第百二話:王都の胃袋、捨てられた宝物
1.喧騒の市場、インフレの波
王都での二日目の朝。
俺は、豪奢な貴族服ではなく、村から着てきた着慣れた麻の服に着替え、ギデオンを伴って屋敷を出た。ギデオンもまた、いつもの騎士団の鎧ではなく、目立たない傭兵風の革鎧に身を包んでいる。
「……護衛は私一人でよろしいのですか?」
「ええ。大袈裟な護衛を連れていては、『本当の値段』が見えなくなってしまいますから」
俺たちが目指したのは、王都の胃袋と呼ばれる『中央大市場』だ。
昨日、馬車の窓から見た景色も圧倒的だったが、実際に足を踏み入れた市場の熱気は、その比ではなかった。
「安いよ安いよ! 東方から届いたばかりの織物だ!」
「こっちの果物は甘いぞ! 貴族様も御用達だ!」
無数の露店がひしめき合い、商人たちの怒号のような売り声と、客たちの値切る声が混じり合って、巨大な渦を作っている。香辛料のむせるような香り、家畜の獣臭、そしてどこからともなく漂ってくる腐敗臭。それらが混然一体となった強烈な臭気が、俺の鼻を刺激した。
俺は、人混みを縫うように歩きながら、目につく商品に片っ端からスキル『鑑定』を使っていった。
【鑑定】
【王都産の白パン】
【品質:並】
【市場価格:銀貨1枚(約1,000円)】
【鑑定】
【塩漬けの豚肉(古)】
【品質:低】
【市場価格:銅貨80枚(約8,000円)】
「……高い」
俺は、思わず呻いた。
辺境の物価と比べて、食料品の値段が異常に高い。パン一つが銀貨一枚? リーフ村なら、家族全員が数日暮らせる金額だ。しかも、品質はお世辞にも良いとは言えない。
「……これが王都の現実だ」
隣を歩くギデオンが、顔をしかめて呟く。
「地方からの輸送コスト、関所での税、そしてギルドの仲介料。……平民の口に入る頃には、値段は跳ね上がり、鮮度は落ちている」
華やかな大通りの裏側で、この街の庶民たちは、毎日の食事さえ満足に取れていないのかもしれない。
輝く魔石灯の光は、この歪な食料事情までは照らしてくれないようだ。
2.路地裏の少女と、肉屋の屑
市場の奥深く、精肉店が並ぶエリアに差し掛かった時だった。
一軒の店の前で、怒鳴り声が上がった。
「失せろ! 野良犬にやる肉はねえんだよ!」
見ると、太った店主が、包丁を振り回して一人の少女を追い払おうとしていた。
少女は十歳くらいだろうか。着ている服はボロボロで、髪は埃にまみれている。スラムの子供だろう。彼女は怯えながらも、必死に食い下がっていた。
「お、お願い! 弟が病気なの! 少しでいいから、その……捨ててあるお肉を……!」
彼女が指差していたのは、店の裏口にある木桶だ。そこには、解体された家畜の骨や、内臓、筋張った肉片などが、無造作に投げ捨てられていた。
「あぁ? これはゴミじゃねえ、肥料屋に売るんだよ! 金もねえガキが、商売の邪魔だ!」
店主がさらに怒鳴り、少女を突き飛ばそうとした。
スッ。
店主の手首が、空中で止まった。
ギデオンが、無言でその腕を掴んでいたのだ。彼の腕力に、太った店主が悲鳴を上げる。
「い、痛え! 何しやがる!」
「……子供相手に、随分な剣幕だな」
ギデオンの冷ややかな声と、その身から滲み出る殺気に、店主は一瞬で青ざめ、後ずさった。
俺は、座り込んでいた少女に手を貸し、立たせた。
その腕は、折れそうに細かった。
「……大丈夫?」
「あ、ありがとう……ございます……」
少女は震えながら礼を言ったが、その視線はまだ、未練がましく木桶の中身に向けられていた。
俺は、その木桶の中身を『鑑定』した。
【鑑定】
【豚のガラ(骨・筋・内臓)】
【状態:新鮮】
