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異世界ではレベルが上がるほど禁止事項が増えるらしいが、俺だけ禁止を奪うたびに最強になる  作者: 藤崎聖子


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第三章 剣を抜けない最強騎士

膝が見えた。


 次に、空が見えた。


 何をされたのか理解したときには、俺の身体は街道脇の草むらを転がっていた。


「ハヤト!」


 リゼの声が遠い。


 息ができない。


 腹へ食い込んだ膝が、肺の中身を全部押し出したらしい。


「安心しろ。峰打ちより軽い」


 グレンが言った。


「膝に峰があるのかよ……」


 どうにか声を絞り出す。


 立ち上がろうとしたところへ、影が落ちた。


 グレンは追撃の拳を振り下ろす。


 右へ転がる。


 拳が地面へ刺さった。


 土が爆ぜ、顔へ小石が当たる。


 軽いわけがない。


 当たれば終わる。


「《氷鎖・三節式》!」


 リゼの魔法がグレンの両脚へ絡みつく。


 半透明の氷でできた鎖だ。地面から伸びた三本が、足首と膝を固める。


 グレンは一歩踏み出した。


 氷鎖が砕ける。


「嘘でしょう」


「強度は悪くない」


 グレンは褒めるように言った。


「だが、結びが甘い」


「なら、これは?」


 リゼが同じ術をもう一度放つ。


 鎖は足ではなく、鞘へ巻きついた。


 腰から剣を奪い取るつもりだ。


 グレンは鞘を押さえない。


 身体を半回転させ、鎖を腕へ巻き取る。そのままリゼを引き寄せた。


 リゼの足が地面から浮く。


「危ない!」


 俺は右手をグレンへ向けた。


「リゼから離れろ!」


 《所有者から離れてはいけない》を反転させる。


 空気が震えた。


 グレンの身体が後ろへ滑る。


 リゼを引いていた氷鎖が緩み、彼女は地面へ落ちた。


「いまの力か」


 グレンは驚きもせず、俺を見る。


「報告では、魔物の神律を奪ったとあった」


「王国は俺を役立たずとして捨てたはずだけどな」


「召喚院の判断と、王国の判断は別だ」


「便利だな、組織って」


 命令が切れる。


 グレンは再び前へ出た。


 左足から。


 いや。


 一度、右足を小さく引き、それから左足を踏み出した。


 妙な動きだった。


 体重移動に必要とは思えない。


 表示へ意識を向ける。


【グレン・ヴァルハルト】


【レベル:78】


【職業:神律騎士団長】


【能力:剣聖/城砕き/戦域把握/ほか十二】


【禁止事項:78】


 文字が一度に流れ込み、目の奥が痛んだ。


 七十八個。


 すべてを読む余裕はない。


 目立つものだけを追う。


【先に名乗らず攻撃してはいけない】


【左足から踏み込んではいけない】


【一度かわされた攻撃を繰り返してはいけない】


【背後の敵へ振り返ってはいけない】


【守りたい者の前で武器を抜いてはいけない】


「そういうことか」


「何が見えた」


 グレンの声が低くなる。


「あんた、左足から踏み込めない」


 初めて、表情が動いた。


 俺はリゼへ叫ぶ。


「右側へ回れ!」


 リゼが迷わず動く。


 グレンの右側から火球を放つ。


 彼は左へ避けようとして、右足を引く余計な動作を挟んだ。


 火球が肩をかすめる。


 銀の鎧へ焦げ跡がついた。


「禁止が見えるのね」


「七十八個。全部読むには時間がかかる」


「十分よ」


 リゼは同じ火球を連射した。


 グレンは避ける。


 一発目を右へ。


 二発目を前へ。


 三発目では後ろへ跳ばない。


 同じ回避を繰り返すことも禁止されているらしい。


 動きは速い。


 だが、選択肢が減っていく。


「右、次は前!」


 俺が動きを読む。


