EP 9
「俺に夢はない。だから発注は俺が全部通す」
月明かりだけが照らすポポロ村の広場で、彼女の歌声が響いた。
観客はいない。スポットライトもない。
小豆色の芋ジャージに、スーパーから拾ってきたようなボロボロのみかん箱。それが彼女のステージ衣装であり、お立ち台だった。
「——全部手に入れるわ。夢も金貨も輝くもの。貴方の全てを背負って生きていける……!」
だが、その歌声には不思議な力があった。
透き通るような高音。魂を揺さぶるような熱量。
俺はポポロ・コーポの自室から広場へと降り、物陰に寄りかかりながら、リーザ・シーラン・リヴァイアサンのパフォーマンスを静かに見つめていた。
「だから私は、銀河の果てまで歌って行けるわ! だから、何処までもついて来てね、ダーリンッ!」
ばちんっ、と彼女が架空の観客に向かってウインクを飛ばす。
最後に投げキッスのモーションを決め、リーザは深く、深くお辞儀をした。
静寂が戻る。虫の音だけが聞こえる広場で、俺はゆっくりと拍手をした。
「……っ!?」
パン、パン、という音に、リーザが弾かれたように顔を上げた。
「り、陸人様!? い、いつからそこに……!」
「最初からだ。いい歌だった」
「あうう……恥ずかしいですの。こんなゲリラライブ、誰もいないからこっそり練習してたのに……」
リーザは顔を真っ赤にして、みかん箱から降りようとした。
だが、足元がもつれて健康サンダルが脱げ、そのままズッコケそうになる。俺は慌てて彼女の腕を掴み、支えた。
本当に、ステージを降りればただのドジな芋ジャージ娘だ。
「……なぁ、リーザ」
「はいですの?」
「お前、どうしてそこまでアイドルになりたいんだ?」
俺は缶コーヒーを揺らしながら尋ねた。
この世界のアイドル事情は知らないが、彼女はれっきとした海中国家シーランの王女だ。こんなボロボロの格好をしてまで、村の広場でタダで歌うような身分ではないはずだ。
リーザは姿勢を正し、真剣な顔で口を開いた。
「……私がステージに立って歌うと、ファン達の『時間』を奪うことができるんですの」
「時間を?」
「そうです。みんな、仕事や生活で辛いことや、考えなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに。私が歌っているその瞬間だけは、全部忘れて、私だけを見てくれるんですの」
リーザの瞳の奥に、ただの純真さではない、ある種の『狂気』にも似た執着の炎が揺らめいた。
「だから、私は……ファン達の『世界』そのものになりたいんです。彼らの視線も、お金も、心も、何もかもを全部奪い尽くして……その代わり、彼らの人生に『宇宙一幸せな時間』を味わわせてあげるんです」
彼女はギュッと両手を胸の前で組んだ。
「私は運命。私は物語。だから貴方達の全てをちょうだい……それが、私のアイドルの形なんですの!」
強欲で、傲慢で、けれど圧倒的に純粋な哲学。
俺は微糖の缶コーヒーを一口飲んだ。冷めたコーヒーの苦味が、前世の記憶をふっと呼び起こす。
——俺には、あんな風に語れる夢があっただろうか。
上司の無茶な納期に追われ、会社の売上のために身を粉にし、自分の時間と人生をすり減らして生きてきた。
誰かの夢のために走ることは得意だった。だが、自分のために奪いたいほどの欲望も、熱狂も、俺の中には一つもなかった。
「……そうか」
俺は缶コーヒーを地面に置き、まっすぐにリーザを見た。
「俺に夢はない」
「えっ……?」
「手に入れたいものも、成し遂げたい野望もない。だから、お前のそのバカみたいに強欲な夢に乗ってやる」
俺は空中のウィンドウをスワイプし、ステータス画面を開く。
ポポロ村の経済規模(GDP)は、今日の弁当事業の売上で少しだけ底上げされている。
俺の『発注上限』も、それに伴って拡張されていた。
「アイドルには、煌びやかなステージが必要だ。華やかな衣装も、観客を熱狂させる音響機材も、それを宣伝する広告媒体もな」
「陸人様……それって……」
「俺はお前のプロデューサーになる。お前が世界中から愛と金を奪い尽くす宇宙一のアイドルになれるように——必要な物資の『発注』は、俺が全部通してやる」
商社の資材調達係としての、異世界での初めての『専属契約』だった。
リーザの瞳に、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
彼女はみかん箱を踏み台にして飛びつき、俺の首に力強く抱きついた。
「陸人様ぁぁぁっ! ありがとうございますの! 私、絶対に売れますの! 売れて、お肉を毎日食べられるようになりますのぉぉ!」
「首が締まる。あと、目的が食欲にすり替わってるぞ」
俺は静かにツッコミを入れながら、彼女の背中をポンポンと叩いた。
『ピコン』
【クエスト D-020:少女の夢の出資者となれ】
【内容:リーザ・シーラン・リヴァイアサンの夢を肯定し、契約を結ぶ】
【報酬:1,000P】
【クエスト達成】
【1,000Pを獲得しました】
【現在の所持P:2,610P】
脳内で軽快な電子音が鳴る。
これで、俺の異世界での明確な目標が決まった。
ポポロ村の経済を回し、ポイントの上限を上げ、最高の機材を取り寄せて、この芋ジャージの少女をトップアイドルに押し上げる。
ただの社畜だった俺には、十分すぎるほどやりがいのあるプロジェクトだ。
「よし。まずは手始めに、明日そのボロボロのみかん箱に代わる、しっかりとしたお立ち台を発注してやる。衣装も少しマシなものを探そう」
「本当ですか!? わーい! みかん箱からの卒業ですの!」
リーザははしゃぎ回りながら、夜の広場を駆け出した。
その笑顔を見ていると、俺の心の中にあった前世の重苦しい疲労感が、少しだけ軽くなったような気がした。
——だが。
夢に向かって走り出したばかりの俺たちに、理不尽な悪意が忍び寄っていることに、俺はこの時まだ気づいていなかった。
翌日の昼下がり。
村の広場に置かれていたリーザの大事なみかん箱が、無惨に蹴り飛ばされ、踏み躙られることになろうとは。
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