第四章 レベルが高いほど不自由な国
王都へ入るには、嘘をつく必要があった。
問題は、王都の門では嘘をつけないことだった。
「次!」
検問官の声が列の先から響く。
俺たちは干し草を積んだ荷車の陰に座り、少しずつ近づく城門を見ていた。
王都アルディア。
高さ三十メートルを超える城壁に囲まれ、中央には白い王城がそびえている。三日前、グレンが東側の外壁を斬ったせいで、城の一角だけ青い防水布に覆われていた。
遠くからでも、ずいぶん目立つ。
「本当にあれ、あなたがやったの?」
商人の格好をしたリゼが、隣のグレンへ聞く。
「そうだ」
「加減は?」
「した」
「しなかったら?」
「城が二つになった」
聞かなければよかったという顔で、リゼは前を向いた。
グレンは騎士団長の鎧を脱ぎ、荷運び人の服を着ている。顔にはリゼの幻影魔法で髭を足した。大柄な身体は隠せないが、王都へ出入りする傭兵に見えなくもない。
俺は旅商人。
リゼは妹。
グレンは雇った護衛。
荷車を引く老商人ダグが、その設定を考えてくれた。
「言っておくがね」
ダグが手綱を握ったまま、小声で言う。
「わしはあんたらを知らん。手配書の顔も見てない。荷台に誰が乗ったかも気づかなかった」
「分かってる」
「それから、門で聞かれても助け船は出せん」
「嘘をつけないから?」
ダグの首元へ、黒い文字が浮かんでいる。
【問われたことへ虚偽を答えてはいけない】
「レベル四十を越えたときにもらった」
ダグは苦々しく笑う。
「昔は交渉上手で通っていた。今じゃ、仕入れ値を聞かれれば答える商人だ」
「商売になるのか」
「だから王都の外でしか売らん。今日は孫へ薬を届けるだけだ」
街道の横を、豪華な輿が通り過ぎる。
八人の若者が担いでいる。天蓋の中には、紫の服を着た老人が横たわっていた。
老人の首から下がる金属板には、レベル六十二とある。
「病人?」
「元将軍だ」
ダグが答える。
「レベル五十で《自分の足で門をくぐってはいけない》。六十で《屋外の地面へ触れてはいけない》。王都の外へ出るには、ああするしかない」
輿を担ぐ若者の金属板は、全員レベル一桁だった。
力のある者ほど上に乗り、力のない者が運ぶ。
権力の形としては、地球でも見たことがある。
違うのは、上にいる老人が好きで乗っているわけではないことだ。
「次!」
俺たちの順番が来た。
門の前には、銀色の柱が二本立っている。その間を通ると、身体へ淡い光がまとわりついた。
正面の検問官は、レベル三十五。
彼の禁止は一つだけ、濃く見える。
【嘘をついてはいけない】
禁止の鎖が、銀の柱へつながっていた。門を通る者にも効果を広げているらしい。
「名と用件を」
検問官がダグへ聞く。
「ダグ・ホルス。孫娘へ薬を届けに来た」
光は変わらない。
真実だ。
「荷は」
「干し草、薬、それから途中で拾った三人」
ダグは助け船を出せないと言った。
沈めるとは聞いていない。
検問官がこちらを見る。
「三人、降りろ」
俺たちは荷車から降りた。
門の横には手配書が貼られている。
似顔絵は、幸いあまり似ていない。
俺は実物より目つきが悪く、リゼは十歳ほど年上に描かれ、グレンは髪が長い。
「名は」
「ハヤト」
光は変わらない。
「姓は」
「この国では使っていない」
これも真実だ。
「職業」
「今はない」
「旅の目的は」
「王都にいる人へ会うため」
検問官の眉が寄る。
「誰だ」
「まだ決めていない」
国王へ会えるなら会う。
王城の人質を管理していた者でもいい。
嘘ではない。
「質問へ正確に答えろ」
「正確に答えてます。聞かれてないことを言ってないだけです」
検問官のこめかみに血管が浮いた。
後ろでリゼが小さくため息をつく。
「レベルは」
「0」
「ふざけるな」
「鑑定します?」
検問官が携帯用の水晶を出した。
俺の手を近づけた瞬間、水晶の光が消える。
検問官自身の金属板も空白になった。