 リゼが逃げ道へ魔法を置く。


 四発目の火球が、グレンの胸へ直撃した。


 爆煙が上がる。


「やった?」


「それ、やってないときの言葉だろ」


 煙の中から手が伸びた。


 リゼの顔をつかむ寸前で、俺が腕を引く。


 グレンの鎧は黒く焼けていた。


 傷はない。


「見事だ」


「余裕だな」


「禁止を知られた程度で負けるなら、団長にはなれん」


 グレンは腰を落とした。


 右手は剣へ伸びない。


 代わりに、両拳を構える。


 俺の視界から姿が消えた。


 横で衝撃音。


 リゼが吹き飛ばされる。


 続いて胸を殴られた。


 一発目とは違う攻撃だ。


 拳。


 肘。


 肩。


 蹴り。


 同じ技を繰り返せないなら、別の技を使えばいい。


 グレンは七十八の禁止を抱えながら、それでも騎士団長まで上り詰めた男だ。


 制限されることに慣れている。


 いや。


 制限されたまま勝つ方法を、身体へ刻み込んでいる。


 俺は襟をつかまれ、木の幹へ投げつけられた。


 背中に激痛。


 視界が白くなる。


「八幡ハヤト」


 グレンが歩いてくる。


「貴様の力は危険だ」


「王様にとって?」


「世界にとってだ」


「神様みたいなことを言うな」


「神律は人を縛る。だが同時に、力を縛っている」


 拳が腹へ入る。


 胃の中に何もなくてよかった。


「貴様が禁止を奪えば、能力だけが残る。力の使い手が善人だという保証はない」


「知ってるよ」


 欠け角の兎が自由になった瞬間、俺へ突進した。


 リゼの魔法は教会の部隊を一撃で壊滅させかけた。


 禁止を返すことは、無条件の救いではない。


「それでも奪うのか」


「本人が望むなら」


「選択の結果、他人が死んでも?」


「止める」


「貴様が?」


「俺たちで」


 グレンの拳が止まった。


 ほんの一瞬。


 その隙に、リゼの雷が背中へ当たる。


 グレンは膝をついた。


「話の途中よ」


「助かった」


「囮にしただけ」


「扱いが雑になってきたな」


「慣れたの」


 立ち上がる。


 グレンも立った。


 雷を受けた鎧の継ぎ目から煙が出ている。


 それでも剣は抜かない。


「どうして使わない」


「何をだ」


「剣だよ。剣聖なんだろ」


「必要がない」


「違う」


 表示を見直す。


 最後の禁止。


【守りたい者の前で武器を抜いてはいけない】


 俺とリゼは、グレンが守りたい者ではない。


 この場にもほかの人間はいない。


 なら、なぜ抜けない。


 禁止の文字から伸びる鎖を追う。


 鎖はグレンの胸から、北の空へ続いていた。


 遠く。


 王都の方角。


「ここにはいない誰かを、あんたは守ろうとしてる」


 グレンの目が細くなる。


「それ以上見るな」


「王都にいるのか」


 空気が変わった。


 殺気というものを、初めて肌で理解した。


 グレンの姿勢が沈む。


 右足で地面を割り、左足を前へ出す。


 禁止へ触れないための予備動作が、今度はほとんど見えなかった。


 まずい。


「《多層石壁》!」


 リゼが俺たちの間へ五枚の壁を作る。


 一枚目が拳で砕ける。


 二枚目は肘。


 三枚目は膝。


 四枚目を肩で破り、五枚目へ頭突き。


 すべて違う攻撃。


 石壁の破片と一緒に、グレンが飛び出す。


 俺の喉へ手刀が迫る。


「走るな!」


 命令を使った。


 グレンの脚が止まる。


 上半身の勢いは消えない。


 手刀が肩へ当たり、俺は地面へ倒れた。


 骨までは折れていない。


 グレンの右腕にも黒い亀裂が走っていた。


 命令へ抵抗した反動か。


「効くんだな」


「一度は」


 グレンは動かない脚を見下ろす。


「次は?」


「試してみるか」


 強がった。


