠っているはずだ。
2.見捨てられた街
貴族街から商業区を抜け、さらに川沿いを下流へと下る。
風景は、歩くごとに荒んでいった。石畳は途切れ、泥と汚物にまみれた未舗装の道になる。建物は傾き、窓は板で打ち付けられている。
そして、鼻をつく強烈な異臭――腐敗臭と、排泄物、そして絶望の臭い。
「……ここが、スラム」
俺は、外套の口元を引き上げた。
道端には、虚ろな目をした人々が座り込み、俺たちをじろじろと見ている。その視線には、敵意というよりも、生きる気力を失った諦めが漂っていた。
「お兄ちゃん!」
薄暗い路地の奥から、聞き覚えのある声がした。ミナだ。
昨日のスープの鍋を抱え、彼女が駆け寄ってくる。だが、その顔色は優れず、昨日のような笑顔はない。
「ミナちゃん。……弟さんの具合は?」
俺が尋ねると、彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……だめなの。スープを飲ませようとしたんだけど、苦しがって……。体が熱くて、うわ言ばかり言ってて……」
ただの栄養失調ではないのか?
俺はギデオンと顔を見合わせ、彼女の案内で、傾いた小さな掘っ立て小屋へと入った。
3.救済という名の毒
小屋の中は薄暗く、湿っぽい空気が澱んでいた。
破れた毛布にくるまり、一人の少年が荒い息を吐いていた。ミナの弟、ティオだ。年齢は七つくらいだろうか。頬はこけ、肌は土気色をしている。
「……水……せ、聖水……」
ティオが、乾いた唇でうわ言を漏らす。
「聖水?」
俺が首を傾げると、ミナが部屋の隅にあった小瓶を持ってきた。
ラベルには、天秤のマークと共に『救済の聖水』と書かれている。
「『救済の天秤』っていう団体の人たちが、配ってるお水なの。『これを飲めば、どんな病気も治るし、お腹も空かなくなる』って……」
俺は、その小瓶を受け取り、蓋を開けた。
甘ったるい、どこか人工的な香りが鼻をつく。
(……嫌な予感がする)
俺は、スキル『鑑定』、さらに『識別』を発動させた。
【識別】
【救済の聖水(偽造品)】
【成分:水、精製糖、麻痺草の絞り汁(微量)、マナ・ドレイン藻(粉末)】
【効果:一時的な高揚感と満腹感を与えるが、同時に服用者の魔力と生命力を徐々に吸収する。強い依存性あり。】
「……なんだ、これ……!」
俺の手が震えた。
これは薬じゃない。毒だ。
麻痺草で痛みを誤魔化し、砂糖でカロリーを与え、その裏で生命力を吸い取る。しかも依存性があるため、飲み続けなければ禁断症状でさらに苦しむことになる。
「病気が治る」どころか、飲めば飲むほど弱っていく仕組みだ。
「……ミナちゃん。これは、もう飲ませちゃダメだ」
「えっ? でも、これを飲むと、ティオは楽になるって……」
「それは、痛みを感じなくさせているだけだ。……これは、毒なんだよ」
俺の言葉に、ミナが息を呑み、顔面蒼白になる。
信じていた「救い」が、実は弟を殺す毒だった。その事実は、幼い彼女にはあまりに残酷すぎた。
「そ、そんな……。じゃあ、どうすれば……」
泣き崩れるミナ。
俺は、ギリリと奥歯を噛みしめた。
人の弱みに付け込み、子供の命すら食い物にする。
『救済の天秤』……。間違いなく、ジルヴァの手先だ。
(許さない。……絶対に)
俺の中で、辺境で見せたあの冷たい怒りが再び燃え上がった。
4.路地裏の処方箋
「……泣くな、ミナ。俺が治す」
俺はミナの肩を抱き、力強く言った。
だが、手持ちのアイテムに解毒薬はない。ポイントを使って『万能薬』を交換することもできるが、それでは根本的な解決にならない。スラム全体にこの毒が蔓延しているなら、ここで手に入る材料で治せる方法を示さなければ、また同じ悲劇が繰り返される。
(……探せ。この場所に、必ず『答え』があるはずだ)
俺は小屋を飛び出し、スラムの地面を凝視した。
汚水と泥にまみれた路地。だが、植物の生命力は逞しい。石畳の隙間や、壁際の日陰に、雑草たちがしぶとく根を張っている。
俺は、『薬草知識』と『識別』をフル稼働させ、視界に入る全ての草をスキャンした。
【雑草】……【毒草】……【雑草】……。
(……あった!)