「なっ――」
彼が慌てて水晶を引く。
表示が戻る。
周囲の兵士がこちらへ寄ってきた。
「今のは何だ」
「相性が悪いみたいです」
検問官は手配書と俺の顔を見比べる。
まずい。
「外套を取れ」
横の兵士が、リゼへ手を伸ばした。
その手が外套へ触れる前に、門の外で悲鳴が上がる。
先ほどの輿が傾いていた。
担ぎ手の一人が倒れ、将軍の身体が地面へ落ちかけている。
「地面へ触れさせるな!」
検問官たちが一斉に走った。
リゼが指先で小さな風を起こす。
将軍の身体がふわりと浮き、輿の中へ戻った。
誰が魔法を使ったか、兵士には見えていない。
「行くよ」
ダグが荷車を進める。
俺たちは何食わぬ顔で門を通った。
銀の柱を越えたところで、ようやく息を吐く。
「聞かれてないことを言わない、ね」
リゼが低い声で言った。
「嘘はついてない」
「人をだましてないとも言えない」
「必要だった」
「そうやって、必要なら何でもできると思わないで」
怒っている。
教会に父親の言葉を利用されたリゼにとって、言葉の抜け道は軽い問題ではない。
「悪かった」
「謝って終わり?」
「終わらせない。次は先に相談する」
「次もやるのね」
「必要なら」
リゼは納得していない。
俺も、自分が正しいとは思っていない。
門を通れなければ、王城の人質を助けられない。だからだました。理由はある。
理由があれば、相手の選択を奪っていいのか。
自由教会のマルタも、同じことを言っていた。
本人は恐れているだけ。
救済を優先する必要がある。
言葉を変えれば、俺にも使える理屈だった。
* * *
王都の中心へ近づくほど、道はきれいになった。
石畳は一枚ずつ磨かれ、建物の壁には鮮やかな旗が並ぶ。水路を透明な水が流れ、広場では噴水が陽光を反射している。
無番地とは、同じ国に見えない。
ただし、暮らしている人が自由とは限らなかった。
広場の中央で、レベル五十の魔法師が噴水を動かしている。
強力な水魔法を使える一方で、《一日に百歩以上歩いてはいけない》。弟子二人が椅子ごと運び、歩数を数えていた。
役所の前には高レベル貴族の列がある。
《自分より低い位置から話してはいけない》ため、相手ごとに台の高さを変えている。手続き一つに何時間もかかる。
市場ではレベル四十五の鑑定士が品物を見ていた。
《価値を知った物を所有してはいけない》ため、自分では何も買えない。食事すら使用人が選ぶ。
「高レベル者は、もっと好き勝手にしてると思ってた」
俺が言うと、グレンが首を振った。
「権力はある。好き勝手にはできん」
「低レベルなら自由?」
「神律は少ない。代わりに、職も住居も選べない」
力がなければ、人から選択肢を奪われる。
力を得れば、神から奪われる。
どこへ進んでも、行き止まりだ。
「王は?」
「レベル八十九」
「禁止も八十九?」
「そうだ」
「よく生活できるな」
「王には、禁止を補うための人間がいる」
歩けないなら運ぶ者。
話せないなら代弁する者。
触れられないなら代わりに持つ者。
高レベル者一人の生活へ、何十人もの低レベル者が必要になる。
「レベル制度が身分制度になった理由よ」
リゼが言う。
「高レベル者は、低レベル者なしでは暮らせない。だから囲い込み、仕事と住居を与える代わりに従わせる」
「相互扶助と言えなくもない」
「本人が離れられるならね」
グレンが足を止めた。
前方の掲示板に、王命が貼られている。
【低レベル者移動制限令】
【レベル十未満の者は、登録された主人の許可なく居住区を離れてはならない】
俺のレベルは0だ。
この国の制度では、最も自由であると同時に、誰かの所有物でなければ歩くことも許されない。
「王へ会う理由が一つ増えたな」
「退位させるだけで済むと思うな」
グレンの声は冷たい。
「王を倒しても、制度を使って利益を得る者は残る」
「分かってる」
分かった気になっているだけかもしれない。