 《走ってはいけない》は、同じ対象へ連続で使えば俺の腕が止まる。


 それでも、数秒は稼いだ。


「リゼ、逃げるぞ」


「勝たないの」


「無理」


「正直ね」


 街道脇の斜面へ飛び込む。


 リゼが後ろへ風魔法を放ち、落ち葉を巻き上げた。


 グレンは追ってこない。


 追えないだけかもしれない。


 どちらでもよかった。


    * * *


 夕方まで森を歩いた。


 街道から離れ、川を二度渡り、足跡を消す。


 グレンの姿はない。


「騎士団長から逃げ切った異界人」


 休憩中、リゼが水袋を渡してきた。


「少しは肩書きらしくなったんじゃない」


「皿洗いのほうが気楽だった」


 肩が痛む。


 服をめくると、手刀を受けた場所が紫色に腫れていた。


 リゼが治癒魔法をかける。


 白い光が傷へ染み込み、痛みが薄れた。


「同じ魔法を使えるの、まだ慣れない」


「うれしくない?」


「うれしい」


 即答だった。


「でも、怖い。昨日まで、同じものは二度と戻らなかったから」


 リゼは両手を見つめる。


「魔力の使い方も変わった。次があると思うと、一回へ全部を込めなくなる」


「悪いことか」


「分からない。前より弱くなるかもしれない」


「次があるなら、次に強くすればいい」


「簡単に言う」


「簡単なところから慣れればいい」


 地球にいたころの俺は、次があると思って仕事を辞めた。


 リゼは次がないと思って、すべての魔法を作った。


 どちらが正しいわけでもない。


 ただ、彼女には今までなかった選び方が増えた。


「グレンの禁止、見えた?」


「七十八個」


「全部?」


「流れてきたけど、読めたのは一部。強い禁止ほど文字が濃い」


 地面へ枝で書く。


 先に名乗らず攻撃してはいけない。


 左足から踏み込んではいけない。


 一度かわされた攻撃を繰り返してはいけない。


 背後の敵へ振り返ってはいけない。


 守りたい者の前で武器を抜いてはいけない。


「最後だけ、鎖が王都へ伸びてた」


「家族かも」


「騎士団長の家族なら、王都にいても不思議じゃない」


「でも、本人が離れているのに禁止が発動している」


 リゼが枝を受け取り、最後の一文へ丸をつける。


「神律がいう『前』は、距離のことじゃない。相手に自分の行動が影響する範囲」


「剣を抜けば、家族に何か起きる?」


「たぶん」


 王が人質にしている。


 そう考えると筋が通る。


「助けるの?」


 リゼが聞く。


「まだ何も分からない」


「分かったら?」


「本人に聞く」


「私たちを殺しに来た人よ」


「事情があれば何でも許す気はない」


 王命で人を殺す。


 家族を守るためなら仕方ない。


 そう言ってしまえば簡単だ。


 殺される側には関係がない。


「でも、選べないようにされてるなら、選べるところまでは戻したい」


「それで、私たちを殺すほうを選んだら?」


「今度は勝つ」


「どうやって」


「考える」


「今から?」


「追い詰められる前にも少しは考えるようにした」


 リゼは笑った。


 短い笑いだった。


 すぐに、森の空気が震えた。


 低い音が腹へ響く。


 鳥たちが一斉に飛び立った。


「何?」


 リゼが立ち上がる。


 北の空へ、青い光の柱が上がっていた。


 光の中に、人の姿が映る。


 金髪の女と、まだ幼い男の子。


 二人とも椅子へ縛られていた。


『グレン・ヴァルハルトへ告ぐ』


 男の声が森全体へ響く。


『日没までに異端者を討て』


 女の首元へ、兵士の剣が当てられる。


『失敗した場合、妻エナと子レオへ反逆者の刑を執行する』


 映像が消えた。


 俺とリゼは顔を見合わせる。


「分かったな」


 背後から声がした。


 振り返る。


 グレンが立っていた。


 息は乱れていない。