とある崩れた壁の陰に、小さな白い花をつけた草が群生していた。
誰もが見向きもしない、ただの雑草。だが、俺の知識スキルは、その真の価値を告げていた。
【鑑定】
【ホワイト・クリーパー(白蔓草)】
【効能:強力な解毒作用と、魔力回復促進効果。根を煎じて飲むことで、神経系の毒素を中和する。】
「ギデオンさん! これを!」
俺は夢中でその草を引き抜いた。
王都の人間が「雑草」として踏みつけていた草こそが、この毒に対する特効薬だったのだ。
「……灯台下暗し、とはこのことか」
ギデオンも驚いたように目を丸くする。
俺たちはホワイト・クリーパーを大量に採取し、ミナの小屋へ戻った。
鍋で根を煮出し、特製の解毒茶を作る。強烈な苦味があるが、今は贅沢を言っていられない。
「ティオ、頑張って飲むんだ」
俺は、ティオの上体を起こし、少しずつ茶を流し込んだ。
彼は顔をしかめて飲み込んだが、魔法の薬ではないため、劇的な変化はすぐには訪れない。
俺たちは、祈るような気持ちで彼を見守り続けた。
十分、二十分……。
やがて、ティオの呼吸に変化が現れた。
それまで「ゼェゼェ」と苦しげだった呼吸音が、少しずつ、深く、穏やかなものへと変わっていく。
「……よかった。解毒成分が回り始めたみたいだ」
俺は、ティオの額の汗を拭いながら安堵の息をついた。
即効性はないかもしれないが、確かに毒は中和されている。これなら、助かる。
5.白衣の悪魔たち
その時だった。
小屋の外から、野太い声が響いてきた。
「おい、ここのガキども! 今日の分の『聖水』を持ってきたぞ。代金は用意できたか?」
扉が乱暴に開かれ、白く清潔なローブを纏った男たちが三人、入ってきた。
胸には、天秤のマーク。
『救済の天秤』の構成員たちだ。彼らの清潔な身なりは、この汚い小屋の中で、異様なほど浮いて見えた。
彼らは、俺とギデオンの姿を見て、ぎょっと足を止めた。
「……なんだ、お前らは。ここは我々の『管轄』だぞ」
リーダー格の男が、凄むように言う。
「……管轄、ね」
俺は、ゆっくりと立ち上がった。手には、飲み干された聖水の空き瓶。
「よくもまあ、こんな毒水を『聖水』なんて呼べたものだな」
俺の言葉に、男たちの顔色が変わった。
「……なんだと? 我々の崇高な活動を侮辱する気か!」
「崇高? 砂糖水に麻薬を混ぜて、子供から金を巻き上げることがか?」
俺は、空き瓶を彼らの足元に投げつけた。パリンッ、と乾いた音が響く。
「貴様……! タダで済むと思うなよ!」
男たちが懐からナイフを取り出す。慈善団体を名乗りながら、その本性はただのゴロツキだ。
「……ギデオンさん」
「ああ」
俺が合図するより早く、ギデオンが一歩前に出た。
剣は抜かない。ただ、その鍛え上げられた拳を構えただけだ。
「……貴族の屋敷に泥棒に入ったことはあるか?」
ギデオンが、低い声で問う。
「あ、あぁ?」
「なければ、今ここで、騎士団長の拳の味を覚えておけ」
ドゴォッ!!
目にも止まらぬ速さの拳が、リーダー格の男の腹に突き刺さった。
男は「ぐえっ」とカエルのような声を上げ、鞠のように吹き飛んで壁に激突した。
残りの二人が悲鳴を上げて逃げ出そうとするが、ギデオンは逃がさない。
あっという間に三人とも床に転がされ、伸びてしまった。
「……弱すぎる。準備運動にもならん」
ギデオンが、つまらなそうに拳を払う。
俺は、呻く男たちの前にしゃがみ込んだ。
「……お前らのボスに伝えろ」
俺の声は、自分でも驚くほど冷たかった。
「『辺境の農民が、王都の雑草刈りに来た』とな」
男たちは、恐怖にひきつった顔で何度も頷き、這うようにして逃げていった。
6.広がる波紋
騒ぎを聞きつけ、近所のスラムの住人たちが集まってきていた。
俺は、彼らに『ホワイト・クリーパー』を見せ、その効能と、聖水の危険性を説明した。
「そ、そんな……。俺たちがありがたがって飲んでたのは、毒だったのか……」
「この雑草が、薬に……?」
最初は半信半疑だった彼らも、呼吸が落ち着き、安らかに眠るティオの姿を見て、納得せざるを得なかった。
そして、何より「タダで手に入る雑草で治る」という事実は、金のない彼らにとって最大の福音だった。
「ありがとう……! ありがとう、兄ちゃん!」
人々が、俺に感謝の言葉を口にする。
その声は、辺境の村で聞いたものと同じ、温かい響きを持っていた。
――ピロン♪
【悪質な霊感商法を看破し、スラムの住人に正しい医療知識を広めました。多くの命を間接的に救った功績により、500ポイントを獲得しました。】
【現在の所持ポイント:11,489pt】
(……これでいい)
俺は、ミナとティオに別れを告げ、スラムを後にした。
だが、戦いはこれで終わりではない。むしろ、宣戦布告をしたに過ぎない。
逃げ帰った男たちの報告は、間違いなく「彼」の耳に届くだろう。
王都の闇に潜む、もう一人の転生者。ジルヴァ。
俺は、王城の方角――光の当たる場所と、その影に潜む闇を見つめた。
「……待ってろよ。お前の『物語』、俺が書き換えてやる」
王都での二日目。
俺は、早くもこの街の最大の闇と、交差したのだった。
【読者へのメッセージ】
第103話、お読みいただきありがとうございました!
スラム街での出会いと、蔓延る悪意。
「雑草」に価値を見出すルークスの知識チートと、ギデオンの物理(!)チートが炸裂しました。
「聖水ビジネス、許せん!」「ギデオンさん強すぎ(笑)」「ジルヴァとの対決が近い予感…」など、感想をお待ちしております。
ついに存在を感知されたルークス。
次回、王都の陰謀がさらに動き出す! そして、ルークスは「あの場所」へ招待されることに……?
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