それでも今は、人質を解放する。
王が高レベル者をどう縛ってきたか、証拠を得る。
先に進むための目的は、そこだった。
* * *
俺たちは、ダグの孫娘が住む薬師街へ身を隠した。
孫娘のネネは十四歳。
生まれつき肺が弱く、毎朝、城壁外で採れる薬草を煎じて飲む。低レベル者移動制限令のせいで自分では買いに行けず、ダグが月に一度運んでいた。
「おじいちゃんは、王都に泊まれないの」
ネネが薬を戸棚へしまいながら言った。
「レベル四十以上の未登録者は、一晩を越えて滞在してはいけないんだって」
「禁止じゃなく法律?」
「うん。でも破ると、次のレベルを強制的に上げられる」
刑罰としてレベルを与える。
強くなることが罰になる世界だ。
「王城の地下へ入る道を知りたい」
グレンが地図を広げた。
ネネは驚かなかった。
グレンが騎士団長だと明かしても、手配書の三人だと知っても、黙って薬を煎じている。
「怖くないの?」
リゼが聞く。
「怖いよ」
ネネは素直に答えた。
「でも、知らないって言えないから」
首元に文字が浮かぶ。
【知っていることを知らないと言ってはいけない】
「レベルは?」
「十一。去年、治癒魔法が使えるようになったときにもらった」
自分の病気を治せる力は得られなかった。
代わりに、秘密を守る自由を失った。
「話したくないなら、聞かない」
俺は地図を畳もうとした。
「待って」
ネネが手を置く。
「話したい。お城の地下には、薬師街から水を送ってる。昔は井戸だったけど、王様が毒を怖がって専用の水路を作った」
地図へ細い線を引く。
「ここ。古い浄水槽から入れると思う」
「助かる」
「代わりにお願い」
「何?」
「王様を倒したら、レベルを上げないと薬師になれない決まりも変えて」
十四歳の少女が、真っすぐこちらを見る。
俺は返事を急がなかった。
できるか分からない。
王を倒しただけで法律が変わるわけではない。
「俺一人では決められない」
「やっぱり無理?」
「違う。ネネも一緒に決められるようにする」
少女は少し考え、うなずいた。
「それならいい」
グレンが地図を持ち上げる。
「夜を待つ。浄水槽から入る」
「夜は駄目」
ネネが言った。
「今夜、王城で《月下検分》があるから」
「何だ、それは」
元騎士団長も知らないらしい。
「高レベルの人を集めて、禁止が増えてないか調べる日。お父さんも去年連れていかれた」
「戻ったか」
「ううん」
薬を混ぜる匙が止まる。
「レベルが王様より高くなってたから」
グレンが地図の端を握りつぶした。
「検分は地下の神律庫だ。王は、私にも場所を伏せていた」
「今夜なら、ほかの人質も集まる」
リゼが言う。
「救うなら好都合。でも警備も最大になる」
「昼に入る」
俺は立ち上がった。
「人が集められる前に、神律庫の場所を探す」
「休まなくていいの」
「休むと考えすぎる」
「少しは考えて」
リゼに止められ、結局、日が傾くまで眠った。
* * *
浄水槽は、薬師街の廃屋の下にあった。
水路は人一人がようやく進める広さだ。冷たい水が膝まで流れている。
先頭はグレン。
次に俺。
最後がリゼ。
「臭い」
後ろから声がする。
「王様の飲み水だぞ」
「だから何」
「少し高級な気がする」
「しない」
暗闇を二十分ほど進む。
やがて前方へ鉄格子が見えた。
グレンが剣を抜く。
「待って」
リゼが格子へ光を当てた。
「警報魔法がある。切れば王城中に響く」
「解除できる?」
「できるけど、時間がかかる」
俺は格子へ触れた。
表示が浮かぶ。
【王城浄水門】
【封印状態:閉鎖】
【規則:許可なき者は通ってはいけない】
黒い文字へ右手を重ねる。
「通りたいかって、門に聞くのか?」
リゼが後ろからのぞく。
「意思はなさそうだ」
「なら回収できない」
「所有者の意思でも成立した」
「所有者は王よ」
「王が俺たちを通したいとは思わないな」
格子へ額をつける。