 鎧の焦げ跡も、俺が止めた脚の傷も、そのままだ。


「早かったですね」


「追跡は騎士の基本だ」


「足、止めたはずだけど」


「走らず歩いた」


 真面目な顔で答えられた。


 命令の抜け道を使われたらしい。


「さっきの映像は、いつも?」


「答える必要はない」


「奥さんと子供だろ」


 グレンの拳が握られる。


「見るなと言った」


「俺が見なくても、人質は消えない」


「黙れ」


「王に従えば助けると約束された?」


「黙れ!」


 グレンが踏み込む。


 今度は動きが荒い。


 拳を避ける。


 一度かわされた攻撃は使えない。


 次は蹴り。


 リゼの風が軌道をずらす。


 グレンの足が木を折った。


「あんた、俺たちを殺したいのか」


「王命だ」


「聞いてるのは、あんたの気持ちだ」


「関係ない」


「あるだろ」


 肘を木板で受ける。


 板が割れ、腕がしびれた。


「家族を助けたい。それは分かる。でも、俺たちを殺すことまで王に決めさせるな」


「貴様に何が分かる!」


 拳が頬をかすめる。


 血の味がした。


「何も分からない。だから聞いてる!」


 グレンの胸へ手を伸ばす。


 触れる前に手首をつかまれた。


 握力だけで骨がきしむ。


「禁止を奪うつもりか」


「あんたが望まないと奪えない」


「ならば無駄だ」


「どうして」


「剣を抜けば、二人が死ぬ」


「禁止がなくなっても?」


「王城には神律監視具がある。私が禁を破った瞬間、刑が執行される」


「なら、家族を先に助ける」


「王都まで三日だ。日没まで一時間もない」


「転移魔法は?」


 リゼが首を振る。


「王城は空間封鎖されてる。座標もない」


 グレンの手へ力が入る。


「終わりだ」


「まだだ」


「何が残っている」


 俺は考える。


 走ってはいけない。


 所有者から離れてはいけない。


 同じ魔法を二度使ってはいけない。


 手元にある三つの禁止。


 王城。


 監視具。


 刑を執行する兵士。


 家族。


「その映像、王城から届いたんだな」


「そうだ」


「魔法で?」


 リゼが光の消えた空を見る。


「遠隔投影術。術式の一部は、王城とここをつなぐ通路になる」


「逆にたどれる?」


「一瞬なら。でも、映像はもう消えた」


「同じ魔法を、もう一度使わせれば?」


 リゼの目が開く。


「《同じ魔法を二度使ってはいけない》を、監視具へ使う?」


「逆だ。回収した禁止は、同じものを繰り返させる力にも変えられた」


「昨日、私の魔法が戻ったのは、禁止を消したから」


「世界は俺の言葉を解釈する」


 正確な仕組みは分からない。


 それでも、やるしかない。


「投影魔法。さっきと同じものを、もう一度使え」


 右手を空へ向ける。


 禁則が熱を持つ。


 空気が震えた。


 何も起こらない。


「駄目か」


 右腕へ亀裂が伸びる。


 対象が遠すぎる。


 命令の意味が禁止から離れすぎている。


 それでも言い直す。


「一度で終わるな」


 青い火花が空へ走った。


「同じ魔法を、二度使え!」


 世界のどこかで、何かが割れる音がした。


 北の空へ、再び青い光が上がる。


 エナとレオの姿が映った。


 同じ椅子。


 同じ兵士。


 映像の向こうで、男が困惑している。


『なぜ再起動した』


「リゼ!」


「座標を取る!」


 リゼが両手で四角を作り、光の柱を囲む。


「《遠映逆算》《空間測量》《座標固定》!」


 三つの魔法を続けて使う。


 地面へ複雑な魔法陣が描かれていく。


「封鎖がある。人は送れない」


「命令は?」


「物体じゃない。通るかもしれない」


 俺は映像へ右手を向ける。


 グレンが手首を離した。


「何をする」


「兵士に武器を使わせない」


