EP 2
「安全第一の調達係と、使い道のない救急箱」
「……なんだこれ」
どこまでも続く青々とした草原のど真ん中で、俺は宙に浮く半透明のウィンドウを指でつついた。
指先に硬い感触はないが、まるで空中に投影されたタブレット端末のように、画面は俺の操作に滑らかに反応した。
表示されている文字は日本語。前世で見慣れたゴシック体だ。
【ユニークスキル:クエスト】
・本スキルは、所有者の現在状況に応じた『タスク(依頼)』を自動生成します。
・難易度はE〜Sの6段階。達成すると難易度に応じた『P』が付与されます。
・獲得したPを消費し、元の世界(地球)の物資を発注・取り寄せることが可能です。
・※重要:発注可能なポイント上限は、所有者が所属・滞在する『経済規模(GDP)』に連動して変動します。
「経済規模に連動……?」
俺は眉間に皺を寄せた。
剣と魔法のファンタジー世界に飛ばされたのかと思いきや、妙に生々しく資本主義的なシステムだ。要するに、何もない無人島に引きこもっていては高額なアイテムは買えない、ということか。
試しに、ウィンドウの端にある『発注カタログ』というタブをスワイプしてみる。
【発注カタログ】
[Eランク]:数十P〜
[Dランク]:数百P〜
[Cランク]:数千P〜
[Bランク]:数万P〜
[Aランク]:数十万P〜
[Sランク]:???(※アクセス制限)
試しに[Aランク]のタブを開いてみる。
『魔導誘導バズーカ(地球製兵器改修版):50,000P』
『油圧ショベルカー(アタッチメント付):80,000P』
表示はすべてグレーアウトしており、現在の俺には発注できないようだった。
「誰が何と戦う想定なんだよ……」
商社の資材調達部時代、色々な機材のカタログを見てきたが、バズーカの相見積もりを取った経験はない。
俺は小さくため息をつき、現実的な[Eランク]のタブを開いた。
ずらりと並んだのは、見慣れた日用品だ。
『ミネラルウォーター 500ml:10P』
『肉まん(保温状態):15P』
『軍手(一ダース):5P』
『応急手当キット(標準):50P』
なるほど。コンビニやホームセンターで買えるような消耗品がメインらしい。
現在の俺の所持ポイントは、さっき『最初の一歩を踏み出す』という適当極まりないクエストで稼いだ50Pのみだ。
「さて、どうするか」
俺は微糖の缶コーヒーを一口飲み、周囲を見渡した。
見渡す限りの草原。遠くに森と、なだらかな丘が見える。野生動物やモンスターの気配は今のところない。
手持ちの食料はゼロだが、コーヒーがあるから半日は喉の渇きを誤魔化せる。
未知の環境に放り出された際、最も優先すべきはなんだ?
情報か? 武器か? いや、違う。
「リスクマネジメントの基本は、安全の確保だ」
怪我をして動けなくなれば、そこでゲームオーバーだ。感染症のリスクもある。
俺は迷わず、カタログの『応急手当キット(標準)』を選択した。ちょうど全財産の50Pだ。
空中のウィンドウに『発注を確定しますか?』と表示される。
「確定だ。稟議書にハンコを三つもらう手間がないだけ、優秀なUIだな」
ボタンをタップした瞬間。
ポンッ、と気の抜けた音がして、俺の足元の草むらに見覚えのある白いプラスチックの箱が転がり落ちた。
「……本当に出てきた」
屈み込んで箱を拾い上げる。
赤い十字マークがプリントされた、ごく一般的な救急箱だ。パチンと留め具を外して中身を確認する。
消毒液、ガーゼ、絆創膏、ピンセット、鎮痛剤。欠品なし。完璧な品揃えだ。
「完璧だ。……完璧だが」
俺は自分の身体を見下ろした。
仕立ての良いスーツ。擦り傷一つない健康体。
「使い道がねぇ」
怪我など一切していない。
ファンタジー世界に転生して最初の行動が、「念のための絆創膏の確保」とは。我ながら社畜根性が染み付いていると呆れてしまう。
『ピコン』
自嘲していると、再び脳内に電子音が響いた。
【クエスト E-002:現在地を把握せよ】
【内容:周囲を見渡せる高台へ移動する】
【報酬:10P】
「次の仕事ってわけか」
休む暇も与えないらしい。だが、タスクが明確なだけマシだ。前世の上司の「なんかいい感じにコスト下げといて」という丸投げに比べれば、百倍は親切なシステムである。
俺は救急箱を小脇に抱え、革靴で草原を歩き始めた。
目指すのは、数百メートル先にあるなだらかな丘だ。
「はぁっ、はぁっ……」
丘の斜面を登り始めると、すぐに息が上がってきた。
当然だ。俺はただの28歳のサラリーマンである。休日は寝溜めするか、近所のスーパーに買い出しに行くくらいしか運動していない。
転生特典で身体能力が上がっているなどというご都合主義は、どうやら俺には適用されていないらしい。足の筋肉が普通に乳酸を溜め込み、革靴が靴擦れを起こしそうになっている。
「くそっ、せめてスニーカーで転生させろよ、あのジャージ女神……!」
悪態をつきながら、ずり落ちそうになるネクタイを緩める。
それでも、足を止めることはしなかった。仕事は完遂する。それが俺の数少ない取り柄だ。
十分ほど格闘し、ようやく丘の頂上に辿り着いた。
『ピコン』
【クエスト達成】
【10Pを獲得しました】
【現在の所持P:10P】
「よし、納品完了だ」
膝に手をつき、乱れた息を整えながらウィンドウを消す。
顔を上げ、丘の向こう側の景色を見下ろした。
そこには、俺が期待していたような立派な城塞都市や、平和な村の風景はなかった。
あるのは、踏み固められた土の街道と、そこに停まっている一台の粗末な荷馬車。
そして——。
「キャアアアアアッ! やめて、それだけは勘弁してえええええッ!」
静かな草原を切り裂くような、少女の悲鳴だった。
視線を凝らす。
街道の真ん中で、薄汚れた革鎧を着た数人の男たちが、一人の少女を取り囲んでいた。
どう見ても野盗か山賊だ。ファンタジーの定番エンカウントである。
だが、俺の視線は野盗たちではなく、取り囲まれている少女の方に釘付けになっていた。
彼女は、ダサい小豆色の芋ジャージを着て、足元には健康サンダルを突っかけていた。そしてなぜか、スーパーの青果コーナーにあるような『みかん箱』を、大事そうに胸に抱きしめている。
「……なんだあの格好。異世界人か?」
どう見ても日本のドンキホーテあたりにいそうな出で立ちだ。
しかも、ジャージの裾からは、人間の足ではなく、魚のヒレのようなものが生えているように見えた。
『ピコン』
無機質な電子音が、俺の思考を遮るように鳴り響く。
目の前に、赤く縁取られた警告のようなウィンドウがポップアップした。
【クエスト D-002:人魚族の少女を救出せよ】
【内容:野盗を撃退し、リーザ・シーラン・リヴァイアサンを保護する】
【報酬:300P】
「救出って……」
俺は、震える手で持っていた救急箱を見下ろした。
中に入っているのは絆創膏と鎮痛剤だ。武器なんてカッターナイフ一本ない。俺自身も、ただの営業用の笑顔しか持たない一般人だ。
「……俺は調達係であって、戦闘要員じゃないんだが?」
静かに毒づいた俺の言葉は、再び響き渡った少女の悲鳴にかき消された。
読んでいただきありがとうございます。
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