冷たい鉄の感触。
その瞬間、頭の中で何かがずれた。
閉じた格子。
開いた水路。
二つの景色が重なる。
門は最初から閉じていた。
門は最初から開いていた。
どちらも、自分の記憶だった。
「ハヤト?」
リゼに呼ばれ、目を開ける。
鉄格子がない。
切れた跡も、外した金具もない。
壁には、格子を取りつける穴すらなかった。
「何をした」
グレンが低く聞く。
「触っただけだ」
「警報は?」
リゼが壁を調べる。
「ない。最初から設置されてない」
「さっき見ただろ」
「何を?」
彼女は本気で聞き返した。
グレンも同じ顔をしている。
二人の記憶では、最初から何もなかったらしい。
「いや。何でもない」
俺だけが、閉じていた門を覚えている。
手の甲を見る。
《禁則回収》の紋様は出ていない。
保有禁則も増えていない。
門の禁止を奪ったのではなく、門が禁止された過去そのものを選ばなかった。
そんな考えが浮かび、背筋が冷えた。
「進もう」
今は考えても答えが出ない。
水路の先へ入る。
背後を振り返っても、格子はなかった。
* * *
王城地下は、地上より静かだった。
厨房の床下へ出たあと、使用人用の通路を進む。グレンは城の構造を知っているが、何度か足を止めた。
「壁が増えている」
「王が改装した?」
「人質を隠すためだろう」
曲がり角の先から、足音が聞こえる。
三人で物置へ隠れた。
兵士二人が、高齢の男を運んでいく。男の足は床へつかず、口には金属の枷がはめられていた。
【レベル:91】
国王より高い。
男の禁止は、文字が重なりすぎて読めない。
胸元に《処分対象》の札がある。
「助ける」
グレンが剣へ手をかける。
「待って」
リゼが腕を押さえた。
「ここで騒げば、ほかの人質が移される」
「見捨てろと?」
「先に場所を知る」
グレンの顎へ力が入る。
俺たちが無番地を逃げたときと逆だった。
今度はリゼが、目的のため目の前の一人を後回しにしようとしている。
判断としては正しい。
正しいから、苦しい。
「あとを追う」
俺は言った。
「運ばれる先が神律庫かもしれない」
兵士から距離を取り、通路を進む。
三度曲がり、地下へ降りる。
巨大な石扉の前へ着いた。
扉の左右に、武装した騎士が十人いる。
中央に立っていたのは、召喚院長バルゲンだった。
「異界人の件で、王都警備を強めろ」
俺を追い出した老人が、騎士へ命じている。
「奴は神律を消す。鑑定を直接当てるな。レベル0と侮るな」
「評価が上がり続けてるな」
小声で言う。
グレンが身を寄せる。
「私が出る。騎士たちは止まる」
「裏切り者の言葉を聞く?」
「半数は私の部下だ」
「残りは」
「斬る」
「殺さないで」
リゼが言う。
「命令されてるだけかもしれない」
グレンは答えず、剣から手を離した。
「なら、どうする」
俺はバルゲンを見る。
彼の禁止の中に、使えるものがないか探す。
【召喚した者へ真実を告げてはいけない】
【王の命令を疑ってはいけない】
【失敗を認めてはいけない】
ひどいものばかりだ。
本人が解放を望んでいるかは分からない。
「嘘をつかせる」
俺は言った。
「門では嘘を禁止された」
「今はその禁止を持ってない」
「王から回収する予定だったから」
リゼが首をかしげる。
「じゃあ、どうやって」
「禁止を新しく作る」
ドルドと出会う前のこの段階では、付与の方法を知らない。
それでも、回収した禁則を命令へ変えることはできる。
《同じ魔法を二度使ってはいけない》。
バルゲンは、俺の召喚を失敗だと記録した。
同じ説明を繰り返せなくすればいい。
「同じ嘘を、二度使うな」
物置の陰から右手を向ける。
命令が届く。
バルゲンの身体がわずかに揺れた。
騎士の一人が聞く。
「異界人は、本当に召喚事故だったのですか」
「当然だ。奴は召喚陣へ混ざった異物で――」
言葉が止まる。
同じ説明を、すでに何度も使っている。