「映っているのは一部だけだ」


「なら、一部から全部へ広げる」


 以前ならできない。


 今もできる保証はない。


 だが、この場にはグレンがいる。


 禁止に縛られている本人。


 家族を守りたいという意思。


「あんたの禁止を貸してくれ」


「奪うのではないのか」


「最後の一つだけじゃ足りない。七十八個の鎖が、あんたと王城をつないでる」


 グレンは空の妻子を見た。


「解放を望めばいいのか」


「全部じゃなくていい。小さなものから」


「小さな禁止などない」


 その言葉は重かった。


 右足から階段を上れない。


 一日に三度笑えない。


 名前を呼べない。


 どれも、外から見れば小さい。


 毎日従う本人にとっては、人生を削る鎖だ。


「悪かった」


 俺は言い直す。


「あんたが今、返してほしいものから」


 グレンは目を閉じた。


「左足だ」


「何?」


「妻と初めて踊ったとき、私は左足から踏み出した。禁止を得てから、一度も同じ踊りをしていない」


 左足へ黒い文字が浮かぶ。


【左足から踏み込んではいけない】


「返してくれ」


 回収条件が満たされる。


 俺はグレンの足へ触れた。


 鎖が外れる。


【禁止事項を回収しました】


 グレンが左足を前へ出す。


 ただの一歩。


 その動きだけで、立ち姿が変わった。


 無理に右足を引く予備動作が消え、重心が真っすぐ前へ流れる。


 隙がなくなる。


「強くなったな」


「そうだ」


「敵を強くする能力って、使いにくい」


「後悔したか」


「少し」


 グレンの口元が、ほんのわずかに動いた。


「次だ」


【先に名乗らず攻撃してはいけない】


「名を告げる相手は、私が選ぶ」


 回収する。


【一度かわされた攻撃を繰り返してはいけない】


「同じ技を磨く自由を返せ」


 回収する。


【背後の敵へ振り返ってはいけない】


「家族へ背を向けないためにも、敵へ背を向けることはある」


 回収する。


 一つ外すたび、グレンの構えが自然になる。


 七十八の制限に合わせて作られた武術から、余計な動きが消えていく。


 怖いほど強くなる。


 四つを回収したところで、俺の腕へ亀裂が走った。


【第一階級の保有上限を超過】


【禁則の統合を開始します】


 手の中にあった禁止が、ばらばらの文字から鎖の束へ変わる。


【第二階級・十禁へ移行】


【命令対象:十人】


【命令距離:視認範囲】


 十人。


 王城には足りない。


「リゼ、映像を広げられるか」


「内部の魔法具へ干渉できれば」


「これを使え」


 《同じ魔法を二度使ってはいけない》を手の中から引き出す。


 黒い文字を、リゼの魔法陣へ重ねた。


「何を?」


「王城の投影具全部へ、同じ映像を出させる」


「そんな使い方――」


「できる?」


 リゼは一秒迷い、笑った。


「やってみる」


 魔法陣へ両手をつく。


「《遠映逆算・多重反復》!」


 北の空に浮かんでいた映像が分裂する。


 二つ。


 十。


 百。


 王城内部の監視具が互いを映し、鏡のように視界をつないでいく。


 兵士。


 廊下。


 武器庫。


 中庭。


 城壁。


 王城にいる武装した者たちが、空一面へ映った。


 グレンの妻子だけではない。


 厨房で働く者。


 拘束された高レベル者。


 窓のない部屋へ閉じ込められた子供たち。


 人質は二人だけではなかった。


「王は、何人を縛っている」


 グレンの声が震えた。


「数えきれないわ」


 リゼが答える。


 日が沈み始める。


 映像の中で、兵士がエナの首へ剣を当て直した。


『処刑時刻だ』


 グレンの胸で、最後の禁止が燃える。


【守りたい者の前で武器を抜いてはいけない】


「グレン」


