EP 13
「百倍の奇跡と、絶望の自己修復」
真っ赤に点滅するウィンドウを前に、俺は空中に展開された仮想キーボードに指を走らせた。
エラー音が幾度も鳴り響く。予算超過、権限不足、承認ルートの逸脱。
通常のシステムならここで弾かれる。だが、どんな強固なシステムにも、緊急時の『バックドア』や特例処理の抜け道は必ず存在する。前世の社畜時代、納期ゼロの案件を強引に通すために、何度この手の裏ルートを探り当ててきたことか。
「あと三十秒だ」
俺はネクタイを乱暴に引き抜きながら、背を向けたまま声を張り上げることもなく言った。
「三十秒間、俺に一切の干渉をさせるな。あのバケモンの動きを止めろ」
「三十秒ですね! 了解しました!」
真っ先に動いたのは、ポポロ村の村長、キャルルだった。
月兎族の脚力が爆発する。通常時でも百メートルを五秒台で駆け抜ける彼女の速度は、巨大な死蟷螂機の視覚センサーすら置き去りにした。
「行きますッ! 月影流——!」
キャルルは両手に構えたダブルトンファーで、ネクロマンティスの巨大な前脚の関節部を激しく打ち据えた。
カンッ! と甲高い金属音が響き、体勢を崩した巨体の顎下に潜り込む。
彼女の足元には、俺がタローマンで調達した特注の鋼鉄先芯入り安全靴。
「——顎砕きッ!」
遠心力と闘気を乗せた強烈な膝蹴りが、ネクロマンティスの頭部センサーをカチ上げた。
『ギチチチチッ!?』
凄まじい衝撃に、古代の殺戮兵器が大きく仰け反る。
「ナイスです、村長! 次は私が行きます!」
すかさず飛び出したのは、自警団リーダーのマンミアだ。
彼女はケンタウロスの馬脚を力強く踏み込み、手にした分銅付きの極太の鎖『メビウス』を頭上で振り回した。
「はあああああっ!」
放たれた鎖が、仰け反ったネクロマンティスの左右の巨大な鎌に巻きつき、ギリギリと締め上げる。
「かかった……! 大人しく、しなさいッ!」
マンミアは蹄を深く地面に食い込ませ、数百馬力とも言われるケンタウロス族の全筋力を使って、力任せに鎖を引っ張った。
ギギギギギッ! と、鎖と装甲が擦れ合う火花が散る。
ネクロマンティスの巨体が、たまらず地面へと引き倒された。
「イグニス! 今です!」
「待たせたな! 弁当の恨み、きっちり払わせてもらうぜ!」
上空から声が降ってきた。
竜人族のイグニスが、はるか上空から一直線に急降下してくる。
その全身は、竜の闘気と紅蓮の炎に包まれていた。さながら、空から落ちてくる火球だ。
「俺様の別荘を……! 純金の像を建てる予定の村を、荒らしてんじゃねえぞォォッ!!」
両手斧『ドレッド・ブレイカー』に全闘気と炎を圧縮し、彼はネクロマンティスの背中の装甲へと渾身の一撃を振り下ろした。
必殺技、イグニス・ブレイク。
ドゴォォォォォォンッ!!
爆発的な衝撃波が広場を吹き抜ける。
炎の爆炎が晴れると、そこには、あれほど無傷だったネクロマンティスの重装甲に、巨大な亀裂が走っているのが見えた。
「やった! 装甲が割れたぞ!」
イグニスが歓声を上げるが、ネクロマンティスはまだ死んでいなかった。
『ギギ……ピィィィィィッ!』
狂乱したように身を捩り、マンミアの鎖を強引に引き剥がそうと暴れ始める。装甲の亀裂の奥から、不気味な紫色の光が漏れ出していた。
「マズい、第二波が来る! 押し切れねぇ!」
イグニスが後退する。これ以上は、彼らの武器では装甲の奥のコアに届かない。
「フェイト!」
俺が端末を操作しながら短く呼ぶと、全身ミスリルアーマーの男が、震える手で真鍮のコインを取り出した。
「ああ、わかってるよ……! 頼む、コインの神様。俺はまだ、アイツの四十九日を終わらせてねえんだ!」
ピンッ。
フェイトの親指が、コインを天高く弾き飛ばす。
空中を回転するコイン。表なら全能力二倍。裏なら即座に病欠モード。
全員が息を呑んで見守る中、コインは乾いた音を立てて地面に落ち——。
——ピタッ。
転がりもせず、倒れもせず。
コインは、縁の縦の部分で、見事に直立していた。
出現確率、わずか〇・二パーセント。
「……ウソ、だろ」
フェイト自身が一番驚いたような声を漏らした。
次の瞬間。フェイトの身体から、太陽のように眩い、圧倒的な黄金の闘気が立ち上った。
全ステータス、百倍。
神話の英雄すら凌駕する、バグのような覚醒モードだ。
「ヒャッハァァァァッ!! 見たか! これが俺の運命だァァッ!」
フェイトは狂ったように高笑いしながら、地面を蹴った。
踏み込んだだけで大地が陥没する。
大剣を振り被り、イグニスが割った装甲の亀裂に向かって、百倍の力を持った斬撃を叩き込んだ。
「消し飛びなァァァッ!!」
ズドバァァァァァァンッ!!
すさまじい光の奔流がネクロマンティスを飲み込んだ。
金属がひしゃげ、内部の回路が爆け飛ぶ音が響く。
『ピコン』
【クエスト E-030:三十秒間の時間稼ぎを完遂せよ】
【内容:敵の攻撃を防ぎ、前衛を維持する】
【報酬:50P】
【クエスト達成】
【50Pを獲得しました】
【現在の所持P:4,250P】
「やった……!」
キャルルが安堵の声を漏らす。
フェイトの百倍モードの一撃は、完全にネクロマンティスの胴体を両断していた。
あれなら、どんなバケモノでも立ち上がれるはずがない。
……そう、普通の生物なら。
『——警告。損害率七〇パーセントを超過。自己修復プロトコルを起動——』
不気味な機械音声が、煙の中から響いた。
全員の顔が凍りつく。
両断されたはずのネクロマンティスの断面から、無数の銀色の金属糸のようなものが蠢き出し、ちぎれた胴体を強引に繋ぎ合わせ始めた。
古代の神蟲魔大戦の遺物。その恐るべき機能——絶望的な再生能力。
「嘘、でしょ……?」
マンミアがへたり込む。
「冗談じゃねえ……俺の百倍モードは、一回こっきりなんだぞ……!」
黄金の闘気が霧散し、フェイトが膝をついた。イグニスも肩で息をしている。キャルルも限界だ。
前衛の戦力は、完全に底を突いた。
修復を終えたネクロマンティスが、処刑宣告のように両腕の鎌を高く振り上げる。
万事休す。誰もがそう思った時だった。
「……三十秒。ご苦労だった」
俺は静かに、彼らの前へと歩み出た。
指先で、空中に展開されていた真っ赤なウィンドウの『最終承認』ボタンを、迷いなくタップする。
【警告:所持ポイントが不足しています】
【特例措置:ポポロ村の総資産を与信枠として適用し、『強制受注』を実行します】
【代償として、今後すべての報酬から高率の利息が天引きされます。実行しますか?】
「知ってるよ」
俺は、迫り来る巨大なカマキリを見据えたまま、冷たく言い放った。
「無茶な依頼を通すのが、俺の仕事だ」
——受注。
世界が、一瞬だけ止まったように感じた。
俺の頭上に、巨大な魔法陣のような光の輪が展開される。
さあ、納品の時間だ。
読んでいただきありがとうございます。
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