「院長?」
「奴は……」
バルゲンの喉で、禁止同士がぶつかる。
召喚した者へ真実を告げてはいけない。
同じ嘘を二度使ってはいけない。
どちらへ従っても片方を破る。
顔が赤くなり、膝をついた。
「何を隠している」
騎士たちがざわつく。
「私たちの前なら話せる」
グレンが物陰から出た。
騎士の半数が剣を抜く。
残りは動かなかった。
「団長」
「反逆者だぞ!」
「待て。院長の話を聞け」
声が割れる。
バルゲンは喉を押さえ、床へうずくまった。
「言え」
グレンが命じる。
「八幡ハヤトは、誰が召喚した」
「私ではない」
「では誰だ」
「レベル100の……」
バルゲンの口から血が流れる。
「勇者カイルだ」
その名を聞き、騎士たちの顔色が変わった。
「勇者は神域で死んだと、王から通知があった」
「死ぬ直前に召喚術を発動した。王は異界人を処分しろと命じた。未登録の召喚者に、神律が適用されない可能性があるから」
俺が役立たずだったからではない。
レベル0だったから追い出した。
神律の外にいることを、王は最初から恐れていた。
「神律庫を開けろ」
グレンが言う。
「断る」
「王命か」
「違う」
バルゲンが顔を上げる。
目に涙が浮かんでいた。
「あの中には、私が召喚した者たちがいる」
「異界人がほかにも?」
「異界人だけではない。高レベル者。王より強い者。王の禁止へ触れる者。全員、神律を増やされて眠らされている」
「助けたいのか」
俺は聞いた。
バルゲンはすぐに答えなかった。
「私が入れた」
「聞いてるのは、助けたいかだ」
「助ければ、王に逆らうことになる」
「それが?」
「疑ってはいけない」
胸の文字へ手を当てる。
「王の命令を疑うことを、私は禁じられている」
自分が苦しいから従った。
禁止があるから仕方なかった。
そう言えば、彼も被害者になれる。
だが、目の前の扉へ何人閉じ込めたのか。
「禁止を奪ってほしい?」
右手を差し出す。
バルゲンは俺の手を見た。
「怖い」
「自由になるのが?」
「自由になったあと、自分がしたことを誰のせいにもできなくなる」
正直な言葉だった。
「それでも選べ」
バルゲンの手が上がる。
俺へ触れる寸前で止まった。
「私は――」
石扉の向こうから、拍手が聞こえた。
一度。
二度。
重い扉が内側から開く。
金色の光が地下通路へあふれた。
「よい余興だった」
低い男の声。
扉の中央に、王冠をかぶった男が立っている。
年は五十ほど。
白い礼装の上へ赤い外套をまとい、手には何も持っていない。背後には、透明な棺が何十も並んでいた。
棺の中で、人々が眠っている。
「ヴォルガス」
グレンが名を呼ぶ。
国王は笑った。
「久しいな、我が剣よ」
「私はお前の剣ではない」
「禁を解かれた程度で、所有者が変わったつもりか」
ヴォルガスが右手を上げる。
バルゲンの身体が床へ伏した。
周囲の騎士も、リゼも、グレンも、膝をつく。
俺だけが立っていた。
「ほう」
王の目が細くなる。
表示が開く。
【ヴォルガス・アルディア】
【レベル:89】
【職業:国王】
【能力:王権支配/命令拡張/民力徴収/ほか二十】
【禁止事項:89】
濃い文字が、王冠のように頭上へ並んでいる。
【王位を譲ってはいけない】
【自分より優れた者を認めてはいけない】
【自分より高い位置にいる者を生かしてはいけない】
【臣下の命令に従ってはいけない】
【敗北を認めてはいけない】
王は力を得るたび、王であり続けることしかできなくなった。
「レベル0」
ヴォルガスは俺を見下ろす。
「何の力も持たぬ者だけが、我が王権へひざまずかぬとは。神も皮肉な仕掛けを作ったものだ」
「カイルを殺したのは、あんたか」
「勇者は神に殺された」
「あんたより強かったから、神域へ追いやった?」
王の笑みが消える。
当たりらしい。
「彼はレベル100へ届き得る唯一の人間だった。国に二人の王は要らぬ」