【詳細:食肉加工の過程で出た余剰部位。一般的に食用とは見なされず、廃棄または肥料として処理される。栄養価は高い。】
(……やっぱり)
この世界では――あるいはこの豊かな王都では――手間のかかる部位や、見た目の悪い部位は「ゴミ」として扱われているのだ。
だが、前世の記憶を持つ俺には、それがゴミではなく、未加工の『宝石』に見えた。
「店主さん」
俺は、呆気にとられている店主に声をかけた。
「その桶の中身、全部俺に売ってくれませんか」
「……はあ?」
店主は、変な生き物を見るような目で俺を見た。
「こんなゴミ、何にするんだ? 食えたもんじゃねえぞ」
「構いません。……いくらですか?」
「……銅貨5枚(500円)でいい。持ってけ」
肥料屋に売るよりはマシな値段なのだろう。店主は鼻で笑いながら、金をひったくった。
俺は、少女に向き直った。
「君、名前は?」
「……ミナ、です」
「ミナちゃん。このお肉、運ぶのを手伝ってくれるかな? お礼に、とびきり美味いものをご馳走するよ」
「え……? でも、これはゴミ……」
「ゴミじゃないよ。……魔法をかけて、ご馳走に変えるんだ」
俺は、ニカッと笑ってみせた。
3.別邸の厨房、白いスープ
辺境伯別邸の厨房は、オーギュスト師匠の城(ランドールの城の厨房)に勝るとも劣らない、立派な設備が整っていた。
だが、俺たちが大量の「生ゴミ(に見えるもの)」を抱えて入っていくと、料理人たちは一様に顔をしかめた。
「ルークス様……。それは、一体……?」
この別邸の料理長を務める、白髭のピエールが、困惑した顔で尋ねる。彼は、昨夜の晩餐で素晴らしい料理を振る舞ってくれた、一流のシェフだ。
「ピエールさん、少しの間、厨房の隅をお借りします。……ああ、このガラ、決して捨てないでくださいね」
俺は、ギデオンとミナに手伝ってもらい、大量の骨と筋、そして内臓を丁寧に水洗いした。
血抜きをし、臭みを取るための香草(これは庭に生えていたものを拝借した)と一緒に、巨大な寸胴鍋に放り込む。
「水をたっぷり入れて、あとはひたすら煮込むだけです」
俺がやろうとしているのは、前世で愛した庶民の味――『濃厚豚骨スープ』の再現だ。
捨てるはずの骨から、極上の旨味を抽出する。これぞ、貧乏学生時代に覚えた、究極の節約術にして、最高の贅沢。
「……そんな骨を煮て、何になるのです?」
ピエールが、興味深そうに、しかし半信半疑で鍋を覗き込む。
貴族の料理において、スープとは澄んだコンソメが主流だ。骨を白濁するまで煮込むなど、下品な料理だとされているのかもしれない。
「見ていてください。……火加減は、強火でガンガンいきます!」
グツグツと鍋が煮立ち、灰汁が浮いてくる。俺はそれを丁寧にすくい続ける。
一時間、二時間。
厨房の中に、次第に変化が起きた。
最初は生臭かった匂いが消え、代わりに、鼻腔をくすぐるような、濃厚で、クリーミーな香りが漂い始めたのだ。
「……む?」
ピエールの鼻が動く。他の料理人たちも、手を止めてこちらを見ている。
「いい匂い……」
ミナが、お腹を鳴らしながら鍋を見つめている。フェンも、足元で尻尾を激しく振って「早くよこせ」と催促している。
俺は、鍋の中を確認した。スープは、見事な乳白色に変わり、とろみが出ている。骨の髄から溶け出したコラーゲンと旨味が、完全に乳化している証拠だ。
「仕上げです」
俺は、塩と、昨日下町の露店で『臭いがきつい』と叩き売られていたニンニクと生姜、そして魚醤のような調味料を投入した。貴族たちは敬遠するが、これこそがパンチの効いた味の決め手だ。
「……完成だ」
4.輝く「ゴミ」、笑顔の食卓