「分かっている」


「俺が回収すれば、監視具は反逆と判断する」


「先に兵士を止めろ」


「そのためには、この禁止がいる」


 守りたい者の前で、武器を抜いてはいけない。


 映像で王城全体が見えている。


 王城からも、俺たちが見えている。


 前、という条件は成立する。


「奪った瞬間に命令へ変える。失敗すれば――」


「失敗の説明は要らん」


「家族が死ぬ」


「分かっている!」


 グレンが俺の胸ぐらをつかんだ。


「だから、私に選ばせろ」


 拳が震えている。


「王命へ従えば、今日の二人は生きる。だが明日も、私は誰かを殺す。王は二人を生かし続けるだけで、私の剣を使える」


 グレンは手を離した。


「私は家族を助けたい」


「ああ」


「同時に、騎士でありたい」


「王に従うのが騎士か」


「違う」


 初めて、迷いなく答えた。


「守る相手を、自分で決める者だ」


 黒い文字がグレンの胸から浮き上がる。


【対象が禁止からの解放を望んでいます】


【回収条件を満たしました】


「返せ、八幡ハヤト」


 グレンが剣の柄へ手をかける。


「私の剣を、私に」


「回収する」


 胸へ触れた。


 太い鎖が抜ける。


 これまでの禁止とは違う。


 鎖の先が王城全体へ絡みついている。


 引く。


 腕が裂けるように痛む。


 それでも引く。


 鎖が切れた。


【禁止事項《守りたい者の前で武器を抜いてはいけない》を回収しました】


 同時に、王城の監視具が赤く光る。


『神律違反を確認』


『人質刑を執行する』


 兵士たちが武器を上げる。


 俺は回収したばかりの禁止を、リゼの映像網へ流し込んだ。


 対象は十人ではない。


 百人を超える。


 第二階級の上限をはるかに超えている。


 右腕から肩へ、黒い亀裂が走る。


 視界が半分消えた。


 それでも命じる。


「王城にいるすべての兵士へ」


 空一面の映像が黒く縁取られる。


「守るべき者の前で、武器を使うことを禁止する」


 世界が抵抗した。


 命令範囲が広すぎる。


 誰が守るべき者なのか、曖昧すぎる。


 なら、決めるのは俺じゃない。


「そこにいる人間が、守ってほしいと望む限り――」


 映像の中で、拘束された者たちが顔を上げる。


「武器を捨てろ!」


 命令が届いた。


 王城で、一斉に金属音が鳴る。


 剣。


 槍。


 弓。


 兵士たちの手から武器が落ちた。


 エナの首へ当てられていた剣も、床へ転がる。


 武器庫の扉が閉まり、中から鍵がかかった。


 城壁の大弓が弦を失う。


 王城全体が、たった一つの禁止で武装を奪われた。


【命令対象の上限を超過】


【反動:視覚の停止】


 世界が暗くなる。


 膝から力が抜けた。


「ハヤト!」


 リゼの声。


 身体を支えられる。


「成功したか」


「した。全員、武器を落とした」


「グレンは」


 答えの代わりに、剣が鞘を走る音がした。


 澄んだ音だった。


 グレンは、何年ぶりかに剣を抜いた。


「リゼ。王城までの方角を」


「北北東。距離は三日」


「十分だ」


「何をする気?」


 グレンが剣を振る。


 風が止まった。


 一拍遅れて、大地が揺れる。


 見えない俺にも分かった。


 遠くで、巨大な何かが裂けた。


    * * *


 視界が戻ったのは、翌朝だった。


 最初に見えたのは、リゼの顔だった。


 目の下にくまがある。


「近い」


「生きてるか確かめてたの」


「寝てない?」


「誰のせい」


 身体を起こす。


 森の中だった。焚き火の向こうに、グレンが座っている。


 膝へ抜き身の剣を置き、布で何度も磨いていた。


「家族は?」


「無事だ」


 短い答え。


 声に、昨日までなかった温度がある。