「勇者は王になりたいと言ったのか」
「可能性があるだけで罪だ」
背後の棺へ目を向ける。
レベル九十を超えた者。
王より優れた能力を得た者。
命令へ抵抗できる者。
全員、可能性だけで閉じ込められた。
「禁止のせいか」
「何?」
「自分より優れた者を認められない。高い位置にいる者を生かせない。王位を譲れない」
王の顔に怒りが浮かぶ。
「見えるのか」
「それを奪えば、あんたは変わる?」
「試してみよ」
ヴォルガスが両腕を広げた。
「我を救えるものならな」
* * *
王の最初の攻撃は、臣下だった。
「我が民よ。力を捧げよ」
声が王城全体へ響く。
騎士、使用人、城下の市民。
首から下げた金属板が赤く光り、能力の一部が王へ吸い上げられる。
ヴォルガスのレベル表示が揺れる。
89。
90。
93。
「借り物でレベルを上げられるのか」
「王は国そのものだ」
グレンが立ち上がる。
王権の圧力に剣を杖として耐えている。
「登録された国民の能力を徴収できる」
「本人の同意は?」
「ない」
「気が合わないな」
ヴォルガスが指を向ける。
空中へ、無数の魔法陣が開いた。
火球。
氷槍。
雷。
徴収した市民の魔法が、一斉に降る。
「《多層反射界》!」
リゼが障壁を広げる。
一層目が火を返す。
二層目が氷をそらす。
三層目へ雷が当たり、すべての層に亀裂が走る。
「同じ魔法を二度使うな!」
俺は王の魔法陣へ命じた。
火球の陣が消える。
氷槍も止まる。
リゼが過去に作った禁則を、俺は敵の反復へ使う。
ヴォルガスは笑った。
「ならば、異なる力を使えばよい」
床が隆起する。
天井から蔦が伸びる。
俺の足元だけ重力が増し、膝が石へついた。
王には何千人分もの能力がある。
一つずつ止めても追いつかない。
「王だけを狙う!」
グレンが走る。
左足から。
禁止を外した本来の踏み込み。
一歩で王の前へ着き、剣を振る。
ヴォルガスは臣下から徴収した《絶対防壁》で受ける。
剣と光がぶつかる。
地下全体が揺れた。
「その剣を与えたのは誰だ」
「鍛えたのは私だ」
グレンが防壁を押す。
「地位を与えたのは」
「民だ」
「家族を生かしたのは」
「お前ではない!」
防壁が割れる。
グレンの剣が王の肩へ届く。
血が飛んだ。
ヴォルガスの顔へ、驚きが浮かぶ。
「王を傷つけたな」
「次は退位しろ」
「臣下が、我へ命令した」
禁止の一つが燃え上がる。
【臣下の命令に従ってはいけない】
王の身体から、金色の衝撃波が広がった。
グレンが吹き飛ぶ。
石壁へ叩きつけられ、剣を落とした。
「グレン!」
リゼが治癒魔法を飛ばす。
ヴォルガスは俺へ向き直った。
「貴様は、我を自由にするのだったな」
わざと挑発している。
禁止を奪えば王はさらに強くなる。
グレンとの戦いで経験した。
それでも、王が禁止の被害者である可能性は残っている。
生まれたときから悪人だったわけではない。
王位を継ぎ、レベルを上げ、禁止を刻まれるたび、ほかの生き方を失った。
「本人が望まないと回収できない」
「望んでいるとも」
王が手を差し出す。
「我を縛る神の鎖を、すべて奪え」
右手の紋様が熱を持つ。
【対象が禁止からの解放を望んでいます】
条件は満たされている。
だが、何かがおかしい。
「自由になって、何をする」
「王として国を導く」
「王位を譲ってはいけない、を消したあとも?」
「無論だ」
「自分より優れた者を認められるようになっても?」
「優れた者などいない」
禁止の言葉と同じ答え。
鎖がそう言わせているのか。
本人が心からそう思っているのか。
外からは分からない。
「ハヤト」
グレンが壁際で身体を起こす。
「奪うな」
「禁止がある限り、王の本心か分からない」
「分からないから危険だ」
「だから確かめる」
王へ手を伸ばす。
リゼが叫んだ。
「全部は駄目!」
「分かってる」
一つだけ。