俺は、深皿にスープを注ぎ、その中に、固めに茹でた細麺(これはピエールに頼んで打ってもらった)を入れた。具材は、一緒に煮込んでトロトロになった筋肉と、刻んだネギだけ。
見た目は地味だ。だが、その香りだけで、誰もが唾を飲み込むほどの破壊力を持っていた。
「さあ、ミナちゃん。毒味役、頼めるかな?」
俺が差し出すと、ミナは震える手でスプーンを握り、恐る恐るスープを口に運んだ。
「……!」
彼女の目が、カッと見開かれる。
「……おいしい……!」
その声は、震えていた。
「すごい……! 味が、濃い……! 口の中で、とろっと溶けて……体が、ポカポカする……!」
彼女は、夢中で麺をすすり、スープを飲み干した。空っぽになった皿を置いて、彼女は涙ぐんだ目で俺を見た。
「……これ、本当に、さっきの骨なの……?」
「ああ。捨てられるはずだったものが、少しの工夫で、こんなに美味しくなるんだ」
次に、ピエールが試食した。彼は、スープを一口含むと、長い間目を閉じて味わい、そして、呆然と呟いた。
「……信じられん」
彼はスプーンを置くと、信じられないものを見る目で、空の皿を見つめた。
「あれほどの下処理をしたとはいえ、あの臭みが完全に消え、これほど濃厚な旨味に変わるとは……。私の料理人としての常識が、音を立てて崩れていくようです。……参りました。素材の命を、骨の髄まで味わい尽くす……。これこそが、真の『料理』かもしれませんな」
彼の言葉に、厨房の空気が変わった。料理人たちは、ゴミだと思っていた骨の山を、今や宝の山を見るような目で見つめている。
俺は、残りのスープを大きな鍋に入れ、ミナに持たせた。
「これを持って帰って、弟さんや、近所の人たちにも食べさせてあげて。……栄養満点だから、きっと元気になるよ」
「……うん! ありがとう、お兄ちゃん!」
ミナは、重いはずの鍋を大事そうに抱え、何度も振り返りながら帰っていった。その背中は、来た時よりもずっと力強く見えた。
俺は、彼女を見送りながら、ステータスウィンドウを確認した。
――ピロン♪
【廃棄食材を活用した新メニューの開発、および貧民への食料支援を行いました。食糧問題解決への新たな糸口として評価され、300ポイントを獲得しました。】
【現在の所持ポイント:10,989pt】
(……悪くない)
王都の物価は高い。だが、価値が見出されていない「隠れた食材」は山ほどある。
それらを見つけ出し、知識という魔法で「価値」を与える。
それが、この歪んだ街で、俺が戦うための武器になる。
「……ルークス。お前は、どこへ行っても変わらんな」
ギデオンが、呆れたように、しかし温かい目で俺を見ていた。
「ええ。俺は、農民ですから。……無駄なものなんて、この世にはないんです」
俺は、厨房の窓から、煌びやかな王都の夜景を見上げた。
この光の下に眠る、まだ見ぬ宝物たち。
明日は、もっと深く、この街の懐へと潜り込んでみよう。
俺の王都攻略は、まず「胃袋」から始まった。
【読者へのメッセージ】
第102話、お読みいただきありがとうございました!
華やかな王都の影で、ルークスが見つけたのは「捨てられた骨」という宝物でした。
前世の知識(ラーメン?)を活かした、王都での最初の一歩。
高級食材ではなく、廃棄食材で人々を笑顔にする。それがルークスの流儀です。
「飯テロ回!」「豚骨スープ飲みたくなった…」「ミナちゃん良かったね!」などの感想、お待ちしております!
次回、ルークスはさらに王都の深部へ。そこで出会うのは、新たな仲間か、それとも……?
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