「王城の東外壁が崩れた」


 リゼが説明する。


「この人が斬ったの」


「ここから?」


「斬撃だけ飛ばしたらしいわ。三日分の距離を」


 グレンは外壁の一角だけを切断した。


 倒れる石の方向まで制御し、城内に避難路を作った。武装を封じられた兵士は追えず、エナとレオを含む人質たちは、反王派の使用人に導かれて脱出した。


「無茶苦茶だな」


「禁止されていたから、長距離斬撃は二度と使えなかった」


 グレンが剣を鞘へ戻す。


「十二年ぶりだ」


「リゼと同じか」


「私は城壁を斬れない」


「そのうち作るだろ」


「作らない」


 言い切るまでが早かった。


「家族は今どこに?」


「無番地へ向かわせた。王国の地図にない場所なら、王の命令も届きにくい」


「女将さんなら隠してくれる」


 無番地の人々は兵士を当てにせず、魔物から自分たちを守った。人を隠す方法も知っているだろう。


「それで」


 俺はグレンを見る。


「俺を討つ?」


「王命は残っている」


 グレンが立ち上がった。


 反射で身構える。


 彼は剣を抜かなかった。


 代わりに、胸の騎士団章を外す。


 焚き火へ投げ入れた。


 銀の紋章が赤く焼ける。


「だが、従う理由はなくなった」


「騎士団長を辞めるのか」


「まだだ」


「紋章、燃やしたけど」


「王国と騎士団は、王一人の所有物ではない」


 グレンは北を見る。


「ヴォルガス王は、私以外にも高レベル者の家族を人質にしている。自分より強い者を恐れ、神律で縛り、逆らえば処刑してきた」


「王を倒す?」


「証拠を集め、人質を解放する。そのうえで王へ退位を求める」


「素直に退く人には聞こえないな」


「退かなければ斬る」


 迷いがない。


 昨夜、自分で決めたのだろう。


「同行させてほしい」


 グレンが頭を下げた。


「なぜ俺たちに」


「王城の神律監視網を止められるのは、貴様の力だけだ」


「また命令するかもしれない」


「そのときは止める」


「止められる?」


 聞くと、グレンは剣の柄へ手を置いた。


「試すか」


「やめておこう」


 リゼがため息をつく。


「どうして、仲間が増えるたびに危険度も上がるの」


「頼もしいだろ」


「胃が痛い」


 グレンが俺へ右手を差し出した。


 昨日、何度も殴られた手だ。


 俺も右手を出す。


「よろしく、元討伐対象」


「よろしく頼む、現危険人物」


 握手を交わす。


 強く握られ、骨が鳴った。


「痛い」


「力加減を禁じられていた」


「もう回収した?」


「いや」


「じゃあ、ただ強いだけか」


 グレンは真顔でうなずいた。


 冗談が通じるようになるには、時間がかかりそうだった。


 焚き火を消し、三人で王都へ向かう。


 俺たちの頭上を、青い光が横切った。


 王国の伝令魔法だ。


 空へ新しい手配書が映る。


【国家反逆者】


【八幡ハヤト】


【リゼ・アルカディア】


【グレン・ヴァルハルト】


 三人の顔の下に、賞金が並んでいる。


 俺が金貨百枚。


 リゼが八十枚。


 グレンが五百枚。


「ずいぶん差があるな」


「そこを気にする?」


「騎士団長だからな」


 グレンが答える。


「俺も元勇者候補なんだけど」


「レベル0でしょう」


「それを言うな」


 手配書の最後に、王の言葉が追加された。


【国家へ忠誠を示す者は、反逆者をかくまってはならない】


【虚偽の申告をしてはならない】


【命令に背いた者は、本人と家族のレベルを剥奪する】


 道の向こうに見える村で、人々が空を見上げている。


 高い城壁の内側では鐘が鳴り、門が閉じ始めた。


 王都までの道は、国そのものを敵に回す道へ変わった。

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