《自分より優れた者を認めてはいけない》。
これを外す。
王が他人を認められるようになるのか。
黒い鎖へ触れる。
「回収する」
鎖が王の胸から抜けた。
同時に、ヴォルガスの能力表示が増える。
【新たな能力《優越模倣》を解放】
王の身体を金色の光が包んだ。
グレンの剣技。
リゼの魔法構築。
俺の禁則命令。
この場にいる者の優れた部分が、王へ写し取られていく。
「素晴らしい」
ヴォルガスが、自分の手を見る。
「他者を認めるとは、こういうことか」
「違う」
「優れた力を見つけ、我が物にする」
「それは認めてない」
「王が所有してこそ、価値は完成する」
王が右手を上げる。
空気が止まった。
《走ってはいけない》を使った命令。
「ひざまずけ」
俺の力を模倣している。
命令が身体へ食い込む。
両膝が床についた。
「どうだ。貴様の力も、我が使うほうが優れている」
禁止を外しても、王は変わらなかった。
いや。
変わる機会を得て、同じものを選んだ。
「あんたを救えるかもって思ってた」
床へ手をつき、顔を上げる。
「禁止のせいで、こうなったんじゃないかって」
「そのとおりだ。ゆえに、すべて奪え」
「違う」
王の命令へ逆らい、片足を立てる。
レベル0には、王権が完全には届かない。
「禁止は、あんたから選択肢を奪った」
もう片方の足も立てる。
「でも、戻った選択肢で同じことを選んだのは、あんただ」
ヴォルガスの笑みが消えた。
「許されない?」
「何?」
「事情があれば、禁止があれば、人を閉じ込めても殺しても許される。そんなわけないだろ」
「我は王だ」
「それも、禁止がなくなれば辞められる」
「黙れ!」
金色の魔法陣が王の背後へ重なる。
王城全体の力を、一点へ集めている。
石壁がきしむ。
透明な棺の中で、眠る人々が苦しそうに身をよじる。能力だけでなく、生命まで徴収されている。
「王城ごと消す気か」
「我より優れた者がいる国など、我が国ではない」
禁止と同じ言葉。
今度は、誰にも言わされていない。
王自身の選択だ。
「リゼ!」
「分かってる!」
彼女は王の魔法陣を見つめ、構造を読む。
「市民から集めた術式を、王権で一つに偽装してる。外からは解除できない」
「偽装なら、嘘だ」
門で見た《嘘をついてはいけない》。
俺はまだ回収していない。
だが、王の中に同じ禁止がある。
八十九の文字から探す。
あった。
【王は民へ虚偽を告げてはいけない】
「ヴォルガス」
「命乞いか」
「その力は、あんたのものか」
「当然だ」
王が答えた。
禁止が反応する。
民から奪った力を、自分のものだと偽った。
胸の文字が王自身を締めつける。
「何を――」
「王は民へ嘘をつけないんだろ」
回収条件は満たされていない。
奪う必要もない。
既にある禁止へ、真実を突きつければいい。
「その魔法は誰のものだ」
王の口が開く。
「我の――」
言えない。
金色の魔法陣に亀裂が走る。
偽装が剥がれた。
何千もの小さな術式が、元の形で露出する。
「リゼ!」
「《全式分離》!」
リゼの魔法が亀裂へ入る。
絡み合っていた術式を一つずつ切り離す。
火は火の持ち主へ。
水は水の持ち主へ。
治癒も、風も、光も、王城の外へ戻っていく。
ヴォルガスのレベルが下がる。
99。
95。
89。
元の数字へ戻った。
「グレン!」
俺が叫ぶ。
壁際にいた騎士は、もう立っていた。
落とした剣を拾う。
「王へ剣を向けるか」
ヴォルガスが叫ぶ。
「私は王国を守る」
グレンが左足から踏み込む。
「お前一人から」
王は絶対防壁を張る。
借り物ではない、自分の能力。
グレンの一撃がぶつかる。
防壁が割れる。
ヴォルガスは二枚目を出す。
同じ魔法。
俺は右手を向けた。
「同じ防壁を二度使うな」
二枚目が消える。
グレンの剣が王へ届いた。
赤い外套が裂ける。
王冠が宙を舞う。
ヴォルガスの胸を、斜めに斬撃が走った。
王は倒れた。
床へ落ちた王冠が、乾いた音を立てる。
「我は……王だ」
「だった」
グレンは剣を下ろした。
「退位を受け入れるなら、命は――」
ヴォルガスの手が、床の王冠へ伸びる。
王位を譲ってはいけない。
禁止が残っている。
俺が奪えば、彼は手を止めるかもしれない。
だが、ヴォルガスは王冠ではなく、その下に隠した短剣をつかんだ。
グレンの心臓へ投げる。
剣が動いた。
短剣を弾き、そのまま王の喉を切る。
ヴォルガスの身体から力が抜けた。
今度こそ、動かなかった。
グレンはしばらく剣を構えたまま立っていた。
「止めなかったな」
低い声で言う。
「あんたが選んだ」
「王を殺す選択を」
「そうだ」
「禁止のせいかもしれない」
「それでも、あんたが責任を持つんだろ」
グレンは剣についた血を見た。
「ああ」
短く答え、鞘へ戻した。
* * *
神律庫の棺を開くのに、朝までかかった。
閉じ込められていた者は六十三人。
生きていたのは五十八人。
ネネの父親も、その中にいた。
目を覚ました彼は、自分が一年眠っていたと知り、最初に娘の名を呼んだ。
バルゲンは逃げなかった。
自分が閉じ込めた者の名前と命令者を、騎士たちへすべて話した。
《王の命令を疑ってはいけない》は、まだ残っている。
それでもヴォルガスが死んだことで、命令の鎖は弱まったらしい。
「禁止を奪わないのか」
俺が聞くと、彼は首を振った。
「今は、これを言い訳にしたくない」
「苦しくても?」
「苦しいまま、自分がしたことを話す」
それも選択だった。
王の死は、すぐには公表されなかった。
グレンは生き残った騎士、薬師街の代表、解放された高レベル者を集め、暫定評議会を作った。
自分が王になることは拒んだ。
「剣で王を倒した者が次の王になるなら、何も変わらん」
そう言った。
低レベル者移動制限令は、その日のうちに停止された。
新しい法律をどうするかは、王都だけで決めず、無番地や地方の代表も呼んで話し合うことになった。
完成にはほど遠い。
それでも、ネネは自分で城門を出られるようになった。
「約束どおり」
薬師街を発つ朝、彼女が薬草の束をくれた。
「これ、何に効く?」
「打ち身」
「助かる」
「おじさん、いつも殴られてるから」
「おじさんではない」
「二十二歳でしょう」
「まだお兄さんだ」
ネネは笑って手を振った。
俺たちは王都の南門から出る。
グレンは暫定評議会へ残らなかった。
「いいのか」
「政治は、剣より苦手だ」
「それで逃げる?」
リゼが聞く。
「監視役は必要だ。王国が再び神律を使って人を縛れば、戻って斬る」
「結局、剣なのね」
「それしかできん」
「一つを続けられるのは、すごいことだ」
俺が言うと、グレンは怪訝そうに見る。
「馬鹿にしているか」
「本気だよ」
俺にはできなかった。
ただ、同じことを続けられないからこそ、見える道もある。
三人で南の街道を歩く。
次の目的地は、国境の自由教会支部。
王の記録から、教会が高レベル者の禁止を買い取っていたことが分かった。リゼを追っていた部隊ともつながる。
昼を過ぎたころ、街道脇に焼けた馬車を見つけた。
商人らしい男が倒れている。
息はあった。
「誰に襲われた」
グレンが治療しながら聞く。
男は震える指で、南を指した。
「黒い……獅子」
「魔物か」
「獣人だ。笑いながら……村を焼いた」
リゼが焦げ跡を調べる。
「変ね。火の魔力は人間式」
道の先に、大きな足跡が残っている。
獅子のような爪。
その横に、人の裸足の跡。
俺たちは跡を追った。
夕暮れの丘で、一人の大男を見つける。
褐色の肌。
黒い髪。
頭には獣の耳があり、背中から長い尾が伸びている。
男は木へ縛られていた。
足元には、自由教会の紋章をつけた兵士が三人倒れている。
俺たちを見ると、男は笑った。
「やあ」
頬を涙が流れている。
胸には、黒い文字が焼きついていた。
【怒ってはいけない】




